激辛麻婆豆腐
「うーん……」
すっかり夏らしくなった金曜日の夕方、俺は考え込んでいた。
昼間から飲んでる冒険者も少なくないが、やはり居酒屋が儲けるのは夜だろう――ということで、この店は『日暮れ開店』にしていた。開店時間を決めるより楽だし、そもそもあの頃、店には客が来なかったのだ。定時にきっちり開店するのも虚しかった。
ところが夏になると日が長い。芽の月の頃なら6時には真っ暗だったのに、今じゃ7時でもちょっと明るい。これから先は日が短くなるんだろうけど、そうすると今度は4時前には開店なんてことになりかねない。
「そろそろ営業時間決めるか……」
「んー、6時開店、0時閉店で9時以降にお客さんいなくなったら早仕舞いにしよっかぁ。気まぐれ延長ありで!」
メルセデスがきっぱりと判断した。ということは客の出入りを見て考えてはいたんだな。
人間の客が増えてから営業時間は度々尋ねられたが、先月は天気が悪くて暗くなるのが早かったから決めかねていた。
迷宮の常連客は人間ほど時間を気にしないし。
じゃあそろそろ開けるか、と表に出ると、見知った顔が開店を待っていた。
「よぉメリッサ、珍しく早いな。休みか?」
ギルドの受付嬢の一人、メリッサだ。今日も茶色い髪が元気よくカールしてる。
店の迷宮化が公然になって以来よく来てくれるが仕事が忙しいらしく、この時間は珍しい。
「仕事よ仕事、ギルド誌の取材。とりあえずリンゴ酒のハイボールと手羽先揚げの甘辛ちょうだい」
「ギルド誌?」
俺はお通しに『イカの味噌わた和え』を出す。「仕事は?」とウキウキし始めたメルセデスがジョッキを置くとメリッサは言った。
「『グーラのめしログ』ってあるじゃない? あれ読むとお腹が空くって評判で、ギルドのカフェテリアで読めるように掲示板から移したのよ」
「それわかるなぁ」
俺はなんか照れ臭いから読んでないけど、メルセデスは読んだことがあるようだ。
グーラがうちの料理の感想を書いてギルドの掲示板に貼ってるってのは聞いていた。
迷宮化を公表する時に、店と迷宮に親しみを感じやすくするためのグーラの策だ。
あれ見て来てくれるお客もいるからありがたい。
「そうしたら飲食店に限らずいろんなお店から書いてほしいって希望が出てきてね。でもグーラ様に書いてもらう訳にはいかないじゃない? そこでギルドから都会のタウン誌みたいなものを発行しようって話よ」
王都を始め都会では街の飲食店情報などが載ったタウン誌が手に入る。有料だったり、広告を掲載して無料配布してるものもある。初めての街でうまい店の目星を付けるにはうってつけだろう。
アントレにもタウン誌ができるなら歓迎だ。うちだけ特別って訳にゃいかないのは道理だが、グーラは迷宮から出られないらしいからな。
本格的な出版には魔道具を持つ印刷所が必要だがアントレには無い。当面ギルド会館の複写魔道具で一枚もののビラを刷るそうだ。
タウン誌ってよりタウン紙だな。
「創刊号にはこのお店とビアガーデンの特集を載せたいって課長……編集長が言うから」
「ああ、あの……」
ハイボールをお代わりして、もやしと豚肉を辛く炒めた『辛もやし炒め』を食べながらメリッサが言った。
俺はメルセデスの誕生日に高級ワインを持ってきてくれた苦労人ぽい人を思い出す。
「というわけでエミール君には『めしログ』の監修とインタビューに答えてほしいのよ」
と、渡された紙の束は件の『めしログ』の複写だ。
「せっかく評判いいから、その形式を記事に活かしたいのよね。書いた人にも見てもらいたいけど……」
メリッサはキョロキョロするが、グーラは店員じゃないからいつもいるわけじゃないよ? ほぼいつもいるけど。
店員といえば、調理かホールがもう一人ほしいな。テーブル席2つ埋まると厳しくなってくるのがわかってきた。お客の人数で言うと8人くらいから待たせる時間が長くなる。
「監修ってもなぁ。グーラがそう感じたなら――」
紙束をパラパラめくりながら目を通す。と、『カレー味のから揚げを作ったら、大発明ではないかの!?』という記述が目に入った。初めてカレーを作った時のだ。
昔からあるじゃん、それ。
「『あるよ by エミール』っと。こんなんでいいか」
読んでみると大体褒められてるからやっぱり照れ臭いけど、俺の意図と違った感じ方もあって面白いな。
初めてグーラが来た晩の『カツ丼』に始まり、揚げ物や肉料理の感想が多い。
ガッツリした料理の方がインパクトがあるってことだ。悪乗りして作った『激辛麻婆豆腐』なんてよほどインパクト強かったんだなぁ。
~ グーラのめしログ 『激辛麻婆豆腐』 ~
どうしてこうなったのであろう……。
死屍累々のカウンターでわれが思い返すに、始めは『麻婆豆腐』であった。これは実にうまかったの。
ひき肉と味噌のようなものを合わせた真っ赤なスープ。にんにくと油の香りが胃の腑を直撃しおった。そこに茹でた豆腐と刻んだネギをさっと合わせたらとろみを付け、油を足して鉄皿に移す。
皿ごと焼くように火を入れたらラー油と花椒とかいうスパイスをかけて出来上がり。
鮮やかな赤い色から漂う刺激的な香り。それが一口食べると熱々の豆腐の香りに置き換わる。たまにむにむにするのは黒豆を発酵させた豆鼓だの。旨味が強く奥行きのある味を出しておる。
熱い。だがうまい。
唐辛子の辛味と花椒のしびれを楽しみ、ネギの歯ごたえが余韻となる。
これは飯に合うに違いないの、と思ったところで。あれはカガチとビャクヤであったか。
「これもっと辛い方がうまそうだぞ」
「それはこの身も興味深い」
それなら、とエミールが唐辛子を足して出してきたのはさらに真っ赤な麻婆豆腐であった。
メルセデスなどは唇を腫らしていたのだから、そこで満足すればよかったのだ。
「まだまだ! もっとこう、竜の息吹が噴き出すようなのが食べたいぞ」
「この程度でこの身は刺激を感じぬ。極限を求む!」
「スパイスならいくらでもあげるの」
呆れるテルマとロアをよそにキノミヤが加わった。そして、
「うむ、これはどこまで辛くできるものかの?」
われも乗ってしまったのだ…………。
ニヤリとしたエミールは鉄皿で焼く前に、油たっぷりで揚げ炒めた唐辛子を油ごと回し掛けた。さらに粗挽きの唐辛子をどっさり加えて火にかける。
テルマとロアは「息ができない」とテーブル席に移ってしもうたが、まったくその通りであったの! だがロアは呼吸しておるのか?
仕上げに刻んだ生唐辛子を散らして出てきたそれは、まさしく『激辛麻婆豆腐』、もとい『劇辛麻婆豆腐』であった!
一口目で心臓がドクンと跳ねたが、断じて毒ではない。毒でわれらが、ましてカガチがやられるわけもなし。
しかして結果はこの通り、四人がかりでやっと一皿完食、生存者一名である……われも、そろそろ……ダメかもしれぬ……。
メルセデスが回復薬で割った酒をそっと出してくれた。
これ甘酸っぱくてうまいのぅ……。
(薬カガチ堂がメルセデスと組んで作ってる炭酸入りのやつだな by エミール)
~ ごちそうさまであった! ~
グーラはあの惨状でこれ書いてたの……?
『激辛麻婆豆腐』はともかく、やっぱりグーラは素材まんまより手を掛けた料理を好むな。
『お花見弁当』はキノミヤが書いたのか。
キノミヤは怖いくらい味覚と嗅覚が鋭敏なんだけど、カレーとかタケノコとか、ひとつのものを追求する性質だよなぁ。
「『豚ラーメン』はロマンって……いつの間に書いたんだよ?」
「あの晩書いたのをわたしが預かってたよ。グーラちゃんといろいろ話してたから、なんだかんだ言って仲良くなったんだねぇ」
メルセデスがにんまりして言った。
メリッサが「ロマンって誰?」という顔をしたのでこの間の誕生日パーティーの立役者だと説明すると。
「サン・シュフラン……侯爵令嬢……あ、あのパーティーの!」
「あー。取材したいかもしれないけど、もう街にいないからな?」
『子豚の丸焼き』の武勇伝はこっちのギルドでも有名らしかった。




