魔物肉のステーキ
本編再開です。
花の月も中ごろに入ろうかという月曜日。
迷宮の真正面に店を構える『居酒屋 迷い猫』も開店から二月以上がすぎた。いまだ訪れる人間はおらず、代わりに人ならざる者が足しげく通ってくる、おかしな店だ。俺の料理は喜んでもらえているのだが、料理人冥利に尽きるのか尽きないのか正直よくわからない。
変わったことと言えば、テルマがウンディーネと座敷童とかいう部下を店に連れてきたことだろう。やっぱり俺には竜も魔物も精霊も区別がつかなかったが。
その二人もたまに店に来てくれるようになったが、いつもテルマや他の面々をこそっと見ては、テイクアウトして帰っていく。まぁ上司や上役がいると落ち着かないのだろう。
「春野菜とベーコンのあつあつピザ、罪深い味であった。たまにはエールをたらふく飲むものよいの。ごちそうさまであった!」
「ありがとうございました! またお待ちしてますっ」
「ありがとうございましたぁ。グーラちゃんまたね~」
戸口で最後の客、グーラを見送る。
その時、戸の開いた隙間から何かが入り込んだ気がした。一度は背を向けたグーラがその何かに気付いたように振り返る。
「む? 小僧、避けるがよいっ!」
「「!?」」
俺は何かに包まれ、床が抜けて落ちていくような感覚の中、意識を失った。
***
「ん……痛……くはないな。どこだっけ……ここ?」
仰向けで寝ていたらしく、まぶしさに目を覚ました。体を起こすと少しふらつくが異常はない。ハーブやスパイスの匂いと鳥の声、地面が柔らかい。
森だ。森スタートだ。見渡す限りの森の中だ!
ここはその中の開けた場所、森の広場的な場所のようだ。うちの店より広いくらいで、いくつかの切り株のほかは中央に一本、大木がそそり立つだけだった。
いるのは俺一人のようだ。
俺は目についた切り株から野菜の詰まった籠をどかして腰掛ける。目を細めて周囲を見るが、木々の隙間から森の切れ目は見通せない。つまり出口も現在位置もわからない。
これ遭難ってやつだよなぁ……そもそも俺、どうやってここまで来たんだっけ?
記憶がぼやけているが、ちょっと落ち着こう。
俺は目頭を揉んで、正面の大木と向き合った。相当な古木らしく、太く捻じられた縄が巻かれた幹には大きな洞ができていた。中には白いローブを巻いた小さな女の子が、眠そうな目で薬研の手を動かしている。髪も眼も緑色をした、不思議な少女だ。
それにしても、立派な木だなぁ……。
「……迷宮地下二層『鎮守の森』へようこそ、なの」
「!?」
「《認識阻害》してたの忘れてたの」
目の前に人がいたのに、いると思わなかった。すげーびっくりしたけど、この子も人間じゃないんだなぁ。
よく見ると手足は先の方が樹皮に覆われているし、足からは根が張っている。いつか聞いたドライアドって魔物がそんな感じだったかなぁ。そっか、やっぱりここは迷宮だったか。毎日グーラたちの相手してるから、知らずに慣れてたなぁ。
あれ、さっき俺がどかした籠、野菜が入ってる。あっちの切り株の上には卵や肉もあるな。それにこの匂い。この子はスパイスを挽いているんだ。なんか厨房っぽい雰囲気だな、森だけど。
これはなるほど。
「――どういう状況だ?」
何もわからなかった。
「キノミヤはここの階層主『世界樹』キノミヤなの」
「おう、俺はエミール、料理人だ」
「知ってるの」
「………………」
「………………」
ガリガリガリ。チュンチュンチュン。
ガリガリガリ。チュッピーチュッピーチュッピー。
スパイスを挽く音と鳥の声が森に響いた。いい天気だ。
「……明るいけど、今何時かわかる?」
「昼間の……深夜0時なの」
もうやだっ、わけわかんないっ!
あ、でもグーラが帰ってから1時間と経ってないな。迷宮は異界だっていうけど、外が夜中とか関係ないんだろうな。地下なのに空が見えるし。
あ、なんか思い出してきたぞ、グーラを見送りに出た時にぐらっとなって気付いたらここにいたんだ。うん、わけわからん。
キノミヤと名乗る少女は、薬研の手を止めずに再度口を開いた。
「エミール、キノミヤが連れてきたの」
「だろうな」
「………………」
「………………」
ガリガリガリ。チュンチュンチュン。
ガリガリガリ。チュッピーチュッピーチュッピー。
スパイスを挽く音と鳥の声が森に響いた。喉乾いたな。
「………………」
「………………」
「すんませんしたぁっっ!!」
「!?」
意趣返しとかおっさねー、と反省したのと沈黙に耐えきれなかった。
俺の負けだから謝ったけど、驚かせたようだ。
「わりぃわりぃ。で、俺になんか用かい? 冒険者じゃないし料理くらいしかできねぇけどな。このミルクちょっともらうぜ?」
俺はその辺にあった壺とコップを手に取り、勝手にミルクをもらった。
ごくり。
うまっ、何これ、ぬるいのにうまっ! コク、香り、後味、どれも極上だ。アイスクリームにしてぇ! グラタン作りてぇ! 生クリームに加工しなくても使えそうじゃねぇか。
キノミヤを見ると薬研の手を止め、何か欲しそうにしていたのでもう一つ注ぐ。
しゅるしゅると蔦のようにキノミヤの指先が伸び、木製のコップをさらっていった。キノミヤはそれをこくりと飲む。
「黙示録の羊の乳なの」
子どもでも知ってる崩壊級の魔物じゃねーかっっ!! ひょっとしてそこの肉とかチーズとかも……。
「肉は森の魔物からもらったの。チーズとかカガチが作ったの」
「カガチ? てか森の魔物なのかよ黙示録!?」
「カガチは七層の主なの。キノミヤと仲いいの」
まぁ黙示録はいいや。なんかグーラの方が強そうだし。
カガチってのは七層の階層主なのかな? 迷宮のことは五層と六層のことしか聞いてない。極上の魔物乳からチーズを作れる階層主というのは、興味あるんだけど。
「じゃあ野菜とかスパイスもひょっとして……」
「それはその辺に生えてたの」
「…………」
***
「魔物肉エミールにあげるの」
キノミヤがそう言うと、腐葉土に覆われた地面がこぽこぽと沸き出した。
「おおぅ!?」
苔むした岩が顔を出したかと思えば石かまどに。蔦はひとりでに絡まり合い、上から垂れた一本から水が出る。流し台だ。調理台に鍋や包丁も揃っている。
俺を囲むように厨房が現れた。
「魔物肉でお料理作るの」
キノミヤにそう言われ、俺は切り株に置かれた魔物肉を前にして唸る。
やけに大きなもも肉だが、付いてる蹄の形からすると鹿肉だ。牛や鹿のもも肉というのは赤身で、肉の味が濃くてうまい。ジューシーに火入れできるかが料理人の腕の見せ所だ。だがこれは、
「どうしてこう、きれいにサシが入ってるかね……」
「背中にキノコ生えた鹿だったの」
そういう魔物がいるのか。なんか怖いな。
俺はその怪しげなもも肉から厚めに2枚切り出した。かまどにフライパンを乗せて火を付けようと道具を探すと、薪も無いのにひとりでに点火する。かまどの火の中には真っ赤に赤熱するトカゲが無言でうずくまっていた。
「火精なの。火加減できて火事にならないの」
「森が火事になったら大変だもんなぁ……じゃ強火で頼むわ」
何が何やら。
熱くなったフライパンにバターを落とし、軽く塩を振った肉を焼く。焼き目が付いたら裏返し、蓋を被せた。サラマンダー氏に声を掛ける。
「よし、弱火にしてくれ」
さらに5分ほど待って火を止めてもらい、木皿に移した。ひとつはキノミヤに作ったつもりだったが、
「その味は知ってるの」
と首を横に振るので、火の番をしてくれたサラマンダー氏に進呈する。鼻先に皿を置くとぺろりと食べた。
俺も一切れ、口に入れる。
断面から溢れるほどの肉汁が口の中で弾けた。柔らかくてうまみが強い。塩気もちょうどよく、臭みはまったくない。
「ほんとにうまくなってる。やっぱ、そうなんだな……」
魔物肉がうまいのは料理人の常識だ。希少さから高級店でしか味わえないし、他にも決まった供給先があるようで金を出せば買えるという食材ではない。
俺の親父によると、そのうまさの秘密は血だ。魔物肉は血抜き処理をしない。その血は調理の意図を汲み取ったかのように変化する。赤身に程よい脂を与え、臭みを除き、うまみ成分と化す。調理の不足を補うように味を変化させ、調和させてしまう。
そも料理のうまさとは。それは味の調和・うまみ・香り・歯触り喉ごしのような食感・温度である――と高級店のシェフなら言うだろう。まぁ食うや食わずな状況とかでなければそうだ。料理人の味覚や手際というのはそのためにあるのだし。
ところが魔物肉はそのほとんどを自ら変化して実現してしまう。味だけじゃない。血抜きが不要なうえに、すじは強靭すぎて引っ張るときれいに引っこ抜ける。さしの入った見るからにうまそうな部位が潤沢にあり、処理の難しい内臓や火入れの難しい赤身などに挑戦する必要が無い。
料理人なら垂涎の素晴らしい食材だ。だがそれゆえに。
「せっかくだけど俺、魔物肉はまだ扱えねぇんだ。料理が下手になるって親父に禁止されててさ」
そんな万能食材があるなんて、正直信じていなかったんだが。
実際この肉を焼いた時、俺はいくつも手を抜いた。肉叩きもすじの確認もせず、塩は擦り込まず振っただけ。脂の多い肉なのにバターを加え強火で始めたので、普通の肉ならところどころ揚げ焼きになり、風味と食感が落ちるはずだった。香辛料も豊富にあったのに使わなかった。
なのにこの肉は不足なく上質なステーキに焼きあがった。
どう料理してもうまい。ならばその料理は本当に料理だろうか? その味は自分で決めたものだと確信できるか? 手順や調味料を変えても同じような味ができるんじゃないか?
こいつは確かに料理の腕が落ちるな。いや、これを使っても腕が落ちない、自分の味を押し通せるってのが一流の料理人か。
「冒険者は喜んでお料理するの。失敗してもおいしいの」
なるほど、探索中に手をかけずこんなうまいものが食えるなら、冒険者ってのも悪くない仕事だ。
そういえば冒険者には料理上手がいないと聞いたことがある。野営の多い仕事なのに不思議だったが、そういうことか。
案外メルセデスも魔物ばっかり調理してたりしてな。いや、まさかだけど。
「俺は冒険者じゃなくて料理人だって言ったろ?」
「合格なの。エミールに作ってほしいお料理があるの」
魔物じゃない鹿肉は処理の良くない場合があるので、シチューやカレーが無難ですね。
肥育されたものも売っているようです(作者は使ったことないです)。
あと特売の牛肉にいろいろ手をかけて上手に焼けた時の達成感が好きです。
次回はドライカレー。
メルセデス:「魔物肉って調理難しいね?」
エミール:「消し炭!?」