オムライス(1)
遅くなりました。
リンカネやる時間が……。
葉の月最初の水曜日、迷宮前の『居酒屋 迷い猫』は本日定休日だ。
朝のうちに孤児院への差し入れを作って洗い物や掃除を済ませたら、料理人の俺には夜に魚屋へ行くまですることがなかった。
まだ午前11時だ。こういう時は街をふらふらして目についた料理屋に入るか、屋台を食べ歩いて情報交換するか、道具屋で調理器具と食器でも眺めるかするんだが。
ともあれメルセデスが外出しないようなら一人分の昼食を作っておこう、と声を掛けようとした時。
「エミール君、料理を教えてくれぇぇっ!」
「!?」
店内に転移で現れたのは迷宮地下七層階層主・舎密竜カガチだ。
急に出てきたから心臓止まるかと思ったけど、表は鎧戸を下ろしてるんだった。
赤い髪を後ろでまとめ、いつも通り踊り子のようなひらひらした服装。日頃割りとにやけ面だが、今日はその黄色い瞳が真剣だった。
事情はさっぱりだが迷宮の『人ならざる者たち』は料理が得意でないという。このカガチは簡単な料理を作るらしいが、敢えて教わりたいということは厄介事だろう。
以前キノミヤに攫われたこともあって、こういう話には少々警戒すべきだと思う。だが料理人として、料理に興味を持ってもらえると嬉しいのも事実だ。
「いいぜ、暇だし。何作る?」
「話早っ……えーと、オムライスなんだけど。エミール君、作れる?」
「おう、店で出したことは無いけどな。じゃカガチがどのくらいできるか知らないと始まんねぇから、ケチャップライスからやってみようか」
***
「あれぇ、カガチちゃ……あーびっくりしたぁ! 裸かと思ったよぉ」
メルセデスが降りてくるなりバケツと雑巾を取り落した。ピンクブロンドの髪をまとめて頭を三角巾で包んでいるから掃除をしていたようだ。
カガチにはメルセデスのエプロンを貸したのだが、肩や脚の肌が出ているので裸エプロンに見えるのだ。俺もさっき驚いた。
メルセデスは味見役に丁度いいな、なんでも食べるし。
材料を揃えた俺はカガチに鶏もも肉とタマネギを刻んでもらうことにした。材料の種類を減らした簡単ルセットだ。大きさは1cmくらいでいいだろう。鶏皮は入れない人もいるけど、うまいので肉とは別に刻んでもらう。
包丁を動かすカガチは危なげなく、なかなか様になっていた。
「いい手つきじゃねぇか」
「このくらいなら、薬づくりの実験とそう変わらないぞ。人に料理を教わるのもなかなか面白いなぁ」
「よし、じゃあこのフライパンで鶏皮から炒めてくれ」
オリーブオイルを温めたフライパンで、鶏皮に火を通すとさらに脂が出る。そこへ鶏肉とタマネギを一緒に加え炒めてもらう。タマネギが透き通ってきたら弱火、小皿に量り取ったトマトケチャップを入れて混ぜ、塩コショウをふって混ぜたらまた中火にする。そこへお椀に軽く二杯分のご飯を加えてほぐし混ぜる。
「全体をへらで切るように混ぜて……今度は上下を入れ替えて崩す、を繰り返す。鶏肉に火は通ってるから小さじで味見してみてくれ」
「うまい! 調味料はこれだけでいいんだな?」
「うちのケチャップは甘めに作ってるからな。足りなかったら砂糖や塩コショウを足すんだ。じゃあ中身をお椀二つに分けてくれ。卵は一度俺がやって見せるぜ」
お椀のチキンライスを一つ皿にあけ、楕円形に成形し直す。卵2個に塩コショウを加えてしっかり溶き、ザルで濾しておく。
18cmのフライパンに中火でバターを溶かし、弱火にして卵液を流し込む。フライパンをゆすりながら全体をかき混ぜ続けてスクランブルエッグを作る。
まだ卵液が全体に残っている状態(かき混ぜると底が見えるくらい)で火から下ろし、卵の真ん中に成形したチキンライスを乗せる。フライパンを傾けながら手前の卵をご飯に被せ、反対側も同様に傾けながら被せる。
今上に見えてるのは裏側なので、ご飯をキッチリ包む必要はない(なんなら被らなくても成形さえできればいい)。
全体をフライパンの縁に寄せてレモン型に成形したら、天地を返して皿にあける。ケチャップをかけて完成。
「「おおーっ、きれいっ!」」
「もう一種類見せるから好きな方覚えてくれ」
お椀のチキンライスを皿に丸く盛り付ける。
卵を溶いてから、まだ卵液が残っている状態で火から下ろすところまでは同じだ。
手前の卵を中心超えるくらいまでヘラで折りたたむ。次に卵全体を奥に滑らせ、奥の卵を縁の丸みを利用して折り返す。これも裏側なのできれいに閉じる必要はない。
奥側にヘラを添えたままフライパンを手首で煽って卵をひっくり返す。弱火でつなぎ目に少し火を通したら、丸く盛り付けたチキンライスにそっと乗せ、デミグラスソースをかけて完成。
「こいつはナイフでオムレツに切り込みを入れて、開いてから食ってくれ」
すでに一皿目を食べていたメルセデスがナイフを入れると、トロトロのスクランブルエッグが現れる。
「トロトロ卵だぁ! これもきれいだねっ……うん、こっちもおいひー!」
「どっちかというと、こっちの方が簡単かなぁ。飯の重みで卵が破けることもないし。
カガチはどっちを作りたいんだ? あ、ソースはありあわせだったけど、そこから作るか?」
とカガチを見ると、ひきつった笑顔でオムライスを食べていた。嫌いだったんだろうか、オムライス。
味付けミスったかな? と思ったがメルセデスはにんまりしている。
「エミール君、これすごくおいしいんだけど……あたしには無理じゃないかな……こっちから頼んでおいてほんと情けない限りなんだけど、こんな曲芸みたいな技だとは知らなかったぞ」
「そうか? さっきの手つきを見るに練習すればできそうだけどな。最大のコツはこのくらいの小さいフライパンを使うことだ。それに見た目が悪くても味は変わらないぞ?」
「う~ん、ケチャップライスは力任せでもできるような簡単な作業の組み合わせで、火の通りも見て判断できただろぉ? けどこういう手業はなんていうか、壊してしまいそうになるんだぞ。それじゃダメなんだ」
「わかる、わかるよカガチちゃん! 卵は火加減難しいし、半熟って包む時に中身出そうだよね。料理のことになると口数が増えるエミール君とは違うんだよ! カガチちゃんもなかーま!」
余計なお世話だ!
あとカガチを店長の仲間にすんな。多分カガチは『一人暮らしの自炊』で困らないくらいの料理はできるぞ?
だけど確かに卵料理は火加減のミスをカバーできないから、手先が器用でもいきなりは難しいか。俺もフライパンやコンロが変わると練習必要だしな。それにしても、
「どうしてカガチはオムライスを作りたかったんだ? 見た目を気にしなきゃいけないってことは、自分で食いたいからじゃないよな」
頼まれた時は気にしていなかったことを尋ねると、カガチは目を泳がせた。言いにくいことがあるけど、それが言いにくいことだと今頃気付いた、みたいな顔だ。
ただ料理を覚えたいというわけではないのだろう。
「……エミール君だからつい甘えちゃって、今まずさに気付いたんだけどな……その、助けたい料理屋があるんだ。料理屋っていっても昼営業、日暮れ閉店の店だし、客層はギルドとかこの辺で働いてる人だから、ここと競合はしないと思うぞ」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか。俺は構わねぇよ、この店でオムライスを出す予定はねぇから。でもなぁ……」
チャーハンと違って一人前ずつしか作れないし、酒に合わないんだよな、オムライス。
だが仮にもプロの料理人が他店の調理法なんて知りたがるかね?
それにこの辺ってことはご近所さんだろうけど、そんな店ならむしろ俺が教わりたいわ、特に『人間の客に来てもらう方法』。
カガチは話を続けた。
「どのくらい前のことか忘れたけど、昔この国の王都で学校に通っていたあたしは金に困っていてなぁ」
「え、カガチ金持ちじゃん」
この街でいろいろやって稼いでるってのもあるけど、ああいう商才は元からあったんだろうし。そもそも腕のいい薬師ってのは儲かるはずだ。
「この国に来たばかりでさぁ、手持ちの外貨を交換したらレート悪くて。学費と本ですっからかんさ。それで腹を空かせてた時、助けてくれたのが当時王都の高級料理店で修行してた今の店主だぞ」
なんでも、高級料理店から漂ううまそうな匂いにとどめを刺されて倒れたカガチに、店の裏で賄いに作ったオムライスを食わせてくれたそうだ。恐るべし、高級料理店。
「それから王都を案内してもらったり、飯食わせてもらったり、料理人修行の話を聞いたり、飯食わせてもらったり、ちょくちょく世話になったぞ」
「恋人だったの、カガチちゃん?」
まじで? てか食ってばっかりじゃね?
「いや、男女の仲ではなかったな。友人か……共に学ぶ同志と言ったところだぞ。あたしがまた旅に出る頃、あっちも修行を終えて故郷に帰った。それから連絡も取らずにいたんだけどなぁ」
その店主ってのが困ってるのか? いつの話かわからないけど、多分ベテランだろうし、俺で助けになるのかね?
「こっちでずっと前に店を開いてたってのを、先月知ったんだ。あ、店っていうのはこの近くにある庶民向けの鬼料理店なんだけど――」
「鬼料理かよ、それを先に言え。よし、行くか。丁度昼飯がまだだったしな! すぐ着替えるから待っててくれ」
「話早っ!?」
「お昼ご飯? わたしも行くよぉ!」
メルセデスも部屋へ着替えに行った。まだ食べるの?
オムライスといえば昔々、デパートの最上階に直営の『食堂』があった頃。そこで食べたオムライスのチキンライスの味がなかなか再現できません。
ぱらっぱらでブイヨンが効いていて、酸味はあまり感じなかった記憶があります。(お子様ランチのチキンライスと言った方がわかる方が多いかも)
炒めたり炊いたりしてみましたが、あの素朴で優しい味にたどり着けません。思い出補正かもしれませんが。




