定番(1)
花の月最後の金曜日の朝。迷宮の向かいに店を構える『居酒屋 迷い猫』の厨房で、俺はいつもの仕込みに取り掛かっていた。
昨日、木曜日は刺身がよく出た。なら今日のおすすめは火を通したものを……小ぶりのアジを使ってアジフライがいいだろう。あとは焼きナスでも作ろうか。いや、お通しがナスの揚げびたしだから麻婆豆腐にしよう。
そこへガラリと戸が開き、メルセデスが孤児院から帰ってきた。
戸を開け放って仁王立ちしたメルセデスは息を切らせながら言う。
「グランドメニューをもっと見てくれてもいいと思うよ!」
「……急に、どうした?」
その通りなんだけど。
俺がこの店で雇われてもうふた月になるから、あれは風の月の終わりのことだ。雇われたばかりの俺は、見込む客層なんかを聞いていつでも出せる料理を考え、グランドメニューを作った。
高級料理店のように革で立派に装丁されたメニューには、フォルムの丸い猫と各料理のイラストが描かれている。メルセデスが趣味で描いたのだが、うまくデフォルメされていてかわいい。
客層が冒険者ならミスマッチだったが、今のところ来る客は女……女型がほとんどだ。頑張ったメルセデスにも思い入れがあるだろうし。
「確かにせっかくのメニューが使われないのは勿体ないよなぁ……」
「どうして皆メニュー見ないのかなぁ……?」
仕込みを中断して初めから考えてみよう。
最初の客はグーラだった。あの時出したのは……賄いのカツ丼だな……。それからも『なんか作れ』とかテルマとビャクヤのリクエストを聞いて即興で料理を出した。
おすすめを聞かれるようになったのはその後だ。元は俺が『今日のおすすめは○○』って言ってた気がする。
「そういえば、『メニュー見ろ』って言ったことなかったな……!」
つまり俺のせいだな! おすすめが出る方が張り合いあるし。
「しくしくしく……エミール君ひどいよぉ」
「店長も接客しろよ……まぁ今更おすすめをやめる気はないけど」
そもそも今のグランドメニューはアイテムボックスの存在を知らない時に作ったからなぁ。俺も内容を忘れつつある。メニューを開いてみた。
まずはすぐ出る一品料理。枝豆、キュウリの一本漬け、ピクルス盛り合わせ、ポテトサラダ、スライストマト、チーズ盛り合わせだ。今でもお通しや『軽いつまみを』と注文された時に出してる。
煮物はトリッパの煮込み、豚の角煮、里芋の煮っ転がし……トリッパと角煮は欠品してるなぁ。出ないからおろそかになっていた。冒険者が食べにくるものだと思ってたから、故郷でも食べてるような家庭料理をと考えていたのだが。
里芋だけだと今の客層で喜ばれる気がしなくて、イカや鶏と一緒に煮ている。
揚げ物は厚揚げの鶏そぼろあんかけ、トンカツ、鶏のから揚げ、鶏軟骨のから揚げ、手羽先揚げ、ササミチーズしそ巻きフライ、ポテトフライと充実している。これも冒険者向けに早く出せて酒が進んで、腹に溜まるものを選んだ。
他はポークソテー、麻婆豆腐、チャーハン、梅茶漬け、海苔茶漬け、焼きおにぎり茶漬け、ペペロンチーノ。
一品料理以外は一度も出してない料理もあるなぁ。仕入れの不安定な魚介がないのは仕方ないとして、これはグランドメニューの見直しが必要だ。
「とりあえず、そのメニューは今日から下げるか」
「しくしくしく……わたしのお絵描きが……」
うん、なんか、ごめん。
***
グランドメニューは確かに常備品だ。しかし、ただ常備しやすい料理だけではダメだ。これは誰もが頼む人気メニュー、これを目当てに客が集まる看板メニューなのだ。
と同時に、おすすめに惹かれるものがない時、お通しの他にもすぐに腹に入れたい時、食べたいものが思いつかない時。そういうニーズにも応えるものじゃないといけない。
「エミール君の得意料理ってなんだっけ?」
メルセデスも同じ考えに至ったようだ。
看板メニューにするなら当然、料理人が得意な料理がいい。
俺の得意料理かぁ。
「肉料理全般かなぁ。いや、揚げ物か? でも最近魚捌いてばっかりな気がする……」
俺の実家は冒険者向けの宿屋なので、がっつりした朝飯と晩飯、それに酒の肴を親父に仕込まれた。要は庶民の味全般だ。得意料理は……カレーライスのような気がするけど、なんか負けた気がするから言わねぇ!
それに看板メニューがあるのはいいが、うちは居酒屋だ。異国料理や肉料理などの専門店じゃない。断じてカレー屋でもないぞ!
「じゃあ『迷ったらこれ食べてー』くらいの定番メニューを作ろっかぁ。味とか具にバリエーションあるのもいいね、カレーみたいに!」
「だからカレー屋じゃねぇよっ! でも定番メニューって考え方はいいな。グーラたちによく出る料理を常備するってのは客の方、向いてると思うぜ」
その一つとしてカレーってのは実はありなんだが、相手は胃袋底なしだ。〆のごはんものってのは満腹満足でほっこりするのが大事だから、カレーはなんか違う気がする。
「じゃあお刺身にする? ビャクヤちゃんじゃなくても皆好きみたいだし」
「魚介は仕入れの問題がなぁ。エビマヨなんかテルマも好きそうなんだけど。ビャクヤとカガチは辛いもの好きだけどそればっかりじゃなぁ」
「おすすめばかりに見えて、意外と皆の好みってバラバラだねぇ」
メルセデスがなぜかにんまりしている。そういえば『箸が迷うくらいおいしいものたくさん並べたい』って言ってたっけ。
キノミヤはもうカレー屋作れよっていうくらいカレーだし、ウンディーネと座敷童などたまに来る部下たちはテイクアウトで軽食や揚げ物を買っていく。俺はあいつらを宅飲み派だと勝手に想像していた。
あとグーラはなんでも食べる。好き嫌いのないお利口さんだ。
「皆新しい味に興味津々だよね。特にグーラちゃん」
なるほど、激辛カレーの時も果敢に挑戦してたな。食べたことない味を開拓するタイプか。それにしても、
「メルセデスって意外と客のこと見えてるんだな」
「えへへ……店長だから当然だよぉ」
意外とって言ったんだけどな。でもますます定番が作れなさそうになってきたぞ。
「でね、最近皆がよく飲むお酒が変わってきたんだよぉ。ハイボールが増えてるの」
「ウィスキーとカルヴァドスよく出るもんな、氷の減りも早いし。葉の月が近付いて暖かくなってきからか」
氷の常備は諦めていたのだが、今は保温庫で作っている。補充も一瞬でできるから便利だ。
「そうそう、炭酸水マシーン作った甲斐があったよぉ。あれは耐圧容器を作るのが難しくてね――」
メルセデスの魔道具語りは長くなりそうだから放っておく。イラストといい、多芸な奴だ。
だがお陰で方針は決まった。
「炭酸が合う揚げ物で定番を作るのがよさそうだな」
「気体透過膜だと耐圧性が――メニュー作り直す?」
「いや、今日のところはメニューなしで行こうぜ。作るにしても定番だけってわけにゃいかねぇからな」
「しくしくしく……お絵描き……」
そんなに描きたかったのか?
ともかく今日の仕込みは変更、アジフライはおあずけだ。
***
夜。のれんを掛けると今日の一番乗りはグーラとテルマだった。
いつものようにカウンターに座り、いつものやり取りが始まる。
「いらっしゃい」
「いらっしゃ~い」
「うむ。今日のお通しはナスの揚げびたしか。冷たくしてもうまいのぅ。して、おすすめは何かの?」
おしぼりとお通しを渡す俺にグーラが問う。
これを待っていた。
「刺身は昨日と同じで、後は手羽先揚げとササミチーズしそ巻きフライ。〆にチャーハンもあるぜ」
「ほぅ、ならばその手羽先揚げをもて。揚げ物ならハイボールがよいな。リンゴ酒で頼む」
「はいよ。テルマは何スタートにする?」
「そうね、さっきの呪文詠唱みたいな……チーズ真祖焼きだったかしら? なんだか怖いわね、どういう料理なの?」
なんだその吸血鬼の親玉を火刑にしてチーズ乗せたみたいな料理は……!
「……ササミチーズしそ巻きフライな。ササチーと呼んでくれ。鶏の淡白な部位でシソの葉とチーズを巻いて、パン粉を付けて揚げたものだ」
「あら、おいしそうね。それと少し甘くしたレモンサワーを頂くわ」
「はいよ。あ、グーラは手羽先の味を選んでくれ。甘辛とサッパリとピリ辛、どれも一皿三本ずつだ」
「なんと、バリエーションか! ではテルマとシェアする故、全部一皿ずつ頼む」
グーラはこういうところ、判断早いよなぁ。
メルセデスがジョッキを2つ取り出し、俺は調理にかかる。
まず手羽先は裏側に骨に沿った切り込みを入れておく。火の通りが早くなるのと、肉が骨から離れやすくなる。酒、しょうゆ、みりん、おろしニンニク、おろしショウガで15分以上漬け込む。その後つけだれを拭きとって小麦粉をまぶす(片栗粉でもうまい)。
甘辛用のタレは酒、しょうゆ、みりん、ハチミツ、おろしニンニク、おろしショウガ、それに隠し味程度の量のキノミヤ製カレースパイスを軽く煮詰める。
サッパリにはしょうゆ、酢、みりん、レモン汁を軽く煮詰めて大根おろしを加えたおろしポン酢を作る。
ピリ辛には酢、しょうゆ、砂糖、おろしニンニク、みじん切りにした唐辛子を軽く煮詰め特製南蛮酢を作っておく。
ここまでは仕込みで済ませた。
手羽先は170℃で3分の一度揚げ、油を切る間に余熱でしっかり火を通す。
甘辛にはタレをハケで塗って黒胡椒、白ごまをふる。
サッパリには黒胡椒、白ごまをふり、おろしポン酢を添えて小口切りにした小葱を乗せる。
ピリ辛は揚げたての手羽先を特製南蛮酢にさっとくぐらせる。黒胡椒、白ごまをふり、輪切りにした唐辛子を散らす。
それぞれの皿に水菜を添え、予備のおしぼり、骨入れと一緒に出す。
「これは、見るからにうまそうだの。バリエーションがあるのもよい!」
「手づかみで食べるからおしぼりをくれたのね? 気が利くじゃない。あら、骨は食べないのね」
「真ん中で二つに折ると食べやすいよ! わからなかったら手羽先一本の報酬で実演するよ!」
「店長……骨はまぁ、俺も小骨かみ砕くことはあるけど、おいしくはないな」
メルセデスは熱々の手羽先を持たされて「ほれ、はよぅ食うてみせよ」と迫られているので、まぁいいだろう。
テルマって骨付き肉の骨、いつも食べてたの……?
続いてササチー。シソの葉は軸を取り除く。
ササミは筋を取って縦に切り開き、棒で叩くか手で押して平らにする。そこにシソを乗せ、その上にチーズを乗せ、手前から巻く。シソを乗せる時、肉からはみ出さず、両端は特に余裕を残すよう注意。
両端を肉で閉じるように軽く押さえ、開く前のササミのような形に整えたら小麦粉をまぶして卵液に浸し、パン粉を端までしっかり付け手で押さえ固める。
ここまでは仕込みで済ませた。
170℃で2分揚げ、油を切ったら食べやすい大きさに斜め切りする。
レタスの上に盛り付け、トマトとキュウリを添えて完成。中濃ソースを一緒に出す。グーラとシェアするようなので取り皿も。
「あら、このソース香りが良くなったわね。ササチーにかけると罪深い味だわ……でもシソでさっぱりしてる。シソって刺身と海鮮丼以外にも使い道があったのね……!」
「ソース用のスパイスをキノミヤが調合してくれたんだよ。テルマって最近面白くなったよな、褒め言葉だけど」
「何を『最近きれいになったな』くらいのノリで言ってんのよっ!? 口説き文句かっ」
「いや、そういうとこだから。初めて来た時に比べたら別人だって」
「まぁ、それは……そうかもしれないわね。わたしだって日々進化しているのよ、この中濃ソースのように!」
「ほんと、面白くてかわいくなったねぇ、テルマちゃん」
「ぬし、中濃ソースと一緒でよいのか……?」
「んなっ、何よぉ、みんなして!?」
高飛車系ドラゴンお姉さんだったのに、野生を忘れたドラゴンって感じに丸くなったよな……。
月の呼び方は2月:風の月、3月:芽の月、4月:花の月、5月:葉の月という大雑把なイメージです。