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『アントレ食べ歩き』(1)

 時間は少し戻ってロマンが『居酒屋 迷い猫』に乱入した翌朝。

 空き部屋を借りたロマン・ド・サン・シュフランは目を覚ました。


「久々によく寝ましたわ……」


 日はすでに高い。

 旅の疲れだろう。しかし昨夜はしっかり食べて風呂も借りられたので、身体が軽……いや、少し肉が付いたが、気力は充実している。


 ふやぁぁ、とあくびをしてふと気付いた。


 ――に、にんにく臭いですわ……!


 昨夜にんにくたっぷりの『豚ラーメン(マシマシ)』を完食したのだから、当然だ。

 ロマンの魔法、《ジークフリート》が食べたものを効率よく吸収するとはいえ、胃の中のにんにく臭はそう簡単に消えないのだ!


 ともかく顔を洗おうと下へ降りると、カウンターの向こうからエミールに声を掛けられた。


「起きたか。朝飯出来てるぞ」


 見ればテーブルに一人分の食事が用意されていた。

 この赤毛の若い料理人はいささか粗野だが腕はいい。昨夜のラーメンの味を思い出し、ロマンのお腹が思わずきゅるる……と鳴る。

 昨日あれだけ食べたのに。


「か、片付かないのもよくありませんわね。いただきますわ」


 エミールは「顔洗ってからでいいぜ?」という顔をしているが、決して食欲に負けたからではない。


 メニューはサラダとりんご、ベーコンと目玉焼きにカップケーキだ。


 朝食にカップケーキ? と思いつつ口にすると、上に乗ったりんごがじゅわっとしておいしい。焼く前に砂糖とバターでソテーしたりんごを乗せたようだ。

 ケーキ自体はほんのり甘い程度で、おかずとも違和感なかった。


「にんにくの後はリンゴ酸を摂ると臭いが分解されるって、メルセデスの受け売りな。ほんとは食べてすぐがいいけど、昨日は腹いっぱいだったろ?」


 そう言ってりんごジュースも出してくれた。このサラダのドレッシングにもリンゴ酢が使われている徹底ぶりだ。

 牛乳などのたんぱく質も有効らしい。


 ごちそうさまをして念入りに顔を洗ったところで、メルセデスが孤児院から帰ってきた。


「疲れも取れましたし、そろそろお暇しますわね」


 大好きなメルセデスとの別れは辛いし、正直心配は尽きない。

 だがロマンにこの街で成すべきことはないと昨夜わかった。


 道々今後のことを考えながら、のんびり王都へ帰ろうと挨拶をしたのだが。


「せっかく来たんだから、もう一晩泊まっていきなさいな♪」


 田舎のおばあちゃんみたいなことを言う。

 せっかく、決心が揺らがぬうちに発とうと思ったのに。


 ――帰れなくなってしまいますわ……。


「どうせ今日は定休日だからさ、メルセデスの酒の相手でもしてやってくれよ」


 エミールまでそんなことを言うものだから。


「……ではもう一晩だけ、お世話になりますわ」


  ***


「ここが『宿屋通り』、歩くだけでお腹いっぱいになれるよ!」


 「街を案内するよ!」というメルセデスに連れられて、ロマンは迷宮街北西部に来ていた。エミールも一緒だ。

 今日はいい天気で、風に飛ばされたものを片付ける人や、折れた枝に昨夜の嵐の跡を感じるばかり。

 道の水たまりはほとんど乾いていた。


 『宿屋通り』には街に拠点を持たない冒険者が利用する宿屋が並んでいる。

 冒険者酒場も多く、午前中だというのに扉を開け放っている店は営業中だ。意外と客が入っていた。

 迷宮に入る者はあらかた出払った時間帯だが、通りは賑やかだ。


 そしてメルセデスはいつの間にか買った肉串をぱくついていた。静かだと思ったら。

 無言でロマンにも一本勧めるが、先程朝食を頂いたばかりだ。


 見れば、夜まで開店しない店の前には屋台が並んでいた。

 炭火に炙られた肉や腸詰めが煙をたて、炒めものなどのおかずとご飯や焼きそばの屋台は食欲をそそる。

 片手で持って食べ歩ける形に焼かれた、そば粉のガレットもあった。


 屋台の前では、朝食か昼食を求める冒険者たちがそわそわと焼き上がりを待っている。


「肉を買って、野菜と卵のガレットと一緒に食うのが定番だな。チーズはお好みで」


「そう聞くとおいしそうですわね……!」


 メルセデスの言う通り、お腹いっぱい食べ歩きができそうだ……が、朝食を頂いたばかりなのだ!


 そうして猥雑だがわくわくする通りをゆっくり歩いていると、絵に描いたように出来上がった冒険者三人組が立ちふさがった。


「よぉ兄ちゃん、いい女二人も連れてんじねぇか俺たちにも分けてくれよこっちの巨乳の姉ちゃんは俺がきっちり楽しませてやるからそっちの金髪のチビは仲間二人がしっかりおもてな――」


「――『絵に描いたお餅』にな〜れ♪」


 三人のスケベ冒険者は白くて丸いお餅になった。アントレに稼ぎに来たばかりだったのだろう。

 哀れそうに眺めていた野次馬たちはすぐにいなくなった。怖いのは酔った勢いだ。


「絵に描いた要素ねぇな」


「そういう詠唱なんだよぉ」


「聞きなれない呪詛の魔法ですわね……」


 メルセデスと街を歩くとこんなもんなので、エミールは慣れっ子だった。

 解呪の条件は『残さず食べられること』なので、蟻さんたちが助けてくれるだろう。蟻ラヴ。


「しかし、この辺も急に治安良くなったよな」


「えっ……?」


 今のは何だったのかとロマンは瞠目するが、迷宮都市名物と言われた冒険者による狼藉もこのところ減少している。

 昼間遭遇するのは先程のような『アントレ初心者』くらいだ。


 迷宮や『迷い猫』の入場条件が治安に一役買っていることは言うまでもない。


 立ち並ぶ宿屋が途切れたところでエミールが足を止めた。


「アントレに来たらやっぱり肉だよねぇ」


 そこはちょっとした空き地で、にんまりしたメルセデスに連れられて入ると、椅子とテーブルを並べて屋台が営業している。

 テーブルごとにパラソルまで立ててあり、まるで屋外レストランだ。


 やけに低い椅子に座ると、すかさず店員さんが七輪を持ってきた。底の方ではすでに炭火が熾きている。


「タン塩、ロース、ハラミ、塩ホルモン……少しずつなら食えるだろ?」


「ビール3つ!」


「午前から焼肉とお酒ですの!?」


 そう、ここは七輪で食べる焼肉屋台だ。

 まだ十時過ぎだというのにちらほらと肉を焼く煙が上がっている。皆も定休日なのだろうか。


「お待ちっ!」


 威勢のいいお兄さんは素早く注文に応えてくれた。調理台でスライスされた肉は冷蔵されているらしく、冷気をまとっている。


 そしてビールは『迷い猫』で出すようなエールではなく、ラガーだった。

 肉を炙りつつ、乾杯して一口。


「今更だけど、アントレにようこそ!」


「だはーっ! たまにはピルスナーもいいもんだな」


「エールとラガーって何か違いますの?」


「「えー……」」


「なんですの、そんな常識的なことですの!?」


 最早常識化してきた感のある話だが、簡単に言うとエールは常温で短期間の上面発酵で作られ果実味やコクに優れる。

 一方ラガーはより低温の下面発酵で長期間醸造し、喉ごしや爽やかさに優れる。当然酵母も異なる。


 それぞれペールエールやスタウトなどのスタイルがあり、『迷い猫』ではホワイトエール、世間の主流はピルスナーだ。


 ロマンはメルセデスのうんちくを聞きながらタン塩を一口。

 エミールもいい焼き加減のハラミをメルセデスの皿に乗せる。食べるペースを考えて焼いているところはさすが料理人だ。


「肉の味が濃くて、肉質が密ですわ。肉料理の街と呼ばれるだけありますわね……!」


「でしょー。ここのお肉は夕方には売り切れちゃうんだよぉ……えーと」


「はいよ、タレ。こぼすなよ」


「ありがとう、エミール君。やっぱりハラミはタレだよねぇ……あっ」


「言わんこっちゃない。ほら、布巾」


「夫婦ですのっ!?」


 メルセデスの世話を焼くエミールの動きが長年連れ添った妻のようで、急に叫びたくなったロマンだった。


「いやぁ、エミール君はわたしのことよく見てるよねぇ」


「メルセデスの行動がいつも同じなんだよ」


 ロマンはなんだかむずむずして、無意味に周囲を見回した。

 一人客も多く、ロマンの知る王都の焼肉店より静かでいい風が吹いている。


「そこを曲がると『職人通り』で武具でも調理器具でも作ってくれるぜ。工房があるのは通り沿いだけじゃないけどな」


 歩いてきた道の角を指してエミールが言う。

 『職人街』としないのは『迷宮街』の中だからで、実際には通り沿いだけでなく一帯に同業者が集まっている。『宿屋通り』も同様だ。


 職人通りの先は迷宮街の終わりで、その先は裏町ではなく、森が広がっている。職人たちの生産活動の燃料はそこから調達され、この七輪の炭も森の炭焼き小屋で作られている。


「次は何食べよっか? アントレの肉料理はまだまだ始まったばかりだよ!」


 残りの肉を平らげビールを干したメルセデスが満足げに言った。

 街を案内するはずが食べ歩きになっているが、今日はあちこちの肉料理をちょっとずつつまむ計画らしい。


 ――まったく、食いしん坊なところは変わりませんわね。


 パーティー名の決め手がメルセデスの寝言だったのも、日頃の行いから誰も疑問に思わなかった結果だった。


  ***


「『ホオズキ』の限定メニュー、食べられてよかったよぉ」


 迷宮街北側の名店『鬼料理 ホオズキ』では、最近新作作りに熱心な二代目による期間限定『赤味噌ビーフシチュー』を頂いた。

 腕を上げていくエルザにできるだけのことをしたい祖父心だろう。


「味噌でコクと旨味が跳ね上がってたな……入れるタイミングは最後か?」


 作り方を想像したエミールが唸った。

 簡単に盗める味ではないようだ。


「次はこのお店だよ!」


 一行が入ったのは『ホオズキ』の近所にある窯焼きレストラン『薪のクマさん』だ。店先にも薪が積まれている。


 ここは立派な石窯を持っており、それを活かした料理が売りで人気メニューはピザだ。

 この街では珍しいレンガ作りの店自体、石窯のようにドーム型である。


「『窯焼きスペアリブ』お待たせしました〜」


「クセはあるけど肉の味が濃くておいしいですわ、マトンですの?」


 注文したのは確かに羊肉だがラムやマトンではなく、ホゲットと呼ばれる生後一年以上、二年未満の羊肉だった。

 ラムより風味が強く、マトンより柔らかい。


「ラムより弾力があって、いい食べごたえだねぇ」


「マトン程じゃないとはいえ固くなりやすいからなぁ……うちだとオイルでマリネして炭火か……いや、低温調理ができれば……それだと臭みが……」


「――石窯ひとつと言っても燃料の種類や置き方は工夫してるからな。素材に合った加熱が大切だ」


 現れたのは子熊……ではなく、ここの店主だ。背が低くずんぐりしているのは鉄人族(ドワーフ)男性の特徴である。


「鍛冶仕事みたいなこだわりだねぇ、さすがドワーフ」


 そう言うメルセデスはピザを一枚追加していた。食べ過ぎではないだろうか。


  ***


 腹ごなしを兼ねて次にやってきたのは迷宮街東。ギルド会館のワンブロック向こうからは高級店が多く、『長者通り』と呼ばれる。


 普通の冒険者が使わないような高級宿はこの辺りにあり、食事処も高級店だ。

 領主別邸や治療院が近い、ちょっとハイソな雰囲気漂うエリアだが、魔物素材の加工品は王都よりもお安いのでお土産にいかがだろうか。


 なお、この辺りから裏町に出るとすぐに学校の建設予定地だったりもする。


「あら、あの菓子店は王都から進出した支店ですわ。マカロンがおいしいですの……この街は意外と栄えてますわね。まるで地方都市に来たみたい」


「でしょー? パーティーのみんなとあちこち遠征してた頃を思い出すねぇ」


 アントレは領主のいる領都ではないが、ここ数年はそれをしのぐ繁栄ぶりだ。


 さすがにこの界隈では歩きながら食べるようなものは……と思ったロマンだったが、メルセデスは目ざとくアイスクリーム屋へ走って行った。


 ――確かに、あの日々を思い出しますわ。

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