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第二節 婚約破棄された悪役令嬢は自由になったので泣きました

 雨が降っている音がしている。目を覚ますとしっとりとした湿気を感じて、何度かまばたきを繰り返した。薄暗い空間に見覚えはない。土の匂いが近い気はする。ここは、どこだろう?


「起きた?」


 声がする方を振り返ると、蒼い瞳が光っていたように見えて背筋がゾッとした。私の体が強張ったのに気付いたのか、そっと、やさしく柔らかいブランケットのようなものをかけてくれる。……これ、高級素材のやつではないのだろうか。昔お祖母さまが使っていたのを触らせてもらったことがある気がする。


「雨が降り出しそうになったから、ちょっと見かけた洞窟に寄ったんだ」


 月が出ていたと思ったのに、急に天候が変わってしまったのだろうか。雨音が樹々の葉を揺らすさやさやとした音と、洞窟の入り口から滴り落ちるぽたぽたという音が和音になって不思議なリズムを奏でている。

 ぼんやりと少し明るい入り口の方を見ていたら、紳士的な距離にいる薄暗がりのシルヴィさんが見えた。多分年上だから、さん付けすることにした。命の恩人だし。だよね?


「寒くない? 風邪をひいたりして喉を痛めたら大変だ」


 そう言ったと思ったら、しゅぼっ、という音と共に炎があがった。どうやら焚き火を焚いてくれたようだ。魔法、初めて見た。そういうものがあるということは知っていたし聞いたことはあったけれど、間近で見るのは初めてだ。


「魔法」


「ああ、そうだよ。あれ? あんまり見たことない?」


「はい」


「そっか」


 そうなのかぁ、とシルヴィさんは何事か考えているかのような仕草をして、それから私の目をじっと見た。


「エリーは魔法使わないの?」


 ごくごく自然に問いかけられて、きょとんとしてしまった。そういうものなの? 庶民の方々の中では魔法を使ったりするのが一般的なのかしら? 貴族の令嬢として生きていた頃は必要に迫られることもなかったし、習う必要があるとも思えなかったから考えたこともなかった。


「……使ったことはありませんし、使えるかは分かりません」


 なので、正直に答えることにした。嘘をついても仕方ないし、なんとなく、なんとなーくだけど、シルヴィさんは嘘を見抜くような気がする。ただの直感だから、何の根拠もないんだけれど。


「魔法の原理は知っている?」


「なんとなく、は」


「エリーにも魔力があるんだから、使わないのは損かなーと思ったんだけどね」


 魔法、私にも使えるんだ。攻撃魔法とか華々しいものは何もいらないけれど、いわゆる生活魔法と呼ばれるものは使えると便利かもしれない。だって、私は今ただの子どもなんだもの。親の後ろ盾も何もない、ただのエリー。エリザヴェートではもうないんだ。そこまで考えたら、なんだか後から後からこみあげてきてしまって、涙が止まらなくなってしまった。


「! ごめん、エリー。泣かせるつもりはなかったんだよ」


 慌てるシルヴィさんには申し訳ないのだけれど、これはもう不可抗力というものだと思う。涙はどんどん溢れてくる。断罪されて学院を追放された時も、借金の形にするために長かった髪を切り取られた時も、奴隷に堕とされた時だってこんなに涙は出たことはなかった。

 やわらかい布がそっと私の頬に押し当てられる。見上げれば思いのほか近くに来ていたシルヴィさんと目があった。初めて見た時はすごく硬質で冷たい雰囲気のする彫刻のような美男子だと思っていたけれど、どこかおろおろとして私の涙を拭ってくれる姿はとてもやさしい。


「違うんです。シルヴィさんは悪くないんです」


 ぼろぼろと零れるままになっていた涙は、やわらかい布が吸い取ってくれた。その優しさが嬉しくて、また涙は止まらなくなっていった。





 ひとしきり泣いて、やわらかい布はストールみたいな何かだったのかと思いながら顔を埋めていたのをそうっと上げると、心配そうに私を見ているシルヴィさんと目があった。


「すまない。俺はちょっと無作法だった」


 そうではないのだとふるふると顔を横に振ると、短くなった私の白金の髪が頬に当たった。ぱしぱしと当たる感触が、少しこそばゆい。


「違うんです。ちょっと気が抜けたというか、安心しちゃったせいで、泣けてきちゃって」


「そうなのか?」


「はい。だから、大丈夫です」


「エリーが泣くと俺の胸が痛む。泣かないでくれ」


 指先が頬に触れた。白い手袋越しではあったけれど、その仕草はひどく優しくて胸が高鳴る。こんな、どこの誰かも分からないひとに、ちょっと優しくされたくらいでこんなに心が揺さぶられてしまうなんて、本当に私は心細かったんだな。


「ありがとうございます。あの、豊穣の雨の唄でも歌いましょうか? ご迷惑おかけしてしまったので」


 このシルクの手触りのするストールとさっき貰って膝にかけているブランケットの代金としては、全然足らないだろうけど、どうにかしてお礼をしたくなって咄嗟に口からそう零れていた。


「本当かい?! 君の歌声が本当に大好きなんだ。ああ、夢のようだ。俺のために歌ってもらえるなんて」


 目を輝かせてそう呟いたシルヴィさんに、心の中で小さく笑いながら私は昔吟遊詩人から聞いた讃歌を雨の音に乗るように小さく口ずさんでいく。歌うことは、思えば昔から好きだった。それが私を助けてくれたのは天恵に相応しいのかもしれない。

 雨はまだ降り注いでいるのでしっとりとした空気は重く、けれどどこか不快ではないのは彼が傍にいるせいなのだろうか。

 一節歌い終えるとぱちぱちと嬉しそうにシルヴィさんが拍手をする。私はどう反応していいのか困りながら、ぺこりとお辞儀をしてみせた。


「ああ、やはり素晴らしい。俺の歌姫」


 ただ、この賛辞の言葉だけは慣れることはないかもしれない。本当に目がきらきらしてるものね。


「町に下りたら、街角で歌うのもいいね。俺も楽器か何か準備しようかな」


 夢の様に語るシルヴィさんの言葉をどこかぼんやりと聞いていたけれど、何もない空間からひょいっと飲み物を取り出してくれたのにはまた驚かされた。


「《空間収納(アイテムボックス)》? シルヴィさん、冒険者か何かなんですか?」


「―――あー、まぁ、そんなとこかな」


 何かすごくいろいろと隠しているような気もするけれど、そこは私もお相子だから何も言わないことにする。今はまだ。


「町に行くなら、髪とかどうにかしないとダメでしょうね」


 私の髪の色は白金。王族か、高位の貴族にしか現れない髪の色だから、町などに下りたらきっと悪目立ちしてしまう。


「髪の色か。そうだなぁ」


 ぱちん、とシルヴィさんの指先が鳴った。はっとしてそちらを見ると、にっこりと笑っている彼は手鏡を用意している。


「こんなのは?」


「え?」


 鏡の中に居たのは、ふわふわのレモンイエローの髪をした女の子。


「これ?!」


「幻惑魔法の応用だよ。本当の色は変わってないけど、そう見せてるんだ。これなら、安心だね」


 思わずぽかんとして何も言えなくなる。


「ああ、その色なら芸名はカナリヤがいいかな。カナリヤ姫。うん。それがいいな。そしていろんな町で君の歌声を披露して旅をするんだ」


 この人、いろいろと規格外なのかも? 私、本当にこの人に着いて行くことにしちゃってよかったのかな? 手渡された飲み物はマグカップに入った蜂蜜入りのホットミルクでとっても美味しかったけど、ますますシルヴィさんに対する謎は深まるばかり。

 でも、ひとつだけ大事なことが分かった気がする。

 この人は私の敵じゃない。

 それだけは確かで、それだけが確かならもういいか、と思ってしまった私は貴族の令嬢失格な気もしたけど、もう貴族の令嬢でも何でもないんだから、ちょっとだけ肩の力を抜いてもいいかな、なんて思ったのだった。


二人の旅の方針が、どうやら決まりつつあるようです。

ていうか、シルヴィさんはエリーのことが好きすぎる。

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