ツンデレは一度死ななきゃ直らない
「嶺花、一緒に帰ろーよ!」
6限の終わりを告げるチャイムと同時に、鞄を肩越しに担ぎ、いそいそと隣のクラスへ向かう少年がいた。建付けの悪いドアを力ずくで開け、快活に声をかけた先には、ポニーテールの少女が頬杖をついている。鮮やかなダークブラウンの髪は、白い花を象ったシュシュで束ねられていて、薄く化粧の施された顔にはアンニュイな表情が浮かぶ。
「は? 何であんたと一緒に帰らなきゃ行けないわけ? てかクラス別なのにしょっちゅう来んの止めてって今朝言ったし」
彼女は虚空を見つめたまま、突き放すように言い放つ。一方の少年はニコニコとした表情を崩さず、堪えた様子はまるでない。
「だって一人で帰るの寂しいじゃん。嶺花だって今日一人なんじゃないの? 火曜だからともっち部活だよね?」
少年が投げかけた視線を受けて、隣の席に座るショートボブの少女はニッと口角を上げる。
「そう! だから健くん、今日は嶺花を任せたぜよ!」
「任されたぜよ!」
彼女がビシッと少年を指差せば、彼も二本指を額に当ててそれに応じる。
「ねえちょっと優菜、余計なこと言わなくていいから!」
嶺花と呼ばれた少女は慌てた様子で居住まいを正し、会話に割って入る。
「あんたも、あんたと優菜以外にも友だちいないみたいな言い方やめて! あたしは、友達があたししかいない誰かさんとは違うの! てかもう高校生じゃん一人で帰れよ」
「とか言って一人寂しく帰るつもりなくせにー」
「まあ、ダメって言われても勝手に一緒に帰るから、僕としてはどっちでも良いんだけどね」
「……ああもう、好きにすれば」
人の話を聞く気のない二人を前に、少女は諦めたように肩を落とし、溜め息をつく。
そんなやりとりの間にも、少年の手は勝手に彼女の荷物を鞄につめ終えていた。彼はクラス中から浴びせられる好奇の視線も意に介さず、彼女の手を取って立ち上がらせると、ずんずんと歩き始める。
「ともっちじゃあねー」
「うん、じゃあね、嶺花、健くん」
「あ、うんじゃあね優菜――ってちょっとあんた、何しれっと手握ってんの死ね」
「えーいいじゃん」
「ざけんな良くない!」
「待って置いてかないでー」
手を振り払って早足で歩き去ろうとする彼女を、捨てられた子犬のような目で追いかけてゆく少年。
「津出さんも素直になれば良いのにねー」
「違うんですよー先生。嶺花はあれが良いんです」
嶺花たちが教室を出ようとする後方では、女子トークに花が咲いていた。自分の荷物をてきぱきと整理する優菜に、担任は話を振る。
「津出さんって、いつもあの白いシュシュ付けてるよね」
「おおっ! 気づいちゃいましたね! なんでだと思います?」
「えっ、理由あるの? ……もしかして、伊東くん関連?」
「ふふふっ。まあ言うと嶺花に怒られるんで。答えは内緒です!」
そんなふうに自分が話のネタにされていることなど、もちろん彼女には知る由もない。
* * *
「ねーあたし今日も『死ね』って言っちゃったどーしよー」
こういう日には――まあ基本毎日なんだけど――あたしは大抵ベッドに転がって電話で親友に愚痴る。
『うん知ってるってか隣で見てた。いったい嶺花ちゃんはいつになったら素直になれるのかしらねー』
携帯から聞こえる優菜の声は、笑いを堪えてるみたいで無性に癇に障る。絶対面白がってるわあいつ。
「そんなのあたしが聞きたいよー。朝だって学校行くときは『素直になろう』って決めてたのに、あいつの顔見たら『家の前で待ち伏せとかキモいんだけど死ねば?』って言っちゃったし」
あーはっはっ、ていう豪快な笑い声が聞こえる。ねえ優菜、あたし結構真剣に悩んでるんだけどな?
『もう嶺花のツンデレは一度死んで生まれ直さなきゃ直んないかも。諦めなよ』
「それじゃ困るの! 現世で素直になれないじゃん」
あたしに死ねと? 転生して帰ってこいと?
『良いじゃん良いじゃん、今のままでも。毎日迎えに来てくれる素敵な彼氏でしょ』
「彼氏じゃないよー。あいつ絶対あたしのこと異性として見てないし」
『んなことないと思うけどなー。ちょいちょいっとアタックしてみたらいけるんじゃん? 嶺花可愛いし』
「だからそれができなくて困ってるんでしょ!」
『ですよねー』
なんとも無責任な声が聞こえる。優菜ってば、面白がるばっかで全然相談に乗ってくれる感じじゃない。
『まあ、結局は嶺花が頑張んなきゃどうにもならんし。ウチにはなんとも』
ですよねー。
『ウチそろそろ寝るわー』
言われて時計見たら、もう日付変わってるわ。
「そうね、あたしも寝るー」
『おやすみ! 明日は素直になれよー』
「おやすみなさい……善処するわ」
言われてなれるんだったらとっくになってるんだよなぁ……。まあ、頑張るしかないか。目覚ましのアラームだけセットして、明日のイメトレしとこう。
えっと、まず、ドア開けたらきっとあいつ待ってるじゃん。だから
「おはよう! 今日も良い天気だね」
って声かけて……ん、曇ってたらどうするんだ?
「悪い天気だね!」
っていう?
うーーん……?
* * *
「ふわぁぁあぁぁ」
あれ、あたしいつの間に寝てた? 今何時だろ。外明るいしそろそろ起きる時間かなぁ。てかなんかおっさんみたいな欠伸出たんだけどウケる。
ん、なんか身体が大きい気がする。もしかして成長期かな。いや、にしても流石に伸びすぎだよなぁ。
てか、知らない天井だ……
……えっ?
「はぁ?」
すっげー野太い声出たわ。いや、でもしゃあないっしょ。だって、だって……。
手の大きさ。恰幅のいい体格。ペタペタ触った顔の感触。部屋の壁紙は地味だしくすんでるし、学習机に乗ってるものも――飾られた写真立てを除いたら――あたしのとはまるで違ってる。
見回せば見回すほど、「まさか」は確信に変わる。それと一緒に心臓の音が速くなる。信じたくない。信じたくないけど、私は――健丞になってる!
――どうすればいいんだろう。とりあえず目に付くのは、脚の付け根に張られたテント。えっ、ちょこっと中見てもいっかな。うん、先っちょだけ、先っちょだけー……
いや待て、そうじゃない。落ち着け、あたし。そんな場合じゃない。元に戻る方法探さなきゃ。じゃなきゃあたし、一生健丞の身体に……あれ、意外と悪くない?
ダメだ、まだ混乱してるね。とりあえずやらなきゃいけないことを整理しよう。
まず、なんかむずむずするし、トイレ行くじゃん。着替えるじゃん。学校行って……あれ、今の嶺花ってどうなってんだろ? 代わりにあいつが入ってたりして? そうだ、まずはそこから確認しなきゃ。
……ん? あたし、トイレ行くの?
* * *
見上げれば、いかにも秋晴れって感じの透き通った青空。でもあたしの心はぜんっぜん晴れない。それは別に健丞の身体に入ってるせいじゃない。たぶん、あれが手許に無いせいだ。何せあれは――
――あ、嶺花が出てきた。
「お、おはよう」
自分に挨拶するのってちょっと変な感じ。てかなんだろ、嶺花の視線冷たくない?
「毎朝毎朝、よくも懲りずに来るね。いい加減うざったいんだけど」
うわっ。このクソ女感じ悪っ。でも、少なくとも健丞が入ってる訳じゃなさそうだ。え、じゃ誰こいつ?
てかこのセリフ、あたしは分かるけどさ。
『毎朝来てくれてありがとう! でも、恋人同士みたいでちょっと照れるね……』
って意味なんだよね。いや伝わんねーよ馬鹿。
「何そんなとこにぼけっと突っ立ってるわけ? あんた図体でかいから邪魔なんだけど」
あ、うん。
『突っ立ってないで早く一緒に学校行こうよー!』
だね、了解ですー。
「はあ、朝からストーカーに付きまとわれるとか、マジ最悪」
あーーもう誰か! お願い嶺花を止めて、ハズいから!
『もう、健丞ったらあたしのこと大好きなんだからー。でも、朝から会えてあたしも嬉しい!』
って意味だなんて誰も分かんないから!
――おっと大事なことを聞き忘れてた。
「ねえ、あんた、誰?」
いきなり質問をぶつけたら、さしもの嶺花も足を止めてくれた。代わりに視線が氷点下なんだけどね。さむっ。まだ9月なのに。
「は、何言ってんの? あたしはあたしに決まってるじゃん。てかあんたこそ誰? あんたみたいな冴えない男あたしの知り合いにはいないんだけど?」
そこまで言うか。あたしが言うのもなんだけどメタクソ言い過ぎでは?
「嘘。嶺花はあたしじゃない。だって健丞があたしなんだもの」
拳に思わず力がこもる。
「マジ何言ってんの? 意味不明。てか消えて」
消える? 誰が? あたし? いやいや、偽物が消えるべきでしょ。
――あれ?
こいつはほんとに偽物なのかな? だって、あたしの姿、あたしの声。今の嶺花とあたし、どっちが本物かなんて聞かれたら、誰だって向こうが本物と答えるに決まってる。
――そしたら、あたしは偽物ってこと?
ううん、違う。そんなわけない。だってあたしはあたしだもん。
――「あたし」って何?
あたしは嶺花。なら、目の前にいる、嶺花があたし? じゃあ、あたしって何なの?
……もう嫌だ。意味分かんないよ。
やっぱあたしって、偽物? こっちを睨みつけてる、いけ好かない暴言女が本物なの? ああもう、さっきからプラプラと揺れる髪が目障りだ――
――ん? ちょっと待て。嶺花の髪、何か変じゃない?
……変というか、ないんだ、あれが。嘘、なんで気づかなかったんだろ、あたし。馬鹿。
「違う」
その瞬間、気づけば口から言葉が迸ってた。痛いくらいにぎゅっと拳を握り混む。そしたら、いつの間にか拳の中に何かある。それが何なのかなんて、確かめたりしない。だって分かるもん、見なくても。これは、あたしが嶺花である証。だから、
「あなたは、嶺花じゃない」
もしあんたが嶺花なら、これを外してるわけがない。この一年、これなしで外出したことなんて、一度もないんだから。
「ねえ、嶺花を返してよ!」
自分でもびっくりするような大声が出た。拳から体中に、温かいものが流れ込む。まるで止まっていた心臓が動き出して、血が巡っていくような感覚。それに、さっきから耳元で鳴ってる、ピピピって音。
――ん? ピピピ……?
* * *
扉が開いて、一人の少女が家から出てくる。ダークブラウンの髪はポニーテールにまとめてられ、ほんのりとメイクされた顔は――がちがちに強ばっていた。
「嶺花、おはよう!」
幼なじみの少女を見て、少年は嬉しそうに声をかける。
「……お、おはよっ。えと、良い天気だね?」
素っ頓狂な声でたどたどしく挨拶を返す彼女は、いつになく鬼気迫った雰囲気を帯びている。空にはねずみ色の乱層雲がひしめき合い、まとわりつく空気は絞れば水が出そうだ。それでも――
「うん、良い天気だね!」
肩を並べて歩き出す。少女が一歩踏み出すたび、季節外れのアザレアが踊る。
「今日の嶺花、機嫌良いねー。なんか良いことあった?」
「ま、まぁ。ちょっとね……」
――これ以上ないくらい、良い天気だった。
津出嶺花
伊東健丞
朋原優菜
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