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PTを追放されたので勇者に嫌がらせすることにした

作者: 朱鷺羽

「貴様とはここでお別れだ」


 要約してとてもマイルドな口調に変換すると、大体そんな意味の言葉を告げられた。


「おいおい、ずいぶん急な話だな、アデル。そんなに急にどうした──」

「貴様は足手まといだ」


 俺の言葉を遮って、目の前の人物は言う。

 俺の目の前には、勇者アデルがいた。

 俺よりも背が低く、だが俺より闘いが上手く、俺よりも強い勇者。

 逆立ちしたって、俺では、アデルにはかすり傷一つつけられないだろう。

 そんなヤツだ。


「そんなにイライラするなよ。悲しくなるぜ」

「自分でもわかっているだろう? ここから先の闘いは、貴様ではついてこれない」


 アデルの言うように、確かに俺は魔法を使えないし、闘えもしない。ここから先どれほどの力になれるだろうか。


 いま、俺たちがいるのは、死の山脈の超えた平原だ。

 死の山脈とは、魔王が支配する魔界の最奥であり、ここから先には、あとは魔王の居住だけがある。


「ハッキリ言ってやろう、口が上手いだけの貴様では、ここから先に行っても死ぬだけだ。お前の役目はここまでだ」

「冷たいことを言うねぇ。俺と君の仲だろ、もっと気楽にいこうぜ」


 アデルの目は冷たく、俺をじっと見ていた。

 こんな魔界の最奥で、はいさよならと言われたところで、俺一人ではとても無事に帰れるものではない。

 しかしながら、他のパーティーメンバーもアデルの意見に賛成なのだろうか、誰も口を挟まない。

 俺は剣を振れないし、魔法を詠唱できないし、他者を癒せない。

出来ることと言えば口を動かして他人を扇動することぐらい。

 そんな俺が、このままアデルについていくのと、ここで引き返すのと、どっちが生き残る可能性が高いだろうか。


 少し考えてみた。


「まぁ、でも、君がそう言うなら仕方ない、君の言葉には従うよ。そうして欲しいんだろ、アデル。まあしかたないね」


 だから、俺は頷いた。

 しかし、その肯定に、アデルはギリっと、奥歯をかみ砕きそうなほどに顔を歪めた。


「貴様と言う男は……!」


 アデルは何か言おうとして、結局何も言わなかった。

 他のみんなも、誰も何も言わない。

 獣人で武闘家のダウン、王国の騎士のノーマン、今はいない魔女のエデン。


 たった五人の勇者一行。

 俺は、まあオマケみたいなものだね。


 俺たちの旅は、魔王を殺すための旅だ。

 女神ハーラがおわす王国と、魔王が支配する魔界にある王国は古くから争い続けてきた。

 俺たち勇者一行は、魔界におもむき、かの地を支配する魔王を殺さなければならない。

 それが神託を受けた者の使命だからだ。


 死の山脈を抜けた眼前では、もう、魔王の居城がそびえたっているのがハッキリと見える。

 確かに、潮時なのかも知れない。


「それじゃあこれでサヨナラだね、アデル」

「……これで貴様の顔を見なくなると思うと、清々する」

「そうかい? 俺は、君のこと好きだったんだけど」


 アデルに対して、俺は笑った。


「貴様の……そういう物言いが私は大嫌いだ! アルルカン!」

 笑った俺に、顔を紅潮させて、アデルが切れた。


「いつもいつもヘラヘラヘラヘラと笑って! なぜ黙って従う! 貴様は何を考えてるかサッパリだ! だから私は貴様が嫌いなんだよ!」

「これでも結構内心、葛藤していたんだぜ?」

「心にもないことを……! そう言うところがいちいち癇にさわる!」

「ハハ、悪かったよ」


 鋭い。


「ふん、まぁいい。では、さらばだ」

「キミも、達者でね」

「さみしくなるねぇ」

「くだらんな」


 ところで、アデルが続けた。

「私は貴様を信じていない」


 一瞬だった。


「ガッ」


 容赦のない衝撃が俺を襲った。


「勝手に周りをウロチョロされても目障りだ。しばらく寝ているがいい」


 勇者アデルは───彼女は、そう言って俺に最後の別れを告げた。

 俺よりも背が低く、だが俺より闘いが上手く、俺よりも強い勇者。

 けれど、どこまでも孤独で誰からも理解されない勇者様。

 氷のように透き通った瞳も、雪のように白い肌も、蒼穹のように澄んだ髪も、彼女の内側からあふれる燃えるような意思には負ける。


 彼女ならきっと上手くやるだろう。

 使命を果たせるだろう。

 魔王を、その手で殺せる。

 それは疑いようのないことだ。


 そうして俺は意識を失った。


 ◇ ◇ ◇


 魔王は性根が腐っているので、いつだって宣戦布告もなしの奇襲をしかけてきた。

 それを可能にしているのが、ドラゴンの使役である。


 魔王が従える八頭の竜。

 そいつらを使い、空を飛び死の山脈を超え、大量の軍隊を人知れず王国へ送り込む。

 人類に空を飛ぶ手段はなく、制空権は完全に魔王のものだった。

 ゲリラ的に各地が襲撃され、王国は常に後手に回っていた。


 人は疲弊し土地も痩せこけ、それでも人間同士での争いも絶えなかった。

 希望なんてどこにもなかった。


 そう、1年前までは。


 転機となったのは勇者アデルの出現だ。

 幼いころに故郷を滅ぼされた彼女は10年の時を耐えた。


 力をつけ、アデルは聖剣を手に入れた。


 そして、八頭いた魔竜のうち六頭までを殺しつくした。

 それから、女神の神託がくだった。

 いまや、彼女に比肩する存在など、この国にはいないだろう。


 まったくもって、つまらない話だ。


 ◇ ◇ ◇

 

「オイ、アルルカン。しっかりしろよ」


 俺を呼ぶ声がして、俺は目を覚ました。

 そのころには、すでに太陽が山脈の向こうに沈もうとしていた。

 目の前の地面には、一本の剣が突き刺さり、守りの陣を築いていた。

 他の四人の姿はない。

 考えるまでもなく、目の前にある魔王の居住に向かったのだろう。


「オイ、アルルカン、ついに勇者サマにおいてかれタナ」

 俺を起こしたソイツは俺の肩にとまると、キーキー煩い声でわめき始めた。


「慰めてくれてもいいんだぜ、シェリー」

「ザマーねーナ」

「傷心の俺にずいぶんな挨拶だな」

「ハハハ、オレはいつかこうなると思ってたゼ」


 肩にとまったのは黒鳥だった。

 黒鳥の名前はシェリー。

 その昔、市場で行商人が売っていた喋る鳥で、喋る以外には能のない鳥だ。


「ひどい話だと思わないか」

「アンタみてえなのは、捨てられてとうぜんダナ」

「ご主人様に向かってひどい言い草だ。まるで俺が能無しみたいな言い方じゃないか」

「アンタ、1人じゃなにもできないダロ」

「あ、そう。口の減らない鳥だ」


「長生きしてりゃ自然と口が回るようになるもんダ」

「お前、そんなに生きてないでしょ」

「ケケ。デ、どーするんだ?」

「そうだな。しかたがないから、故郷へでも帰ろうか」

「アンタの故郷はもうないダロ」

「そう、残念なことにね」


 俺の故郷の国は、魔王に一番最初に滅ぼされてしまった。


 時に、神託を受けた五人には、身体に刻印が浮かび上がる。それが女神ハーラの加護を受けた証である。

 勿論、不本意ながら俺にもそれは刻まれている。

 ある日、突然に体に熱が走って、それは浮かび上がってきた。

 頭に直接語り掛ける声が、神託を告げる。

 俺は、左手の甲に触れる。


 グローブに隠れているが、そこには女神ハーラの加護を受けた証が刻まれている。

 加護とは言うものの名ばかりで、本当にただ刻まれているだけの代物だ。これが俺たちを守ってくれるわけでも導いてくれるわけでもない。


 神託の五人などと呼ばれているが、体の良い生贄と変わらないだろうに。

 他のやつらは、なにを律義に付き合っているのか。

 どうせ人類の勝ち目なんて、万に一つものないというのに。

 俺から言わせれば、こんなもの全然加護なんかじゃない。


「さて、じゃ目が覚めたことだしそろそろ行こうか」

 そう言って俺は立ち上がった。


「ヨー、そっちは魔王城だぜ、ついて来るなって言われたんじゃネーのカ?」

「いや、そんなことは言われていない。ここで別れようって言われただけだ。帰れともついてくるなともいわれてなかったろ?」

「アア、そう」


 シェリーが呆れているようだが、知ったことか。

 俺も俺の理由がある。


 ◇ ◇ ◇

 

 少し昔の話だ。

 その日は珍しく、俺はアデルと二人きりだった。

 経緯は忘れたが、森の中で魔物を狩っていた。

 アデルが無造作に剣を振るう。

 それだけで、人の何倍もある大きな獣が、地響きとともに崩れ落ちた。


「ふん」

 その時、アデルはとてもつまらなそうに剣を鞘に戻していた。

 だから俺は、いつもなら口にしないようなつまらない事を口にした。


「……アデル、キミはいつも怒っているね」

 俺がそういうと、アデルは「はっ……」と鼻で笑った。


「怒っている? 誰が? 私が? そう思うのなら貴様の目は節穴だ。私は怒ってなどいない」

 忌々しそうな目で、アデルは俺を睨んでくる。


「そうかな?」

「そうだ」

 アデルはすべてを拒絶するように、断定した。

 それから、全然関係ないように思えることを、アデルは口にした。


「私は、神が嫌いだ」

 知ってる。


「こんなもの、ただの代理戦争だ。くだらない」

「……」

「人を救う神など、この世のどこにもいはしない」


 アリシアは、神を否定する言葉を吐く。

 その言葉は、俺に向かって話してはいるが、俺に言っているわけではなかった。


「君の目の前に神様が現れたら、そのまま切り殺しそうだな」

「ああ、そうしてもいいな」

 アデルは酷薄に微笑む。


「なあ、人類に勝ち目はあると思ってるのか、アデル。本当に?」

「勝ち目は貴様が考えろ。それが役目だろう」


 簡単に言ってくれる。


「そうだね。俺らが魔王に勝ち目があるとすれば、暗殺だろうね。真正面からぶつかったんじゃあ、どうしたって不利だから。数をそろえたところで、無駄なはなしだ」

「つまり、貴様はこう言いたいのか、少数精鋭で魔界を走破しろと」

「そう、それには魔界をよく知る案内人が必要だ」

「貴様がそれをやると?」

「他に人がいないからね、仕方ない」


 そう、仕方のない話だ。


「その方法をとったとして、勝ち目はあるのか?」

「少なくとも、今よりはある」

「はっ」

 アデルがくだらないと吐き捨てる。


「私が勇者であるならば、負けるはずがない」

 すこし昔で、いつかの日の話だ。


◇ ◇ ◇


 程なくして、日はすっかりくれてしまっていた。

 星の明かりと、月の光、街に張り巡らされた街灯の導を頼りに、俺は魔王城の城下、あるいはモントール城下を歩いていた。

 モントールと言うのは、大陸の西にあった国の名だ。

 かつては大国だったが、魔王が、最初に滅ぼした国の名前でもある。

 民は散り散りになり、その中で生き残りの一部は、モントールの流民と呼ばれている。

 国を滅ぼした魔王は、そこに居をかまえ、人類に対して攻勢をしかけた。


「懐かしいね」

「懐かしんでる場合カ?」


 街には黒い影が歩き回っていた。


「………」

「………」

「………」


 それは、かつてここに生きていた人間の残影。

 死後に残った影である。


「薄気味悪いナー」

「気味の悪さならお前も負けてないよ」

 なんてったって不吉の象徴である黒鳥だ。


「彼らは生前の行動を模倣しているだけさ。俺たちに気づいてすらいない」

「へー」


 街と言うのは大抵、中心が栄えて外側にいくほど寂れてくるものだ。

 モントールもその例にもれず、中心の大通りが最も栄え、外れにいくほど衰えている。ただ、それは外側に行くほど、住民がいなくなると言う意味ではない。どちらかと言うと、質の問題だ。心理的な事を言えば、城壁に近い場所ほど、危ないと思うのが人間だ。であれば、安全に住みたい人間ほど壁から離れたいと思うのも当然だろう。


 かつて栄華を誇っていた街は、見る影もなく衰えていて、──まあ、外連味なく言えばボロい。石造りではあるが、ほとんどの家の外壁は崩れかけ、石材は傷つき、惨憺たる有様だ。

 石畳もはがれ、かつて整備されていた道は見るも無残な様相である。


「ナー、アルルカン。城はあっちだぜ、どこに行ってるんだ?」

「ん? ああ、見えてきた。あそこだ」


 城下町の東の外れにあった、教会。

 俺を迎えるように、上半身がかけた男神像が扉の前に立っていた。

 木製の扉は半壊し、扉はすでに空いていた。


「ここね、モントール城に繋がる地下通路があるんだ」

「ナンデ、あんたンなこと知ってるんだ?」

「さあ、なんでだろうね」

「教会ってオレ苦手ナンダよナー」

「ああ、こんなになっていても一応神聖な場所だからな」


 そりゃあ、シェリーとは相性が良くないだろう。

 黒い影の姿も、この辺りにはない。


「アー、オレはこの先には行けネーナ」

「まあ、期待はしていなかった」

「ヒデーやつダ」


 俺は肩をすくめる。


「じゃあな、シェリー」

「ああ、アンタもな」


 そしてシェリーが俺の肩から離れる。


「さて」


 勝手知ったるなんとやらで、俺は教会の奥へと進む。

 室内も外に劣らず酷い有様だが、よく見ると、まだ新しい誰かの痕跡が床には残っていた。

アデルが通ったのだろう。

 彼女もここは知っているのだから、まあ当然か。


「ああ、本当に、懐かしい」


 モントールと言うのは、魔王が現れた10年前、最初に滅びた国だ。

 国民の大半が死んだ。

 王族も死に絶えた。

 だから、モントールは滅んだ。滅びざるを得なかった。


 だが、本当はそれは正しくない。

 国は滅んだが、モントール王家の血を引く娘が、まだ生きている。

 王家の血を引く蒼い髪の蒼い目の王女。

 彼女は、反魔王の旗頭としてその闘いの先頭に立ち、剣を振るう道を選んだ。

 昔から口数の多い方ではなかったし、剣を握るようになってからは、ますます口数が少なくなって笑わなくなった。


 最後の王女の名前は、アリシア。またの名を、勇者アデルという。

 ここは、この教会は、モントール王家のために作られた。

 ここから、勇者は始まった。


 それを、俺は見ていた。

 さて、行こうか。

 教会の地下にある通路は、暗闇だった。

 その先に待つものを、見通すことが出来ない。


「………」


 モントールの王もまた、死んではいない。

 かの王は、魔王と名前を変えて、存在している。


 ◇ ◇ ◇


 くだらない昔話だ。


 子供の頃、近所を探検するなんてありふれた話ではないだろうか。

 例えば、自宅の地下に隠し通路なんて存在したとしたら、探検したくなるのが人情ってものだ。


 まあ、その後の行動は今思うとどうかしていると言うか、命がいらないんじゃないかってくらいの考えなしの行動だったが、まあ十にもならない子供だったんだ。許してほしい。


 その女の子は、地下通路の暖炉を抜けた先にある部屋にいた。

 青い瞳に、雪のように白い肌、蒼穹のように澄んだ髪、まるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだった。

 

 で、そのお姫様のように可憐な少女が、壁にかけられていた、どう考えても子供ではもてないようなハルバードをオレに突きつけて、相当物騒な言葉を吐いた。


「誰だか知らないが、命がいらないようだな」

 面と向かってそういわれて、流石に俺もちょっと面食らった。


「いやいや、いるよ? 命がないと死んじゃうじゃないか」

「死ねと言ってるんだ、間違ってない」

「待ってくれ。オレはただ道に迷っただけなんだ。そう、そうしたら偶然にもこんな場所に出てさ、参ったね。そうだろう?」

「そうだな。で、遺言は済んだか?」

「いや、まだだ。これはね、なんというか不幸な事故、だったんだ。決して君の気分を害そうとか、そんなつもりじゃあなかったんだ。わかる?」


「わかるとも。言いたいことはそれだけか?」

「いや、まだある。そもそも、ちょっと大げさじゃないか。まあ、野良犬にでも噛まれたと思ってさ。ほら、俺ってどこからどう見ても人畜無害だろ?」

「怪しさ満点の人間がよく言ったな、試してみようか? 無抵抗なら、人畜無害だと認めよう」

「まあまあ、とりあえず、武器をおろして欲しい」


 少女はため息を吐いて、ハルバートを下した。


「あら、俺が言うのもなんだけど、ずいぶんとあっさりだね」

「よく考えたら、ここでお前を切ったら部屋が汚れるからな」


 さらりと少女は恐ろしいことを言う。


「それに、お前みたいな弱っちそうな刺客がいるか」

「いやいや、刺客が強そうである必要はないだろう。そりゃあ思い込みってものさ。強かろうが弱かろうが、人なんて殺せるぜ?」

「なんだ、やっぱり刺客だったのか」

「いや、違うけどね?」


 それから少女はガウンを着こんで、改めて俺に向かう。


「で、誰だお前。なんで暖炉から現れた?」

「あー……、本名を名乗った方がいいかな?」

「長生きしたいならそうした方がいいだろうな」

「オーケー、ちょっとした冗談じゃないか。それ下してくれないか?」


 再び首元に感じるヒヤリとした触感に、俺は両手を挙げて降参した。


「軽口も時と場所を考えた方が利口だな」

「利口な人間は、こんな時にこんな場所にいない人間を指す言葉だと思うんだ、俺」

「ふ、違いない」


 と、少女が笑う。


「あー、そうそう、俺はアルルカンと言う者だ。キミは?」

「なんだ、お前、本当に私を知らないんだな」


 確かめるように、少女は俺に問いかける。


「道に迷って偶然たどり着いたって言ったじゃないか。知っているわけないだろう?」

「そうとは限らないがな。ふん、まあいい」


 それから、少女はつまらなそうに自分の名前を告げた。


「わたしはモントール・アリシア」

「あー、どこかで聞いたことある名前だ」


 たしか、俺が住んでいる国の王女の名前がそんな名前と似ていた気がする。

 ちらりと遠目で見たことがあるが、青空のような髪色の美しい女の子だった気がする。ちょうど、目の前にいる少女にそっくりだ。瓜二つと言っていい。双子でもここまで似ていないんじゃないだろうか。


「………」

「………」


 しばしの沈黙が俺たちの間におりた。


「まあ、それはそれとしてこれも何かの縁だ! よろしく、アリシア」


 仕方がないので俺は勢いで押すことにした。

 少女こと、アリシアは俺の言葉にちょっと眉をひそめた。


「いっそ清々しいほどの馬鹿だな、お前」


 だが同時に、アリシアはかすかに笑ったような気がした。

 いま思うと、本当によく生きていたと思う、昔の話。


◇ ◇ ◇


 さて現在。

 地下通路を抜けた先は、部屋の暖炉の中だった。

 大人一人が入っても十分な広さで、出るのにも苦労はしなかった。

 赤い絨毯が擦り切れて、壊れた机があり、木製の椅子は倒れ、窓はガラスがすべて剥がれ落ち、部屋はさんたんたる有様だった。


 かつてここに住んでいた、誰かさんの書斎。


 部屋を出て廊下を進む。

 生き物の気配はなかった。

 やがて、城の中庭に出た。

 吐き気を催すほどの血と鉄のにおい、腐臭、死体の山がそこにはあった。

 広い中庭に、折り重なるように異形の獣が死んでいた。


 そこに、倒れている男が一人、いた。

 バケツのような兜をかぶり、重装備で身をつつみ、十字の紋章が刻まれた盾を手にした騎士。


「やあ、ノーマン」

「……」

 返事はなかった。


「起きろ、オッサン。まだやることがあんだろ」

 俺は、倒れている彼に呼び掛けた。


「……アルルカンか」

 ややあって、くぐもった返事が返ってきた。


 俺は倒れている彼に手を差し出して、それを支えにしてノーマンは立ち上がった。

 鎧の隙間からは赤い色をした液体がしたたっていた。


「ん、かたじけない」

「無理やりたたき起こして感謝されるのは初めてだ」


 その言葉に、ノーマンは豪快に笑う。


「結局お主も来たのか。アデルの気遣いも無駄だったな」

「気なんて使われてか?」

「そう思っていないのは、お主と本人だけだろうな。面倒なやつらだ。まあ、そこが面白い」

「あ、そう。で、その当の勇者サマは?」

「先に行ったよ。私はここで殿をつとめていたのでな。お主は道中無事だったのか?」

「ああ。何故か誰にも会わなかったんだ。不思議なこともあるもんだな」


 そこで、城中が大きく揺れる。

 見上げると、玉座の間の辺り、空中歩廊で粉塵が激しく舞っていた。

 誰かが、そこで闘っているようだった。


「悠長に話をしている暇はないようだの。決戦に遅刻するぞ」

 矢庭に、通路に足音が響いてきた。

 間もなく、魔王の配下がここに来るだろう。


「わたしは、ここに残る。それが役目だ」

「そうかい」

「アルルカン。お主も果たすべき役割があるだろう?」

「ああ、そうかも知れないな」

 俺は頷いた。


「アルルカン、お主はなんのために行く?」

「さあ、なんのために行くんだろうね」


 本当の所、俺にもわからない。

 俺はノーマンに背を向けた。

 やるべきことはやったし、聞くべきことは聞いた。告げることも告げた。もう、ここに用はない。

 その背中に、声が投げかけられる。


「アルルカン、長生きしろ」

「……」


 俺はもうその声には応えずに、先を急いだ。


◇ ◇ ◇


 俺は、かつてアリシアにこんな事を言ったことがある。


「なあ、アリシア。勇者がなぜ負けないかわかるか?」

「なぜ負けないかだと? この世に負けない人間などいない。バカめ」


 焚火を前に、二人で座っていた。

 アリシアはつまらなそうに火に薪を足す。

 パチパチと火の粉が夜空に消えていく。


「まあ、聞けよ。勇者って言うのは、希望だ。人類の味方であり殉教者だ。勇者ならば、みなアデルと呼ばれる。アデルって言うのは個人の名じゃない。勇者は負けない。負けないから勇者なんだ。だから勇者は負けない」

「ならば勇者なんて、この世のどこにもいはしない」

「そうかも知れない」


 でも、と俺は続けた。


「君なら本物の勇者になれると、俺は思っている」

「はっ、くだらない」

 暗く濁った瞳でアリシアは言う。


「なあ、アリシア。なんのために闘う?」

「知れたこと、私は──」

 その時、彼女はなんと言っただろうか。


◇ ◇ ◇


 玉座の間に行くには、大理石の空中歩廊を行く必要がある。

 両壁には等間隔に石柱が連なっており、床は緩やかな傾斜が続いている。

 歩廊を最後まで歩くと、玉座の間に繋がる大扉があった。


「やあやあ、随分と遅刻だ、キミ。けど、クライマックスには間に合ったようでなにより」


 扉の前にいた、とんがり帽子をかぶった魔女が俺に気が付いて、微笑んだ。

 白い衣装に柳の杖を抱え、本人曰く古式ゆかしい装いなのだそうだ。

 その横では、息も絶え絶え血まみれな獣人が転がっていた。


「テメーが、……くるとは、な。まあ…、いないよりは…マシか…」

「なんだ、ご挨拶だな、ワン公」

「死ね…」


 罵倒にキレがないが、一応、辛うじて息はあるようだ。

 周囲は浄化されており、魔王の手下の姿はなかった。


「で、女神さまの加護をもらった戦士が二人、がん首そろえてこんなトコでなにやってんの?」

「僕は戦士じゃないけど」

「オレは…武道家だ…」


 それぞれがどうでもいい否定をする。


「で?」

「見てわからないのかい? 扉がしまっているから、進めないんだ」

「見たままだな」

「真実とは単純なものさ」


 俺が大扉に手を伸ばすと、触れる前に見えない壁のようなものに弾かれた。


「アデルは?」

「もちろん、勇者はこの先にいるよ」

「……どういう状況だ?」


「どういうと言うか、まあ、勇者が先走ったというべきか、僕たちが出遅れたというべきか。勇者が扉を通った途端、扉が封印されてしまってね。まいったね。で、その後、ボウフラみたいに影の騎士がわらわらとわいてきたから、駆除してたんだ」


 魔女は続ける。


「で、ダウンはやられちゃうし、ちょっと態勢を整えていたのだけれど。まあ、そんな折にキミが来たの。おわかり?」

「あー、だいたいわかった」


 俺は横で転がっている獣人を調べた。


「痛ッ──」

「ああ、まー、大したケガじゃないな」


 俺はダウンのケガの具合を見るが、息も絶え絶え血まみれではあるが、少なくとも今すぐに死ぬような感じではなかった。


「テメー、……ぶっ殺すぞ…」

「ハハハ、ま、それだけ言えるならしばらく死にはしないな」

「…そう…かよ」


 しかし、とはいえ、これは良くないな。

 せっかくここまで来たというのに、進めないなら無駄足になってしまう。

 とはいえ、俺は剣を振れないし、魔法を詠唱できないし、他者を癒せない。

 出来ることと言えば口を動かして他人を扇動することぐらい。

 こんな扉一枚開けることもかなわない。


「ところで、聞きたいんだけれど、この先に行きたいかい? 闘えもしないキミが」

「……」


 魔女の言葉に、俺はすぐには応えなかった。

 確かに俺は魔法を使えないし、闘えもしない。


「確かに俺は闘えないが、役に立てないと言った覚えはないハズだぜ?」

「はーん、そうかいそうかい。それは重畳」


 魔女は面白そうにニヤリと笑った。


「やる気があるのなら結構」

「なにか当てがあるのか?」

「当てだって? 僕を誰だと思っていやがる。天才魔女のエデン様とは、僕の事さ。こんな結界、ちょちょいのちょいで開けてやるさ」


 ただし、と続ける。


「ただし行けるのは一人だけだ。僕は結界を開ける役だから中には入れない。ダウンはこんなざまじゃあ、行っても役には立たないだろう。ノーマンが追い付いて来るのなら彼に任せようかと思ったけど、キミが来たのなら仕方ない」

「ノーマンは死んだよ」

「……ああ、そう」


 俺の言葉に、魔女は少しだけ悲しそうな顔をした。

 俺はそれを意外に思った。

 反りが合っていないように思っていたが、そんなこともあるものか。


「さて、準備は?」

「いつでも」


 俺は魔女に応える。

 それに呼応して、魔女は柳の杖を掲げ、中空に陣を描く。

 魔法で出来たそれは、回転しながら拡大していく。


「おい……、死んだら……殺す…」

「ああ、それじゃ死なないように気を付けるさ。殺されたくないからな」

俺は肩をすくめた。

「どんな結果になろうと終幕はもうすぐだ。残念ながら僕は舞台にあがる資格がないようだけれど、端役の身とはいえ、結末は気になるものだね」

 いつものようにふざけた様子で、魔女はそんなふざけたセリフをはく。

「ねえ、キミ。誰にも言ったことはなかったけれど、僕は女神が嫌いなんだ。だから、勇者に手を貸すのは、本当の所気が進まなかったのさ。だから女神の側が勝とうが、魔王の側が勝とうが正直知ったこっちゃない」

「じゃあ、なんで着いてきたんだ?」

「さあ、何故…だろうね? 魔女は…気まぐれ、なのだ」


 魔女は常にはないゆがんだ表情で、疲れたように言葉を紡ぐ。

 ゆっくりと扉が開いていく。


「行け、長くは保たない」


 俺は、扉の空いた隙間に無理やり身をねじ込む。


「キミ、死ぬんじゃないぞ」

「……」


 背中に、言葉がかかる。

 そして扉が閉じられた。


◇ ◇ ◇


 何事にも、始まりというものはある。


「最近、王の様子がおかしい」

「はぁ」


 そんなことを、アリシアが言い出したのはいつのころだったろうか。

 深々と雪の降る、真冬のことだった気がする。

 いつにない寒波がモントールを襲い、春はまだ遠かった。

 例年よりも早い冬入りで、冬ごもりの支度の遅れた村々からの援助の声が聞こえるようになっていた。

 パチリ、と部屋の暖炉が音を立てる。


「ひどく人目を気にして、なにかに怯えているようだ。謁見の回数は減っているし、ほとんど諸侯の前に姿を見せていない。秋の刈り入れの祭りも取り仕切ったのは私だ。なぜだ?」

「ふうん」


 アリシアの言う通り、モントール王は、つまりアリシアの父親であるが、このところほとんど民の前にも姿を見せていない。

 城下では病に伏せているのでは、との声も聞こえてくる。


「もうすぐ降臨の日を迎えるというのに、一向に降臨際のための狩りを行おうともしない。何を考えておられるのだろうか」

「へぇ」


 モントールでは、年の初めから年の終わりまでに、時の王が獲物を射止め、神に奉納する習わしがある。


 神の名前はサラボスと言う。

 サラボスは生と死を司ると言われている男神だ。

 女神ハーラを信仰する周辺諸国とは違い、モントールでは男神サラボスを祀っている。


 行く年の感謝と、来る年の豊穣を祈願し、神に祈りをささげる。

 五十年に一度の、それがしきたりだ。

 今年はちょうど、前回から五十年目。


 もしも、王が供物を捧げられなければ、神が下界に降りて、自ら贄を探す。

 死を振りまきながら。

 そして、恐ろしい飢饉が訪れると言われている。

 逆に、よりよい捧げものを行った場合は、次の降臨祭までの繁栄を約束される。


「てっきり大物を見繕っているのかとも思っていたが……このままだと、百年戦争いらいの二百年ぶりにサラボスに捧げられる供物がないことになる」

「ほー」

「……。アルルカン、お前、真面目に聞いているのか?」

「酷いな。こんなにまじめに聞いているじゃないか」


 ところで、王が一匹も獲物を捕れないほどの年と言うのは、もともとそれだけ獲物が少ない年だった、とは考えられないだろうか。

 山からは獣が消えて、田畑からの収穫もなくなる。それこそ、飢饉のときと言うのは、そういうものである。


 逆なのだ。

 奉納がなかったから、飢饉になるのではなく、飢饉を迎えていたから奉納できない。

 と言うような旨をアリシアに話してみた。


「面白い考え方だな」

「ひねくれてるのさ」

「しかし聖職者のくせに信仰心がないやつだな」

「見習いだからさ」

「関係あるのか?」


 俺の軽口に、アリシアはハッと気が付いて話題を戻す。


「……そんなことはどうでもいい」

「はいはい。そんなに気になるなら、直接本人に聞けばいいじゃあないか。そうしない理由はなんだ?」

「そう、それだ。何故だか、私は王に避けられている。王付きの魔術師に頼んだが、取り次いでもらえなかった」

「アリシアが? ふうん」


 それはまた、奇妙な話だ。


「なら、神官長を通して話をしてもらうか。どっちにしろ、降臨際の準備にもそれが必要だ」

「そうだな。頼む」

 そう言って、俺はアリシアの頼みを請け負った。



 結局、降臨祭は行われることはなかった。

 その年の終わりに、モントールは滅んだ。

 そして、魔王が生まれ、俺たちの故郷は魔界と呼ばれるようになった。


 ◇ ◇ ◇


 扉を抜けるとそこは玉座の間──ではなかった。

 アデルと魔王はどこだ、と俺は周囲に視線をめぐらす。

 しかし、どちらも見当たらなかった。


「ここは──」


 どこだろうか。

 寒々しい暗闇の空。

 星の光はなく、月の明かりはなく、静寂の暗闇が続いていた。


「玉座の間には見えないな」


 ふと振り向くと、入ってきた扉すらなくなっていた。

 なんなんだろうか、この空間は。

 まるでわからない。

 と、暗闇の中の影がゆらめいて、地面から立ち上がった。


「おっと」


 騎士の恰好をした影は、俺に斬りかかってくる。

 なんとかその斬撃を避けたが、周りを見渡すと、次々に騎士の形をした陽炎のようなゆらめきが増えていく。

 二、四、八と次の瞬間には数えるのも馬鹿らしくなるくらい、大勢の姿があった。

 周囲を影の騎士に囲まれて逃げ場はない。

 だが、不思議なことに影たちはそれ以上、俺になにもしようとはしなかった。


 一体が進み、ハッキリとした像を作った。

 それは、俺もよく知る人物の顔をしていた。

 騎士ではなく、神官の恰好をしていた。

 歳を重ね、白髪をたらし、カサカサにシワついた腕、威厳たっぷりに顎髭を伸ばしている老人だ。


「アルルカン、キミと言うやつは、本当にどうしようもない子だ」

「これは…、神官長。お久しぶりですね。まさかまたお顔を見られるとは思いませんでしたよ」


 その人は、モントール国王に仕えていた神官長だった。


「何故、帰ってきた」

 神官長は悲しそうな顔で俺に問いかける。


「生き延びたのなら、すべてを忘れて平和に暮らせばよかった。子供は親よりも長生きするものだ」

「お言葉ですが、いま殺されそうになりましたが?」

「馬鹿め。それで死ぬならそれまでよ。死んで楽になる」

「……」


 言っていることが滅茶苦茶だ。

 だが、この人は生前からそうだった。


「で、なんだって今さら化けて出たんです?」

「我々がこうして実体をもてたのは、アルルカン、キミがここにいるからだ」

「……」

「亡霊ですらない我らが実体を持つためには、観測者がいる。アルルカン、いま、この場所で死んだ我らの情念が、キミには見えているだろう?」


 神官長は悲しそうに続ける。


「望む望まないに関わらず、キミには死者を見る才能があった。死者を見るということは、死者を意のままに操ることと同義だ。死者を見られるものは死者を操れる。だから、キミは死者にとっては絶対の存在だ。その気になれば言葉一つで、死者を意のままに操れるのだろう? それは、さながら、生と死を司るサラボス様と同様の御業だ」

「安い奇跡ですね」


 本当に。

 こんなものは奇跡と呼ばない。


「アルルカン、僕はキミを拾うべきではなかったのかな。そうすれば、キミはもっと自由に生きられたのではないだろうかと、後悔しているよ」


 それは違う。

 俺は首を振った。


「ハハ、俺がそんな殊勝な人間に見えていたんですか。それはとんだ思い違いですね」

「そうか。そうだね。キミは自分の意志で戻ってきた。なら、僕が口にしていいことではなかったね」


 神官長は俺を見る。


「ここはどこだと言ったね。ここは、かつてモントールと呼ばれた場所だよ。あの日、降臨の儀式は失敗した。そして、玉座が神域に──異界に飲まれた。そして王は、命を落とした。あの日その場にいた我々も、死んだ」


 だが、と神官長は続ける。


「だが、本当は、儀式はまだ終わっていない。キミなら、この意味がわかるだろう?」

 降臨の儀はまだ、続いている。

 捧げられる生贄を求めて。


「何故、帰ってきたといいましたね。だから、帰ってきたんです」

「そうか」


 神官長は頷くと、指先を一つの方向に向ける。

 付き従っていた影の騎士たちは、その指先を避けるように割れる。


「アリシア姫は、この先だ。行くといい」

「ありがとうございます」

「アルルカン、悔いのないようにいきなさい」

「ええ、行ってきます。だから、貴方たちも、こんなところにいつまでもいなくていいんですよ」


 そうして、辺りは元の何事もなかったような暗闇に戻った。

 俺は、教えてもらった方向へと駆けだす。


◇ ◇ ◇


 空間の行き止まりだ。

 暗闇の先には、寂しげに玉座があった。


 その玉座に座っていたのは、魔王ではなく、王冠を被ったアリシアだった。

 玉座のひじ掛けで頬杖をつき、眼下の俺をねめつける。

 まるで女王のようにふてぶてしい振舞だ。


「似合わないな、王冠」


 俺の言葉に、アリシアは不愉快そうに顔を歪めた。


「よくもまあ抜け抜けと私の前に顔出せたものだな」

 もしかしたら、言葉ではなく俺自身のせいだったかも知れない。

 不愉快そうだし、不機嫌そうでもある。


「顔を見せるなとは、言わなかっただろ?」

「そう聞こえなかったとしたら、貴様の耳はいかれている」

「ああ、それは悪かった。最近耳の調子が悪いのかもしれない」

「チッ」

 アリシアは忌々しそうに舌打ちした。


「ふん、その面の厚さだけは褒めてやる。それで? わざわざ、こんなところまで来た理由はなんだ? 貴様の出番はもうないぞ」

「魔王はどうした?」

「なんだ、気が付いてないのか。そこにいるだろ」

 と、アリシアは顎でしゃくった。


 彼女の指す先には、白骨が横たわっていた。

 かつて目を見張る装いだった外套はボロボロに朽ち、先端にいくつもの宝石をあしらった杖は中ほどでへし折られている


「10年前に死んでいた骸が、ただその通りに動かなくなっただけだ」

「あー、まあ、君なら勝てると思っていたよ」

「これで、10年前の清算は終わりだ。すべて終わりだ」

「これで、すべて終わりか……」

「なんだ?」

「いいや」


 彼女の声色は驚くほど平坦で、なんの感情も伺わせなかった。

 魔王を滅ぼした達成感も、実の父を殺めた悲しみも、なにも。

 俺はアリシアになんと声をかけようか、少しだけ迷った。

 だから、それ以上言葉はかけなかった。

 俺は取り出した小瓶を、一息に飲み込んだ。

 薬の作用で、心臓が早鐘のようにどくどくと打ち付けはじめた。

 1歩、2歩、アリシアに近づいていく。


 そして。


「……なんのつもりだ?」


 白銀の短刀を首に突きつけられながらも、アリシアは動じることなく俺を睨む。

 動じてはいないが、困惑はしているようだった。


「人間を殺すのに、城壁を壊すような力は必要ない。たった三センチ、これで君の首をえぐってやれば、君は自分の血液におぼれて死ぬ」

 コップ一杯の水が、たった一本の針が、時に人を殺す。


「やれるものなら、やってみるがいい。その瞬間、貴様の首は胴と永遠に泣き別れだ」

「君の方こそ、出来もしないことは言わない方がいい。この距離なら、君がいくら強くても俺の方が早い」


 俺は挑発するようにせせら笑う。


「俺が今まで黙って君に従っていると思っていたのか? お笑いだ。俺はね、ずっと君を殺したいと思っていたんだ」

 俺は、今まで一度もアリシアに言ったことがない言葉を口にする。


「なあ、アデル。いや、アリシア。モントールが滅んだのは男神サラボス、ひいては魔王のせいだ。だが、それを許容したのは他でもないモントール王家だ。だから、そのモントール王家に連なる君を、かつてモントールの民だった俺には断罪する義務があるとは思わないか?」


 俺はアリシアの目を見た。

 青い目は、いつものように氷のように冷ややかだった。


「で、いいたいことはそれで終わりか?」

「言いたいことは言ったさ。君は、ここで死ぬべきだ」


 俺は、渾身の力で短刀を振るった。

 がん、と鉄を殴りつけたような感触があった。

 短刀は、彼女の首の皮一枚切りさけず、止まった。

 アリシアは、はあ、とため息を吐いた。


「お前、自分でも信じていないことを、私に信じさせるつもりか?」


 次の一瞬で、俺はアリシアに組み伏せられていた。

 地面に顔面を押し付けられ、腕を逆手に固定される。

 俺の手から短刀が取り上げられる。 

 そして今度は逆に、俺がアリシアから聖剣を突き付けられた。


「ああ、……参った。君の勝ちだ」

 俺は、アリシアに負けを認めた。

 やはり、俺では、逆立ちしたって、彼女にはかすり傷一つつけられやしなかった。


「こんなもので、私を殺せるわけがないだろう」


 取り上げた短刀は、アリシアが少し力を入れると根元から折れて使い物にならなくなってしまった。


「まだ、こんなところまで来た理由の答えを聞いていなかったな」

「死ぬ前に一目君の顔を見に来たんだ、と言ったら信じるかい?」

「馬鹿じゃないのか、貴様」


 絶対零度の冷たい視線で、アリシアは俺の戯言を切り捨てる。


「利口な人間は、こんな時にこんな場所にいない人間を指す言葉だと思うんだ、俺は」

「ああ、貴様はどうしようもないバカだ、昔からな」


 アリシアは俺から視線をそらして、吐き捨てる。


「ゴホ」

 俺はのどからせり上がる嫌悪感に咳をする。


「……どうした?」

「ああ、なんでもない。ちょっと、毒を……飲んだからな……」

「は?」


 ごぽり、と俺の口から赤い液体が吐き出される。


「アルルカン!」

 アリシアが、悲鳴のように俺の名前を呼ぶ。


「おまえ……、お前、一体なにをやっているんだ!」

「いや、まあ……死ぬには……いい日かなって……」

「くだらないことを言うな、バカが!」


 アリシアは子供のようにおろおろとしている。


「ああ、くそ。だからお前のことが嫌いなんだ。いつもいつも適当なことばかり言ってはぐらかして、本当のこと1ついいやしない!」


 アリシアが焦って、立ち上がろうとする。

 おれはそれを引き留めた。


「……聞いてくれ」

「なんだ、一体!」


 俺は、アリシアに語りかける。


「……アリシア、君は魔王を殺した。つまり……モントール当代の王を殺して……王位を簒奪した……ということだ。だから……いまは君が王だ」


 民のいない、孤独の王だけれど。


「魔王の誕生は……10年前……降臨の儀式失敗に……端を発している。……王が、贄を捧げられなかったからだ……」


 降臨の儀は失敗した。

 だが、失敗はしたが、終わってはいない。

 それは、王が生贄を捧げるまで、終わらない。

 たとえモントールの王が骸になろうとも、無理やりにでも動かして生贄を求める。

 それだけの話だ。


「贄の条件は、……時の王が……獲物を射止め神に奉納するのが……決まりだ。俺は……君に負けた」


 俺はアリシアに勝負を挑んで負けた。

 それは、アリシアが、俺に勝ったという事だ。


「俺が……最後の贄だ」


 これで、すべて終わる。


「俺の身体は……サラボスが持っていく」


 いつか、アリシアが言っていたことだ。

「もし、神が……憎いなら……ねらい目だぜ。それで……君は……故郷を本当に取り戻せる……」

「そんなことのために、お前、こんなことしたのか!」

「ハハ……ひどい言われよう……」


 だって、気が付いてしまったんだ。

 君は、魔王に勝ったら戻ってくる気がなかったんだ。

 きっと、俺の知らないどこかに、一人で消えてしまったに違いない。

 それじゃあ、あまりに彼女が救われない。


 いつか、アリシアにいつも怒っているね、と言ったことがあったが、あれは間違いだった。


「……君は……いつも救えなかった……自分の力のなさを……恨んでいたんだ……」

 こうなってしまう前に、どうにか出来なかったかという後悔。

 それがある限り、それではいくら他人を救ったところで、自分は救われない。


「だから……せめて……誰か一人くらい君のために……命をあげて……もいいんじゃないか」

「だから、お前の目は節穴だというんだ!」


 アリシアが怒鳴る。


「私がいつそんな事を望んだ!? 勝手に人のことをわかったふうに理解して、死ぬつもりか! いい迷惑だ!」

「ハハハ……、君に嫌われていることなんて、知ってたさ」


 アリシアの瞳が、わずかに揺れたように思う。


「でも、これなら忘れられないだろう?」

「……お前は、最低だ」

「まあ、そういう人間だよ、俺って」


 俺は、最後の言葉をアリシアに残す。


「さよなら、アリシア」


◇ ◇ ◇


 さて、その後のことを少しだけ語っておこう。

 アリシアは、顕現したサラボスを殺した。

 それは、現代の神殺しである。

 モントールは神の加護(のろい)から解放された。

 土地はやせ衰え、民は散り散りになったモントールだが、アリシアは生涯をかけて、モントールを守護した。

 俺よりも背が低く、だが俺より闘いが上手く、俺よりも強い彼女。勇者アデルの名を継いだ、アリシア。

 彼女は生涯、誰にも負けなかった。


◇ ◇ ◇

 

 ………。

 ………。

 ………。

 ………。

 さて、アリシアがサラボスをくだした直後の話だ。


「いや、やっぱり生きているって素晴らしい。そうは思わないかい、アリシア」

 俺は、サラボスと闘い終えて、呆然としているアリシアに声をかけた。


「……」

 ギギ、と錆びた人形ようにゆっくりとアリシアの首がこちらに振り向いた。


「あれ、幽霊でも見たみたいに驚いて、どうかした?」



「おまえ……お前!」

 アリシアは上手く言葉が続けられないようだった。


「お前、なんで生きてるんだ! アルルカン!」

「なんでって、死んでないから、生きているんだ」

「はあ!?」


 俺の答えに、アリシアは盛大に疑問符を浮かべる。


「ホラ、俺が完全にサラボス様に捧げられる前に、君がサラボス様を殺しちゃったからね」

 別にサラボスが顕現するさいに、必ずしも生贄が死んでいる必要はないし。


「……。お前、もしかして、こうなるとわかっていてあんなことしたのか?」

「まあ、死ぬために生きるのなんて、馬鹿らしいと思わない?」

「……。私が神殺しをしなかったら、どうするつもりだったんだ」

「そこは信頼していたから。きっと君ならそうするだろうって」

「………。おい、だったら毒を飲む必要あったか?」

「何を言ってるんだ。リアリティは大事だぜ? それに、実はあれはただの赤い水なんだ。毒じゃない」


 俺は懐か同じ小瓶を取り出して、見せた。


「迫真の演技だっただろ?」


 俺の言葉に、アリシアはついに身体を震えさせる。


「やっぱ、お前なんか大嫌いだ!」


 俺は甘んじてその言葉を受け入れた。

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