第七節 婚約破棄された悪役令嬢は命の恩人から贈り物をされる
戻ってきたシルヴィさんとドゥーは何かいろいろと相談をしながら、私に薬を出してくれた。薬というものはとても高価なものなのだと、辺境伯の令嬢である私でも知っている。確か古の錬金術とかいう、今はもう使える人も少ない技術によって作られるからなのだと聞いていた。
貰った薬を飲んで、もう一度ベッドの中に戻った後、いろいろ考え事をしていたら気付かれてしまった。
「どうした? お嬢様」
ドゥーが不思議そうな顔をして小首をかしげて私を見る。たまにどこかあどけないような仕草をするが、ドゥーは言うなれば完璧な美という感じだ。造り物のような美しさ、と言えばいいのかもしれない。
「いえ、薬はとっても高いと聞いたことがあります。私なんかのために――」
「なんかのために、というのは良くない。ドゥーも旦那様もお嬢様のためにいろいろする。それはお金の問題ではないからだ。お嬢様が大切だからする。お嬢様は悪くないし、お嬢様が元気だとドゥーたちが嬉しいからしているだけ」
懇々とお説教と言うには優しい言葉が並べられるので、私の瞳からはぽろりと涙が零れ落ちた。あふれる涙は止まらなくてぽろぽろぽろぽろ頬を伝って落ちていく。
(お前のような毒婦に騙されていたとはな)
頭の中で声が木霊する。
(婚約は破棄する! 二度と私の前に顔を見せるな!)
断罪されたあの場で、何を言えたというのだろう。震える体は恐怖のためなのか、怒りのためなのか。それすらも超えて――
(怖いですわ。王太子殿下)
(ああ、フローリア。もう二度と君にあんな女と見える機会はないようにするよ)
寄り添う二人の姿を見て、ああ、もう駄目なのだと思った。私が何を言っても、私の声はすでに王太子殿下には届かない。王太子に抱きついて顔を隠すようにして、私を見て嘲るように笑ったあの顔だけは忘れられそうにないけど。
「……泣いてもいい」
部屋の片隅にいて、私の様子を見ていてくれたらしいシルヴィさんが、私の背中をぽんぽんと叩いてくれる。小さな子どもが泣いているのをあやすように優しく。言われて、ずっと泣いていなかったのを思い出した。断罪された時も借金の形に奴隷にされた時も、ずっと、泣いていなかった。
(泣かないなんて可愛げのない女だ)
いつだったかそう言われた時も泣くことはついぞ出来なかった。泣いてしまえば負けた気がして、泣くことは出来なかった。
「……ふぅっ……うぅ~」
「声をあげても平気。ここには旦那様とドゥーしかいない」
押し殺した声をあげた私にドゥーが促してくれて、私はシルヴィさんの腕にすがって泣いてしまった。子どもの頃のように声をあげて。ずっとため込んでいた何かを体の中からすすぐように涙はしばらく止まらなかった。
それからようやく落ち着いて、木戸から漏れる光がオレンジを帯び始めているのを見て、どうやらもう夕方に近い時間なのだと気付いた。
「はぁ」
たくさん泣いた。臆面もなく、泣きに泣いた。思えばずっと気を張り続けていたのだと思う。
「お水」
ドゥーが差し出してくれたお水を大事にいただく。喉が潤っていく。
「エリー、実は渡したいものがあるんだ」
シルヴィさんは私が泣き止むまでずっと寄り添っていてくれた。そして彼は懐から淡い桃色の箱を取り出して、私に開けて中身を見せてくれる。
「綺麗なリボン!」
「どうだろう? 付けてくれるかい?」
「もちろんです。ありがとうございます!」
私がそういうとシルヴィさんは嬉しそうに笑って、リボンを手に取って私の髪に付けてくれる。
「うん。似合うよ」
そう言って私に手鏡を見せてくれる。柔らかい淡いピンクのリボンがレモンイエローに色を変えた私の髪の上で揺れている。
「……かわいい」
「うんうん。お嬢様は可愛い。すごく可愛い」
ドゥーが茶化すように言ったので、怒ろうと思って振り返ったら当の本人は真面目も真面目、大真面目で言っていたようで毒気が抜かれてしまった。
「もう」
つい昨日、初めてあったばかりだというのに、ドゥーはまるで昔からの友人みたい。私の心のやわらかいところを、大事に守ってくれている感じがする。でもそれは、シルヴィさんもいっしょで。
「かわいい」
まっすぐな目でそう言われてしまっては、私の頭の中はまたまたショートしてしまって、耳どころ首まで赤くなった顔を隠すように、布団の中に潜り込んだ。
「もっと見せてください、お嬢様」
ドゥーが声をかけてゆさゆさと揺する。
「ドゥー、あんまりいじめるものではないよ」
シルヴィさんが窘めるやさしい声がする。
そんなやり取りを聞いていたら、私はまたうとうとと眠たくなってきてしまった。少し前に飲んだ薬が効いてきたのかもしれない。確かに酷いことはたくさんあったけれど、二人に出会えたことは私にとってとてつもない幸運だったと思う。
「ありがとう」
もう一度、聞こえないかもしれないと思いながら、感謝の気持ちを言葉にする。目が覚めたらきちんと伝えようと思いながら、私は久しぶりのゆるやかで穏やかな眠りへと落ちていったのだった。
――シルヴィは深く深く呼気を吐き出した。
「おやすみ、エリー」
気付かなかったのは申し訳なかったが、悪夢を寄せ付けないようにしたお蔭が、彼女の寝息はとても穏やかだ。ずっと守っていたいとそう願わずにはいられなかった。
「効いたみたいだな」
「一時的な気休めではありますが、それでもないよりはましです」
寝息をたててすやすやと眠るエリーを見つめながら、俺はドゥーとこれからの相談をする。
「ひとまず、この王国からは出来るだけ離れたいところですが呪いの正体が分からないままでは危険です」
「うむ。そうだな」
「なので、次の目的地にするのはこちらがよろしいかと」
そう言ってテーブルの上に魔術で描かれた光の地図を広げ、ある一点を示す。
「魔術都市カンターメンか。なるほど。確かに呪いに詳しそうなやつがいるな」
俺は目を瞑って魔王だったころの部下の一人を思い出す。彼女ならばきっと、この呪いの正体とどのようなものであるかを看破することが出来るだろう。
「そろそろ追手が気付き始める頃だろうし、早めにこの町から出るとするか」
「そうですね」
呪いがかかっているとあっては、時間に猶予はない。俺は彼女を歌姫にすると決めたのだから、邪魔は少ない方がいいし、目標への到達は出来るだけ速やかな方がもちろんより良い。
「必ず彼女を幸せにすると決めたんだから」
「求婚の言葉ですか? ならお嬢様が起きている時になさればいいのに」
「うるさい。お前に言われたくないし、俺が言ってたとか絶対エリーには言うなよ?」
「……かしこまりました」
ほとんど無表情で顔に変わりはないが、どこかつまらなそうな顔をしたドゥーラ=ドゥーガに釘を刺して、俺はこれからの旅の旅程に思いをはせることにした。先ほど外へ出た時に得た情報と本で読んだ情報を照らし合わせて、快適な旅にするにはどうしたらいいかを考える。
あまりに熱中しすぎて食事をとるのを忘れて、ドゥーラ=ドゥーガに怒られたのはエリーにはないしょにしておこう。
最後の部分はシルヴィ視点です。
シルヴィにとってはエリーはとっても大事な宝物。
そろそろ旅が動き出しそうな予感です。