『影踏み鬼とカスタードパイ(2)』
今回も三人称です。
「……よし、誰も見てないわね」
塀に囲まれた代官屋敷、その裏手の植え込みからひょっこり頭を出したテュカは、立ち上がって服や髪のホコリを払った。
敷地の外といえどヴィクトーの手配できれいに保たれている。だが大人たちは知らないのだ。
内外の植え込みに隠れて見えないが、塀には子どもが通れるくらいの穴が開いていることを。
子どもならすり抜けられる柵の隙間もあるし、木登りすれば塀を越えられる場所だってあることを。
昼食後、手持ちの服で一番動きやすい乗馬服に着替えたテュカは、かねてからの下調べ通りに屋敷を抜け出した。
初めての家出である!
以前ヴィクトーの目を盗んで『迷い猫』に乱入したのは家出じゃないからノーカウントなのだ!
前回は考えもなしに門から堂々と飛び出したが、そのせいで一人で外に出ないよう厳命されてしまった。そこで今回は事前の調査から脱走経路を頭に叩き込み、さらに主の夫婦喧嘩でヴィクトーの目が届かなかったからこそ実現した。
腰には乗馬鞭の代わりに魔力を整える短い杖を提げている。母からのプレゼントだ。
いくばくかのお金も持ってきた。これまで使ったことはないが、当面不自由しない額はあるはずだ。
テュカは晴れた空を仰いで深呼吸、大きく息を吐く。
一人の開放感と心細さに、少し震えた。
これからどうするのか。
家出をしたテュカに頼る友人などいない。
アントレに住む貴族など領主の係累らしき老人が少しいるだけだ。上流階級の同年代といえば豪商の娘くらいである。
だがテュカには目的地があった。
先月、生まれて初めて一人で家を飛び出し向かった先、『居酒屋 迷い猫』だ。
あの時は自分のわがままで両親の仕事を邪魔してしまったと自覚している。
だが不思議な者たちと囲んだ食卓は楽しかったし、見慣れない食べ物はおいしかった。
なによりあの日の両親は屋敷にいるよりも、リラックスして見えたのだ。あそこへ行けば両親のケンカもなんとかなる気がした。
――思えばあの日も約束をすっぽかされて、お屋敷を飛び出したのだわ。あの店には不思議な縁を感じるわね。
そもそも普段の外出にはヴィクトーが馬車を出すので、テュカが自力で行けそうな場所は、母が働くギルドと父が働く領主別邸、それに『迷い猫』だけなのだが。
「よし、行くわよ!」
テュカは父にもらった帽子の埃を念入りに払うと、誰にともなく決意表明した。
しかし帽子を被り直し一歩踏み出す時になって、アップにしようと思っていた髪が両サイドでまとめたままだったことに気付く。
「うっ……」
乙女の一大事に早くも帰りたくなってきた。
だが直後、約束をすっぽかした両親の顔が浮かび、
「……フンっ!」
怒りで弱気を吹き飛ばしたテュカは一歩、自分の足で踏み出す。
いざ、片道20分くらいの冒険へ!
その矢先、フォルムの丸い三毛猫が角を曲がって行くのを見つけた。
「あ、にゃんこ!」
テュカは早くも目的地を忘れ、猫を追いかけていく。さっきまでの決意やら乙女の一大事やらはなんだったのか!?
***
「準備中に悪いなぁ、入るぞー」
午後2時前、開店前に一眠りしようかとエミールが腰を上げた時、『居酒屋 迷い猫』にカガチが入ってきた。
メルセデスは『花子さん避け』を設計するため自室に籠もっている。
「おぅ、どうしたんだよカガチ……とホオズキの二代目?」
この店には『迷宮に敵意がなく、店の酒と料理が目当ての者』以外入れないという呪いのような『入店条件』が施されている。
しかし迷宮階層主ともなればその辺り関係ないらしい。
もっとも彼女らは店内に直接転移できるし、店に来て料理を要求しないことはほぼないのだが。
案の定二人とも食べてないという。
エミールはアジの干物を焼き、肉じゃが、大根の味噌汁、白飯(冷や飯を保温器で温めた)、きゅうりのぬか漬けを付けて定食にした。
準備中に何やってんだろうと首を傾げるエミールだった。
「ま、調理中に話は聞かせてもらったけどな。災難だったな、二代目」
『ホオズキ』は営業中に大量の太郎さんが出現し、臨時休業しているという。エミールにとっても他人事ではない。
しかも客の一人が大層ご立腹で店に慰謝料を請求している。折りよく現れた駆除業者にも法外な料金を要求されたという、畳みかけるような災難だ。
「そんなもん突っぱねてギルドに依頼出せばいいじゃねぇか」
「それがなぁ、怒った客が『誠意を見せるなら今すぐこの業者に駆除させろ』って言うんだぁ」
「そりゃ無理筋だよなぁ……そこへ飯食いに来たカガチが鉢合わせたわけだ」
ピーク時を外してオムライスを食べに来たカガチはホオズキの窮状を察し、後日話し合うことでその場を収めた。
「カガチさんには本当にお世話になったなぁ。裏町の顔役ってのは本当だったんだなぁ……」
「頭を上げてくれよ、二代目。あんな法外な要求、蹴散らしたかったんだけどなぁ……」
「なんだよ、歯切れが悪いじゃねぇか」
「金額はともかく要求すること自体は違法じゃないんだ。だから争うなら代官の裁きを待つことになるんだぞ……」
「そうなるとなぁ、その間営業できないんだぁ……」
そう、営業再開するには太郎さんの駆除が必要だが、どの業者を使うかも争点の一つならホオズキが勝手に他の業者を呼ぶことはできない。
カガチと違い人は人の法に従わねばならないし、『迷い猫』のように迷宮の一部として後ろ盾があるわけでもない。
「何十匹も一斉に湧いたって、ほんとに太郎さんだったのかよ?」
「それがあたしが店に入った途端、逃げちまってな……二代目が踏んづけたのを見た限りでは、普通のネズミ太郎だったぞ」
ネズミと太郎さんがカガチの中で融合した。
美女の姿をとるカガチだが、本来は迷宮階層主の一角をなす竜だ。太郎さんたちの野生の勘が危険を察知したのかもしれない。
「……払えない額じゃぁないからぁ、いっそ払って早く店を開けようかとも思うんだぁ……」
「くそっ、なんとかなんねぇかな……!」
ちょっと前まで閉店を決めていたとは思えないくらい、悔しそうな二代目。その姿にエミールも歯噛みする。
しかも厨房にいたエルザは秘伝のソース類の鍋を太郎さんたちから守り、恐怖のあまり立ったまま気絶していたと聞いたばかりだ(怪我はない)。
ちょっと見ない間にカンカンに熱い料理人の魂が入ったエルザの武勇伝に、エミールはいつになく滾っていた!
そこへ、
「それはテイマーの仕業じゃないかなぁ?」
アジの干物を焼く匂いに釣られてメルセデスが降りてきた。
***
――もう、どこよここ……。
通りすがりのふくよかな猫に夢中になって細い路地やよそ様の庭を進んできたテュカは、絶賛迷子中だった!
周囲はお世辞にもきれいとは言えない家屋が並び、家が無いのか路上に寝そべる者もいる。
人の気配はするのに出歩く人が少ないところも、ますますテュカを不安にした。
――なんだか知らない街に来たみたいだわ……。
実はここ、テュカが目指す『迷い猫』とは反対方向の南東の裏町である。
代官屋敷は迷宮街の南端にあるので、まだご近所の範囲だ。
しかしテュカの体感では大冒険が始まっていることだろう。
本来代官は領主別邸に住んでよいのだが、王宮からのお目付け役というアドンの立場上、遠慮して今の屋敷を借りたのだった。
テュカは見知らぬ土地にいる恐怖から歩みを止められず、自分がどこへ向かっているかもわからないまま歩いた。
できるだけ広い道を選び、できるだけ明るい方へと進む。
すれ違う大人たちが皆、自分の財布や命を狙っているように見えて心細い。
実際はそれほど貧しくはないのだが、夜営業する店とそこで働く人が多い場所だ。
陽の光の下ではうらぶれて見えるのも無理はない。
どこかで道を尋ねたいテュカだが、話かけられそうな大人も、入れそうな店も見当たらなかった。
そこへ、
「――次の鬼、ソラルだかんなっ!」
――子どもの声だわ!
テュカはつい走り出す。
すぐに開けた場所が見えた。そこは建物に囲まれた空き地なのか、隅に廃材が置かれているだけの場所だ。
そこで6人の少年少女が走り回っていた。
――この辺りに住んでる子たち……よね?
「おい、お前! どうかしたのかよ?」
「えっ……あの、わたし……」
「マテオ捕まえた!」
「ソラル、てめえ! 今あの子と話してんだろ!」
「あのおねえちゃん、だれ?」
「あら、見かけない顔ね」
「美少女だわ……」
来てはみたものの話しかけられずにいたテュカの元に、少年少女が集まってきた。
同年代と接した経験の少ないテュカは、庶民の子どもと話すのは初めてであることに今更気付く。
「えと……わ、わたし……!」
「見りゃわかんだろ、迷子だよ迷子!」
じれったくなったのか声を上げたのはマテオと呼ばれた気の強そうな少年だった。赤毛の短髪があの居酒屋の料理人を彷彿させる。
先月11歳になった彼の他、事情通のソラル(12歳)、来月からカガチの氷屋で働くのっぽのトマ(14歳)、幼いイネス(5歳)、噂話大好きカーラ(12歳)、そして中身は大人疑惑のセリアは今月9歳になった。
6人は皆、近くの孤児院で暮らす子どもたちだ。
以前は昼間子どもたち総出で働き生活費を稼いでいた孤児院だが、今は寄付も集まりやすく、勉強や遊びの時間が多い。
そこにはギルドや代官、カガチなど多くの力が働いており、この空地も子どもたちの遊び場所としてカガチが保全していた。
テュカは孤児院というものを知ってはいたが、「かわいそうな子たちを保護する場所」と大雑把な理解だ。
そのため彼らの話と活力に満ちた顔がその知識と結びつかず、お陰で変に構えた態度を取らなかったのは幸いだった。
「その……『遊び』って、なにかしら?」
「ん? ああ、今影踏み鬼やってんだ。お前もやるか?」
テュカは何もない外で道具も使わずに『遊ぶ』とはどういうことか尋ねたのだが、マテオは『何して遊んでんの?』くらいの質問にとった。
しかしテュカの好奇心の前ではそんな細かいことはどうでもよく、
「むーっ、『お前』じゃなくてテュカだわっ! その影踏み鬼、やるから教えなさいよっ!」
「お、おぅ。じゃあ次の鬼は――」
「――鬼はマテオよね? ほらテュカちゃん、逃げるわよ、こっち!」
赤毛の少女、カーラに手を引かれルールを教わるテュカ。
最早迷子になったこともどうでもよくなっていた。
***
「ハァ、ハァ……もう動けないわ」
「なんだよ、体力ねーなー」
「やっぱりテュカはどこかのお嬢様ね?」
「バカだなセリア、お嬢様がこんなところにくるわけねーじゃん」
「馬鹿はあんたよ、ソラル」
散々走り回って時刻は午後三時。テュカがダウンしたのはイネスの次だった。
大人びて見えてもテュカは7歳なので、お嬢様でなくとも体力は低い。
「そろそろ帰っておやつにしましょうよ。テュカちゃんも来るわよね?」
「えっ、いいのかしら……?」
丁度甘いものが欲しいと思っていたテュカだが、カーラの誘いに一応遠慮をして見せる。
甘いものが好きなテュカならわかる。一日一度のおやつは彼らにとって神聖不可侵な、大切なものにちがいないのだ。
だが服の裾を引っ張られて下を見る。イネスだった。数えで3歳しか違わないのだが、伸び盛りのテュカと反対に、イネスは成長が遅いのかもしれない。
「テュカおねえちゃんこないの?」
「なに今更遠慮してんだよ。行こうぜ!」
鬼ごっこをするテュカは建物の影に逃げこんだり、死角から鬼に蹴りを入れたりと遠慮の欠片もなかった。
あげく自分が鬼の時にマテオが建物の影に逃げ込むと、『全体的にマテオの影』だと言い張って捕まえたのだから、今更しおらしくしても説得力はない。
かくして少し顔を赤くしたマテオに手を引かれること200メートル、孤児院に到着した。
ちなみにここは代官屋敷から300メートルと離れていない。
迷子とは、家出とは何だろう!?
「ボロいけど、ここがオレたちの家だぜ。ただいまー!」
「ボロいけどな!」
「まぁボロいよね」
大人しいトマまで苦笑いするが、確かに孤児院はボロい。掃除しても落ちないほどに生活の臭いが染みついている。
テュカはそれを不思議と懐かしく思い、しかし自分の居場所ではないと言われたようで寂しかった。
「ボロくて悪かったね! おやつは出してあるからさっさと靴と手と顔を洗って着替えておいで――おや、誰だいその子?」
食堂に駆け込もうとしたソラルの襟首を掴んだのは、厳しそうな雰囲気の初老の婦人だ。
テュカはやたらと厳しい礼儀作法の家庭教師を思い出して一瞬身をすくませるが、無意識に脱帽して挨拶したのはその教師の手ほどきの賜物だった。
「げっ、院長先生! この子は、ほら、あれだよ……」
「テュカ・デュ……テュカです。院長先生、お邪魔いたしますわ」
「げっ、とはなんだい。あんたは確か……まぁいいさ、小僧たちと一緒においき。パイが無くなるよ」
婦人はこの孤児院の責任者だった。訳知りのように見えたが、実際割りと近所なのでテュカを知っていてもおかしくはない。
咎められなかったことにホッとした一同は水場で泥を落とし、二階で着替える。テュカは体格の近いカーラにワンピースを借りた。
「テュカちゃんの髪、きれいねぇ!」
髪をカーラに任せると、手早くアップにしてくれたのでご満悦だ。
――わたしにもお姉さまがいたら、もっと楽しいのかしら……?
食堂に降りると甘い匂いがした。
他の子どもたちはおやつを済ませたらしく、ホールのパイが一つだけ残されている。
テュカのイメージと違い、ここには他人の分まで横取りするような子はいないらしい。
「今日はエミール兄ちゃんのカスタードパイだぜ、テュカはついてるな!」
「エミール兄ちゃんの料理はうまいもんな」
「エミールって、ひょっとして……」
テュカも聞き覚えのある名だった。
黄色と黒と茶色で構成されているのは、テュカと両親が今日作るはずだったカスタードパイだ。
焦がしたカラメルが乗っていてクレームブリュレをパイにしたように見える。テュカが想像していたよりも、ずっとおいしそうなおやつだった。
円形のパイをマテオが慎重に七等分する。しかし奇数等分は難しい。
八等分して余る1ピースを八等分する、を無限に繰り返せばいつか七等分されるのだが、それに気付いたセリアですら口には出さなかった。
そうして切り分けられたパイは1ピースだけいびつで、かつ少し大きくて、
「……なんか文句あんのかよ。この大きいのは新入りのテュカにやる、それで問題ねーだろ?」
「新入りって……テュカちゃんは孤児じゃないでしょ?」
カーラの言葉にテュカはハッとした。
そう、テュカには帰るべき家があり両親がいるのだ。
いつか彼らと別れなければいけない。入口で感じた寂しさはそれだった。
「馬鹿ね、それを言うなら『新しいお友達』でしょ。さ、頂きましょう」
セリアがテュカの手を引いて席につかせ、トマが皆の分のミルクを持ってきた。
このグループはマテオが引っ張っているように見えて、皆それぞれに役割があるようだ。
さっきの鬼ごっこだって年長で背の高いトマなら楽に逃げ切れたろうに、何度か鬼を引き受けていた。年少のイネスの様子は常に誰かが気を付けていた。
「「「「「「「いただきまーす!」」」」」」」
カリッとしたカラメルのほろ苦さとサクサクのパイ生地の間からカスタードの濃厚な甘さが溢れる。カスタードに小さく切ったチェリーが混ざっており、酸味がアクセントになっていた。
本当はチェリーパイにしたかったのだが、過度な施しにならないようエミールが苦心した結果だ。他のホールにもリンゴや木の実を混ぜて変化を付けている。
「おいしい、ね?」
テュカは隣の席でにこにこと食べるイネスを見て、ほっぺたに付いたカスタードを拭ってやる。
じっとしていると、泣いてしまいそうだった。
次回サブタイトルは変わりますが話は続きます。




