『ボトルキープ(2)』
引き続き三人称でお届けします。
お通しをつまみに米焼酎を舐めながら、カガチは次に注文する酒を考えていた。
『居酒屋 迷い猫』で飲める酒はエール、リンゴ酒、ワインの赤と白、ウィスキー、今のところサワーにしか使わないウォッカ、それに常備ではないが霊湯と清酒だった。いずれも銘柄は選べる程ないが、ここはバーではなく居酒屋なのでこれで上等な方だろう。
それが少し前に店長の趣味で『焼酎』を増やしたところ、客(5名)でちょっとした蒸留酒ブームが起きたのだ。
今では泡盛・米焼酎・麦焼酎・甘藷を使った芋焼酎を揃えている。
この辺りでは米焼酎と麦焼酎なら生産者が近く手に入れやすいが、他は南方からの貨物になる貴重品だ。
そこで先週、南方に伝手のあるカガチが仕入れルートにつなぎを付け、『迷い猫』からの発注が届くようにした。さすがに数日で届く距離ではないが、最初の一本はカガチから進呈したので、すでに四種の焼酎が楽しめるわけだ。
カガチがそんな骨折りをしたのは、焼酎がこの店の料理によく合うからだ。
ラムの礼にもらった豚の角煮は、箸で切れるほど柔らかく煮汁がしみこんでいる。バラ肉の脂の甘味としょうゆの濃い味付けが、少し付けたカラシで引き締まる。
米焼酎も悪くないが、これは泡盛か芋焼酎の太い香りに合いそうなので芋ロックを注文した。
米焼酎が残っているので二刀流だ。背徳的な酒の頼み方にカガチの顔が緩む。
「やっぱ芋は角煮の味にも負けないねー、でもケンカもしないなぁ。なんだか近くにあった味って感じがするぞ?」
「ああ、角煮は煮込む時に芋焼酎を加えたからな」
「なるほどー! 何がなるほどかわからないけど、姐さんは納得だよ!」
ワイン煮と言われればワインが、麦を食べて育った豚だと言われれば麦の酒が合うような気がしてしまうから不思議だ。
しかし角煮のコクがひと際強く感じられるのも事実。だからカガチはエミールの言葉に納得した。
すると手羽先揚げのピリ辛味をつまみに、何かの炭酸割りを飲んでいるテルマが言う。すでに顔は赤く、目が据わっているが。
「わたしは芋焼酎って苦手だわ。匂いがちょっとね……」
「テルマはおこちゃまだなぁ。あたしが見立てた芋焼酎はちゃんとしてるから、悪臭になる成分は含まれてないんだぞ? ただ香り成分が多くて複雑だから、慣れないと混ざって不快に感じることはあるかもな」
「へぇ、カガチってそんなにお酒好きだったかしら? 知らなかったわ」
「ここの料理がうまいから、合う酒探して頑張っちゃったのさ!」
「そいつぁありがとうよ、おすすめの『ピリ辛ピーマン』と『味噌田楽』お待ち」
おすすめ二品目は『ピリ辛ピーマン』。細切りのゆでピーマンを塩、ごま油、ニンニクで和え、隠れるくらい大量に粉唐辛子をまぶしてラー油をかけたものだ。真っ赤なのだが、これが見た目ほど辛くない。ピーマンから甘みすら感じる。
これは香ばしい麦焼酎の出番だ。カガチは三刀流の封印を解いて麦ロックを注文した。
続いて『味噌田楽』。竹串に刺したこんにゃくに甘い味噌だれを乗せ、たれの表面をバーナーで軽く焦がしたものだ。
茹でたこんにゃくは熱そうに湯気を立てているが、竹串を持って一口かじる。
熱い。焦げた味噌だれは香ばしく、手羽先揚げの甘辛とはまた異なる濃厚な甘辛さだ。そしてこんにゃくは臭みもなく、あつあつぷるぷるだった。
「これはもう、どの焼酎でも合うねー。もう泡盛もロックでもらっちゃうぞー!」
カガチは三刀流のさらに先、四刀流を開眼した……ように見えたが、最初に頼んだ米焼酎を飲み干したので、三刀流が刀を変えるだけだった。
ところが。
「どうしよう、泡盛切れちゃってるよぉ! ごめんねぇ、カガチちゃん。わたしがたくさん飲んだから……」
「あー、そういや豚の角煮に使おうと思ったら無くて、それで芋焼酎使ったんだったわ。すまん、カガチ。教えてもらったルートには注文したから、一週間くらいで届くと思う」
すまなそうなメルセデスとエミールの声に、わいわいやっていた他の客が反応する。
グーラとビャクヤも大いに飲んだのだろう、罪悪感を覚えた顔で言った。
「すまぬ、昨夜われがもらったのが最後の一杯であったの。許せ、カガチ」
「いいえ、グーラ様。この身が珍しい酒だと飲み過ぎたのです。カガチよ、申し訳ない……」
カガチの酒は二刀流にグレードダウンした!
まさか甕ひとつが一週間足らずで空になるとは誰も思っていなかったのである。
一瞬、気分良く歩いていたら毒蛇に噛まれたような、昼寝をしていたら毒虫が這ってきたような気分になった。
しかし、お気に入りの酒が切れたくらいはカガチにとって大した問題ではない。
「気にすんなよー、あたしは飲んだって酔わないんだから、皆が楽しんでくれればいいってことさ!」
「泡盛って、あの強いお酒ね? わたし一口しか飲んでないわよ、強いの苦手だから。でも、そう……無くなっちゃったのね。だったらもうちょっと、味わっておけばよかったわ。
ねぇ、甕で置いてたじゃない。ほんとにもう無いの?」
――この子も随分と素直になったなー……。
エミールに空っぽの甕を見せられ文句を言うテルマを見て思った。細めたカガチの目から黄色い瞳が覗く。
彼女のことは別に嫌いではないが、以前はもっとつんつんと張り詰めて周囲に壁を作っていたように思う。
酒の欠品なんて些細なことが心に引っかかったのはテルマの言う通り、無いと余計に欲しくなったからで、テルマはそれを素直に言葉にした。
長く人と関わってきたカガチは竜という奔放な種にしては空気を読む方だ。日頃の露出の多い格好や享楽的な言動も、この方が人の子や迷宮の部下たちとうまくやれると知っているからだった。
グーラに頼まれてあれこれ手を出すのは嫌いではないが、元来のカガチは実験室に日がな一日籠っているような性質だ。一人黙々と、小さなきっかけから思考を広げることに楽しみを見出す研究者肌である。
だから人前で化けの皮が剝がれないよう、考えて計算通りのコミュニケーションをするのだ。
そんなカガチには、言っても通らないわがままを口にできるテルマがうらやましかった。今度、泡盛のコーヒー割りを教えようと思う。
「――あったあった。はい、このラムはカガチのボトルな」
まだカウンターの隅にあったホワイトラムの瓶に、エミールが木の札を掛けた。札には『カガチ様』と書かれている。
「ボトルキープってんだ、劣化しにくい蒸留酒限定な。俺の実家でもやってるからこの札――『ネック』って呼んでるけど、木工屋に作ってもらったんだよ」
そう言ってエミールはラムの瓶を他の酒瓶が並ぶ棚に置いた。
歓楽街に通じるカガチはバーでこれを見たことがある。今まで気にしたこともなかったが、自分の名前が棚の中にあるとなんだかくすぐったい。
「そういや同じ酒がやたら並んでる店があるけど、あれがボトルキープかなー?」
「そうだよぉ。お店で仕入れたお酒でも、注文してくれれば新品おろすからね。そして飲む時は『ミキサー』を選んでもらいます!」
「ミキサーとはなんだ、メルセデスよ?」
新しいものが好きなグーラも食いついた。他の客も聞き耳を立てているようだ。
メルセデスはカウンターの空席に水差し、氷の入ったアイスペール、シロップ、ライムを置いた。ガラスの水差しの中では炭酸水が泡を立てている。
「こういう割り材とか氷のことだよ! あとはグラスを受け取って、自分のボトルから注いで好きな飲み方をするの」
メルセデスはグラスに氷を入れると、カガチのラムのボトルを取って注ぎ、ライムを絞ってシロップを加え炭酸水で満たした。そっとマドラーで混ぜる。
「他にお湯、お水、レモンが定番かな。強いお酒なら瓶ごと冷凍して出すこともできるよ。あ、これおいひー!」
「あたしのボトル!」
結局勝手に飲む店長である。
カガチも思わず声が出てしまった。やはり泡盛を空にしたのは主にこの店長なのではないかと思う。
「ごめんごめん……あとミルク、果汁、キュウリ、ショウガ、ミント、シソの葉、唐辛子、お酢、お茶、コーヒー……うちにあるものならなんでも出せるよ! 自分好みの飲み方を探してみてね」
「キュウリとかミントとか唐辛子って……お酒に入れるものじゃないわよね?」
テルマが訝しがるが、カガチはそういう飲み方も見たことはあった。ボトルキープと同様に今まで気に留めなかったのだ。
「そんなことないよー」と言って厨房に向かったメルセデスがミントとすりこ木のような棒、それに新しいグラスを手に戻ってきた。
頭のたんこぶは客のボトルを勝手に飲んだから、エミールに怒られたのだろう。
グラスにミントを入れて棒で軽くつつき、カットライムをいくつも絞っては皮ごと投入、それも棒で軽く潰してシロップとラムを加える。アイスペールから氷を取り出して握り潰し、できたクラッシュアイスを入れたグラスを炭酸水で満たす。そっとステアして完成。
「はい、さっき約束した『モヒート』!」
受け取ったカガチはコクリ、と一口。甘酸っぱさとミントの清涼感が広がった。
「新緑のような爽やかさだねぇ。葉の月にピッタリ――と言いつつ夏も飲みたくなるぞ、こりゃ!」
とモヒートを堪能していると、メルセデスはカガチの『ネック』を取り上げた。今度は何をするのかと訝しく見ていると、ネックの裏にさらさらと何か描いている。
「じゃーん! これカガチちゃん!」
「ほぉーっ、うまいもんだー!」
ペンで描いていたのはかわいらしくデフォルメされたカガチの顔だった。
カガチとしても悪くない気分になる。
「むむっ、われもそれほしいっ! ボトル、ボトルキープするぞっ、メルセデスよ、愛らしいわれを描くがよい!」
「はーい、お酒選んでちょっと待っててね~」
「キノミヤが先だったの」
「!」
皆、珍しいものが大好きだ。
結局カガチ以外の四人も在庫のある酒から選んでボトルキープした。
「一年くらい来ない人のボトルはわたしが飲んじゃうからね!」
「「「「「!」」」」」
メルセデスに期限を切られてビクッとした客たちだが、果たして一年も空くことなどあるだろうか。
ボトルキープというシステムを知らなかった頃、棚に並ぶ同じ酒瓶を見て「随分と特定の銘柄を推すなぁ」と思っていたのは作者です。
とある飲食店ではコーヒーリキュールをボトルキープして割り材に牛乳をもらっている方がいました。おいしそうでした。
※ 登場人物は成人しています。日本の皆さんはお酒は二十歳になってから。節度を守って後悔しないお酒を楽しみましょう!




