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オクラ納豆カレー

「元気にしていたかい、愛しい我が娘! パパだよっ!」



 シドニア卿ってなんか、こう。

 元有名冒険者で、今は迷宮統制参謀として国王に迷宮運用のアドバイスをしている英雄で、実際軍服着て口髭たくわえてて、もっと厳格な人を想像してたんだけどな……。


 いや、メルセデスの親父さんなら、こんなもんか。

 メルセデスがシドニア卿の娘だというのは、客の話から俺にも察しが付いていた。

 だから驚いたのはシドニア卿がパパと呼ばせるタイプだということと、迷宮の一部である店の引き戸が壊されたことだ。


 店が壊されるとしたら酔った階層主が暴れた時に、取り押さえるメルセデスが最初だと思っていたのに。



「おいグーラ、どうなってんだ。迷宮は壊れないんじゃねぇの?」


「われにもわからぬが……あのもやもやした黒犬の仕業だの」


「おいおい、お客さん。いくら腹が減っても店壊しちゃいけねぇよ」


「おっとすまない、娘への溢れる愛が爆発してつい、悪性妖精(アンシーリー)に食い破らせてしまった」



 親父の軽口にシドニア卿が悪びれもせず答えた。

 アンシーリーってなんか聞き覚えがあると思ったら、必要ないのにチェンジリングをやめない困った妖精たちのことだ。ネストで聞いた。

 犬の形をした黒い影たちはエルフが変質したものなのだ。

 それを引き連れてきたってことは迷宮と敵対……いや、妖精は関係ないのか?



「おやぁ、君は反逆罪で手配した料理人だねぇ。我が娘の店で奉仕活動とは関心関心、減刑一万年だ!」


「なんだい、あたしらを捕まえにわざわざアントレまで来たのかい? 迷宮統制参謀ってのも暇なんだね」


「暇じゃないからフェアリーリングを踏んで来たんだがね。困るよ君たち、愛娘の店を悪の巣窟にしないでくれたまえ。国王陛下は神樹に吊されて、すっかり弱気になってしまったじゃないか。極刑ものだよ?」



 国王を吊す案は度々話題に出るけど……と神樹本人であるキノミヤを見ると。



「王都のキノミヤがいい仕事したの」


「うぉっ、なんだぁ!?」



 シモンを蔦で縛り上げ、逆さ吊りで開脚させた。やめろよ、そいつ結婚するんだぜ? 止めないけど。


 雰囲気から察するに、親父たちを手配したのはシドニア卿だな。ひょっとすると太郎さん事件の黒幕も。

 親父もそれを踏まえてか、歓迎する気はないようだ。



「愛娘の店を壊しといてよく言うぜ。弁償しろよ?」


「それは問題ない。王都の上等な物件を一つ空けたから、そこに移転すればいい。元宿屋だから居抜きで使えるが、随分とボロだ。改装は私が手配しよう」


「それうちの物件だろうが」


「王都は今、少々物騒でね。宿一つ潰したくらいで冒険者どもが騒ぎ始めたんだ。メルセデスが帰ってくれば、そいつらもきっと大人しくなる。メルセデスは王都に福音をもたらす、天使だね」


「――お父様、嫌い!」



 メルセデスはシドニア卿が伸ばした手を払った。

 メルセデスを連れて帰るなんて冗談じゃねぇ。最初はメルセデスの親らしいと思ったが、親子関係も芳しくないようだ。



「パパと呼びなさい、メルセデス。大宮殿を討伐した時と一緒だよ。王都のごろつきなんて目じゃない。お前さえいれば、また私たちの悲願に一歩近付く!」


「そうやって……強くなった途端、わたしをコマみたいに!」


「ハハハッ、娘の反抗期というのは堪えるね! 神代復古の阻止は私たち家族の悲願だろう? それができるのはお前だけだよ」


「そのために迷宮を暴走させるようなことして……わたしはそんなお父様が嫌だから冒険者を辞めたの!」



 こんな表情、こんなに人を苦手そうにするメルセデスは初めて見た。

 間違いない、大宮殿の対話を失敗させ討伐に追い込もうとしたのはこの男だ。

 またもや親父も同意見だった。



「はは~ん、てめぇやったな? 珍味だとか言って大宮殿に呪いのマズメシ出させただろ? 国王はどうした? あいつそんなバカ舌じゃねぇだろ」


「陛下には本物の珍味を召し上がって頂いたよ。王宮も迷宮も皆期待通りに動いて、愛娘のために舞台を整えてくれた」



 シドニア卿がどうして迷宮の妨害に固執するのかわからない。

 メルセデスがどうして曲がりなりにも、それに手を貸してきたのかも俺は知らない。とにかく。



「シドニア卿、あんた愛娘とか言ってるが、さっきから自分のことばっかりだ! メルセデスは今まであんたの無茶ぶりに耐えてだな――」


「料理人の子ども、いや迷宮主の子どもと呼ぼう。君がどう思おうとメルセデスは断らない。これは私たち家族の絆そのものだ。なぜなら――」


「お父様、黙って!」


「――母の命がかかっているのだから」




   ***



 ロマンがお茶を淹れてくれたことで気付いて、店じまいした。営業中に話す内容でもない。

 もちろんグーラたちは残っている。



「ふむ、迷宮の力で神代文明が復活すると、妖精たちは役割を終えて消えてしまう、か。可能性はあるの、迷宮も同様であろう」


「そうさ小さな迷宮主。そして我が妻・フィデリア・ルフェイ・シドニア。メルセデスの母親こそ、妖精女王だ」


「え、まじで? 妖精女王っていや――」



 この前、俺をさらった張本人だけどメルセデスはそんなこと言ってなかった。

 それにあの女王、妖精たちよりも小さいくらいだったぜ? とても人間とつがえるとは思えない。


 思わずメルセデスを見ると目が合った。すぐに泣き出しそうな顔になり、俺は何か失敗したのだと悟る。



「半分人じゃないなんて、エミール君には知られたくなかったよ……」


「メルセデス……」



 そんなの今更なんだが、本人が気にしているのだから仕方ない。


 シドニア卿は小国家群ヤムペッワーン領邦の極西出身の冒険者だったそうだ。

 冒険の中で迷宮と妖精の存在理由を知り、妖精女王と出会った。

 フランベに来てからの活躍はまさに英雄だったが、それは多くの迷宮を有するフランベに潜り込み、迷宮政策を攪乱するためだった。


 シドニア卿の冒険譚というのは親父が若い頃から今に至るまで人気で、いつぞや港町で遭遇した小説家・コレットも題材にしたことがあるくらいだ。

 俺のイメージだと定番の主人公キャラだったので、メルセデスがシドニア卿の娘だと知った時はちょっと嬉しかったりもした。だが。



「まさか英雄様が、フランベ王国をまるごとだましてたとはな……あの妖精女王の旦那ってだけでもビックリだけどよ」


「当然だな。たかだか飯のために、愛する妻を奪われてなるものか……妖精に生きる力を授かった人間が、妖精の存在を忘れ恩を仇で返して、なにが美食だ!? 今日のおすすめだの、旬の魚だの、料理に合う酒だの、くだらないっ! そんな暇があったら、迷宮に頼らず人類の力で後の世を手にしようと思わんのかっ!」



 食事に関心のない人だって当然いるし、俺だって飯食ってる場合じゃねぇって時はある。

 この人はうまい飯よりも大切なものがあって、それを蔑ろにされて怒ってるんだ。


 確かに今の世で妖精は物語の中の存在だ。グーラたちですらよく知らないってのは、世界に認知されてない、居場所がないようなものだろう。


 でもネストで聞いた妖精女王の言葉は、迷宮とも協調路線だった。

 妖精だって子孫の食文化を心配したご先祖様の差し金なのだ、それまで否定しちゃ元も子もねぇよ。だからメルセデスを泣かせるようなやり方になっちまう。


 親父はよく俺に、「『うまい』とは何だ?」と聞く。これは料理人の仕事だ。



「神代の飯が超絶うまかったとしてよ、今その頃の飯が出てきたら、俺たちはそれをうまいと感じるか?」


「何が言いたい、迷宮主の子ども?」


「そこにいくら旨味成分があっても、馴染みの薄い料理はうまいと感じにくい。特にクセのある料理はな。それに一口目でうまい料理と毎日食いたくなる料理だって別だ」


「そういうことだ、親父。だから俺もガキの頃からいろんなもの食わされてきたけどよ、くさやと臭豆腐とホヤは今でも無理。ピータンはたまに食いたくなる。これ(・・)に至ってはもう、武器だとしか思ってねぇ」


「うまいやつはうまいんだぞ?」



 くさやも臭豆腐もピータンも発酵食品でクセが強い、というか臭い。ホヤはもう、無理。


 俺はロマンたちの新居にあったシュールストレミングの膨らんだ缶を取り出した。武器だ。

 俺の周りから人が二、三歩下がる。危険物だよなぁ。そんな反応されると開けたくなるじゃねぇか。


 でも開けない。

 俺は皿にご飯を盛り、ルゥをかけた。営業中キノミヤに出しそびれた本日のカレーだ。シドニア卿にも出す。



「何の真似だね、私は注文など……むっ、なんだこのカレーは……」


「ああ、納豆だ。シドニア卿は外国人だから食わねぇだろ?」



 シドニア卿がスプーンで持ち上げたルゥは糸を引いていた。そう、これは家庭の定番『納豆オクラカレー』だ。

 実は王国内でも賛否のある納豆、外国人はまず食えない。見た目も匂いも腐った豆にしか見えないからだ。

 俺は好きだけど、いつどうして食えるようになったのか覚えてない。初めて食った人はよほど腹減ってたんだな。



「豆のカレーだと思えば邪道ではないの」



 ところが店では結構人気のメニューで、皆食べる。今日もグーラたちがキノミヤに続いた。


 鶏の粗挽肉とたまねぎのカレーを煮込み、オクラを加えて火を通したら一食分とって納豆と混ぜるだけ。仕上げにラー油を垂らして温泉玉子と白髪ネギを乗せる。


 糸を引きながら食べる皆を見て、シドニア卿も再度スプーンを持ち上げる。



「うちのメニューだってはじめはこんなじゃなかったぜ。客の要望で変わってくもんだ」


「こんなっ……腐った豆が、うまいわけがっ……!」



 とベタな反応を見せてくれた。

 半開きの口の前でスプーンが止まっている。呼吸が浅くなり目尻に涙を溜めているのは、「食べられないと思っているもの」を食べようと無理をしているからだ。

 嫌いなものがあるってことは、この人にも好きな食べ物があるんだろうな。


 食べ終えたグーラがスプーンを置いてクピっと水を飲む。



「神代への回帰の話だがの。エミールの言う通り、急な変化は迷宮も望んでおらぬ。あと千年ほどは見込んでおるの」


「千年……だとっ!?」


「ちょっと長くないかい?」


「人類が食糧危機で困っておるならともかく、栄えておるではないか。われらに急ぐ理由はなし。存外千年あれば自然と神代に追いつくかもしれんがの」



 どうやらご先祖様のサポートが手厚かったようだ。妖精女王の話を聞いた時でさえ、迷宮がなんかやらかすのかと思っていたけど。気の長ぇ話だな。

 迷宮主業務をしていなかった母さんは知らなかったらしく、呆れている。


 一方、シドニア卿だが。



「そんな馬鹿な話があるか……千年だと? なんのために私は……」



 企みの是非はともかく、これまで相当な努力をしたのが空回りだったのだ。ショックが大きいのだろう。

 それにやってきたことは英雄的で、誇れることの方が多いはずなのだ。



「――ほぉ、カレーに納豆というのもなかなかうまいものだな」


「む、何者かの?」


「あんたは――」



 それはいつの間にかいた。シドニア卿が食べられなかったカレーを引き継いだのは、ピンクブロンドの髪に金色の瞳と長い耳の若い女だ。

 妖精女王と同じ姿だが、背丈がおれと同じくらいまで伸びている。あと羽がない。



「妖精女王なのか?」


「人の姿のときはフィデリア・ルフェイ・シドニア、と名乗っている。久しいなエミール、フィーと呼ぶが良い」


「お母様……」


「そう思い詰めるな、メルセデス。長居はせぬ、この馬鹿は余が回収して行こう。まったく、アンシーリーまで集めおって」



 シドニア卿はいつの間にか眠っていた。妖精女王、フィーが眠らせたのだろう。フィーがその肩に手を置くと、フッと姿を消した。転移のようなものか。

 黒い犬、アンシーリーたちもいつの間にかいない。



「フィーは知ってたのか、シドニア卿の企みが無意味だってこと」


「迷宮が長期的な視野を持っていることは知っていた」


「ならどうして――」


「夫を止めなかったか? 余がこの馬鹿の企みを知ったのは『大宮殿』とやらの騒動の後でな。まったく、我ながら愛されたものだ。その扉は時間を戻せば直るな?」



 フィーは指先一つで壊された引き戸を直すと、「遅いから明日改めて来る」と言い残して姿を消した。




   ***




 なんだかスッキリしないまま解散して、迎えた翌朝。

 その日、メルセデスは目を覚まさなかった。

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