メルセデスの好物
「こいつは……グーラの迷宮とはまた随分と違うもんだな」
気付いたら地下水道のような場所にいた。
メルセデスの中に吸い込まれる感覚はあまりにも鮮明で、とりあえずここが『迷宮・メルセデス』なのだと信じることにする。
まだ人間が迷宮ってよくわかってないけど。
メルセデスはグーラの迷宮の中にいるから、迷宮 in 迷宮なんだけど。
そういやメルセデスの腹に封印されてる『大宮殿』もあったな……。
しかし床一面に広がるピンクの水晶らしいものは【石英化】したメルセデスと同じだ。そこかしこにオベリスクのような六角柱もあり、成功したことは疑う余地もない。
一本道で、向こうに開けた場所があるようだ。そちらに向かって歩く。
「さて、何の準備もなしに迷宮入りしたわけだが……俺一人なのか?」
マゼンタが持ち込んだ魔道具は香炉型だ。迷宮に進入する効果はその場の全員に及ぶはず。
迷宮に縛られているグーラたちはともかく、他の誰かが戦力になってくれることを期待していた。俺の両親があの場にいなかったのも、そういう都合だ。
当てが外れて俺一人迷宮に放り出された場合。ここにいるのかわからないが、魔物が――そうそう、丁度向こうに出てきたきゅうりや大根を組み合わせた身体にカボチャの頭を乗せたような化け物に、俺は対抗する術がない……。
「あ゛――っ!!?」
カボチャ頭の野菜怪人がカサカサと音を立てて迫る。
あ、これ死んだな。とか、ここで死んだら外に放り出されて再トライか? とかしょーもないことしか考えられなくなった。
その時。
「【アイギス】」
野菜怪人が見えない壁に衝突したようにつんのめり、みじん切りになった。
息を切らせたロマンと両手に短剣を持ったマゼンタだ。聖女ものんびり歩いて追いついた。
「ちょっとエミール!? お姉さまに食べさせるなら先に準備するべきですわ!」
「まぁまぁ。ボクたちは武装してたわけだし」
「エミールは着の身着のままですが。攻略に数日かかるようだと飢えて動けなくなりますよ」
「すまん、つい流れでやっちまった」
聖女は冷静に怖いこと言うなよ。
しかしまぁ、なんとかなる気がしている。ここはメルセデスの中だ。あいつが何日もかかるような、まどろっこしい迷宮を作るはずがねぇ。
『子豚』の三人が次々湧き出した野菜怪人と戦う中、通路の先の広場に見つけたのは厨房だった。調理台や焼き台がまとまっていて、ぐるりとカウンターテーブルに囲まれている。いかにもライブキッチンって感じだ。
調理台の前に立ち道具を確かめる。包丁もあった。冷蔵ケースには刺身のネタや塊肉が並び、カゴには他の食材も揃っている。
目の前の席にはいつの間にかメルセデスの姿をしたものが座り、こちらを眺めていた。
災害級討伐の時に見た木製の白い鎧にマントを羽織り、いつものようににんまりしている。だがなんだこの違和感。
「お前、メルセデスじゃないな」
「エミール君は――なんのために料理をするの?」
厨房があって、客がいる。
なら、ここが俺の戦場だ。
***
「お姉さま!?」
「いや、ここの魔物は大宮殿と同じデーモン系だ。幻覚かなりすましだよ。ほら、髪型もちがう」
「冒険者時代のメルセデスです。大宮殿と同じなら、問答があるはず。エミールが答えるのです」
『子豚』の三人も戦いながら、こちらの状況を把握した。
違和感の正体は髪型か。
いや、席について酒も料理も要求してこないことだ。そんなのニセモノに決まっている。
さて、なんのために料理をしているか、と言われても俺は料理人だからな。髪型の違いもよくわからんほどだ。
黙ったまま、癖で野菜の下拵えをしていると、メルセデスのようなものが言葉を続ける。
「一番になりたいから?」
「料理対決ってのは好きじゃねぇ。食べ比べてもいいけど両方食えってのが俺の流儀だ」
「褒められたいから?」
「褒められるのは嫌いじゃねぇ。俺の料理で元気が出たならなによりだ」
「お客さんのため?」
「特別に食べさせたい奴もいる」
「メルセデスのため?」
「……だけど、そんなこと絶対言ってやんねぇ。なぁ、こんな問答でメルセデスが目を覚ますのか? なんのために厨房を用意した?」
メルセデスの声で問い続けるニセモノにイライラしてきた。料理人に問答させるってのが無理なんだよ。
するとニセモノの表情が少しだけ動いた。
「じゃあ今、メルセデスが食べたいものを作って」
「何食いたいんだ?」
「当ててみて」
「そっちが用意した食材だ、ヒントになるはずだな」
俺は冷蔵ケースに豚ロースの塊を見つけて言った。
あの日、グーラが初めての客になった時から俺たちの店は回り始めた。こいつは特別な料理と言っていい。
「『カツ丼』だろ」
「……ハズレ」
野菜怪人たちと戦う『子豚』の三人に、手足の生えたマグロやカツオが襲いかかる。
「「「キモい!?」」」
三人の悲鳴が聞こえた。
遠目に見てもキツい。答えを間違えたペナルティーだろう。魔物がふざけた姿をしているところはメルセデスらしくもある。
「ここは夢の中みたいなものだから。エミール君が思い浮かべた食材が現れるよ」
「ここにある食材は俺のイメージだったか。道理でよく使うものばっかだな……じゃあ俺たちの身体はここにはないのか?」
「外で寝ているはず。けれどここで死ねば目覚めないよ」
「俺が間違える度に魔物が増えて、いずれは全滅か……」
「魔物だけじゃないよ」
メルセデスのニセモノが一人増え、魔物の戦列に加わった。立ち回る度に周囲の味方(魔物)まで吹き飛ばすとか、どう見ても魔物の所業だろ。
グズグズもしていられないので、他にメルセデスが喜んだ料理を思い出す。
ほとんど毎日三食、俺が作っていたから数え切れない。店で出す料理もたいてい食べていた。特に思い入れがありそうだといえば。
「孤児院に差し入れを始めた時の、『たこさんソーセージ』」
「ハズレ」
「定番第一号の『手羽先揚げ』と『ササミチーズしそ巻きフライ』か」
「ハズレ」
「誕生日に出した『混血豚のスペアリブ』と『鯛のお造り』はどうだ」
「ハズレ。もっとおいしいもの」
攻撃してくるメルセデスのニセモノが九人になっていた。悪夢かな。
港町の海鮮料理とかシルキーのとんかつとか、俺が作ったものじゃない可能性もあるか。『アワビのステーキ』を作った頃には味がわからなかっただろうから、あれ以前のものだ。
そもそもメルセデスの好物ってなんだっけ?
ガッツリしたものが好きそうだけど、酒飲みだからツマミ系も好きなはず。
好き嫌いないんだよなぁ、なんでも喜ぶから考えたことがなかった。誕生日に出したメイン料理も、プレゼントにもらった食材から決めたし。
半年一緒に暮らしておいて、俺はメルセデスのことをよく知らないままで、最近は驚いてばかりだ。
「あのっ……エミール? まだなんとかなりませんの!?」
「ニセモノの動きは単調だけど、この数はマズいかな」
「最悪メルセデスを破門して、その隙に撤退しますよ」
背後を守っていたロマンたちが、すぐそこまで押し込まれていた。
ロマンが防御に徹して、回り込もうとする敵をマゼンタと聖女が倒している。本物ほど強くないにしろ、聖女が殴り聖女になっている時点で余裕はない。
そういや付き合いの長いこいつらなら知ってるだろうか。
「なぁ、メルセデスの好物ってなんだっけ?」
ロマンからもそんな話聞いたことなかったし、『酒に合うもの』とか言われそう。
と思ったら、答えは『何を今更』、という表情と一緒に返ってきた。
「金獅子亭で毎日のように作っておいて、何を言ってますの?」
「いや俺、お前らに会ったことないけど」
「ボクらは様子を覗いてたって言ったじゃないか」
「実家にいた頃、お前らに料理作ったことなんてあったか?」
子豚の丸焼きが実家の客だったのは知っている。だが「食材を食べ尽くすから」と深夜まで出入りさせなかったはずだ。
その時間には上がっていた俺は面識がなかったのだ。
「それでもわたしたちは毎日、お昼に汝が作ったものを食べていましたよ。あと宿泊客でした」
「そういや引っ越し祝いでそんな話聞いた気が……宿泊ってマジで!?」
「あの宿、外から出入りできるのですわ。お姉さまのお気に入りは、エミールが一番よく作っていたものですわ!」
「ああ、アレかぁ」
宿の方は母さん一人でやってたから知らなかったぜ……ともかく、メルセデスの好物がわかった。
確かにアレにはいろんなものが詰まっている。メルセデスが好きそうなメニューだな。
んで、居酒屋やってると作る機会のないものだ。正直得意でもない。けど、メルセデスが食べたいと言ってるものだから。
ちっとばかし腕を見せるとするか!
「おしっ、パパッと作っちまうからよ。もちっと堪えててくれ!」




