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『スペアリブの丸焼き』

 熱の月の3日、金曜日。

 目覚めたメルセデスは窓を開ける。


「ん〜っ、いい天気……!」


 今日は暑くなりそうだ。

 昨日の朝旅立った旧友、ロマンは今頃どこの空の下だろう。


 服を着て部屋を出る。少し寝坊したのでエミールは仕入れから帰っているはずだ。

 店舗部分は吹き抜けになっているので、鶏ガラスープの香りがここまで届いている。


「おふぁよぅ、エミール君。朝ご飯はなに?」


「おう、カウンターに出してあるぜ。あと服を着……着てるな」


 メルセデスも露出趣味ではないので、寝ぼけていなければ服を着る。


 カウンターを見れば、朝食はアジの干物だった。一夜干しは最近のエミールのお気に入りで、シモンから買った魚をあれこれ庭で干している。味噌汁は当然かつお出汁だ。

 ということは鶏ガラは今晩のおすすめだろう。エミールが来て以来、料理のメニュー作りは任せきりだった。


「差し入れはそっちな」


 テーブルの容器は孤児院への差し入れだ。中を覗くとアジフライを冷ましているところだった。


 アジの干物に小ぶりのアジフライと来れば、今日のおすすめは。


「もしかして、アジのナメロウかな? それともツミレ?」


 だがエミールは鶏モモを切り出し、タレに漬け始める。メルセデスの言葉には不意を突かれたような顔で返した。


「えっ……あ、今日はアジ出さねぇよ。黒板は俺が書いておくから気にすんなよ」


 エミールの歯切れが悪い。

 珍しく仕込みに手こずっているのか……それとも。


 ――もうメニュー教えるのも面倒くさいとか……あわわ、わたしがどんくさいから……いやぁ、まさかね?


 何かエミールに呆れられるようなことをやらかしただろうか、と考えるが心当たりはない……こともない。いつも呆れられている気がする。


「お、アジフライ冷めたな、包んどくぜ。洗い物は水に漬けといてくれればいいから」


 そうこうしているうちに差し入れの準備もできたので、のんびりしている理由もなくなった。

 メルセデスはコーヒーを飲み干すと、いつも店用から借りているマグカップを空いた皿に乗せる。


「じゃあ、行ってくるよぉ。エミール君も仕込みがんばってね!」


「おう」


 エミールの返事がなんだか素っ気なくて、追い出された気分になる。いつもの日課にいつものやり取りなのだが。


 ――ちょっとだけ、つまんないなぁ……。


 荷物を担いで『居酒屋 迷い猫』を出るメルセデスを、グーラが物陰から見つめていた。朝から暇なのだろうか。


  ***


「おはよぉ、今日はアジフライだよぉ」


 メルセデスが孤児院の玄関口で声を掛ける。だがいつもなら我先に走ってくる子どもたちがいない。


 本来なら掃除の時間なので、来ないにしても誰も見当たらないのはおかしい。気配はあるが静か過ぎだった。


「――待たせて悪かったね。庭でお茶に付き合いな」


 治療院から手伝いに来た初老の男性に差し入れを任せ、庭に出た。

 院長がぶっきらぼうなのはいつものことだが、お茶に誘われるのは珍しい。

 エミールが差し入れを作るようになるまでは、不審者扱いされて中に入れてもくれなかったのに。


 庭には粗末なテーブルと椅子が置かれ、お茶とお菓子が用意されていた。

 準備したのは院長か近所から来る乳母だろうが、これはおかしい。用意がよすぎる。


「誰か来てたの?」


「え? いいや、こんな朝から来る物好きはあんたくらいさ」


 ならばメルセデスが来たら庭でお茶を飲ませると、確定していたことになる。普段の院長からすれば不自然極まりない。


「このお茶は……そう、私が一休みしようとお茶を淹れたら、あんたが来たんだよ」


「院長先生、カップ二つ使うの?」


 しかも来客用だ。院長一人なら自分のマグカップ一つ持って来るだろう。


「これは……たまには使ってやらないと、カップも自分の仕事を忘れちまうだろ?」


 そんなことはないと思うが。

 メルセデスはもう一つ気になることを聞いた。


「子どもたちの姿が見えないけど、今は掃除の時間だよね?」


「あ、ああ、今日は先に授業だよ。先生の都合でね」


 孤児院では朝の掃除の後に読み書き・計算や法律など基礎課程相当の勉強をさせている。

 講師は先程の治癒術師や冒険者がボランティアで来ており、メルセデスも一度だけ代理で入ったことがあった。


 講師の人手によって年少と年長のクラスを分けたり分けなかったりで、難しいことを教えるわけではない。


「それならわたしが代わってもよかったのに。あれ以来頼まれないけど……」


 学識は申し分ないメルセデスだが、一度頼まれたきりだった。

 サボりたい子どもたちの誘導にまんまと引っかかって脱線し、ほとんど授業できなかったのだ。


「ああ、そうだね……」


 相槌を打つ院長の目が泳ぐ。

 とても人をお茶に誘って一休みしている人の様子ではない。


「院長先生、何か隠してる?」


「な、何言い出すんだい? 隠すものなんてないさ」


 メルセデスの疑う視線に院長が変な汗をかき始める。

 「嘘ついてる人はみんなそう言うんだよ」と言いかけた時、宙にぽぅっと光が生じた。


「お庭の手入れに来たの」


 キノミヤだった。たまに来ていることはメルセデスも知っていたので、よじ登るように席に着いたキノミヤににんまりする。


「このクチナシはキノミヤが手入れしてるの」


「かわいい花だよねぇ」


 キノミヤが指差す低木の、ぽつぽつと咲く白い一重の花を眺める。ジャスミンに似た甘い香りがテーブルまで届いた。


「熱の月まで花を保たせるのは大変なの。一度に咲かせちゃダメなの。沈丁花とクチナシと金木犀はいい匂いだから好きなの」


「わたしはひまわりが好きだなぁ。ここにも植えてたよねぇ?」


「……メルセデスは『ショーギ』というボードゲームを知ってるの?」


「ショーギ? うん、やったことは――」


「――あのゲーム盤の脚はクチナシの形なの。外野が口を出してはならないという戒めで、それはもう厳しいの。うっかり口を出した人は首を落とされるの。ゲーム盤の裏にはちょうど血が溜まるように凹みがあるの」


 キノミヤが頼んでもいないのに語り出した。

 ちょっと気圧されたメルセデスだが、ひまわりの話をスルーされた気がする。よく育っていたはずだ。


「ところでひまわりは――」


「――沈丁花の実は毒だからカガチが迷宮に植えてるの。雌株にしか実は生らないの」


 キノミヤの目が泳ぐ。

 院長同様、らしくない。ひまわりに何かあったのだろうか。

 そもそも、ひまわりに何かあったとして、それが何だというのだろうか。


 やはり何か企んでいると踏んだメルセデスは問い詰めようとも思ったが。


「あ、そろそろ帰らないと」


 長居するつもりはなかったので、エミールに心配を掛けてしまう。

 だが院長とキノミヤは引き留めにかかった。


「どうせ用はないんだろ? ゆっくりしておいきよ」


「メルセデスは店に帰っても役に立たないの。もっとお茶飲んで話し相手になるの」


 キノミヤが指先を伸ばしてお茶を注ぐ。どこからかカップを出して自分も飲み始めた。


「お腹たぽたぽになっちゃうよぉ……」


 メルセデスは仕込みを手伝う訳でもないので、事実仕事は無いのだが。


 ――わたし、そんなに役に立たないかなぁ……。


「お、おお、おまま、ま、迷い猫の店長じゃねぇか。こんなところで奇遇だな……!」


 メルセデスの眉毛がハの字になった頃、魚屋シモンが現れた。すでに目は泳いでいて、顔が怖いのでイケナイ薬をキメた人に見える。


「シモンさんだ。じゃあわたしはお暇――」


「――ちょ、ちょうどいいぜ、あんたに……頼みたいことがあったんだ。じょじょ、じ、実はよ――」


 またしても引き留められてしまった。

 怪しいシモンがしどろもどろで言うには、魚屋の看板をメルセデスに描いてほしいらしい。言語野大丈夫だろうか。


「そ、そりゃいいじゃないか、描いておやりよ。頂き物の空き容器は後で届けさせるさ」


「メルセデスもたまには役に立つの。すぐ行くの」


「えっ、今から? いや図案とか画材とか……」


 さっきまで引き留めていた二人も不自然なほど乗り気だ。

 メルセデスは釈然としないまま、キノミヤに背中を押されてシモンの馬車に乗り込んだ。


  ***


 道具の用意は無いというので、職人街に寄って作業着とペンキと筆に板を調達した。


 行き当たりばったりもいいところだが、木工屋に上質な一枚板があってよかった。磨いてニス掛けもされていて、いかにも『看板にしてください』と言わんばかりの板だった。


 留め具をサービスしてくれる時に鉄人族(ドワーフ)の店主が何か言いかけ、娘に一撃もらっていたのが気になったが。親子喧嘩だろうか。


「こいつを新調したくてよ」


 メルセデスは初めて来たのだが、シモンの魚屋は市場の近く、仲がいいらしい肉屋もご近所だ。

 店の前で見上げると『魚屋』と書かれただけの素っ気ない板が軒に留められていた。


「なるほどねぇ……屋号は無いの?」


「夜開ける店の名前なんて見えやしねぇと思ってたんだけどよ、一応『シモン魚店』って――」


「――『鮮魚 シモン丸』ってどう?」


「お、おう……いいじゃねぇか。船みてぇだ」


 メルセデスのゴリ押しで屋号が変わった!

 飾り気のなさすぎるシモンに危機感を覚え、メルセデスのスイッチが入った。


 紙にいくつかの図案をさらさらと描いていく。屋号とイラストを組み合わせ、一枚板の自然な形を活かした構図だ。


 シモンの希望も聞いて図案を完成させ、板に下書きを始める頃には昼時だった。となれば当然。


「お腹空いたから一度帰るね?」


「!? いやっ、ちょっと待てっ。飯ならその辺に――」


「でもエミール君がお昼作ってるだろうし……」


「――コロッケ定食、お待たせしました!」


「えぇー……?」


 岡持を提げたホオズキの三代目(修業中)、エルザが現れ、定食を置くと颯爽と去っていった。

 ホオズキも忙しい時間のはずだが、二代目が頑張っているのだろう。


 今日はいろいろとおかしい。

 コロッケはおいしかったが、昼にエミールの料理が無いとなんだか寂しいメルセデスだった。


  ***


 午後三時すぎ。荒波を背景に魚を追いつめる丸っこい猫を描いた『鮮魚 シモン丸』の看板が完成した。


「おおっ! いいじゃねぇか、すげぇ! すげぇよ、俺の店……こんな気分は開店以来だぜ! ありがとよ、ほんとに代金は魚でいいのか?」


「うん、来週エミール君が競りに来た時に持たせてね。おいしいやつねっ」


 やってみれば楽しいお絵描きだったが、院長、キノミヤに続いてシモンも何か隠しているはずだ。

 でなければ準備も無しに看板を依頼するわけがない。


 だがそろそろ帰って開店準備をして、仮眠を取りたい時間だ。追及はまたにしよう。


「いたいた、メルセデス。うちの魔道具技師と打ち合わせしてほしいんだぞ」


「えー、開店準備もあるし眠いよぉ」


「寝てていいから!」


「もーっ、カガチちゃんまで!?」


 有無を言わさずカガチの転移が発動した。


  ***


 午後六時、夕暮れ時にようやく解放されたメルセデスは、馬車で店まで送ってもらった。技師のいる工房は外周部の南東にあり、結構遠いのだ。


 熱心な技師から魔道具作りについてあれこれ質問されたが、ほとんど寝ていたので覚えていない。

 寝言で変なこと答えてないか心配だった。


 馬車を降りて御者に礼を言うと、戸口にはもうのれんが下がっている。結局開店前の仕事をひとつもできなかった。


 ――あわわ、怒られるかもぉ。


 引き戸にかけた手が、ふと止まった。

 今日メルセデスが何もしなくても店は開いた。つまり、


 ――わたしがいなくてもお店は大丈夫なんだよねぇ……。ちゃんと入れるかなぁ。


 エミールは気付いていないが、この店に入る条件『店の料理と酒を望む・店の者が招く・迷宮の身内』はエミールの意志で多少ゆらぐようにできている。


 もしもエミールがメルセデスを不要と考えれば、店には入れずギルド会館前に転送されるはずだ。


 ――それは嫌だなぁ……。


 ごくり。


 覚悟を決めたメルセデスが戸を引く手に力をこめると。


「「「ハッピーバースデー!!!」」」


「!!」


 目に入ったのはたくさんのひまわりと、常連客たちだ。

 そこはいつもの店内ではなく――いや、店内だが、椅子を片付けテーブルを並べ替えて、立食形式にアレンジされていた。


 なぜなら定員19名、15人も入れば満員の札を掛ける店に、20人以上の客が入っているからだ。


 グーラ以下階層主たちにウンディーネやアラクネ、孤児院のカミラ院長にシモン、ホオズキ二代目とエルザ、ギルドの受付嬢を始めとする職員たち、衛兵隊長(合コンに来ていた三人は訓練中だ)と衛兵たち、木工屋の父娘と肉屋。代官夫妻に執事のヴィクトー。さっき別れたはずのカガチまでいた。


「誕生日おめでとう、メルセデス」


 そして厨房には当然エミールがいる。

 表にエルザが『本日貸切』の札を下げて、メルセデスは自分が今日最後の客らしいと気付いた。


 ――心配して損しちゃった。


 安堵と照れで声を詰まらせながら言う。


「みんな……どうして…………どうしてわたしの誕生日知ってるの!?」

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