第六節 裏 銀色の元魔王は昔の侍従と再会を果たす
エリーが倒れたことは予想外だった。疲労もあったのだろうが、眠っている顔に苦悶の表情が浮かんでいたことで、ただの貧血や失神ではないことは見て取れた。
私自身には耐性があっても、その手のことには疎い。
「あいつを呼ぶか」
闇より深い黒、作り出した錬金術師の作品の中でも最高傑作を誇る《人造人間》の名を冠した魔物。
しかし自分はもう魔王の座から退いているし、手を貸してくれるかは分からない。それでも藁にも縋る思いで、俺はあいつの名を呼んだ。
「ドゥーラ=ドゥーガ」
俺の影がゆらぐ。黒い何かがずるりと這い出て、ゆっくりと人の形を取っていく。
「ようやく呼んで下さいましたか、陛下」
片膝をつき恭しく頭を垂れ、ドゥーラ=ドゥーガが現れた。ドゥーラ=ドゥーガには形が無い。闇より深い黒色の不定形の魔物。スライムなどが一番近いのだろうか。ただ、俺の世話をするために人型の方が都合がいいという理由だけでその姿を取っている。
「もう陛下ではない」
「ドゥーの使えるべき魔王は陛下御一人故に。ご容赦を」
にこりともせずに、しかし真摯な声色でドゥーラ=ドゥーガが答える。これには性別がない。人造人間にとって性別は必要ないと、製作者が意図的に廃したからだ。彼でも彼女でもない、ドゥーラ=ドゥーガ。だからこそ、頼りになる。
「では陛下と呼ぶのは止めよ」
「……かしこまりました、旦那様」
そして、指先で銀絃を手繰りエリーの体を床から持ち上げると、そうっとベッドの上に横たえる。ドゥーラ=ドゥーガは俺の意図を汲んで、エリーの体に出来るだけ負担をかけないように布団をそっとかけてくれた。
「この方が旦那様の歌姫ですか?」
少し興味津々という顔をしてドゥーラ=ドゥーガがつぶやく。俺はそれに頷いてみせると、どこか嬉しそうに何度も頷いて見せた。
「お可愛らしい、そしてとても強い生命力を秘めてらっしゃる。ですが……」
「何だ?」
「誠にお伝えしづらいことですが、どうやら、彼女には呪いがかかっているようです」
呪い、と言われて、ぐっと胸が詰まった。気付かなかった。気付けなかった。まさか、そんなものが彼女の体を蝕んでいるだなんて。
「本当か?」
「嗅いだことがある匂いなので間違いないかと」
「なんということだ。彼女は犯罪奴隷として道端で歌わされていたんだ」
「なるほど。隷属の魔法と共にかけられたのでしょうか? 罪の匂いはしないのに、呪いの匂いだけが濃い」
「どのようなものだ、その呪いは」
「よくある悪夢の呪いです。眠るたび悪夢を見て、だんだん眠れなくなっていき果ては死に至る」
そこまで聞いて腹の底から怒りが湧き出した。血が沸騰する。人間に擬態していた姿がゆらぐ。
「落ち着いてください、旦那様」
「落ち着いていられるか。私の歌姫にそんなことをする者がいたというだけでも腹立たしいのに、死に至る呪いだと?! 今すぐ跳ね返してくれる」
「止めた方がいいかと存じます」
まさか止められるとは思っていなかったので驚いた顔で黒曜石のような艶やかな目を見つめ返すと、ドゥーラ=ドゥーガはその理由を話し始める。
「旦那様に気取られぬような呪いをかけてくる相手なら、おそらく呪い返しの対処もしているはず。彼女にこれより酷い報復があってはなりません」
ドゥーラ=ドゥーガはやさしくエリーの顔を見つめる。彼女の顔は血の気を失い真っ白で、そんな状態で放っておくわけにもいかない。だが、その言葉には一理ある。
「ならば、どうすれば」
「ドゥーは呪いは専門ではありません。ですから、呪いを専門とする者に見てもらいましょう。それまでは悪夢を遠ざける加護を与えればよろしいのでは?」
ドゥーラ=ドゥーガは情では動かない。ただ主人にとって最適が何かを考え、それに従って行動するものだ。ならば、その言葉に嘘はない。
「ふむ。当面の目的地が決まったな。加護を与えるとはどのようにするのだ?」
「ドゥーに旦那様の髪を数本と銀絃を少しいただければ」
乞われるままに手渡すとするするとそれが寄り合わさって一本のリボンの形を成していく。ドゥーラ=ドゥーガの得意は錬金術。いつ見ても不思議な光景だ。
「このままでは目立つので色を変えましょう。お嬢様には何色が似合いますかね?」
「そうだな。淡いピンク色などはどうだろうか」
やさしい淡いピンク色は彼女にきっと似合う。いつか同じ色の薔薇の花束を贈りたいものだ。
「なるほど」
そして最後の仕上げとばかりに魔力がこめられ、美しい色のリボンがドゥーラ=ドゥーガから俺に手渡された。思った通りのやさしい色だ。とても。
「これがあれば、お嬢様に悪さをするものも減りますでしょう。悪夢だけではなく」
そして俺たちは二人でエリーが目覚めるのを待った。悪夢を見てうなされる姿に、ドゥーラ=ドゥーガに誘導してもらいながら悪夢から覚めるための手助けをしながら。
目が覚めたエリーにそれっぽい理由をつけて部屋の外に出て、俺とドゥーラ=ドゥーガは顔を見合わせた。彼女は危うい。どこがどうというのは難しいが、とても危うい。
「心配」
ドゥーラ=ドゥーガに言われて、強く肯定した。そうなのだ。彼女は俺のことを疑わない。信じている。そこにとても危うさを感じている。
「少しずつ、打ち解けてくれたらとは思ってるんだよ」
そして服を買ったのとはまた別の雑貨屋でリボンを入れるための箱を買うと、先ほどのリボンをしまって大事に懐に入れる。これはなんとなく手で持っておきたかった。
シルヴィ「全部俺の髪で作るのは駄目なのか? リボン」
ドゥー「毛髪リボンなんて贈られて喜ぶ女性はいません」
というわけで材料は内緒にしてリボンは作成されたのでした。まる。