第四節 婚約破棄された悪役令嬢は雑貨屋で服を買ってもらう
「宿より、先に服を買おうか」
言われて私はぼろぼろの衣装を着ていることを思い出した。裾はほつれいているし、どことなく汚れている。確かにこのままの恰好では宿に行っても徒労に終わってしまうかもしれない。
考え込んだシルヴィさんが連れて行ってくれたのは雑貨屋さんだった。いろんなものが乱雑に置かれていて、そういうお店に入ったことのない私はキョロキョロと落ち着きなく店内を見回してしまう。頭の上にも何かがあったのでそちらを見ると天井から吊るされている商品もいくつかあって、思わず口を開けてぽかんとしてしまったのだけど、またはしたないことをしているのに気付いて慌てて両手で口を塞いだ。
笑う気配がしたので振り返るとシルヴィさんが笑っている。なんだかずるい。何かわからないけどずるい。
「ごめん、ごめん。ほら、エリーこっちに来て」
手を差し伸べられて誘われるままにとととと歩いていくと、ごく普通の町娘の服が並んでいた。
「服はここにあるだけでさあ」
雑貨屋の主人が申し訳なさそうに頭を掻いて案内すると、シルヴィさんは笑顔で頷いて見せる。
「ありがとう。それでも衣料品店でもないのにこれだけ置いてあれば十分だよ」
「そう言っていただけると助かります。お嬢ちゃん、ゆっくり選んでくださいよ」
お嬢ちゃんと言われて、少しびっくりしたけど私はこくこくと頷いて、それからまた服を眺めた。ドレスとは違う、ふくらはぎくらいの丈のスカート。ウェストは絞ってあって、袖はパフスリーブでかわいらしい印象のものが多い。何だか私の今まで着てきた服とは全然違うものばかりで目移りをする。
「……迷っちゃう?」
悪戯を企てている子どものような目でシルヴィさんが問うので、私は警戒しながらもこくんと頷いた。迷っているのは本当だからだ。
「二着くらいほしいなぁ。ステージ用と普段着に」
「ステージ?」
「歌う時用ってことさ。目立つ方がいいからね」
……本当に、私を歌姫にするつもりでいるらしい。半信半疑でここまで来たけど、その情熱はとても熱くて強いものだと分かる。私、本当にやっていけるのかなぁ。
「うん。じゃあ、このレースの多い黄色のワンピースとシックな深緑のワンピースを。深緑の方はここで着ていくから、それに合わせて靴と靴下も必要だね。それも頼む」
「毎度あり」
にこにこと雑貨屋の主人はシルヴィさんから代金を受け取り、私は雑貨屋の奥の試着室に案内された。自分で服を着るのは初めてでドキドキする。手渡された服はワンピースだから被ってしまえばいいのかしら。うまく着れるのか自信がない。途方に暮れていると試着室のドアがノックされた。
「エリー?」
「あ、あの、これ、どう着たらいいのか、わからなくて、その」
しどろもどろで状況を説明すると扉の外からシルヴィさんが離れた気配がした。その後でもう一度ドアがノックされる。
「雑貨屋のお嬢さんが手伝ってくれるそうだ。ちょっとドアを開けるね」
「は、はい!」
扉が開くとちょっと気の強そうな感じの燃える炎のようなオレンジ色の髪が印象的な女性が中に入ってきた。
「一人で着られないとかどこのお嬢様よ」
言われてぐさっとくる。その通り、ちょっと前までお嬢様だったのです。でも、もう普通の、いや奴隷なんだからさらに底辺の娘なんだから自分のことは自分で出来ないとまずいかぁ。
「……あんた、それ」
「え?」
足元を見ると隷属の足環。そうだった。これ、付いたままだった。
「奴隷なの?」
「えっと、あの、だ、旦那様が買ってくれて、自由になった、の」
それで合っているか分からなかったけど、おろおろと私がそう告げると何か失敗したという顔をした彼女がバツの悪い顔をして頭を掻いている。
「だから、か」
何かを納得したような顔をして、それから彼女は己の顔をばちんと両手で挟み込むようにしてはたくと、私の肩をぐいっと掴んだ。
「悪かった。ごめん。ほら、背中向けて。このワンピース後ろがボタンなんだ。脱ぎ着する時は誰かに手伝ってもらいな」
「あの」
「何だい」
「ありがとう」
精一杯声を出したつもりだったけど、思いのほか声は小さかった。こんな風に誰かに感謝をしてそれを言葉にして伝えるのなんて、いつぶりだろう。
「いいよ。気にすんな。困ったときはお互い様」
そう言って後ろのボタンをはめ終わったのか、ばしんと背中を叩かれた。ちょっと痛かったけど、彼女の心根のまっすぐさが伝わってくるようでうれしかった。
試着室から出てくると、シルヴィさんが心配そうな顔をしてそわそわして待っていてくれた。私の顔を見ると、ぱあっと明るくなる。迷子の子どもが母親を見つけたみたいな表情だな、と何故か思った。
「うん。いいね。レモンイエローの髪によく似合う」
「ありがとうございます」
見立ててくれたことも買ってくれたことも、本当に何から何までしてもらってしまって申し訳ない。私が恐縮していると、シルヴィさんは笑って被りを振った。
「いいんだ。これは俺の自己満足。さあ、宿に行こうか」
手を差し出されて、私はその手を取る。雑貨屋の娘さんはその仕草にちょっと驚いた顔をして、それからひらひらと手を振ってくれた。
「またおいでよ。あたしはデイジー」
「私はエリーって言います」
「エリーか。いい名前だね」
「デイジーさんも」
さんとかこそばゆいな、とデイジーさんは笑って、私を見送ってくれた。やさしい人に出会えて、私は本当に幸せだな、と思う。
シルヴィさんは私の手を取って宿屋の方へと歩き出したと思ったら、路地の方へと私を引っ張っていく。どうかしたのか、と思ったら、すごく真剣な顔をして私に向き合った。
「どうしたんですか?」
「忘れていた。すまない」
そう言って私の足元にひざまずくと、何事か唱える。小さな声だったので雑踏に交じって何を言っているのかは、私には聞き取れなかった。ただ、ぱちっと足首のあたりに小石が当たったような痛みが走って何事かと見下ろすと黒焦げになった隷属の足環が足元に落ちていた。
「え?」
隷属の足環は奴隷に付けられるもので、魔法を通さない材質で出来ていると聞いたことがある。けして奴隷が逃げ出さないように、呪いのようなものもかけられていて、無理にとれば反動が出る。そう、聞いていた。
「さあ、行こう」
そういえば、シルヴィさんと正式な奴隷契約を結んだ覚えがない。私は知らぬまま連れ出され、知らぬままここまで来てしまった。本当に奴隷商とシルヴィさんは契約をしたのだろうか?
「エリー? どうかした?」
そこまで考えてどんどん悪い方向に考えが及んでしまっていることに気付いた私は、ぶんぶんと頭を横に振って落ち込んでいく思考を振り払った。信じようと決めたのに、これだから。
一度裏切られたことがあると、どうしても不安になることもあるのだ。
「……どうもしません」
握っている手の感触だけは確かなのに、何だか足元がふわふわとする。いつか、聞けるだろうか。私を連れ出してくれた本当の理由を聞かせてほしいと願ったら、教えてくれるだろうか。
考えても仕方のないことばかり浮かんでは消えるので、私はとりあえずしっかりとシルヴィさんの手を掴んだ。急に私の手に力がこめられたので、シルヴィさんはちょっと驚いたようだったけれど、私の手を離すことはなく、そのまま大通りを歩いていく。
またひとつ、私の中にシルヴィさんの謎が増えた出来事だった。
予定変更で服を買ってもらうエリーちゃんのお話でした。
本当にこの子なんで悪役令嬢やってたんだろうね。謎。