大根のクリームシチュー
「バレたかい。まぁそりゃあ、あたしが『大宮殿の迷宮主』だからじゃないかねぇ」
母さんはそう言うと豚しゃぶを山椒ダレで食べ、泡盛のロックを飲んだ。その組み合わせ合いそうだな。
いやいやいや。あんた小さな宿の大きな女将だろ。
「もう21年になるかね。お腹にあんたがいて、冒険者を辞めようかって頃のことさ。ソレイユは発見されたばかりの迷宮『大宮殿』攻略に挑戦した」
「おい、身重でなにやってんだ」
「ちょっと運動した方が元気な子が生まれるんだよ」
「ハハハッ、あの時は止める間もなかったぜ」
止めろよ父親。
母さんの持論の真偽はともかく、迷宮主を名乗るのは冗談にしちゃたちが悪い。
「大宮殿は元々『魔王』と名乗る迷宮主がおったはずだがの? 王都内の迷宮と違い、われも交流はなかったが」
「ああ、いたよ。あたしが倒してからは迷宮主代行になったけどね」
代官やギルド長としても聞き流せない話なので、みな酒やお茶を手に母さんの話を聞いた。
大宮殿という迷宮は政治の中枢や社交界にありそうな武器を持たない戦いがテーマらしい。階層主の多くはデーモン系の亜神で、最深部では『魔王』を頂点に常時舞踏会が開かれているそうだ。
「どうして迷宮にテーマが必要なんだ?」
「王都は迷宮が多いからの。特色を持った方が冒険者が集まるのであろ」
「アントレ迷宮のテーマは何?」
「……ユーザーフレンドリーかの?」
当時最有力パーティーの一つだった母さんたち太陽は大宮殿の最深部まで到達し、そこで壊滅したそうだ。
***
迷宮内とは思えない煌びやかなホールに高そうな料理と酒が並ぶ。盛装した男女は視線を交わし、談笑し、踊る。ホールは広く、どこまでも続いているように見えるのは幻術か。
なお男女と言ってもみなデーモン。角や羽を持つ者、山羊のような頭部の者、白塗りのメイクに尖った王冠を被る者など異形の集まりで、よく見ると楽団員もだ。
『よくぞここまでたどり着いた人間たちよ。私が魔王だ』
最深部に踏み込んだ母さんたち声を掛けたのは長髪の紳士だった。恵まれた体格や黒ずくめの服装、頭部に角が見えること以外、奇をてらったところもない。
あ、王冠かぶってるのは魔王じゃないんだな。
『今宵、貴殿らに社交界デビューを許す。存分に親交を深め望みを叶えるがいい』
というのもこの迷宮、舞踏会での活躍に応じて攻略報酬をもらえるそうだ。料理は実際に食べられるし寝室もある。命を奪われることもない。冒険者にとってかなり実入りのいい迷宮で、国王が対話を急いだのも頷ける。
魔王は去り、他のデーモンたちは母さんたちをいない者のように振る舞っている。恐らくこちらから接触した時点で舞踏会に参加したとみなされるのだ。
では舞踏会で活躍するとはどういうことか。パーティーメンバーは当然冒険者だ。キレッキレのダンスができる者などいないし、いきなり踊り出すのを活躍とは言わないだろう。
こういう初見での攻略方法を探るのが盗賊の役割だ。
『こんばんは、皆さん毎晩こちらで? 僕は王都の方から来ました、シーバスといいます』
身軽な装備の彼はテーブルで談笑するデーモンたちの輪に笑顔で入り込む。もちろん偽名で、後ろ手に短剣を手放さない。
『あら、新しい人なんて珍しいわ! 乾杯をしましょう、お飲み物何になさるの? あなた、給仕を呼んで下さらない?』
『ああ、もちろんだ。君、彼に飲み物を』
『かしこまりました。何をお持ちいたしますか?』
『じゃあ、エールを頼むよ』
『『『エール!?』』』
『!?』
『……申し訳ございません、エールのようなものはご用意がございません。ワインなどいかがでしょうか』
『あー……じゃあワインを』
『どのようなワインになさいますか?』
『えっ!? ああ、赤ワインがいいな』
『赤ワインですと200銘柄置いてございます。どれになさいますか?』
『銘柄!? あ、赤ワインなら、なんでもいいよっ』
居酒屋の俺が言うのもなんだが、エールは庶民の酒、というか改まった場では出てこない酒だ。お上品に飲むもんじゃないし口の周りに泡が付くからじゃないかと思う。
ワインの銘柄を選べないのも庶民の店だけだ。高級店に行くとワインリストを見せられるが、味の説明もないのに選べるものじゃない。
ミード辺りにしておくのが無難だろう。
社交とは上流階級のものであり、迷宮だからといって庶民に配慮する謂われはないのだ。
あれ、結構ムカつく迷宮だな、ここ!?
あたふたする盗賊に追い打ちをかけたのはデーモンたちのクスクス笑いだった。
彼らは親切で給仕を呼んだのではなく、盗賊の彼が困ることを見越して楽しんでいたのだ。
『エールなんて』『お育ちが……』『“赤ワイン”なんて銘柄はないな』とささやき合う声も聞こえる。
「鼻持ちならねぇ。さっさと討伐した話にいかねぇか?」
「まぁ待ちな。あいつらはそれが仕事だし、ほとんどが幻影だったよ。それにこの話には続きがある」
道中で倒した階層主たちも無傷で参加していたので気付いたそうだが、ホールで生身なのは魔王を含め10体ほどだったそうだ。
形勢不利とみた盗賊が『用事を思い出した』と背中を見せると、最初に声を掛けた女デーモンが言った。
『残念だわ王都のシーバス様。私たちもっとあなたのことが知りたかったのに』
『そうよねぇ、特にお仲間にも秘密にしているアイテムバッグの中身が気になるわぁ』
『君は斥候に出て見つけた財宝を独り占めしてるんだろ? どのくらい儲かるのか興味深いよ』
『んなっ、わけねぇだろ!? 証拠もないのに適当な……皆だまされるな、これはデーモンの精神攻撃だっ!』
『はい、証拠』
女が取り出した記録魔導具から、大宮殿探索中に先行する盗賊の姿が浮かび上がる。決定的だった。
『皆、すまな――』
そして青ざめた顔のまま、盗賊の姿は消えた。
入り口の前に転移させられただけだと後でわかったが、残されたメンバーはこの迷宮の恐ろしさに戦慄する。
魔王の攻撃とは即ち、『スキャンダルによる失脚』だったのだ。まさに社交界の魑魅魍魎に相応しい所行じゃないか。
次に挑戦した神官の女、カリラ(偽名)は飲み物オーダーこそ『あちらの方と同じものを』で乗り切ったが。
『あなた、こういうのが好きなの?』
『趣味は自由だけど、仕事にまで持ってきて何に使うのかしら?』
『男として言わせてもらうと、これは完全にファンタジーだね』
アイテムバッグにしまっていたはずの、男同士の深い情愛を描いた本を奪われ、返してと泣きながら懇願し姿を消した。
次は前衛のジャック(偽名)と魔術師ダニエル(偽名)が二人で組んで、料理を選んでいる若い女に声を掛けた。
ジャックは野営中につまみ食いをしてダニエルになすりつけたこと、ダニエルはジャックの好みの女を見つけるたびデートに誘っていることを暴露され、罵りあいながら姿を消した。
残るは母さんとマゼンタだ。
マゼンタは実体と目星を付けた一人の首を取った。すると幻影がいくらか減る。続いて二人、三人とアサシンらしく静かに始末していき、最後の魔王には母さんと二人で対峙する。
三人だけになったホールに魔王の声が響いた。
『なるほど、声を掛けなければ参加したと見なされず先制攻撃が可能だ。報酬を諦めて制圧する手もあるな。しかし私は参加者以外の秘密も暴露できるが、どうするかね? 特にそこのエルフは隠し事が多そうだ』
『ギブアップ』
『おいマゼンタ!?』
すぐさまマゼンタが姿を消した。
母さんと魔王、一対一だ。
剣士だったという母さんが大剣を構え直す。女将よりよっぽど似合いそうだな。
「あたしはあいつらのスキャンダルなんて、どれも大したことじゃないと思ったけどね」
「本人が一番気にしているのですわ。悪人ではないのですから罪悪感がありますの」
「貴族的に煽りに来たのは、先に自罰的な気分にさせる仕込みなのでしょう。まさしく魔王ですね」
そういやロマンと聖女は最深部に入れなかったとか言ってたな。
そして母さんと魔王の激闘が始まった……と思いきや。
『なるほど。貴殿には隠すような恥が無いな。現状に満足し思ったことは口に出す、そんな無欲でよくぞ冒険者として上り詰めたものだ』
『もうすぐガキを産むんでね。母親として恥ずかしくないよう気を付けてるのさ。だからって仲間の痛くもない腹を暴いた、あんたのやり方は気に入らないよ。これでも頭にきてるんだ、覚悟しな!』
啖呵を切って振り下ろした大剣は魔王の身体を両断し、母さんは呆気なく勝利した。
手応えのなさに戸惑いつつも、霧散する魔王を見下ろしていると知らない声が耳に届く。
『クーデターが成立しました。あなたは新しい迷宮主です。継続意志のない人員は速やかに迷宮から退去します。継続意志のある階層主は新たな迷宮主の元に参集します』
グーラによると、迷宮主を倒せば次の迷宮主になるという仕組みは一般的じゃないらしい。
大宮殿はテーマ上、階層主にも身分が割り振られており、頂点たる『王』を殺せば『政変』が起きるルールなのだろう、と推察していた。
三十秒ほどで母さんの前に階層主たちがひれ伏した。倒したばかりの魔王も臣下としてそこにいる。それを見た母さんは気付いた。
『てめぇ、あたしを嵌めたな?』
『迷宮主になってしまえば死ぬまで交代できません。迷宮の力といえど人の身で蘇生できるかはわからない。貴女は迷宮主であるというスキャンダルから、我が身とお腹の子を守らねばならない。これが私にできる唯一の攻撃です』
***
「ってわけで、魔王を迷宮主代行に任命したあたしは迷宮と一切関わらないことにした。パーティーは暴露の件でギクシャクして解散したし、そうでなくてもあたしはもう引退するつもりだったがね」
「それで二十年間、秘密を守ってきたわけか……」
「でなきゃ国王が『大宮殿』と対話する時、ただじゃ済まなかっただろうね。あ、最深部には一人ずつしか入れないようにはしたよ。そうすりゃ一人で恥かいて入り口に戻るだけだからね」
「あのルールにはそういう訳があったのですわね」
冒険者を引退した母さんはその翌年に俺を産んだ。王宮料理人を辞めた親父が金獅子亭を始めたのは俺が三歳の頃らしい。
メルセデスたちと知り合うの頃には金獅子亭も老舗になっていて、俺は十六歳だったそうだ。
「いやおかしいぞ。エミールの母ちゃんはどうして迷宮の外に出られたんだ? 迷宮主とその眷属は迷宮から出られないはずだぞ」
「迷宮の『迷宮』と交渉したのであろ」
「ミーナの『ミーナ』と○交渉する……なんか卑猥――痛っ!」
カガチの疑問に答えたのはグーラだった。
下ネタを吐いてエヴァに叩かれたのは酔っ払ったメリッサだ。意味深に○を付け足せば明確に卑猥だろ。今、代官たちもいるからね?
「迷宮の『迷宮』ってのはあの『クーデターが~』っていう、あたしにしか聞こえない声の主だね。『あたしを解放しないと廃兵院の傘下に下る』って脅してやったのさ」
「『廃兵院』、嫌われておるのぅ」
『廃兵院』ってのは王都内の迷宮の一つで、迷宮主以下クセが強くて話が通じないらしい。
魔王でも相当だと思うけど、アントレは平和だな。
いや待て、『大宮殿』ってのは二年近く前に暴走しかけてメルセデスが討伐したはずだ。その責任者が母さんで国王に追われてアントレにいるってことは……全然平和じゃねぇな!
「クレアが迷宮主なら国王との対話も簡単に済んだはずですわ。どうして暴走寸前になりましたの?」
ロマンの言葉に責める気持ちがにじんでいた。あいつらのパーティーが解散するきっかけになったらしいから、仕方ないだろう。
「あたしが迷宮主だと知れたら、攻略の時にそうなったなんて、いずれわかるだろ? そうすると、こいつは『迷宮主が産んだ子』ってことになるのさ。王宮がこいつに何するかわかったもんじゃない」
「え、俺?」
「確かに、人間が迷宮主になるなんて前代未聞です。その子どもが迷宮に対し影響力を持っているのでは、と考えるのは自然なことでしょう」
「いやいやギルド長、俺は普通の人間ですよ。ろくな魔法の才能もありませんって」
「現に君はアントレ迷宮の関係者に、こんなにも気に入られているじゃないか」
「それは……」
代官にまで言われて、俺は皆の俺を見る目が少し怖くなった。
母さんが人間の迷宮主だとしても、迷宮主から生まれた俺は人間じゃないんだろうか? 迷宮の奴らと仲良くなれたのはそのせいなんだろうか?
「ほっほっほ。エミールさんは人間でしょうとも。代官様が仰るのは、クレア殿のことを知った国王陛下ならそう結びつける、ということですな?」
「われらはエミールの飯に釣られておるだけぞ」
「そんなこと知られる前から、エミール君は『迷宮主のお気に入り』として界隈でマークされてるぞ」
司祭の爺さんの言葉に代官も頷いたのを見て、ホッとする。
あと界隈って何、カガチ?
「だからクレアさんたちはエミール君を、わたしのお店に寄越してくれたんだよね?」
「アントレなら王都から遠く、お姉さまもいるから安全ということですわね。納得しましたわ」
「俺そんな大層な理由でこの店に来たの?」
「そういうことさ。あと対話に失敗したのは国王側が出した料理がマズすぎたせいだ。あたしが何をしても防げなかったよ」
「はぁっ!?」
今日は俺、何度も叫んでるな。
飯が不味くて対話がこじれるって子どもか……いや、お堅い席ほどうまいもの出すわけで、当然なのか?
皆もこれはまた事情を、という目になったところで、親父が料理を持ってきた。
「シチューなんていつの間に作ったんだよ?」
「暇だったからな。『大根のクリームシチュー』だ、これ食ったら店じまいな。もういい時間だろ」
と言っても零時を回ったくらいだが、そういえば俺、一週間さらわれて帰ったばかりだ。親父たちもアントレまで逃亡してきて疲れているだろう。
代官たちもすまなそうにしている。
外に溢れていたお客は寒くなる前に帰っていて、店内にはほぼ関係者しかいない。実はメリッサたちもとっくに帰ったと思っていた。
「疲れているところ長居してしまったな。しかし、このシチューは……」
「親父、メシマズの話が出た途端こんなもの作らなくてもいいだろ」
「いいから食ってみろって」
大根の他ににんじんとたまねぎ、ベーコンも入っている。普通のクリームシチューの芋を大根に置き換えたようなものだ。
芋ならあるから素直に使えばいいのに、と思いつつ一口。
「あ、これおいひぃね、エミール君」
「お腹が温まって心が安らぐ味ですわ」
「大根がとろけてうまいし、芋より食いやすいな……ゲテモノじゃなかったか」
「カブだってシチューにするんだぜ? うまいに決まってんだろ」
***
閉店して掃除と洗い物を済ませた。両親がいるとさすがに早い。
寝る前に気になったことを親父に尋ねる。
「その対話の料理、親父ならうまくやれたか?」
「……だろうな。実際騒ぎの中で俺にも強引な依頼が来て、仕方なく作ったぜ」
「そうなのか!?」
怒らせた階層主たちを宥めるため、親父が招聘されていたってことだ。全然知らなかった。
それでもダメだったってことは、ただの不味い料理ってわけじゃないな……。
「『大宮殿』のモチーフは舞踏会だ。その料理といえばなんだ?」
「……宮廷料理だろ? そんなものを毎日食ってる奴らが喜ぶ料理か」
「難しくないぞ。宮廷料理ってのは言ってみれば魔物肉中心の料理だ。あれは食べる者の想像を超えないから、いずれ飽きる」
「そうか、本来毎日食うものじゃないな。でも宮廷料理なら使うんだろ? 権勢を示すとかなんとかで」
「そうだ。俺が王宮で作ってた時はわざとメインから魔物肉を外したりしてたけどな。でだ。そこんとこわかってる国王は対話で目新しい料理を出そうとした」
「だけど口に合わなかったってことか? 何を出したんだよ?」
妖精のゲロ米が頭をよぎった。あれは普通に米だったけど。
「俺はこじれた後で料理を作らされただけだから見てないが、向こうの階層主たちは呪いで味を感じなくなっていたそうだ」
この辺は本来口外できない話なんだろう、親父は声を一段と低くした。
呪いだったら親父より聖女の出番じゃないか?
「それこそグーラの嬢ちゃんにでも聞けよ。ありゃ国王の周りに厄介な奴がいるな」
「味がわからないってのは、すげぇストレスなんだな。それを見越してわざと王様を失敗させた奴か」
「そういうことだ。今の王様になってから王宮の人間も入れ替わったが……いいか、エミール。メルセデスの父親には気を付けておけ」
「……!」
俺は後日知ったことだが、その翌朝。王都では、見事な開脚状態で王宮の神樹に吊された国王が無傷で発見された。俺は犯人に心当たりがある。