お花見弁当(2)
迷宮階層主兼、裏町のボス・カガチの氷屋で孤児院の院長と魚屋の過去話を聞いたあと。
一人店に戻った俺は厨房に籠っていた。メルセデスはまだ帰っていない。
正方形の油揚げを対角線で切る。断面に指を入れて、油揚げを破かないよう優しく角まで開く。
2,3分ゆでて油抜きをし、水に入れて冷やしたら水気を絞る。
鍋にカツオ出汁、砂糖、醤油、みりんを混ぜて火にかける。砂糖が溶けて煮汁が均一になったら火を止め、油揚げを敷き詰め中火にかける。煮立ってきたら弱火で落し蓋をして、10分ほど炊く。火を止めたらそのまま冷まして煮汁を吸わせる。
タケノコの穂先をくし形に、残った根元はいちょう切りにする。厚さは穂先が1.5cm、根もとが1cmくらい。水で戻したワカメは水を絞り、食べやすい長さに切る。
鍋にカツオ出汁、酒、タケノコを入れて中火にかける。煮立ったら灰汁を取り、しょうゆ、みりん、砂糖、塩を加え、さらしに包んだカツオ節を投入し弱火で煮る。タケノコとカツオは非常によく合うので追いガツオするのだ。
30分ほど煮たらカツオ節を取り除いてワカメを入れ、3分煮たら『若竹煮』の完成だ。
冷めるのを待つ間に、ポテトサラダ、セロリの浅漬け、酢れんこん、タケノコ入り肉団子の甘酢あんかけも作った。他にも作る予定だがそれは後にする。
今朝炊いたタケノコご飯を油揚げと同じ数、丸めていく。この時、油揚げの煮汁を手に付けてご飯が付かないようにする。
油揚げにご飯を詰め、口を折って閉じる。角を上にして並べて『タケノコご飯のいなり寿司』完成。酢飯じゃないけど。
具に油揚げを使わなかったのはこれを作りたかったからだ。
「ただいまぁ。子どもたち、嬉しそうに叱られてたよぉ」
メルセデスが帰ってきた。
あの子たちにメルセデスのゆるふわが伝染しているようで心配だ。
残りの調理は夕方にして、洗い物が済んだら一休みしよう。
***
その夜、シモンの魚屋で仕入れを済ませた俺は、店で魚の処理を済ませると魚屋へ取って返した。
最後の客が帰り、片づけをしていたシモンが俺を見つける。朝のことがあってか少し気まずそうに、
「なんだ、迷い猫。買い忘れか? 売れ残りならねぇぞ」
「いや、カガチから頼まれごと。ちょっとこれから孤児院行こうぜ」
「はぁ?」
と言いつつも付いてきてくれたのは、カガチの名前を出したからだろう。
花の香りを含んだ暖かい夜風が気持ちいい。
そんないい夜にランプを提げた男二人、一言も交わさず黙々と夜道を歩いて孤児院に到着する。子どもたちは就寝時間なのか、建物の窓から漏れる灯りはない。
俺たちが向かうのはもちろん、庭の隅の枯れ木だ。誰の仕業か照明魔術で照らされていた。
「待ってたよぉ、早く早く」
荷物を抱えたメルセデスが小声で呼ぶ。子どもたちを起こすわけにはいかない。
他に院長、カガチ、そして枯れ木の枝の上にキノミヤがいた。やはりキノミヤも迷宮の外に出られるようだ。
シモンはカガチに目で挨拶してから院長に言った。
「今更こんな枯れ木、どうしようってんだよ、先生? あ、勘違いすんなよ、今朝も言った通りそもそも俺は恨んじゃいねぇし」
「呼んだのはあたしだぞ、シモン? キノミヤ、周囲を《隠蔽》したからちびっ子たちにも見えない。頼んだぞ」
「わかったの」
カガチが何かしたようだが、子どもたちに見せられないことをするようだ。
キノミヤは枯れ木の根元に降り立つと、足から自分の根をしゅるしゅると地面に潜らせた。指先からも蔓を伸ばしては、周りに生えた草を抜いて検分している。
「カ、カガチの姐さん、この嬢ちゃんは一体……」
「あたしの同僚」
キノミヤの異形に今頃気付いたのか、シモンが固まった。
キノミヤもよくこんな人目の多い場所まで来たものだと思う。いや、各地で祀られてるから慣れたものなのか?
院長は年の功というか、さすがに落ち着いていた。
「そうか……土壌を調べているんだね……」
「正解なの。ここの土は酸性が強かったの」
と言ってキノミヤは抜いたクローバーを見せた。
クローバー、シロツメクサの別名。この庭のそこかしこに生えているし、王国中で珍しくもなんともない草だ。
「シロツメクサは酸性土壌に生えやすいの。桜はちょっとアルカリ性が好きなの」
枯れ木の周りの地面がぼんやりと光始めた。シロツメクサはみるみる枯れていき、一方で光は強くなる。その光を吸い上げるように幹、そして枝も光りだした。そして――
「咲いた……!?」
院長とシモン、店長、それに俺も思わずそう呟いた。
元からあったらしい固いつぼみが見る間に赤く膨らみ、咲いたのだ。
あっという間に満開の桜が現れ、弾けたようにハラハラと花びらを落としている。桜の木の周辺に生えていたシロツメクサは跡形もない。
「ついでに元気にしたの。これからは年に一度くらい貝殻を撒いておくといいの」
ついでで満開になったらしい。
驚きとか感傷とか畏怖とか、いろいろとこちらを無視してキノミヤは言った。
そしてカガチもそちら側だった。
「ほら、いつまでも驚かない! 貝殻はシモンが持ってくるんだぞ? わかったらさっさとやるぞ、花見! 今回の代価だからな」
「代価? 弁当の代金ならもらってるぞ?」
今朝、氷屋でカガチに呼び止められた俺は、シモンを連れてくることと『お花見弁当』を頼まれた。
枯れ木をどうにかするのだとは思っていたが、まさかキノミヤが咲かせるとは知らなかったし、代金も受け取っている。
店長は知っていたのかにんまりしてシートを広げ、弁当を詰めた重箱を並べ始めた。カガチも酒瓶を抱えてご機嫌だ。
「金じゃ買えない部分が代価だねぇ。よーし、米の酒も開けちゃうぞー! 院長も今夜は子ども抜きで楽しもう」
まだ釈然としない俺にシモンが耳打ちする。
「俺を氷屋で雇ってくれた時は、『一人前になるまで孤児院の誰にも会わない』って代価だったぜ」
「お陰で仕事に身が入っただろ?」
「姐さん、聞こえたのかよ……」
「迷宮は財宝と素材の代価に『命を懸けて冒険すること』を要求するから、それと同じだぞ? いただきまぁす!」
「これが食べられるから来たの。いただきますなの」
待ちきれないといった様子で階層主たちは箸を伸ばす。
「タケノコ尽くしじゃないかぁ。若竹煮はカツオ出汁がきいてるなぁ……お、杯に花びらが落ちて風流じゃん♪」
「カレー入ってなかったの……でもタケノコいっぱい入ってるの。にょっきにょきなの」
「お稲荷さんの中身はタケノコご飯だぁ。にょっきにょきだねぇ、エミール君」
カガチは発言と服装が風流してないけどな。キノミヤは一個ずつ食べような。で、にょっきにょきって何?
「タケノコご飯は酢飯じゃないから、物足りなかったら酢れんこんも一緒に食べてくれ」
今日の弁当の中身は、若竹煮、タケノコ入りのシュウマイ・オムレツ・肉団子、タケノコご飯のいなり寿司、ポテトサラダ、セロリの浅漬け、エビフライ、アスパラガスの肉巻きだ。
桜の花があったらもっと春らしい見た目にできたな。少しもらえないだろうか。
「このエビフライはうちのエビか。うまいな、さすが俺が見立てたエビだ……なんだよ、そんな目で見なくてわかってるよ。冷めてもうまいように衣を控えめにして、タルタルソースは固めに作ってるんだろ?」
そうそう。衣はしんなりしちゃうから控えめ、タルタルソースは玉ねぎを塩もみして水分出してから使ってる。さすが魚屋、食材扱ってるだけあってわかってるじゃねぇか。
シモンはエビのシッポをバリバリかじって言った。
「院長先生、さっきも言ったけどさ。俺は何も恨んじゃいねぇ。どうせすぐに成人する時期だったじゃねぇか。
辛くなかった訳じゃねぇけど、今は人並みにやれてんだ。もう出来損ないだなんて思っちゃいねぇ。今中にいるガキどもにだって出来損ないは一人もいねぇと思ってる。
うまくは言えねぇけど、ああなって、こうなったから、今うまくいってる気がすんだよ……」
シモンはもどかしそうに頭をかく。
一方、院長は若竹煮をひとつ、噛みしめるように食べた。
「まったくお前は……口下手なところは相変わらずさ。『こうなる運命だった』って言いたいんだろ? わかってる、わかってるよ。私だって歳をとってるんだ。あの時私が言うべき……いや、言いたかったのはね――」
『――産まれてきてくれて、ありがとう』
そう言って院長は穏やかに笑った。口下手なのはこの人も一緒だったわけだ。
「俺もっ……育ててくれて、ありがとうよ、先生……!」
「よ」は余計だよ、と言った院長は照れ臭そうに弁当を摘まんだ。今度はエビフライだ。
「……うれしいねぇ。お前はこんな立派なエビを仕入れる魚屋になった。
でもエビがいいだけじゃない。このお弁当はどれも、食べる人皆を喜ばせようと、目一杯腕を広げてる味だ……その力があるってのは、得難いことさ」
「子どもたちにも食わせたかったって、言わねぇんだな?」
「そりゃ、今は大人の時間さ。たまにはいいだろ?」
「違いない。俺だっていつもは弁当なんか作んねぇよ。得意じゃねぇんだ、居酒屋だし。院長も今度は店に温かいの食いに来てくれよ。そうすりゃ何度だってうまいもん食わせちゃるからさ。シモンもな」
それを聞いてニヤリとした院長とシモンの頭上に、桜の花びらが数枚舞う。そこにさっきまでの屈託は微塵もなかった。
いつも変な客がいる居酒屋だけど、この人たちはいつか来てくれるだろうか。シモンが来たら絶対刺身で唸らせてやる。
客を見てお通しや対応、時に味付けも変える。反応を見て失敗だったら悔しい。うまくいったらまたやってみる。そんな、弁当じゃできないことできるのが居酒屋の楽しみだ。
~ キノミヤのめしログ 『お花見弁当』 ~
お花見をするって言われても、キノミヤは行くつもりはなかったの。
お供え物も森の果実も、キノミヤはいつも森の中で食べてるの。お花もたくさんなの。
でもカガチは言ったの。
「お弁当はエミール君に注文したんだぞ? 来られないグーラ様たちに自慢できるぞぉ」
それを先に言うの。カガチは使えないの。
エミールは昨日、キノミヤにカレーを作ってくれたできる男なの。エミールが作るお弁当なら楽しみなの。カレー入ってるかもしれないの。
蓋を開ければカレーは入ってなかったの……。
でもキノミヤがあげたタケノコがいっぱい入ってたの。いっぱいあげてよかったの。
若竹煮は歯ごたえのいいタケノコと滑らかな舌触りのワカメが合ってるの。山のものと海のものなのに不思議なの。そういえば煮汁も海の香りがするのにタケノコに合ってるの。こんなの食べたことないの。
シュウマイをかじるとタケノコが入ってたの。ごま油の風味もタケノコに合うの。皮も餡も柔らかいのにタケノコだけがポリポリして楽しいの。
オムレツの中にもタケノコが隠れてたの。ミンチ肉とミルポワの中にタケノコだけが千切りで入ってるの。キノミヤがあげたクローブ、ナツメグ、オレガノ、タイムの香りで、深みを増したうまみをタケノコが吸い込んでるの。
それじゃあこの肉団子にもタケノコが……やっぱり入ってたの! 肉の中でタケノコがポリっとするの、やっぱり楽しいの。甘酢あんも好きなの。
エミールはすごいの。どれもミンチ肉とタケノコなのに味は全然違うの。
ひょっとするとこのお弁当のおかずは全部タケノコが入ってるの。お弁当の中のタケノコ狩りなの。にょっきにょきなの!
タケノコはにょっきりしたのより、頭がちょっと出るまでがおいしいの。埋まってるから人の子には探すの難しいの。
キノミヤなら頭を出す前のタケノコも見つけられるの。お弁当に隠れたタケノコも見つけられるはずなの。
ポテトサラダは……ポテトサラダだったの。お野菜の甘味がおいしいの。
セロリの浅漬けは誰でもわかるの。しんなりしたセロリはいい香りでおいしいの。
アスパラガスの肉巻きが一番怪しいと思うの……タケノコは入ってないけどおいしいの。アスパラガスのことを『西の人のタケノコ』と呼ぶ国もあるからセーフなの。
さすがにエビフライはエビだと思うの……やっぱりエビだったの。エビが甘くてプリプリで贅沢なの。タルタルソースの味がしっかりしてて、ご飯が欲しくなったの。ご飯、ご飯なの。
「お稲荷さんの中身はタケノコご飯だぁ」
!?
タケノコの入ったいなり寿司なんてお供え物にもなかったの。しかもメルセデスに先を越されたの!
一口かじると甘い煮汁がじゅわっとしたの。次に来るタケノコご飯の香りは、山と海、若竹煮と同じなの!
ご飯に甘い煮汁が混ざって止まらないの。でも不思議なの。いなり寿司は酢飯のはずなの。
「タケノコご飯は酢飯じゃないから、物足りなかったら酢れんこんも一緒に食べてくれ」
エミールが言う酢レンコンもかじると、優しい酸味がじんわり広がるの。
ますます止まらないの!
いなり寿司はグーラ様の大好物なの。今日はキノミヤが全部食べちゃうの。
~ ごちそうさまなの ~
『お花見弁当』を食べつくし、保温容器から味噌汁を振舞って花見はお開きになった。シモンは木曜日が休みなので、今日は孤児院の空き部屋に泊まるそうだ。桜の花はいくつかもらってきたので塩漬けにしよう。
メルセデスと二人の帰り道。ひんやりと湿った空気にまだ桜の余韻が残る。
シモンと来た時のように無言で自分の足音に耳を澄ませていたのだが、不意にメルセデスが口を開いた。
「あの二人、伝えたいことをちゃんと言葉にできて、よかったねぇ」
「そうだな」
伝えたいことはシンプルでも素直に言葉が出るとは限らない。迷ったり、焦ったり、意地を張ったり。口から出る言葉はいつだって気持ちとずれる。
「わたしね、子どもの頃から冒険者みたいなことやってたの。両親の言いつけでね」
やはりというか、それでも子どもの頃からってのは意外だった。今20歳だとして(多分だけど)、10年くらいやってたのか? どういう両親かわからんけど、金のためじゃなさそうだな。
それに、ますます今のメルセデスと結びつかない。
「どうして居酒屋を開いたんだ?」
「えへへ……お酒好きだし、おいしいもの食べて喜ぶお客さんを見たかったからだよぉ。エミール君もそうでしょ?」
まぁそうだけど、俺は子どもの頃から親父に仕込まれてたからなぁ。
料理人でもないのにそんなこと考えたってのは腑に落ちない。
「『迷い猫』って名前は、お箸が迷うくらいおいしいもの、テーブルいっぱいに並ぶお店にしたかったからだよ。わたしもおいしいものを食べたいしね」
はじめっから料理人雇うつもりはあったってことかな?
でもメルセデスなら、いつでも自分でうまいものを出す手段がある。
「どうして魔物肉を使わずに俺を雇ったんだ? 利益度外視なのは今でも変わらないだろ?」
「そりゃあ……作ってもらえるのが嬉しいからだよ。今話せるのはこれだけかな」
「ごめんね?」と呟く。
とても飲食店やる奴の考え方じゃあないけど、嫌な気はしなかった。
「お客に居心地よく酒を飲んでもらいたい」って気持ちが同じだからかな。
「詮索して悪かったな」
今日のところはこれだけ聞けてよかった、としておこう。
メルセデスはにんまりして首を振った。
「心配してくれてうれしいよ?」
「……まぁ、俺もだ」
「んー?」
「今朝はあんたに心配されて……悪くなかったよ」
ほんと、素直な言葉ってのは出てこないもんだ。
ああもう、早く店に着かねぇかな……。
翌日、話を聞きつけたグーラにいなり寿司を要求されるのだが、それは別のお話。
1話から唐突に出てくる『めしログ』とは何なのか、そのうち書くつもりです。
『西の人のタケノコ』のくだりはタイ語です。
子どもの頃は甘いご飯って苦手でしたが、今は大好きです、いなり寿司。