第八節 婚約破棄された悪役令嬢は旅立ちの準備をする
それから旅支度のために、いろんなものを揃えた。馬車を使った旅ではなく、基本は徒歩であとは乗り合いの馬車を使って移動していくのだという。
「旦那様の収納は便利」
「お前だって覚えればすぐ使えるだろうに」
「ドゥーは非効率なことはしない」
ドゥーとシルヴィさんのやり取りがあまりに気軽なので、少し笑ってしまった。私のそんな様子に気付いて二人が荷造りの手を止める。何か、おかしなことをしただろうか。
「やっぱりお嬢様は笑顔がいい」
「そうだな。そこは一も二もなく同意だな」
うんうん、と二人で頷きあっているので、私はちょっと拗ねてむくれた。なんだかこの二人といると、私はすごく幼くなってしまったように感じる。子どものように素直に、感情を出してもいいのではないかと、そう思えるのだ。
「お嬢様、疲れた時はすぐにヴィーに言う。ヴィーは力持ち。お嬢様、安心して任せる」
そこまで聞いてて、やっぱりなんだか拭い去りきれなかった違和感の正体を口に出してみる。
「……ヴィー、あのね」
「何?」
「あのね、私はヴィーって呼ぶでしょう? なのにヴィーにお嬢様って呼ばれるの、こそばゆくって。私はもうお嬢様なんかじゃないし、ただのエリーだからエリーって呼んでほしいの。駄目かしら?」
言われたヴィーはきょとんとした顔をして、シルヴィさんを振り返る。振り返られたシルヴィさんもちょっと驚いた顔をして、私を見た。おかしなこと、言っちゃったかしら。でも言ってしまった言葉は取り返しがつかない。今の無し、が通用するのはそれこそ子どものうちだけだと思うから。
沈黙がこわくてそわそわしていると、こほん、とシルヴィさんが咳払いをした。
「それなら俺も、エリーにシルヴィと呼んでもらわないよね」
にっこりと笑っているが、圧が強い。これはお断りが出来ない感じかしら。ヴィーにお嬢様って呼んでくれるのを止めてもらうだけでよかったのに、これが噂の藪をつついて蛇を出すというやつ?
「えっと」
「ヴィーはお嬢様が旦那様をシルヴィと呼ぶなら、エリーと呼ぶ」
先手を打たれてしまったー! よくよく考えてみればそうなのかも? そうなのかな? あれ? そういうもの?
「ねぇ、エリー」
ずずい、とシルヴィさんに詰め寄られて、顔が赤くなっていくのが分かる。私、こんなに顔が赤くなったりする人だったかしら? なんだか、どんどん自分が自分じゃなくなっていくみたい。
「呼んで?」
「……ぅう」
ずるくてずるくてずるいと思う。そんな風にお願いされたら、断ることなんて出来ないし。大体もともと助けてくれたシルヴィさんへの敬意を払うつもりで、さん付けで呼んでいたわけで、だから、そのーええとー、えぇい、ままよ!
「分かりました。シ、シルヴィ」
語尾はちょっと消え入りそうになってしまったけれど、ちゃんと呼べたと思う。えらい、私! 頑張った!
頑張ったーというのが顔に出ていたのか、ふい、とシルヴィは顔を横にそむけてしまった。頑張りすぎたかしら? 駄目だったのかなぁ。
「……かわいいが過ぎる」
どうやら余計な心配だったみたい。あんまり可愛いとか言われると調子に乗ってしまうんだからね? 乗らないけども。口に手をあてて、一生懸命深呼吸しているけど、大丈夫なのかしら?
「ドゥー、シルヴィは――」
「少し放っておけば大丈夫。ちょっと幸せが過ぎただけ。エリー、買い忘れがあったから買い物に行こう」
ね、とドゥーが手を差し出してくれる。私はちょっと躊躇して、それから思いきってその手を取った。ドゥーの手は私よりも大きい。故郷の兄を思い出して、ほんの少しだけ心の中でしんみりとした。
手をつないで向かった先はこの村に到着してから初めて行った雑貨屋さんだった。私の服を着る時に手助けをしてくれた女の子―デイジー―がいて、私に気付いて近づいてきてくれる。
「やっぱりその服、似合うわね」
「あの時はありがとう」
お辞儀をしてみせると、いいっていいって、と彼女は言う。
「そういえばあなたの連れの人が言ってたけど、あなた、歌姫なんだって?」
「え、えっと、はい」
そういえば、そんな話になってたのを思い出す。思えばここまで来たのも私の歌を気に入ってくれたシルヴィが奴隷商のところから連れ出してくれたのが始まりだった。言われるままに付いて歩いているのだけれど、彼らはどこへと向かっているのだろう?
「それでね、客寄せのための歌をひとつ歌ってほしいんだけど」
「え?」
「この街道沿いには雑貨屋はいっぱいあるんだ。だから他の店と違うってことを歌でアピールしたらどうかなーって」
「歌で?」
「歌で」
歌でお客さんを呼び込む。奴隷として籠のなかで歌っていた時と同じはずなのに、なんだか気持ちが違う。わくわくしてくる。
「……楽しそう」
「でしょう? きっと面白いと思うんだよね。歓楽都市ではそういうことをして客を呼び込む店もあるって言ってたし。今すぐじゃなくていいんだけどさ」
「そうなんですね。準備が出来たら出立と言っていたので、あまり時間はないと思われるのですけど」
「そうなの? なんだー残念」
「でも、出立する前までに考えます! 私、いろんな歌を習ってきたけど、自分で作るのは初めてなのであんまりうまくないかもしれないですけど……」
「そうなの? え、それじゃあ――」
歌を歌うことを生業にするとは決めたものの、やっぱり何の実績もない人間が歌う歌なんてお店なら尚のこと拒否されてしまうのでは、と私は考えていた。でも、
「一番最初の歌がうちの店の歌になるの?! それってすごいじゃん! やったー! ラッキー!!」
私の手をとってぶんぶんと振りながら喜ぶデイジーさんを見ていたら、その気持ちはあっという間に
霧散してしまった。というか、まだ私の歌だって聞いてないのに、いいのだろうか?
「デ、デイジーさん、私まだ歌ってみせたこともないのに、いいんですか?」
「いいのいいの! 駄目元でお願いしたし、承諾してもらえただけでもうれしい!」
そう言ってもらえて、私はなんだか泣きたくなってしまった。
要らないと言われた私。
必要だと言われる私。
いろんな気持ちが胸にこみあげてくる。私が泣きそうになっていたのに気付いたヴィーがハンカチを差し出してくれて、私はそっと目元に押し当てて涙を隠した。
泣くのは後回し。まだ一度も自分で作った歌を歌ったことはないけれど、いい歌を作ろうと心に誓ったのだった。
次回はようやく歌姫の本領発揮?
シルヴィさんは宿屋で悶えてて出番がない回でした。