こんな世界だけど
──浮き足立つほど、町はやたらと盛り上がっている。
誰かが埋蔵金でも見つけたか、世紀の犯罪者が確保されたか、それとも永遠の命が全ての人間に与えられたのか。
そんな訳がない。俺は確かにまだ生きちゃいるが、不死身になった覚えはないからな。
古き時代を思わせる造りの建造物が並ぶ中、最近完成したビルなんかも見える。人口はかつての何十倍にもなっていて、それでもまだまだ少ないが騒がしくて仕方がない。
この町の裏路地は、やはり古風なままだ。人手が足りないふから整備する余裕もないのだ。まぁ俺は一向に構わないが。
そして路地を進んで行くと、かつて人が住んでいた貴族の町が見えて来る。塀に囲まれていて、高い建物くらいしか見えはしないが。
そんな、隔てられた町を見上げる。
俺と共にいた四人は、あそこに住んでいるんだったな。
「俺はやはり、こっちの庶民的な町で暮らす方がいいな。レイビアもそうだったが、結局エリスに説得されて連れて行かれた。故郷を離れるのは嫌だったろうな……」
ま、エリス一人は寂しいだろうから仕方ないが。アイビスも含め、三人で仲良く暮らしてくれればそれでいい。
ところで、ここで待ち合わせしている筈の女性が全く姿を見せないんだが。もう待ち合わせ時間過ぎてるんだが? 俺も遅刻だから間違いない。
「おいおい、面倒臭いから帰るぞ? どうせこの世界に、楽しめるくらい発展したものなんてないんだからな」
「それは酷いですよ、喜音さん」
声のした方へ振り向く。そこには、紛うことなき俺の恋人が立っていた。
安堵の気持ちが溢れて、自然と笑みを溢す。
「悪い、冗談だ。さぁ行こうか、リディア」
「ええ、行きましょう」
彼女の手を取って、バカ騒ぎする町を歩き出す。
元の世界から大量に持って来た甲斐があるな、桜が綺麗に咲いている。
町はひたすらうるさいが、いつも通りの毎日だ。
だが今日は少しだけ特別な日とも言える。
俺が、マリフ・ゴートに帰って来て一年が経った日なんだ。
「凄い騒ぎですね、誰かが亡くなったのでしょうか」
「物騒なことを言うな。しかも町民達は歓喜しているぞ、エリス顔負けのサイコパスじゃないか」
「後でエリスさんにお伝えしておきますね」
「やめろ」
建物も地面も、田畑も木々も……全てとはいかないが生まれ変わっている。これには深い事情があり、説明は酷く面倒だ。
まず、明日波と別れたあの日、リディアの魔法によりこの町だけだが修復することが出来た。アテモテやアテテテ達によって破壊された物は、大抵元通りとなったのだ。
それでいて、アンファンを数匹見つけ出すことに成功した。それから半年かけて人口がここまで増えた。
俺は知らなかったからチビりそうになったんだが、アンファンから産まれたあの町民達、瞬く間に大人になったよ。怖ぇマジで。
「しかしアレだな、アンファンの子供同士が子供作っても、その子供は急成長しないんだな?」
「いきなりその話ですか。毎秒性的なことでも考えているのですか?」
「違うわ。過去を振り返っていたら疑問に思ったんだ」
「……はい、アンファン自体から産まれなければ、人間と殆ど変わりませんから。そしてアンファンの子供同士は血が繋がってはいますが、この世界でそんなこと関係ありませんし、どんどん人口は増やしていけますよ」
「ほう、中々カオスなことになりそうだな。まぁアダムとイブのことを考えればそこまで変ではないか」
「そうですね。ところで今日は何をするんですか? 私は聞かされていません」
「ああ、ちょっと待て」
別に見なくても覚えているのだが、予定をメモしていたノートを取り出す。春と言えど暑いからなー。
「新しく出来たビーチにでも行くか? 結構距離あるが」
「却下です、換えの服は準備していません」
「全裸になれば……」
「ヘンタイ」
冷たい目を向けられ、少しだけ反省した。ちょっとしたジョークのつもりだったんだ、あまり気にしないでくれ。
因みに、俺とリディアは今、恋人の関係になっている。
しかし決して戒を捨てたとかではなく、予定通りラブコメを意識して過ごしていたら、リディアから告白を受けたんだ。
正直戒に申し訳なく、初めは断った。だがあまりにも諦めないので、こうして付き合う形となったのだ。
かと言って、リディアのことが好きじゃない訳ではない。流石に一年もアレコレしていたら意識するようになる。
難しいな。俺は戒とリディアに順位をつけられない。どちらも一番好きだ。
「もしかして何も予定していなかったんですか? そうだとしたら流石に軽蔑しますよ。連れ出された私の身にもなって下さい」
「いやいや、何も考えていない訳ないだろう」
もう、今は俺しか住んでいない、山の上にある家を指差した。相変わらず崖っぷちにあるよなアレ。
リディアも俺と同じ場所に視線を移し、一度俺をチラ見した。コイツの表情、あまり変わらないからアイビスと似ている。
「戒さんのところ……ですか」
「自分の姉も忘れるな」
「ええ、勿論忘れていません。喜音さんにとって最も価値があったのは、戒さんだと思ったからです」
「その言い方は好きじゃないなぁ」
物みたいじゃないかそれでは。戒は俺の、愛しい嫁だったんだぞ。
おおう、紛らわしい。今の恋人を目の前にして別の女を「嫁」とか。嘘じゃないしリディアは理解しているからまだいいのだが。
とにかく、今日は墓参りに行く。俺は毎朝挨拶しているんだがな、リディアはそうじゃない。
コイツは何故か、遠慮していてあそこに近寄らないんだ。だからこうして俺が連れて行ってやれば、拒否出来ないだろうと思ってな。
「喜音さん、やはり私は……ここから先に踏み込む勇気がありません」
坂の前までやって来て、予想通り拒み始めた。全く世話のかかる奴だ。
溜め息を一つ。立ち止まるリディアの手を引いて坂を登る。
「ちょ、喜音さん……! 何度も言いますが、私はここには……」
「俺も何度も言うぞ。ここは別に立ち入り禁止区域ではない。お前だって入っていいんだ。寧ろ、アイツらはお前を待っていると思うぞ」
「……本当ですか」
「ああ、アイツらはそういう奴らだろう」
ずっと俺達を見ていたリディアにだって分かる筈だ。戒は恩を忘れないし、何よりモトニスが、お前を拒む訳がないだろう。
すっかり寂しい雰囲気となった家の、直ぐ正面。元々ここは草原だったが、今は岩の壁に囲まれた墓地となっている。
俺の住処は、玄関を出ると墓が目の前にあります。
「ここには、モトニスと戒だけではない数多くの魂が眠っている。といっても、見つけることが出来た者達だけだがな」
「……そうですか。この中に、私の義父母はいらっしゃるのでしょうか」
「見てみれば分かる」
逃げ出さないようにしっかり手を繋ぎ、いざ墓地の中へ。中心には、この世界を救う立役者ともなったモトニスの墓がある。
その隣には、我が妻である戒の墓だ。
ここの人達は計三十人を越える。しかし、姿が残っていたのはほんの数名だけだ。その内の一人が戒である。
リディアはモトニスの墓に目をやると、一瞬逸らしかけた。しかし意を決したように見つめ、ドレスの裾を摘んで膝をつく。
「モトニスお姉様、ご機嫌よう。覚えていらっしゃらないとは思いますが、私はリディアです。貴女の、義妹に当たる者です。──お久しゅうございます……っ」
ポロポロと流れ落ちる涙は、堪えられるものではなかった。思わず貰い泣きしてしまう。
我慢するけどな。
「そして、戒さん。初めまして。大変恐縮なのですが、私は今、喜音さんの恋人です。ですが喜音さんは、戒さんを忘れたい訳ではありません。今でも愛していらっしゃいます。私が喜音さんを支えてあげたいだけなので、どうかお許しを」
それは今、直接伝えなくてもよくないか? 戒に限ってそんなことはないだろうが、「乗り換え早いなぁ?」 みたいな感じで蔑まれたら嫌だ。
今度は交互に、リディアは目を向ける。さっきまでの泣き顔とは打って変わり、とても美しく華やかな笑顔をしていた。
普通に見惚れてしまう。
「本当は、ちゃんと会ってお話がしたかったのですが……申し訳ございません。お姉様は救いようがありませんでしたし、戒さんの時は間に合いませんでした」
「間に合わなかった……?」
「はい。私が復活するには、途方もない程の魔力が必要だったんです。それは前にもお伝えしましたね」
「ああ、確かに聞いた気がする」
明日波と別れた後、リディアは俺達の前に現れた。その時はスルーした筈だが、町を復旧させるために駆け回っていたとある日、本人から説明を受けたのだ。
リディアは肉体を生まれ変わらせるために魔力を蓄え続け、必要最低限に達したら出て来たのだと。
相も変わらず、凄い魔法だとは思う。
「……あもしかして、魔力が溜まるのが間に合わなかったってことか? もっと早く溜まれば会えたのにみたいな」
「その通りです。と言っても、喜音さんとお話する前までは完全に諦めていて、蓄えてすらいなかったんですけど」
「その上全員眠らせていて、俺には仮想世界をプレゼントなんてレベルの違う使い方をしていたしな」
「お恥ずかしい話、自分が消えてしまうのではないかというくらいには、魔力が削られていました」
本当に恥ずかしそうに目を逸らすリディア。まぁ、自分を仮空間で保護しながら別の奴に夢の世界を見せているのに、「まだ余裕ある」なんて言われてもな。
寧ろあそこまでしておいて、そこそこ短時間で溜められたのは凄いと言わざるを得ない。
「それでは喜音さん、お尋ねしたいことがあるんです」
「何だ?」
すっと立ち上がったリディアは、少しキョロキョロしてからその整った顔を近付けて来た。
レイビア以外に言いたいのだが、お前達は身長差をよく考慮して動いた方がいい。そんなに近くで見上げたら苦しいだろう。
「私の両親はいらっしゃいますか? 勿論、お姉様の実父母のことです」
「ああ、それのことか。……いるぞ、残念ながら本体はないのだがな」
「それはもう、かなり前のことですから仕方ありません。寧ろ残っているのが凄いのでは?」
「中にはアテモテに遺体が真っ二つにされていた奴もいた。しかし白骨化するに早過ぎる。残っていない方が不思議とも言える」
「それもそうですね。私のように存在を消されたのならまだしも、ない筈がない身体も殆どないのですから」
そうだな、そいつらの身体は何処にあるのだろうか。
……考えるまでもないな。彼らの肉体がないのは、コンティニューされたからだ。復活することもなかったのだろう。
「こっちだ、リディア。エリスの希望でな、モトニスと両親の墓は離れている」
「何故ですか?」
「俺も天国で会わせてやれと言ったんだが、モトニスはそこにはいないと説得されてしまってな。近くにいるのに会えないこと程、辛いものはないのだという」
「……その気持ちは、痛いくらい分かります」
ああ、俺もだ。
直ぐそこに戒がいるのに、もう口を利くことも叶わないんだ。
少し歩いて、モトニスの両親……そしてリディアの親の墓へと辿り着く。リディアは先程と同じように膝をつき、瞳を閉じた。
よく考えたら、貴族なのに膝をつくって珍しいよな。モトニスは胡座かくしエリスは全裸になるような奴らだが。
貴族って、案外ロクなのいないんじゃないか?
「お義父さま、お義母さま。お久しゅうございます。突然ですが私は今、恋をしています」
「ブブッ」
噴き出した。親に紹介されることになると、胃が痛むんだよな。何か。
「貴方がたがお亡くなりになり、お姉様もこの世を去りました。私は再び一人になってしまいましたが、この喜音さんが救ってくれたのです。だから寂しくはありません」
とても穏やかな面持ちで、リディアは伝えられる言葉を溢れさせていく。どんな気持ちで語りかけているのかは知る由もないが、この表情を見る限り、マイナスではないだろう。
俺からも、貴方達に伝えたいことがある。この世界は、数多くの人達が一丸となって救ったものだ。その中でもモトニスとリディアは頭一つ抜けているだろう。
彼女達がいなくては、俺達は呆気なく滅ぼされていただけだ。
もし勝利を収めたとしても、リディアがいなければどっちにしろ滅んでいる。
だから、そこからでいい。存分に褒めてやってくれ。
「──喜音さん」
優美に立ち上がったリディアは、一度瞼を閉じてから俺の目を見つめた。
俺も、その宝石のような瞳と視線を交わす。
曇りのない笑顔に、心が安らいだ。
「こんな世界ですけれど、これからもよろしくお願いします」
「ああ、よろしくなリディア」