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『バームクーヘンサンド』

「そんな古い硬貨、どこも受け取らねぇよ」


「そうか……どこかに交換してくれる店はないか?」


「両替はあるにはあるが……コレクターに売りつけた方がいい値段付くぜ?」


「蒐集家……こんなものを集める輩がいるのか……」


「あんた何にも知らねぇんだな、エルフの嬢ちゃん……いや、兄ちゃん?」



 スタンドのコーヒーを諦めて立ち去るのは、身体にピッタリした服の上からマントを被ったエルフの女。マゼンタだ。


 マゼンタがネストを出たのはおよそ百年前のことだった。妖精女王に送り出され、気が付いたら西の島国、魔族国家にいた。

 ネストには150年以上いたことになるが、マゼンタにはそれが長かったようにも、短かったようにも感じられた。ネストとはそういう場所だった。


 ともかく見た目はすっかり成人し、それなりの教育も受けてきたマゼンタは、ある日突然に人の世へ放り出されたのだ。


 ――妖精女王の奴、『頃合いだ、元気でやれ』って……他に言うことないのか、育ての親!


 マゼンタはエミールとの遭遇以来、感情豊かに育った。


 今も人間だらけの見慣れない世界に戸惑うものの、それは努めて顔に出さない。

 当面の生業に暗殺者を選んだためだ。

 大きな戦争はなくとも水面下で陰謀をぶつけ合う、そんな時代だった。


 エミールに料理を教わった時から、自身に『息の根を止める』才能があるのはわかっていた。

 見慣れない人間たちに情は湧かず、自身が異物である感覚も消えない。実際出自不明だ。

 常日頃周囲を偽り、ひっそりと生きる暗殺稼業は都合がよかった。


 スパイの真似事もするため、情報が集まる仕事でもある。実の両親を探す役にも立つだろう。


 幼い頃はネストを出たらエミールに会いに行くつもりだったが、妖精女王に話すと『あいつが生まれるのはまだまだ先だ』というのだ。




   ***




「やっぱり悲しいってほどではないな……」



 実の両親を見つけた。

 それは二つ並んだ墓石だった。

 両親は30年前に事故死していたのだ。マゼンタがネストを出て20年後のことである。


 同時に自分の本名や出自もわかったが、何の感慨も見出せなかった。ただ久しぶりに妖精女王やエミールに会いたいと思い、エミールがまだ生まれてもいないことを思い出し、妖精女王を探すことにした。

 悲しくはないにせよ、人恋しかったのだ。



「マゼンタさんも今日から二つ星ですね。おめでとうございます!」


「依頼はある? できるだけ秘境っぽいやつ」


「例の妖精探し、まだ続けるんですか? うちのお爺ちゃんも子どもの頃に見たって言いますけど……」



 ギルドの受付嬢はマゼンタに書類を差し出しながら言った。


 この辺りでは『妖精は子どもの頃しか見えない』と言われていた。

 世間が妖精を忘れ、妖精の存在を示す痕跡は失われゆく時代だったのだ。


 マゼンタがサインしたのは昇格を認める通知の受領書だ。マゼンタはさらなる情報を求め、冒険者になっていた。

 野営の際はエミールに教わった料理が役に立ち、それだけでも冒険者になったことに満足を覚えた。




   ***




 店の前で弁当を広げ、マゼンタの話を聞くエミールたちは。



「お兄ちゃんが教えてくれた『天丼』と『パウンドケーキサンド』には助けられたよ」


「お兄ちゃんてな、お前……まぁ役に立ったならよかったぜ」


「あの、マゼンタ? 言いにくいのですけど……あなたが作る『パウンドケーキ』、実は『バームクーヘン』ですわ」


「!?」


「どういうことだ?」


「どうもこうも。マゼンタが作っていたのはバームクーヘンでしたわ。生地を塗った棒を焚火で炙って、また生地を塗っては炙って」


「あー。オーブンなしならそっちを教えとけばよかったな。ベーキングパウダーいらねぇし、生地にハチミツ入れるとしっとりするぜ」


「どうしよう……それも『パウンドケーキ』だと思って百年くらい生きてたよ……」


「おいしいからいいのですわ。卵とベーコンを挟んだり、チーズとスモークサーモンを挟んだり」


「お、それうまそうだな! マゼンタもやるじゃねぇか」


「えへへ……」




   ***




 世界中を旅し、界隈で『暗殺妖精』と呼ばれるようになったマゼンタはフランベ王国に来た。両親の死亡を知ってから50年以上も経った頃だ。

 長年の研究成果で妖精の輪(フェアリーリング)を使いこなしていたが、妖精女王を探すという目的はすでに忘れかけていた。


 これまでもそうしてきたように、王都で気の合った連中のパーティーに参加した。エミールの母・クレアの『ソレイユ』だった。


 結局ソレイユは『大宮殿』の攻略失敗後、クレアが身籠もったことを機に解散する。21年前のことだ。

 忘れかけていた妖精女王を見つけたのはその頃だった。


 ――意外と近くにいたんだ……何、あの男? 女王大きくなってるし。


 ソレイユを支援していた貴族がパーティー解散にあたり慰労会を開いた。その来賓の中にシドニア夫妻がいたのだ。

 有名人だったので調べは簡単につき、生まれたばかりの娘までいると知って驚いた。


 フランベに来る前のシドニア夫人の経歴は不明だが、誰も疑問に思わないようだった。妖精だと疑う者など当然皆無だ。

 マゼンタはすぐには会いに行かず、身辺を調査した。


 ――娘は記憶に問題があるのか……妖精と人のハーフなんて無理があるんだ。顔を忘れられて落ち込むくらいなら、子など産まなきゃいいのに。


 八十年以上、世界を渡り歩いても、マゼンタは自分が人の世で異物であると感じてならなかった。


 だから子を産み育てる理由などわからない。

 ただ女王の前に姿を見せる気になれず、陰から親子の様子を眺めて四年が過ぎた。長命なエルフは気が長いのだ。


 ある日、娘の記憶障害が治っていた。


 ――女王が何かした……恐らく権能を分け与えた。自分の子どもってのはそこまでのものなのか。


 そうでなければ、とっくに治していたはず。そして権能を分け与えた女王はもう、元の姿には戻れない。人としての寿命を全うして死ぬ。


 ――そんなに大事なら仕方ないな……ボクも()を守ろう。


 気付けばそんな感情が芽生えていた。

 クレアの仲介で子豚の丸焼き(コション・ド・レ)のメンバーになる。その際、クレアの息子が『エミールお兄ちゃん』だと気付き、さすがに動揺を隠せなかったが。


 愉快な仲間たちと成長していくエミールを盗み見る日々。それはマゼンタにとって油断につながったのか。


 『大宮殿』討伐では唯一の経験者にも関わらず、ろくにサポートできないまま終わり、パーティーは解散した。


 ――シドニア卿と国王がきな臭い……けど女王もなにか企んでるな。


 『マゼンタ』と名付けたのは女王だ。顔を見られてはいないものの、さすがに存在には気付いているはず。だが何か言ってくるでもなく、メルセデスもマゼンタと母親の関係を知らないようだった。


 大人たちの企みにメルセデスがどう関わっているのかが気がかりだ。

 妹分は『大宮殿』討伐以来、冒険者を引退するほどに調子を崩しているように見えた。静養のためか王都を離れるらしい。


 マゼンタは長年の三つ星冒険者としてすっかり有名になっていた。その立場を活かして王宮絡みの依頼を受け情報収集しつつ、妹分の様子に気を配ることにした。


 同時に、暗殺者でも冒険者でもない、現代に合った力が必要だと思った。




   ***




「というわけで、今のブリヌイの女王はボクだから」


「どうしてマゼンタがエルフの国の女王になってるんですわ!?」


「今の話でそうなる要素あったか!?」



 両親の墓を見つけた時に知ったことだ。

 マゼンタの本名はカーチャ・ディル・ブリヌイ。ブリヌイ三賢人の一人、ボリス・ディル・ブリヌイの玄孫(やしゃご)であり、三つある王家の一つ、ディル・ブリヌイの直系だった。


 ちなみに先王イーゴリ二世・スメタナ・ブリヌイのひ孫、アンナはマゼンタより百歳以上年下である。


 マゼンタは照れ隠しするように短めの金髪をいじった。ようやくエミールと落ち着いて言葉を交わせるためか、ロマンが見たこともないほど表情が柔らかい。


 出自を知った時は興味もなかった王位だったが。



「今の時代、光り物(・・・)をぶん回すだけが力じゃないからね。先週戴冠式を済ませてフェアリーリングでトンボ返りしてきたよ」


「軽いな女王……そんな簡単になれるもんじゃ……そうでもないのか?」


「白エルフには珍しい砂漠の料理とか、『アカシャの記憶』の脆弱性(セキュリティホール)とかの情報と引き替えだよ。エルフは情報大好きだし、王様は退位したがってたからね」


「やっぱりブリヌイやマドゥバにいたエルフは、マゼンタでしたのね?」


「迷宮はあんなとこまで調べに行ったんだ? あの頃はお兄ちゃんとメルセデスの周囲が安全か、気になっててね」


「もう弁当つつきながらする話でもなくなってるけどよ、とりあえずその、『お兄ちゃん』てのどうにかなんねぇか……女王様?」



 柔らかかったマゼンタの表情が凍り付いた。



「う、うん、じゃあ、はい。エミール君で……だから『女王様』はやめよう? せっかく『迷宮・メルセデス』に入る方法見つけてきたんだし」


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