ねこまんま
「メルセデスを助ける方法が見つかったってマジか!?」
俺は思わずマゼンタをガクガク揺さぶった。
飯食ってる場合じゃねぇだろ!?
が、マゼンタがむせたので落ち着いた。飯食ってる時に揺さぶってどうもすみません。
すっかり暗くなったので、お茶を淹れ直して店内で聞くことにする。店は……開けてる場合じゃねぇな。
「これが他人の記憶を擬似体験する魔道具。女王権限でブリヌイの研究所から拝借してきたんだ」
マゼンタがテーブルに置いたのは古びた香炉だった。魔道具ってんだから見た目通りのものじゃないだろう。女王権限って言ってるけど勝手に持ち出したんだろうなぁ。
「これでお姉さまの迷宮に入れますの?」
「妖精女王やあのカガチって竜にも見せたけど、可能性は高いね。ただし足りない要素がひとつ」
「何が足りないんだ?」
「――カギが必要だな」
いつの間にかいたのは妖精女王・フィーだった。
今朝『花嫁は~』なんて言われたことを思い出して気まずい。
マゼンタは昼間の内にフィーと再会して確証を得たそうだ。俺がうだうだしてる間に皆動いてくれていて頭が下がる。もしや俺が何もしなくてもメルセデスは元に戻るんじゃないだろうか?
「『味を感じなくなる呪い』と記憶は相性がいいと言っただろう? 余の呪いが影響するのは味覚そのものではなく、味に結びつく記憶なのだ」
「うん?」
「食べたものが想起する記憶をブロックするから、味気なくなるってことだね」
「つまり味を感じないのではなく、おいしいのかわからなくなる、ということですわ」
「それも大きな害だが、今その場の雰囲気やエピソード、あと酒の味は阻害しない」
ということがカガチ・キノミヤ・ロアに親父を交えた研究で、先ほどわかったそうだ。両親いないと思ったら迷宮にいたか。
ますます俺はすることがないのでは。
「そういやメルセデスの酒量増えてた気がするな」
「少しでも味を求めていたのですわ。しかしそんなこと、半日でよくわかりましたわね?」
「ああ、大宮殿の迷宮主、エミールの母親が実験台に志願してな。同じ呪いをかけるよう頼まれた」
「なにやってんだ、母さん!?」
「覚悟の上だ。どのみち解決するなら早いほうがいいだろう?」
「でもよ、それなら俺が――」
「――料理人のエミールが味覚を失ってどうしますのっ? エミールにしかできないことがあるのですわ!」
「大方、自分にできることが見つからなくて悩んでたんだよね? メルセデスのベッドの上で」
「いや、そりゃあんな啖呵切った手前な……」
俺は冒険者でも魔道具技師でもない、だたの料理人だ。親父みたいに王宮料理人でもない。腕は街で一番なんてことはなく、平均的より上等がいいとこだろう。シズルさんみたいな専門店にはどうしたって勝てない。
だから考えちまうんだよ。こういう時、メルセデスならすぐ解決するんだろうなって。
「丁度いいじゃないか、出番だぞ。『迷宮・メルセデス』へ入るカギ、それはメルセデスの記憶を刺激せず、かつ、うまいもの。『絶対的にうまい料理』だ」
***
さて、絶対的にうまいものなどない、と以前言った気がするが、実はそうとも言い切れない。
味覚とは五味とも言って、甘味・塩味・旨味・酸味・苦味がある。辛味は痛覚だ。
このうち甘味・塩味・旨味は赤ん坊でもおいしく感じるらしい。その味は必要な栄養素を含んでいるサインであり、酸味・苦味がないのは腐敗や毒の恐れがないというサインでもあるからだ。
つまり本能的にうまいと感じる味というわけだ。酸っぱいものや苦いものが好きな人でも、そればっかり食べる訳じゃないから、これはその通りだと思う。
本能的なうまさにはもう一種類ある。
暑くて喉が渇いた時の冷たい水、汗かいた後のラーメンみたいな塩気強いもの、疲れた時の甘いもの。こういう身体が欲しているものだ。油ものがうまいのもエネルギー量が大きいからだろう。
「じゃあレーズンバターでも切ってリンゴ酒と一緒に置いとけばよさそうだな」
「そう単純ではないのです。次においしいと感じるメカニズムですが、これには味覚以外の五感が使われ――」
俺は店に来た聖女から『おいしいとは何か』について講義を受けていた。
これまでの食べ歩きや文献から聖女が考察した内容で、まだ仮説を含んでいるそうだ。
「――食べた時の快感が食欲となり、もっと食べたい、つまり『おいしい』という感想が生まれます。快感か否かの判断で重視されるのが文化や慣れなどの『記憶』と、その場の環境がもたらす味覚以外の感覚です。
ただし、器が重いと味を濃く感じる一方、カトラリーが重いと薄く感じる傾向がわかっています。これは『高級な食器は重い=濃厚な味』という記憶だけでは説明できず――」
聖女は料理研究家だったのだろうか。
俺には理解できない話も混ざってきているが、料理人としては面白い内容だ。親父は王宮料理人として、こういう理屈もよく知っていた。
本能的な味覚と経験的な味覚、それに五感を利用して料理の価値を高めるのが高級店のやり方だという。
つまりこれは今の俺に足りない知識だ。
「飲み物の基本機能は舌のリセットです。その料理の後味、旨味、油を洗い流すものは相性がよく、もっと食べたい、つまり『おいしい』と感じます」
「それはわかるぜ。から揚げにはレモン添えたり、レモンサワーをお供にするよな」
「レモンの酸が油を乳化して洗い流すからだぞ」
「特にお酒と料理は互いの後味をリセットしあうことがあります」
「うむ、次第に飲むために食うのか、食うために飲むのか見失うものぞ」
「なので食べる量を増やすには相性のいいお酒が、飲む量を増やすには満腹になりにくい料理が適します」
「この身は冷酒と塩辛だな」
「わたしはそういう飲み方はしないわね」
気が付くとカガチにグーラ、それにビャクヤとテルマも参加していた。迷宮の方で準備が整ったということだ。
後は俺が『絶対的にうまいもの』を作るだけか。
こうして理屈を知ると、世の中にはうまいものが溢れていて絞りきれなくなるんだが。
「一口でいいって話だから酒はいらねぇな。記憶につながるものはダメってことは、メルセデスに出したことない料理か……」
***
「やけに早かったがよいのかの?」
「ああ、これしか思いつかねぇ」
『鍵』となる料理を店で準備した俺は、迷宮内・カガチの研究室へ連れてきてもらった。よくわからないクスリの壜やガラス器具が並ぶ部屋の、さらに奥の間へ入る。
石英化したメルセデスがいくつもの魔道具につながれ、安置されていた。
足下に漂う煙はエルフの香炉型魔道具のものだろう、匂いを感じない。
フィー、ロマン、聖女、マゼンタ。それに迷宮の面々が揃っている。皆メルセデスのために、できることをしてくれた人たちだ。
俺は気を引き締めた。
「どうやって食わせるんだ?」
「これを使うかの」
グーラが取り出したのは以前クマガルーが使っていたメダルだ。『喰体験』を持ち主と共有する魔道具で、クマガルーでも味がわかるという。
あれはスライムが腹に寄生するんじゃ……まぁいいか。
「エミール。余の娘に捧げる一品、見せてもらおうか」
「ああ、準備するぜ」
料理はアイテムバッグに入れて持ち込んだ。
俺はメルセデスの枕元に置かれたサイドテーブルに、まず炊きたての白飯を盛った飯椀を置く。
そこに削り節を散らすと踊る。その上に『卵黄のしょうゆ漬け』を乗せた。小皿の香の物はつぼ漬だ。
以上、完成。
静かだった部屋が痛いほど静まり返った。
フィーはまだ何か出すのか? という視線を向けるが完成だ。
「……エミール、これが『絶対的にうまい料理』なのか? そもそも料理なのか?」
「『ねこまんま』だ。うちは仮にも飯屋だから、普段は猫にも出さねぇんだけどさ」
「そんなものをなぜ今作った?」
フィーが動揺していた。俺が見るからにうまそうな、手の込んだものを作ってくると思ったのだろう。
俺も必要ならそうするが、今のメルセデスに『見るからにうまそう』である意味はないのだ。手が込んでいるかどうかも伝わりにくい。
確かに一口でのインパクトを考えれば、高級店の難しい料理が一番だった。だが。
「メルセデスは貴族で金持ちだから、たいていのものは食べてるだろ? 冒険者だから魔物肉もダメだ。うちで出したことがなくて、野営で食べないようなもの。珍しいだけの料理は論外……となるとだ。これかTKGで迷ってこっちにした」
なんせ漬けてあったのだ、今日の朝飯に付けようと思って。
ドタバタして夕方の弁当にも入れ忘れて、もう深夜だからちょっと漬かりすぎてるけど。
昨日疲れたメルセデスはこういうの喜ぶだろう、と思って漬けた黄身なのだ。
「いや、うまいのかもしれないが……これはないだろう?」
「食ってみよ、妖精女王。それで納得いかぬなら考え直せばよい」
困惑するフィーにグーラが飯椀を押しつけた。
簡単だから全員分あるのだ。ちょうど真夜中、小腹も空いた頃だろう。
フィーは俺からスプーンを奪うと、ねっとりと固まった黄身とかつおぶしご飯をすくい、一口。
無言でもう一口食べてから口を開いた。
「うまい……しょうゆのインパクトと卵の濃厚な滋味、削り節の奥行きある香り。どれもご飯に絡んで、もう一口食べざるを得ない、罪深い味だ……」
周りも頷きながら黙々と食べてるけど、罪深い味って何?
皆がいて、うまそうに飯を食っている。今のメルセデスには伝わらないかもしれないが、この雰囲気もおいしさになるだろう。
俺は一口分をスプーンにとって、メルセデスの口元に寄せた。さて、食べてくれるだろうか?
「口移しせぬのか?」
「しねぇよっ!」
魔道具のスライムがメルセデスの口から控え目に出てきて、スプーンに乗ったものを素早く回収して行く。
口移しはしなくて正解だよ……。
固唾を飲んで見守る中、メルセデスの腹の辺りからカチリという音が響く。
次の瞬間、俺はメルセデスに吸い込まれていった。