『ボトルキープ(1)』
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今回から三人称が数話続きます。
『花の月』が終わり『葉の月』の始め。孤児院の桜が散れば木々に葉が繁る季節となり、北部アントレの街でも雪は遥か遠く山の頂に残るのみ。
しかし迷宮に季節はなく、ここ地下七層『熱病密林』は常に高温多湿、毒草・毒虫が多く、人の身で長居できる場所ではなかった。
その内部にある隠し部屋『実験室』は隔離空間とはいえ、異様な空間だ。
酒精や他の揮発性薬品の匂いが混ざり、温度湿度は快適に保たれている。
棚には毒草や毒蛇、毒蛙の標本が並び、作業台の上には鉄棒が格子状に組まれ、ガラスの還流抽出器や蒸留器具、シリカゲルカラムなどが固定されている。
階層主・舎密竜カガチはいつもの踊り子のような服の上に白衣を着ていた。そうすると裸白衣に見えて周囲がギョッとするのでやめられない。露出したいわけではなく、人をからかうのが好きな享楽的性格なのだ。
冷めた還流抽出器からフラスコを外すと、中の薄紫色の液体をガラスのキャピラリーで吸い上げ、薄層クロマトグラフィーを確認した。
「よーし、十分抽出できてるから飲むぞー」
カガチは向こうの作業台で薬研を使う半人半蛇の魔物・ラミアと、乳鉢を使う半人半蜘蛛の魔物・アラクネ、二人の補佐に声を掛けた。返事を聞きながらフラスコの中身を少量、小さなビーカーに移し椅子に深く腰掛けると、薄紫色の液体をショットを煽る酒飲みのように一息に飲み下す。
これは青紫色のきれいな花から酒精で抽出した成分だ。この階層にはいつでも咲いており、現世でも今が見頃だろうが、猟師が矢毒に使う猛毒である。解毒剤は存在しない。
しかし皮や肉を売り払った猟師たちは売れない矢傷周りの肉をよく加熱して食べていると聞き、カガチが興味を持ったのだ。
「うーん、これは痺れるねぇ。吐き気も強い。あたしでも呼吸が浅くなってきたから人の子ならもう呼吸麻痺してるぞ……」
カガチの言葉を聞いたアラクネが空いている手で実験ノートを取る。
大事を取って呼吸と脈拍を見張っているが、カガチゆえに大きな変化はなく顔色も正常だった。
人ならものの数十秒で心停止する毒だが、カガチは強い毒耐性を持つため昏倒もしない。こうして毒を体内に取り込み、権能と知識で薬効や毒性を分析しているのだ。カガチが舎密竜と呼ばれる所以だった。
体中に毒が回ったので、少しずつ《解毒》を働かせる。毒性が弱まるにつれ薬としての機能、薬効が顔を出し始めた。
「手足がぽかぽかするねぇ。心拍数と血圧上昇、血流を促す効果が強い。大怪我して循環性ショックを起こした人に効果あるかも知れないぞ。だけど――」
使い方は心臓に直接注射かなぁ、という言葉で実験を締めくくった。
怪我をして出血性ショックを起こした場合、回復薬や魔術で傷を瞬時に治せても下がりすぎた血圧や心拍が戻らなければ死んでしまう。
心肺機能が強靭な冒険者はともかく、一般人には有用な薬になるだろう。
ここからは薬効を残しつつ毒性を弱める方法を部下たちが開発する。人の手で扱えるまで毒性が下がれば後は人間の仕事だ。
実験ノートを書き終えたアラクネが問う。
「人の子に流す時はいつも通り『氷屋』でよろしいですか?」
「治療院に情報流す時はそれでおっけー。冒険者ギルドには『裏町』から回そう。薬師ギルドは……いらないか、うちの『薬屋』で作っちまおう!」
カガチが経営する『アントレ氷店』は治療院にも氷を卸しており、さりげなく情報を流すことができる。
同時にカガチはアントレの街のやくざものを束ねるボスでもあり、薬を悪用させないためにも冒険者ギルドとのコンタクトにはそちらの顔を使う。
そして当然、本業の薬師としても活動している。『ヘビのマークの薬カガチ堂』はアントレで最初に営業を始めた薬屋であり、三つの店舗と大きな工房を持っている。実は『居酒屋 迷い猫』の近くにも薬カガチ堂の迷宮前店がある。
工房では優秀な人間の薬師たちを雇い入れており、研究も普及もできるリソースがあった。そのため薬師の寄合である薬師ギルドのことは端折りがちなカガチである。
***
グーラたちと出会うよりずっと昔。南の国、小国家群ヤムペッワーン領邦の密林で毒を持つ生物に囲まれて暮らしていたカガチは、いつの間にか薬師の真似事のように研究を始めた。
どうしてそんなことを始めたのかはもう覚えていない。だが毒と薬の研究は人の子の学校に通うきっかけになり、それはカガチの性に合っていた。
同時にカガチは人と関わる楽しみを知る。
ところで、楽しいと言えば最近、酒を飲むのが楽しい。
「カガチ様は今日も例の居酒屋へ? 人の子の料理とはそんなによいものでしょうか」
「え~? そもそもカガチ様、酒飲んでも酔わないじゃん! ただでさえ裏町の店にも顔出してるんだから、わざわざ居酒屋なんか行かなくてもいいと思うけどな~」
補佐のアラクネとラミアは口々に、カガチが向かいの居酒屋を贔屓にするのを訝しがる。
確かにカガチの毒耐性は酒精にも及び、酒に酔った経験はない。なのに今日は仕事終わりにそわそわし始め、土産まで用意している。
もちろんエミールの料理はうまいのだが、長く人と関わってきたカガチは世界屈指と言われる名店で美食を堪能したこともある。階層主となった今は立場上、王都へ出張すれば評判の高級店で接待を受ける。
北部の小さな居酒屋で出すエミールの料理が、それらを凌駕しているとはさすがに思わなかった。
なのでカガチ自身、迷い猫へ通う理由はわからない。だが今日は足がそちらを向いているのでどうしようもないのだ。
カガチは薬屋の伝手で手に入れた故郷の蒸留酒、サトウキビから作ったホワイトラムの瓶を抱えて部下たちに笑みを向ける。
「いやぁ残念だなぁ、行けばわかるんだけどなぁ。お前たちもきっちり人化する気になったら連れてってやるぞー? じゃおつかれ~」
「現世のものを食べるためにわざわざ人化はちょっと」という部下には見栄でちょっと嘘をつき、一層へ転移。そこから迷宮の地上ロビーに出た。
踊り子のような薄着の女が酒瓶担いで一人、迷宮から出てきたのを見て、すれ違う冒険者たちはギョッとした目を向ける。
誰かが声を掛けようとしたその時、出入り口の衛兵の一人が先んじて声を上げた。
「押忍、カガチの姐さん! 今日は酒瓶抱えて迷宮探索っすか?」
「ああ、ちょっと運動不足だったから重り替わりにな! お勤めご苦労、いかつい男どもっ!」
そう答えたカガチに鎧の上から尻を叩かれた衛兵たちは、なんだか嬉しそうだった。
人化したカガチの姿を知る人は結構多く、特に衛兵隊には話が通っているのでこうして偽装に協力してくれる。
カガチが竜であり階層主であることまでは知らないものの、『迷宮関係者』で『街の上層部と繋がっている』くらいは周知されていた。
裏町のボス業や事業経営の賜物だ。この街の人間に対しては迷宮主・グーラよりも強い影響力を持つ特殊な立場である。
すっかり暖かくなった夜。迷宮広場へ出ると8時をすぎても人通りは多かった。
仕事帰りの者、夜勤の仕事へ向かう者。さすがに今から迷宮へ向かう冒険者はおらず、それらしい格好の一団は一杯機嫌で景気のいい話をしながら次の店へ連れ立って行く。
裏町のボスとしてアントレの歓楽街を掌握しているカガチには、彼らがどこで飲んで、これからどこへ向かうのか推理できた。
盗賊らしき青年が手に持っているピザはここから北東にワンブロック離れた窯焼きレストランのものだし、話の内容から向かっているのは裏町で評判の踊り子がいるバーだ。あそこの自家製バゲットにレバーペーストを乗せるとうまい。店員も愛想がいい。
ふと、今夜はそのどちらかで飲もうかと頭をよぎるが、どうにも食指が動かない。
――で、結局来ちゃったなー……これはなんかの呪術でも掛かってるのかねぇ……。
考え込んでいると、そこはもう『居酒屋 迷い猫』の前。
勝手に足が動いたことを不思議に思いつつ、カガチはのれんをくぐった。
「いらっしゃい!」
「カガチちゃん、いらっしゃ~い」
「おうおう、カガチさんがいらっしゃったぞー。なんだい、また皆勢ぞろいじゃないか!」
店主のメルセデス、料理人のエミールの二人と挨拶を交わす。
8人掛けのカウンターには左からビャクヤ、テルマ、キノミヤ、グーラが並んでいた。この4人は毎晩ここにいる。カガチはビャクヤの左に腰を落ち着けた。
迷宮を出る前にラミアが言っていた通り、カガチは裏町の巡回も兼ねて繁華街のあちこちに顔を出す。そのためここに来るのは週に1,2回だった。
それでも店は歓迎してくれるし、こうして土産のラムを渡せば、
「よく手に入ったねぇ、さすがカガチちゃん! あとでモヒートでも作るね」
「いつもありがとうよ、これ店からのお礼、今日のおすすめの一つ『豚の角煮』だ」
主にメルセデスが大喜びしてくれるし、エミールはマメにお礼をしてくれる。客が持ち込んだ酒は誰が飲もうと金を取らないにも関わらずだ。
その分、店の酒が出なくて迷惑かけてないか尋ねると、
『お客が盛り上がる分、料理たくさん出るし、割り材のお代はもらってるから』
と返ってきた。
普通は持ってきた本人からも一杯ごとに金を取るか、持ち込み料を取るものなのだが。いくつも事業を持っているカガチから見ると、どうもこの店は商売っ気がない。
人の子の金などカガチたちにとっては、事業の運営資金くらいにしかならない。今はその事業も順調なため迷宮の資産は増え続けている。
死に金を貯め込むと街の経済が衰えるので、表の事業や迷宮の宝箱でさり気なく金を消費するのに苦労するほどだった。
いっそこの店に10倍100倍のお代を払えばいいのだが、店の方はそうもいかないらしい。
「さてー何飲もうかな、やっぱり今日も焼酎……米をロックでちょーだい。あと他のおすすめも――」
もらった豚の角煮とお通しの『ピーマンの肉詰め煮』を見た瞬間に、焼酎と決まっていた。「お疲れ様」の唱和を経て一口。米の酒、もとい清酒とは異なる甘い香りと強い酒精を味わう。
ピーマンの肉詰め煮に箸を伸ばす。これは縦に割ったピーマンに、タマネギを混ぜた豚ミンチをはみ出すくらいに詰め、しょうゆベースの煮汁で煮たものだ。
ピーマンの苦み、豚の脂、しょうゆの香り。これが端麗な米焼酎と実に合う。
カガチは赤い唇をぺろりと舐め、箸と酒を進めた。先ほどまで考え込んでいたことなど、もう頭にはなく。
――次は何を飲もうかなぁ♪
豚肉とピーマンは焼酎にすごく合うと思います。
※ 登場人物は成人しています。日本の皆さんはお酒は二十歳になってから。
節度を守って後悔のないお酒を楽しみましょう!