君が好きなら私も好き
お前がやれ。いやお前がやれ。今日の家内は普段よりかなり騒がしいものとなっていた。
理由は単純に、アイビスという少女が加わったからだと思われる。というより間違いは無いだろうな。
「お前がやれ。私は洗濯なんてしたことない」
「嘘つけ! 毎日丁寧にパンツ洗ってただろうが!」
「何故パンツだけ」
えー、お分かりになられたかと思うが、アイビスとレイビアはどちらが洗濯をするか、と押し付け合いを始めていたのだ。
レイビアは新入りなんだから最初くらいは自分で洗濯しろ、と一点張り。対するアイビスは嘘を吐いての子供っぽい抵抗の仕方だ。見ていて滑稽だな。
モトニスは現在食料を採りに森へ入り、エリスは入浴中だ。
なら暇な俺や明日波がやればいいと思う者もいるかも知れん。敢えて言おう。嫌だ。
よく考えてくれ、俺以外は皆女性なんだ。俺が洗濯を行うという事は女性達の衣服なども洗わねばならんという訳だ。
明日波のは家で慣れているが、他の4人の衣服は俺達の世界とは異なり下の履き物が無いのだ。つまり、パンツが無い。
先程のアホ2人の押し付け合いに出てきた『パンツ』と言うのは所謂ズボンなどの事で、その内側に履く物の名称ではない。
それで何が嫌なのかと言うと、下が無いと言うことは直に触れているんだ、という事だ。流石に恥ずかしいだろう。
何? パンツ洗えるなら同じだと? 気分だ。
「ここは旦那にやってもらう。私ヤダ」
「俺も今嫌だと言っていたところだ」
「誰にだよ」
「読者にだよ」
「いや誰にだよ」
結局のところ俺が押し付けられ、呆れながら洗濯機が置かれている洗面所に向かう。
もう面倒くさいので適当に衣服を放り込み、ふと思い出した。今エリスが入浴中だという事を。
それがどうした、と済ませる訳にはならないのだ。
俺はここに来て以来何度もレイビアの全裸を目撃している。流石にこれ以上女性の裸を見る訳にはいかないと考えているのだ。
だが、俺の思考とは裏腹に風呂の扉は勢いよく開かれてしまった。咄嗟に真逆の方向を向いた。
勢いが良過ぎたか、首を痛めてしまった。
「あれ? 喜音何やってるの? 覗き? 覗きなのかなぁ?」
「腹立つ口調をやめろ。そして覗きではない。現に向いていないだろう」
「そっか」
エリスは見なくても分かるくらい楽しんでいる口調で喋っている。
俺はふと右手に握り締められているさらさらとした感触に気づき、汗が一筋頬を伝う。これは、何だ。
恐る恐る、静かに右手を顔の前へ持ってきた。
まあ何となく予想は出来ていたんだ。このパターンはコレだと言うのが。
ブラジャー、だった。黒いレースで紐のそこそこ攻めた感じの。
何だろう。誰のだろう。いや、誰も教えてくれなくて良いし、誰も考えなくていい。このままエリスを口止め出来ればそれで構わないんだ。
そう考えエリスの方へ振り向くと、エリスは恥じらう様に腕を胸の前で交差させた。忘れていた。裸なの。
「エリス、あの、すまん。そして、これは、洗濯をする途中であってだな」
「もう、そんな事分かってるよ」
よく見るとエリスはベージュのバスタオルを身体に巻いていた。何だ、裸ではなかった。助かったぞ。
だが彼女がこんなにも物分りが良かったとは。モトニスの次に話を聞かないと思っていたが。
「私とお風呂でしたかったんでしょ? もう、照れ屋だなぁ君は」
「全然違う!」
バスタオルをはだけさせていくエリスを止め、もう一度風呂の中へと突き飛ばした。
前言撤回する。全く理解していないぞアイツ。何がどうしてそういう考えに至ってしまったんだ。
何度も言っているが、俺は三次元に興味など無い。
だから例え誘惑されたとしても少しも揺らぐ事はない。特にこの世界の連中には今のところな。
「あのさ、喜音」
エリスがガラス扉越しに話しかけてきた為、仕方なく返事をしてみる。
「何だ」
「それ私の」
「……」
俺は無言で洗濯機に衣服を詰め、スタートボタンを押しトボトボと部屋へ戻って行った。
女4人と暮らすだけでも苦労していたのに、もう1人を連れて来たのは間違いだったかも知れない。
いやまあそのままにしていたらいつかアイビスは死んでしまっていただろうから、間違いではないんだろうが。
こんな異世界生活は望んでいなかったし、こんな生活になるとも思っていなかった。それだからか余計に疲労が酷い気がする。
気遣いの出来る優しく大らかで清楚な女性であったり、とびきり笑顔が素敵な元気っ娘だったり、もっとそういうキャラに登場して欲しかったものだ。
気が強い低脳な幼馴染みや更に低脳なチームのムードメーカーや、いちいち無い胸で誘惑してくる感情の読めないダラけ人や男口調な獣や碌に話せもしない女達は飽き飽きだ。
もうこういうのは要らん。
「匂い、嗅いだりした……?」
顔を紅潮させて耳元で囁いて来たエリスに対し俺は返事すること無くただただ「いつの間に入ってきてんだ」と心の底で嘆いていた。
そろそろゆっくりさせてくれないだろうか。もう疲れてしまったんだ今日は。
「因みに私は嗅いでる」
「何をしてるんだお前は!!」
エリスは俺の下着に顔を埋め、すぅーっと息を吸っている。と言うか匂いを嗅いでいる。
人の下着でその本人の目の前でよくそんな事が出来るなコイツは。何てことをしてくれているんだ、洗濯機回してしまっただろうが。
今から入れに向かっても遅いだろうなぁ。替えを持って来ていないんだぞ。あと一着しか。
「ご馳走様でした。なんちゃって」
「なんちゃってじゃない。もう二度とするな」
「でも何だろう意外だなぁ。あの匂いがしない」
「どの匂いだ? 漏らすような事は絶対にしないから安心しろ」
「あ、うん。うん」
エリスは慌てて俺にパンツを差し出すと、焦った様にもう一度顔を埋めて今度こそ俺に戻した。
いや、洗濯機の近くにでも持っていけ。籠が有るだろうが。
颯爽と部屋から飛び出して行ったエリスはそれっ切り部屋には戻らなかった。一体何がしたかったのかは全く理解出来ないが。
おっと、俺は何をしようとしていたんだったか。ああ、もう疲れ果てていたのだった。寝よう。
「喜音、起きてる?」
「明日波か……」
布団に包まろうと転がると、部屋の扉が幼馴染みによってノックされた。ほらダメだ。気を遣えない。
仕方なくベッドに座り明日波を入室させた。
「あのさ、さっきエリスさんが出て行った気がするんだけど」
「ああ、そうだ明日波。代わりにこれ頼めるか?」
「へ、パンツ?」
「ああ、エリスが勝手に持って来ていたんだ」
「何やってんのあの人……」
明日波もかなり呆れている様だ。パンツを熱心に見つめながら深い溜め息を吐いている。
ところで明日波、何故そんなに熱心にその下着を睨みつけている? 破れている所でもあったのか? だとしたら後で縫わなければな。
お前だから絶対に無いとは思うが、エリスの様に顔を埋める訳ではないよな? 流石に。
パンツを膝の上に置き、正座した明日波はちらちらと部屋を観察している様だ。何も珍しい物は無いのだが。
もしかして俺が18禁小説でも隠し持っているのではとか思ってはいないだろうな? 残念ながら何処にも無いぞ。
「あんたの部屋にしては殺風景ね」
「ああ。ライトノベルは殆ど全て家の中だからな。持って来る暇も無かった」
「有れば持って来たのね」
「無論だ」
何年の付き合いだと思っているんだ。明日波もそんな事お見通しだと思っていたのだがな。
そして逆にお前の趣味を暴露してやるとだな。男の胸筋を見て癒されるというのがあるだろう。俺の写真ばかり撮って部屋に貼っていて、バレないと思うか。
まあ人の趣味になど然程興味は湧かないのだが。俺なんかよりよっぽど変な趣味だと思うぞ。
「ねえ、訊きたいことがあるんだけど」
明日波は改まって俺に向き直る。真剣な双眸が俺の身体をここに縫い付ける様に逃がさない。
そういう態度で来られると調子が狂ってしまうのだが、無視するという訳にもいかないからな。
ただそんな事よりいい加減眠たい。
「私のこと、どう思ってる……?」
「む?」
『どう思ってる』、だと? 全く予期していなかった質問が投げられて来たぞ。これはどう答えれば良いんだ?
一度整理してみるとしよう。俺にとって明日波とはどういう存在なのだろうか。
まず、簡単に思いつく事が出来るのは「幼馴染み」「理解者」というところか。そしてそれ以上ではなく、それ以下でもないといったところで答えが出せるな。
俺は脳内で台詞をよく整理してから質問の答えを返した。
「お前は俺の幼馴染みであり良き理解者だ。親友だとも思っているぞ」
「そっか」
自分では精一杯の好意を伝えたつもりなんだが、伝えられた明日波は嬉々とした笑顔ではなく、悄々として曇った笑顔だった。
何故だ? ちゃんと伝わっているのか? それとも伝わっていないのか? どちらにせよ、この表情は穏やかじゃない。
俺が明日波に手を伸ばすと、彼女はそれを避けるかの様に両手で顔を覆った。そして明るい笑顔を見せてきた。
「私は喜音のこと、好きだよ。昔から。ずっと、ずっとね」
「……何?」
突然過ぎるカミングアウトに戸惑う俺は、その一言を口に出すだけだった。
明日波が俺を好きだった。しかもつい最近惚れたとかいう訳でなく、ずっと前から。
告げられた想いを受け止めることは無い筈の俺だが、何やら胸の辺りがキツく締め付けられる様な苦しみを感じた。
「いくつの頃だったかなぁ。私元々ひ弱なんだけど、それで『キモい』とかってイジメられてたんだ。でもそこに喜音が割って入ってきてさ」
──『弱い者イジメをする者は大抵集団で行動をしている。それは自分1人では仕返しを受けるかも知れんと恐ろしいからだ。要するに、自分より弱い者を作らなければ自分がそういう目に遭うとビビっているんだ』
確かに小学生の頃、明日波がゴミ箱を被せられているのを見かけて助けに入った記憶がある。俺の記憶が確かなら、その後俺はボロボロになって倒れている筈だ。
何処にも惚れる要素は無い。
明日波は窓を開けると、輝きを放つ太陽に向かって何かを呟いた。
ただ、聞こえはしなかったが。
「私にとってはあの助けてくれた瞬間からが恋の始まりだったんだよ。今では『何で?』ってなる時もあるけど、多分これからもずっと変わることはないと思う」
「そうか。明日波、ありがとうな。だが俺は──」
「二次元以外に興味無いんでしょ? そんな事嫌だって思える程知ってるわよ」
「ああ。だが一つ、言わせてくれ。俺は決してお前を嫌ってはいない。むしろ好きな方だ。それだけは憶えておいてくれ」
「分かった」
たった今、相手のこともよく見ていなかった様な最低な男に振られたというのに明日波の瞳は輝いていた。いや、明日波自身が輝いていたのかも知れない。
俺が知る以上世界中の誰よりも強い心を持つ幼馴染みは、今はどの誰よりも儚く美しいものに見えた。
日の光に照らされて煌めく真紅のポニーテールは、風に遊ばれて静かに眠る。
まるで明日波の気持ちを表現してみせたかの様に綺麗に。
こちらへ向き直った明日波は腰に両手を置き、ベッドに座る俺を屈んで覗き込んだ。
「喜音が私を好きでいてくれるなら私も喜音を好きでいられるよ。永遠に。いつか振り向かせてやるんだから、覚悟してよね」
涙が出そうな程強かな彼女の足は、唇は震えている。苦痛を堪える様に小刻みに。
大したことの無い俺を、情けない俺を、最低な俺なんかを好きでいてくれるこの女の子に半端な気持ちは許されない。せめて心からの言葉を交わしていこう。
「ああ。これからもよろしくな、明日波」
「うん……!」
幼馴染みとしてなのか、親友としてなのかはまだ定かでは無いが、俺と明日波は決して離れはしないだろう。いつまで経ってもお互い大切な人であり続けような。
それはそうと、明日波よ。いつまでパンツを握り締めているんだ? もしかして、好きだからと匂いを嗅ぐ訳ではあるまいな?
男が履いたパンツの匂いなどを嗅いで何が楽しく何が喜ばしいのか微塵も理解出来ないが、何となく止める事もできなかった。
明日波はエリスとは違って正常だった。匂いは嗅がず洗濯機に無理矢理突っ込んだのだ。
脳自体は正常とは言えない様だ。
「ああ喜音、パンツご馳走様。今履いてるのくれてもいいんだよ」
明日波が部屋を出ると入れ替わりでエリスがやって来た。汗ばんだ身体で。
「エリス、お前がやったのは常人なら真似出来ないであろう変態的行為だからな」
「いいもん。私喜音相手なら変態になれるよ」
「いや、俺が悪かった。もう手遅れだな。暫く俺の部屋に入る事を禁ずる」
「うそ……」
パンツを手にしてから明らかにおかしくなってしまったエリスを寄せ付けないよう部屋の鍵をしっかり閉め、引き籠もった。
ん? そう言えば何かを忘れてはいないだろうか?
「ハロー」
俺の思考が追いつく前に窓から侵入して来ていたエリスはニタリと笑った。
即座に追い出した俺は、全ての隙間を塞ぐことにしたが息苦しいので鍵を閉めるだけにしておいた。
エリスはちょっとヤバいな。
このままじゃいつ襲われるか分かったものじゃない。18禁作品ではないんだからな。
警戒したままベッドに横たわると、疲労の所為か一気に睡魔に誘われ眠りに就いてしまった。