第一節 婚約破棄された悪役令嬢は奴隷になりました
歌うことは好きだった。
それだけは本当に、幸せだったと思う。
歌うことだけが私を生かす、たったひとつの道しるべだったのだ。
まったく人生とはままならないものだ。気付けば自分は奴隷として売られていた。金色のゆるくウェーブをした長い髪は肩口で切り揃えられ、白い肌は擦り傷だらけだ。至高の蒼と呼ばれたラピスラズリにも似た瞳は傷がつかなくて本当によかったと思う。
昨晩までの私は伯爵令嬢であった。エリザヴェート・ティア・ラングフォードは辺境伯ラングフォード家の長女として生まれ、王太子の婚約者となり順風満帆に暮らしていたのだ。
王国国立学院であの女に出会うまでは。
平民からの選抜で編入を果たしたフローリア・ガラザウォーク。深い青い髪をした女。王太子殿下の心を奪い、私を悪役に仕立てあげ婚約者の地位を奪った女。
おとなしく控えめでかわいい。まるで自分とは正反対の彼女。
「お前がそんな女だったとはな」
王太子リチャード殿下の言葉が冷たく突き刺さった。今更如何様にも弁解の余地はなく、ただあの人の愛が欲しかったのだと呟くことすら許されなかった。
辺境伯家の裏帳簿とか本当にどこから見つけだしたんだろうなーと思う。まぁ、私は必至で王妃教育に置いていかれないように頑張るだけだったから、家のことにはほとんどノータッチだったし仕方がない。気付いていれば違ったのだろうか。答えは出ない。
辺境伯家は没落。私は借金の形として奴隷として売りに出された。
鳥かごとはまた粋な装飾だなーと思う。店の前のよく見えるところに下げられて、値踏みする人々の視線に晒され続けるのが今の私の罪への償いなのだという。
「おい」
がんがんがん、と鳥かごの格子を奴隷商の男が叩く。この音だけは慣れない。びくっとしてしまうし、体が委縮する。
「啼け」
これは合図。私は鳥かごの中で立ち上がる。足がふらついたが転ぼうものなら後で折檻されるので、どうにかこうにか踏ん張った。
歌を、歌う。
知っている限りの歌、吟遊詩人から聞いた恋歌は足を留めて聞いてくれる人も多かったからそれにした。
抑揚をつけて心をこめて歌う。届かないあの人への恋の歌。冷たい眼差しを思うと、まだ身がすくむけれど。目を閉じて届かない人へ、歌いあげる。
「……女神」
耳元で男の声がした。はっとして目を開くと、先ほどまではいなかった深くマントのフードを被った男が目の前にいた。
フードに隠れて顔は見えない。ただ、男性だと分かるだけだ。
「おい、歌うのをやめるな」
奴隷商がやってきて男に気付く。男は、まだそこから動かない。
「商売の邪魔をするな。さっさとどこかに行け」
「俺の女神。見つけた」
もう一度、はっきりと男はディーヴァと言った。本で読んだことがある。どこか異国の女神のことだ。
「彼女を買いたい」
「駄目だ。あいつは売り物じゃねえんだ」
「じゃあなんで、あそこで歌わせているんだ」
「あいつは王太子殿下の恋人に酷いことをした、元辺境伯のご令嬢さ。その辺境伯も悪事が暴かれて今やただの平民だがね」
男と奴隷商のやり取りを見ながら、私はまた歌う。今度は違う歌を。恋歌ではなく、冒険譚を。男はちらりとこちらを見て、それからまた奴隷商に視線を移した。
「刑罰として、ここでこんな姿で歌わせられているんだ。だから売れない」
「……なるほど」
少し考えこんだようになった男は、フードをはずして私の方を見た。銀色の髪がこぼれる。瞳は琥珀色で肌はすこし浅黒い。美男だと思う。優しそうな目をしている。
「また来るよ」
にっこりと男は笑った。その言葉に何か裏のようなものを感じて、私は少し眉間に皺を寄せたのだった。
「なんで?!」
その夜。私は奴隷商の屋敷の屋根の上に居た。何故か? あの昼に出会った男が、私を連れ出したのだ。萎えた手足では思うように抵抗も出来ず、お姫様抱っことかいう横抱きに抱えられて男の腕の中にいる。
「どうしても、君と一緒に居たくて」
だから連れ出したというのだろうか? 私はここではただの罪人だというのに。
「ちゃんと代金は支払ったよ。あの奴隷商、大金に目の色変えてた。それでもまだ少し渋っていたから、後押ししてやったんだ。俺が攫ったことにすればいい、と」
あのやり取りは他にも大勢の人が見ていた。だからそれを逆手に取ったということなのだろうか?
「君の名前、エリザヴェートと言うんだね。エリーと呼んでいいかな」
「貴方が買ったのなら好きにしたらいいわ。貴方のことは何と呼べばいいの?」
「そうだなぁ。シルヴィでいいよ」
あからさまな偽名を名乗られて、私はまた眉間に皺を寄せる。いっそのことご主人様と呼べばいいのだろうが、そこは無駄な令嬢のプライドが邪魔をする。
「君を世界一の歌手にしたいんだ」
「はあ?!」
「きっと大成させてみせる。俺のことはマネージャーと呼んでくれていい」
「……えっと」
「やっと見つけた俺の女神。絶対、離さないからね」
イケメンは残念なイケメンでした。いや、いやいやいや、この国で大罪を犯した人間だって説明されたはずなのに、何を言い出しやがったのか、この男は!!
「無理ですわよ」
「不可能に思えることを可能にすることに夢があるじゃないか」
あ、やばい。このひと、人の話を聞かないタイプだ。
「大丈夫。俺が絶対に君を幸せにしてみせるよ」
というか話を聞いて!
「私がどんな罪を犯したか、お聞きになったのではなかったのですか?」
「ああ、別にどうでもいい」
「は?」
「どうでもいい。この国の王太子のドロドロ恋愛劇とか興味ない。俺が興味があるのは君の歌声と君の姿と君自身なんだ」
どうでもいい、ときた。どうでもいいんだって。王太子殿下の元婚約者で、悪役令嬢とまで言われた私の過去はどうでもいいんだって。いけないことに、胸がきゅんとした。
「でも、逃げ出したことがバレたらきっと貴方に迷惑をかけますわ」
「かまわない。俺はその覚悟も決めた。君を世界一の歌姫にするためなら、どんなことも耐える」
このイケメンが至近距離でそんなことをイケボイスで囁いてきたりなんかしちゃったら、私には頷くしか方法は残されていない。隷属の足環は足についたままだし、逃げることも出来ないのだから、もうここはあきらめて流されてしまった方がいい気がしてきた。
そうです。だって私、今まで貴族のご令嬢だったんですもの。誰かに助けてもらわなければ生きていけないくらいのか弱さは持ち合わせている。
「本当に、いいんですの?」
でも念のため、しっかりと念押ししてみた。これでやっぱりやめたと言われたら、それはそこまでのお話。
「いいんだ。君でなくてはダメなんだ」
ぎゅうっと胸が鷲掴みにされてしまった。これはもう、逃げることはできない。彼の思う歌姫とやらを、目指すしかない。
「……では、不束者ですがよろしくお願いします」
抱きかかえられたまま、頭を下げるとシルヴィは少し笑ったような気配がしたので、思わず顔をあげた。悪戯が成功したみたいな、嬉しそうな顔をして彼はそこにいる。私をしっかりと抱きかかえて。
「こちらこそ、よろしくエリー。俺の歌姫」
……歯が浮くようなセリフは一日に回数制限をするようにお願いしようと思いながら、私はひとまずこれからどうなるのか分からなくなった人生のこの先を考え始めていたのだった。
診断メーカーさんで出た
「あなたは4時間以内に1RTされたら、歌手とマネージャーの設定でお互い好きあっているが、
素直になれない婚約破棄された悪役令嬢の、漫画または小説を書きます。
https://shindanmaker.com/293935 」
を元に書き始めたお話です。カナリヤ姫はエリーちゃんのことですが、果たしてどんなお話になるのか。
ハッピーエンドになることだけは決まっているお話ですが、よろしくお付き合いくださいませ。