『アントレ食べ歩き』(2)
サン・シュフラン侯爵家は大貴族だ。
出入りの商人には王国一と言って憚らない者もおり、比較すればデュカ伯爵家など新興貴族と変わらない。
ロマンは八人いる兄弟姉妹の七番目、四女に生まれ、貴族然とした家族、特に兄姉を見て育った。そのため幼い頃から、自分が政略結婚の道具であることを自覚していた。
決して冷たい家族ではなく、蝶よ花よと育てられはした。しかしそこは家庭と呼ぶには建前の過ぎる社会だったのだ。
そんな屈託を抱えるロマンの前にメルセデスと名乗る二つ上の少女が現れたのは14年前、ロマンが6歳の頃だった。
――お父様に取り入りに来た木っ端貴族の娘ですわね。ま、婚約者を押し付けないだけマシですわ。
ロマンはこのぼんやりした、いつも何か食べているピンクブロンドの少女を『父のご機嫌取りに歳の近い娘を遣わせた』程度に考えていた。
しかし、ある日父から練兵の視察を命じられた日のこと。
「――参りました……」
三度の立会の末、メルセデスは侯爵家の剣術師範、最高峰といえる剣士を下してしまった。
一本目は逃げ回って周囲の兵から失笑を買い、二本目は防戦一方だった。なのに三本目は数合打ち合っただけで大人の剣士が立てなくなる程の痛撃を与えたのだ。
そもそも、三本ともあの娘は相手の攻撃をもらっていない。始めの二本は時間切れだ。
相手に手の内を出し切らせてから、最適化された手順で打ち伏せたのだろうか……8歳の少女が?
唖然とするロマンの頭を撫でながら、父が言う。
「シドニア卿のことは知っているね? あの子はその一人娘だよ」
『冒険者貴族』シドニア卿――外国人の冒険者夫婦で、その功績の高さと高潔な振る舞いから国王陛下より叙爵を賜り、しかし過分として爵位を辞した英雄である。
爵位が無くとも貴族として扱われるため、『卿』と呼ばれる。
彼らがフランベ王国で冒険者になった経緯などは憶測を呼び、どこかの王族ではないかと噂にもなった。
この頃の冒険小説や物語詩の題材として人気であり、昨今の貴族家では嫡男以外が冒険者となるのが流行しつつある。
国としては歓迎すべき風潮で、シドニア卿の評判はますます上がった。
ロマンはかのシドニア卿と友人なのだという父を誇らしく思った。
「剣術も魔術もご両親以上の使い手だ……いや、そうなってしまった。それがあの子の魔法だよ」
ロマンの父が言うメルセデスの魔法は『入神』と呼ばれる。
これは『なんでも見稽古で習得する』力だが、もしもそれだけなら先ほどの剣術師範は体力差で圧倒できた。
しかしメルセデスには他の技術の蓄積がある。何十、何百という達人を同時に相手するようなものだ。
しかもそれは今後も増え、その度にメルセデスは強くなる。
先ほどの手合わせでもメルセデスは誰かから習得した《身体強化》を常時展開していた。
一本目で逃げ回っていたのは師範の剣を受ける力が無いからではなく、剣を振りぬき、戻すところまで見て学びたいから。
二本目で相手の剣を受け続けたのは、技の使い方を確認するため。
恐らくメルセデスは一本目で剣術師範に勝つこともできただろう。彼女に必要なのは三本目だけだった。
「親を超えてしまった子どもは孤独だ。お前はあの子の友だちになってあげなさい。あの子の力が何を成そうと、怖がってはいけないよ」
「メルセデス……お姉さま!」
父に言われるまでもなく、ロマンの目はメルセデスに釘付けとなっていた。
まだ早いという反対を押し切って剣と魔術の鍛錬を始め、メルセデスが遊びに来ると冒険の話をせがみ、街へ食べ歩きに連れ出した。
メルセデスの能力が特殊なため教えを請うことはしなかったが、それでもロマンはいつか隣に立つべく励んだ。
そして14歳の時、ついに魔法『ジークフリート』を発現したロマンは父に認められて冒険者となり、その二年後に家を出てメルセデスとパーティーを結成する。
***
「……これ入口ですの?」
『長者通り』で入るのは仕立て屋と宝飾店……の隙間をつっかえつつ通り抜けた先の、古い木戸だ。エミールの胸の高さ程もない、ちょっと人間用に思えない出入り口だった。
「屈んで入るんだよ……こんな風に。頭ぶつけるなよ」
「エミール君のとっておきのお店なんて楽しみ! わたしも連れてってくれたことないんだよぉ……あ痛っ」
中も天井の低い廊下が続くようで、メルセデスは頭をぶつけた。
ここへは、せっかくロマンが来たのだからと、エミールが案内してくれたのだ。メルセデスにも秘密にしていた隠れた名店らしい。
「入口に《隠蔽》まで……物理的にも魔術的にも隠れてますわね。商売になりますの? 高級そうな感じでもない――」
「――おかげさまで商売の方は順調です、高級店ではありませんが」
低い廊下の突き当り、引き戸が開いて揚げ物と出汁の香ばしい匂いがした。
戸口で出迎えたのは白い調理着を着た銀髪の若い女だ。楚々とした物腰だが無表情で、ちょっと接客業には見えない。
「エミールさんとお連れ様。お席へどうぞ」
「おう、とんかつな」
「当店にはそれしかございませんので」
「ビールは無いの?」
「ピルスナーとペールエールがございます」
「じゃあペールエール3つ!」
「かしこまりました」
メニューはとんかつしかないらしく、席に着く前に注文を済ませてしまった。
店内は打って変わって二階まで吹き抜けで、狭いが開放感のある作りになっている。
建物に囲まれているらしく窓は無し、代わりに温かみのある照明がさがっていた。
左手は厨房、右手は客席で、席は畳敷きの小上がりに六人ほどが座れるテーブルひとつ。他の客が来たらどうするのだろう?
「客が入ると表の入口が隠蔽されて入れなくなるんだ。隠れ家だろ?」
「高級店じゃないって言ってたけど、なんだかこだわりを感じるお店だねぇ」
先ほどの女が一人で切り盛りしているようだが、店内は掃除が行き届いてどこもピカピカだ。
厨房も、小上がりの隅にも塵ひとつない。
「それもまぁ、当然ですわ」
ロマンが厨房の方に目を向ける。
グラスと小鉢をお盆に乗せた店主がさわさわと《《浮遊》》して二階の保冷庫からビール瓶を取り出し、こちらへ持ってきた。
「お先にペールエールとおつまみです」
「あなたシルキーですわね?」
シルキーとは家妖精の一種で、家事をサポートしたり家を繁栄または没落させたりという伝説を持つ。
人と敵対しないが、人々が語る伝説に由来し自然発生する彼らは人ではない。この店は言ってみれば『幽霊がやっている』ようなものなのだ。
店の様子に不自然さを感じていたロマンはすぐに気付いた。
「シルキーですが、何か? あ、もうすぐ脂が切れるので失礼します」
店主は人間離れした美しい顔でロマンをちらりと見ると、行ってしまった。
「おかしな街ですわね」
「おもしろい街だよねぇ」
メルセデスはにんまりしながらビールを注ぎ足した。
「とんかつしかない」と言う割におつまみはおいしい。ピーマンと油揚げの和え物だ。エミールもたまに作るが、この小鉢には店の味が感じられた。
「お待たせいたしました。ご飯は少なめにしているので足りなければお申しつけ下さい」
「きたきた! あ、瓶ビールもう一本ね」
メルセデスのペースを見てエミールがビールを追加した。
千切りのキャベツと切り分けられた黄金色のとんかつが、品のいい皿に乗っている。
肉の断面にはほんのりピンク色が残っていた。ロースかつのようだ。中濃ソースとカラシを付けて一口。
「んん~っ!!」
粗いパン粉の香りとしっとりした肉の柔らかさ、そして見た目以上の熱さに驚く。
エールで口の中を冷やすと、脂の甘い後味が残った。
――割と贅沢なお料理を頂いているのに、シンプルにまとまった旨味がありますわね。
「ここはラードで揚げてるんだ。うちの店じゃ他の揚げ物もあるから、できねぇだろ?」
「ギトギトになりそうですわね?」
「――高温で短時間揚げてゆっくり脂を切り、余熱で火を通しております。ラードが固まらないよう、厨房の温度管理も抜かりありません」
追加のビールを持ってきた店主が無表情で言った。
なおおつまみは彼女が晩酌用に作ったものだ。
「やっぱり、おかしな街ですわね」
「これおいひー! 脂身も全然くどくないし、力が湧いてくる味だよ! また連れてきてね、エミール君」
「……一人で来て食い尽くされるよかいいか」
メルセデスが先に来たら、店に入れないうちに食材が無くなる気がした。エミールの隠れ家が一つ減った。
***
とんかつ屋を後にした一行は長者通りを抜け南東の裏町へ出る。建設工事の現場を見たメルセデスが満足そうににんまりした。
まだ基礎工事をしている段階だが、ここは学校になるそうだ。
道なりに歩くとすぐに孤児院がある。慣れた様子で入っていく二人に、ロマンも首を傾げながら付いて行くと、昼食を済ませた子どもたちが食堂から飛び出して来た。
「メル姉ちゃんだ、また来たのかよ!」
「またおやつ食いに来たんだろ、今日は『ビスコッティ』だぜ」
「おいしそうだねぇ、ナッツぎゅーぎゅーだといいなぁ」
ビスコッティはナッツが入った堅焼き煎餅で、二度焼きをして作る素朴な焼き菓子だ。
まさか孤児の食べ物をメルセデスが掠めとる訳が、とロマンが目を白黒させていると、孤児の一人が足を止めた。
「後ろの金髪のねーちゃん知ってるぜ、『牝の焼き豚』だろ?」
「誰がメス豚ですの!?」
昨日の今日で誰に聞いたのか、かつてのパーティー名のことだろうが原型を留めていない。
そしてロマンもアクロバティックな聞き違いをしている。
「――『子豚の丸焼き』ですわ!」
昨日と同じく名乗りを上げたロマンは盛大に笑われ、「メス豚だ!」とからかわれた挙句、「誰だいっ、下品な言葉を教えたのはっ!?」と院長先生に叱られてしまった。
「…………理不尽ですわ」
「ロマンちゃん、早くも人気者だねぇ」
お説教が終わると院長はビスコッティをくれた。
近所の子どもと勘違いされていないだろうか。
***
パーティーを組んで間もない頃、メルセデスとロマン、それに聖女カタリナは若いなりの屈託を抱えていた。
これまで家に縛られていた反動、抑圧する社会への反抗心のようなもので、盗んだ駿馬で走り出しそうなお年頃だったのだ!
もう一人のメンバー、長命なエルフの暗殺者・マゼンタは裏社会で長年名を売った手練れで、どうして加入してくれたのかロマンにもわからない。
当然マゼンタはお年頃ではなかったが、何を考えているのかわからない人だった。
パーティーの行動はメルセデスを筆頭に苛烈で、すぐに冒険者や裏稼業の界隈で恐れられるようになった。
非合法なことはしなかったはずだが、依頼達成の報告を聞いた依頼人がその内容に卒倒したり、ギルドから厳重注意を受けたのも一度や二度ではない。
ロマンはそんなパーティーを、特にメルセデスを英雄だと思っていた。
少なくともロマンにとっては、侯爵家の檻から救い出してくれた英雄だった。
一緒に戦っていれば生きてることを実感できた。
あの時、ロマンの居場所は確かにそこにあったのだ。
それに比べてこの街は平和だ。迷宮はあってもその住人達となれ合うようでは退屈と言っていい。ふと気が付く。
――はて? わたくしは……何をしにここまで来たのですわ?
目的が無かったわけではない。むしろロマンは明確な目的をもって旅に出た。そして期日はぎりぎりだったが、メルセデスを探し出したのだ。
しかし、再会したメルセデスは別人のように丸くなっていた(外見のことではない)。
それでなんだか、掛ける言葉が零れ落ちてしまった。
悪友が結婚して家庭的なパパママになったら、何話せばいいかわからなくなるのと一緒である!
――お姉さまに会ってどうしたいかまで、考えてなかったのですわ。
「――そのビスコッティはお茶菓子用に多めに作ってるはずだから、遠慮なく食えよ」
「えっ? あ……頂きますわ」
エミールの声に我に返った。
お茶もほしいところだが、おいしそうなものを出されたらとりあえず頂くのが最近のロマンのスタイルだ。
噛み砕くと優しい甘さとピスタチオとアーモンドの香ばしさが広がる。
冒険者の強靭さがなせる食べ方で、普通はミルクやワインに漬けて食べるものだ。
子どもにからかわれて、大人に説教されて、その後におやつをもらうなんて普通の、庶民の子どものような体験は新鮮だった。
これが今のメルセデスの日常なのだろうか。
――でもまぁ。ちょっとだけ、楽しかったですわ。




