秋鮭のキノコバター焼き
ネストから帰った翌日早々、店は平常運転に戻った。仕入れで市場に行くたび声を掛けられ、自分が行方不明だったと自覚が湧いてくる。そんな日が数日続いて今日は木曜だ。
両親は昼間は観光、というか食べ歩きに出掛け、夜は店を手伝ってくれる。夜逃げしてきたのに暢気なものだが、まぁ旅の理由なんて食べ歩きで十分だ。
俺も両親にコソコソ逃亡生活して欲しいわけじゃない。折を見て代官に解決方法を相談しようと思う。
「『秋鮭のキノコバター焼き』と『ほうれん草と甘藷のサラダ』お待ちっ」
『秋鮭のキノコバター焼き』は名前の通り、塩胡椒した鮭の切り身とキノコ、ニンニク、タマネギを鉄板皿に盛り付け、バターを乗せて蓋をかぶせオーブンで焼くだけ。パセリをまぶしレモンを添えてテルマに出す。
「ジューシーな鮭とキノコの豊かな味ね。甘みのあるサラダにも合うし、レモンの香りが際立ってお酒にも合うわ」
『ほうれん草と甘藷のサラダ』はポテサラをほうれん草と甘藷と刻んだチャーシューで作ったものだ。
ポテサラより圧倒的に楽だし、やっぱり旬のものはうまい。
「エミール、海鮮丼まだですの?」
「エミール君、氷が足りないよぉ!」
「おいエミール、カツオの腹皮はから揚げで出すぞ」
親父はもう好きにやってくれ。
腹皮は腹の身のことで一番脂が乗っている。煙がすごいから表で焼こうと思ってたけど、親父がショウガを効かせたタレに漬けてスパイスと粉を混ぜ始めた。うまそうだ。
というわけで今日は魚がおすすめだ。もちろんシモン丸で仕入れた。日曜日店に来ていたシモンがどうして昨夜営業できたかというと。
「転移する分、三、四日節約できるのはいいけどよ。街で捌ける魚が増えるわけじゃねぇから他の商売も考えねぇと」
三、四日寝てないような顔でシモンが言った。
ポアソンとアントレを定期的に転移で結ぶ計画があり、領主協力の下、シモンの商売でテストを始めたのだ。キノミヤ様々だ。
利用料金や利用日を含めて課題を洗い出し、うまくいけば実用化される。ちなみに出発地点は迷宮前だ。
「街にいる時間が増えるのはいいことじゃねぇか。ミリスと結婚するんだろ?」
「ちっ、まぁな……」
にやけるな、夜中トイレに行けなくなったらどうしてくれる。
この話にはミリスの父親の商会も絡んでいて、シモンが仕入れた魚は領都でも売られることになるかもしれない。
結婚話のついでみたいなもんだ。
「エミールよ、『厚揚げのキノコあんかけ』をもて」
「あたしにも頼むよ」
「はいよ」
「キノコあんかけはチャーハンとか蒸した魚にかけてもおいしそうよね」
グーラと母さんの厚揚げを揚げながら、テルマの提案について考える。カレイのから揚げを甘酢あんかけにしてもいいな。
「秋だねぇ」
「シモン、来週はサンマを期待してるぜ」
「エミール、それは刺身か?」
「ビャクヤは刺身気に入るだろうな。なめろうにしてもいいし、煮物・揚げ物・炊き込みご飯もうまいが――」
「なんといってもサンマは塩焼きだよぉ! よろしく、シモンさん!」
「俺が釣ってるわけじゃねぇよ」
「サンマか、俺は押し寿司かパエリアがいいな」
「親父は自分で作れよ」
「『腹皮のから揚げ』ジューシーだね! しっかり味が付いてるからお酒に合うよぉ」
メルセデスもちゃっかり飲んでいて、すでに結構食べたので腹をさすっている。
そういや『大宮殿』の話はあれっきりだった。母さんが迷宮主で、対話に失敗したのは国王の出した料理がマズかったからだという、冗談のような話だった。
「『大宮殿』はメルセデスが討伐したんだろ? 母さんはどうして無事なんだ?」
「クレアさんが迷宮主だってことは、あの直前に聞いて驚いたけどね。ズルしちゃった」
「母さんを倒さなかったことか?」
「それだけじゃないよ。『大宮殿』の誰も死んでないの。迷宮をわたしのお腹に封印して、討伐したフリをしただけ」
「お腹……」
「だからおいしいものを食べると、お腹の迷宮が喜ぶんだよぉ」
「やっぱ腹に魔物を飼っていたか……」
元々討伐の依頼にやる気なしのメルセデスだったが、迷宮に敵対できないクレアに代わって暴走を防ぐことにした。
討伐というのは迷宮の中の『迷宮』を殺すことらしいが、実際は階層主ごと休眠状態になった迷宮がメルセデスの中に取り込まれているそうだ。わけわからん。
「メルセデスには世話かけるね。何もしてやったことはないけど、20年来の部下たちを死なせるのは忍びなかったのさ」
「迷宮の封印なんて、聞いたこともありませんわ……」
その騒動はメルセデスが冒険者を辞めるきっかけにもなった。だからロマンは以前、事情を知りたがっていたのだ。
迷宮を封印したのも誰かの能力のコピーなんだろう。メルセデスには『見た技をコピーする魔法』がある。
「ひょっとしてそれ、われの『喰う』権能かの?」
「そうそう、意外なところで役に立ったよぉ」
「コピー元は身近にいたな……」
「メルセデスが元々持っておった力は二つ、『記憶したことを再現する魔法』と『見たものを記憶する魔法』での」
厚揚げをつまんだグーラはリンゴ酒をくぴっとやった。
グーラとメルセデスは店を始める前からの知り合いらしいけど、お互いのことを話すのは初めてだ。
「17年前だったか、そう古いことではないの。迷宮をオープンさせる準備で王都におったわれは、この頃評判の店へ向かっておった――」
***
アントレ迷宮の準備とは何の関係も無いことだが、グーラが向かっていたのは金獅子亭、俺の実家だった。王宮料理人を辞めた親父が店を始めたのは丁度その年、俺が三歳の頃だ。
『む、噂通りの評判だの。しかして並んでまで食うべきか……』
『怪人劇場』で用を済ませたグーラは行列のできる宿屋を見つけ、並ぶか否か思案する。俺はまったく覚えてないけど、王宮料理人の店という話題性もあったんだろう。
すると後ろからキモノの袖を引っ張られるグーラ。振り向くと肉串を手にした、ピンクブロンドで無表情な幼女がいたそうだ。身なりは良いがお付きの一人もいないのを、グーラは不審に思った。
『迷子かの? われは王都の者ではない故、衛兵の詰め所までなら案内しようぞ』
『変な話し方』
『……』
『わたしはすぐ忘れちゃうから、忘れてもいいようにこれ持ってるの』
『手帳か……ふむ、メルセデスというのはぬしの名前だの?』
『だと思うよ?』
『住所と地図もあるではないか。ぬし一人ではあるまい、ここまではどうやって来たのだ?』
『豚……鶏……牛……馬車?』
『なぜ三大畜肉が先に出た!? ぬし、相当忘れっぽいようだの』
手帳には大人の字で、メルセデスが生まれつき記憶の続かない子どもであること、使用人が近くで探しているはずであること、地図の屋敷に送り届けてくれれば礼をすることが書かれていた。
あとはメルセデスの備忘録として自分と両親の名前や一般常識が子どもの字で書かれており、なにより表紙裏には、
《この子に危害を加えた者はシドニア家が必ず追い詰め生まれてきたことを泣いて謝るまで(以下略)》
という呪詛の言葉と、本物の呪詛がかかっていたそうだ。怖ぇよ。
『ふむ、貴族の娘か。近くに付き人は……お、あれかの?』
『あの人はダイキンがなくて困ってる人』
『ダイキン? 串焼き屋台……ぬし、無銭飲食したな?』
メルセデスは人の顔や固有名詞、ルールじみたことをランダムで忘れるようだった。この時は地図の見方と貨幣文化を忘れていた。
グーラは困っていた屋台の店主に金を払い、メルセデスを連れて金獅子亭の行列に並ぶことにした。
並んでいる間にメルセデスを探す従者が見つかるかもしれないからだ。
『とはいえ、並ぶ間というのは暇であるの……ぬしは何を熱心に描いておる?』
『グーラ。たぶん忘れちゃうから』
それは先ほどの手帳ではなく、スケッチブックだったそうだ。両親から近所の猫まで、忘れたくないもののイラストを描いているようだ。
メルセデスのお絵描き好きの原点だろう。
『なかなか上手いではないか』
『その服変。描きにくい』
『そこはの……こうなっておる。絵の描き方は忘れぬのか?』
『いつも描いてたら、忘れなくなった。覚えても忘れちゃうから、覚えなくていいようにお絵描きするの』
『“身体が覚える”のも記憶ぞ。ぬし、もっといろんなことを覚えたくはないか?』
『わかんない……馬に乗りたいけど、次の日には忘れちゃうかも』
『ぬしにささいな力を授けようぞ。束の間であっても覚えることに意味を見出せよう――』
グーラはメルセデスの素質から『記憶したことを再現する魔法』を見つけ、『アンロック』したそうだ。
メルセデスに覚える意欲を持たせるため、だけではない。
「お絵描きは忘れないようだったからの。身に付いたことは忘れないかと思ったのだ。それがまさか、あんなことになるとはのぅ……」
二年後に再会したメルセデスは『見たものを記憶する魔法』を手に入れ、記憶障害を克服していた。
それどころではなく、『記憶したことを再現する魔法』と合わせると『見るだけで技をコピーする』という、とんでもな幼女になっていたわけだ。
「こやつ、われを見るや襲いかかりおった。殺されるところであったわ」
「ごめんねぇ、最初にグーラちゃんに会ったこと、忘れちゃってたんだよぉ」
「メルセデスは初対面だと襲いかかる子どもだったのですか……?」
「あの頃は技を覚えるのが楽しくって。強そうな人を襲えば、技を見られると思ってたんだよぉ。子どもって残酷だよねぇ」
「それまでを考えると、覚えるのが楽しくなった気持ちはわかります……」
「そうか、われの『喰う』権能はあの時……」
そういやどうやって迷宮を封印したかって話だったな。三大畜肉の辺りから忘れてたわ。
襲われた後もグーラは結局、メルセデスを飯食いに連れて行ったらしい。お人好しすぎる。
「しかし『見たものを記憶する魔法』か。われが素質を見た時、そんなものはなかったの。どこで手に入れた……いや、覚えておらぬか」
「二つ目の魔法をもらう前のことは、ほとんど覚えてないんだよねぇ。心当たりはあるんだけど」
それでも5歳でグーラに会ってから、そう日を置かずのことだったそうだ。以降の記憶が克明に残っているから間違いないらしい。
俺は十年以上前の記憶なんて歯抜けもいいところだけど、グーラもメルセデスもよく覚えてるな。
メルセデスは自分のグラスに氷を足した。
悪意あるものを寄せ付けないはずの店の引き戸がバキバキに割れ、そいつが入ってきたのは、その時だった。
犬の形をした黒い影たちと、それを率いる軍服を着た貴族のおっさん。王都で最も有名な外国人。俺も絵姿は見たことがある国王の側近、迷宮統制参謀。それは。
「元気にしていたかい、愛しい我が娘! パパだよっ!」
メルセデスの父、シドニア卿だった。