後編
「これにて、第72回文化祭を終了とします」
文化祭は恙なく進行した。あおいさんのおかげでかるた大会は大いに盛り上がり、香音先輩の活躍もあって片づけもすぐに終わった。何の問題もなく終わったことに関しては、少しの寂しさを覚えるが、それにしても先輩方二人合わさると、そつなくこなせてしまうので不可能なことなんてないんじゃないかと思わせられる。
「そんなことないよ、雄ちゃんだって頑張っていたじゃない」
「そうですよ、準備とか案内とかビラ配りとか」
「ありがとうございます。それにしても、あおいさんの盛り上げ方はすごいですよね。どこで教わったんですか?」
「いやあ、それほどでも。特に教わってはいないけれど、でもみんながこの時を楽しいと言ってくれたら嬉しいじゃない?そのためには、こういう盛り上げ方が良いのかなって」
「さすがですね、あーちゃん」
「ありがとう、のんちゃん」
「そういえば、クラスの方はどうだったんですか?」
「私たちは、ほとんど関わっていないからね。よく分からないや」
「僕も同じです」
「いやあ、でも終わったなぁ」
「高校生活最後の文化祭ですものね」
「ということは、先輩方も卒業ですね」
「まあ、と言ってもやることはないし」
「受験勉強も兼ねてまた来ますよ」
「少し寂しいですけれど、そうして頂けるとありがたいです」
「あれあれ、もしかして好きに?」
「なってません!」
「別にいいのに、雄一君」
「からかわないでください!!」
「はいはい、分かりました」
バタン
大きな音と共に、あおいさんは片づけ終わった部室の床へと倒れこんだ。
「あーちゃん?」
「あおいさん?」
「…い、いやあ、今日は疲れちゃったのかな…ははっ」
「…まさか、あーちゃん!」
「え、いやいや違うよ、そういうことじゃないよ」
「いや、絶対にそうです!今すぐ救急車を」
「本当に、大…丈夫だから…」
「あおいさん、無茶しないでください!とりあえず保健室行きましょ、ね?」
「…ごめんな」
人ひとりおんぶするには、彼女はいささか軽かった。それはもうさながら羽毛布団のように暖かく、とても病人とは思えなかった。
「本当に、文化祭で興奮したんですかね?」
「…ごめんなさい。雄一君、後はお願い」
「分かりました!」
「よろしくお願いします」
「あおいさんに礼儀正しくされると、少し笑えますね」
「笑うな!」
「じゃあ、しっかり捕まっていてくださいね」
保健室は、この棟の1階なのでそこまで遠くはないのだが、下りるためには階段を使わなければならない。いくら軽いとはいえ、少し辛い作業である。
しかし、そうはいっていられない。何しろ先輩の緊急事態なので、弱音は吐かずに行く。
「それにしても、あおいさん。鼓動速くないですか?」
「そうかな?これが普通だと思っているから、特に興奮するとね」
「そうですか」
「…雄ちゃん」
「何ですか?」
「卒業しちゃったら、寂しい?」
「そりゃそうですよ。たった一年ではありましたが、それなりに楽しかったですし」
「そっか、寂しいか」
「あおいさんがいなくなったら、部活の楽しみも減りますし」
空気を重くしたくないという気持ちも確かにあったが、それよりも本音の方が近い発言に、あおいさんは、優しく微笑んだ。
「…大好きだよ」
「…僕もです」
「そういうことじゃないんだけど…」
「え、じゃあ、どういう…え?!」
「ふふっ、可愛いなぁ、雄ちゃんは」
「…もう、からかわないでください!」
こう言うやり取りも、あと半年だと思うと、また寂しさに苛まれる。
「私ね、病気なんだ」
立ち止まらずにはいられなかった。あと14段降りるだけなのに、それすらもできないほどに、度肝を抜かれた。
「…と言いますと?」
「なんかね、難病だって言っていたかな?」
「…どんな?」
「血管の中には、赤血球とか白血球とか血小板とかあるじゃない?」
「ええ、生物はというか、理科系は苦手ですが、それくらいは覚えています」
「それらが、全部溶けちゃうんだ」
「…原因は」
「それが、分かんないんだって。どんな薬を使っても、結局体温で溶けちゃうんだって」
「それじゃ、今までよく生きられたって感じなんですか。不謹慎ですけれど」
「そうなんだよね。どうやら、血流に酸素をとりこんで、ぎりぎりで生きていたみたい。奇跡だと思うよ」
「…なんだか、先輩らしいですね。ぎりぎりを全力で生きている感じ。自ら崖のすれすれまで行って、往復ダッシュする感じ」
「…おい、私を何だと思っているんだ」
時折聞こえるあおいさんの鼻から空気が抜けた微笑みの音が、徐々に鼻水の混ざった音となっていった。
「…それは、治るんですか?」
「ううん。今の技術だと無理…かな」
「あおいさんと、香音先輩が理系に進んで、いずれ医者を目指している理由って」
「それも…あるかな」
「…、少なくとも卒業まではいますよね?生きてますよね?」
「…もちろん」
色の白いは七難隠すという言葉は、本来皮肉的に用いることが多く、彼女のような美人にはあまり用いられない言葉であることは、ことわざ研究部である僕は十分に把握している。
しかしながら、どうだろうか。
七難というのは、ただ卑しいとかという意味ではなく、ハンディキャップという見方も取れるのではないだろうか。
無条件に褒めるということは、その人に関わろうとしないことを意味する。
可愛いと褒めれば、それ以上の干渉をしなくなる。ただ鑑賞するだけになる。
その子が、感傷的になっていることも知らずに。
その子が、辛いことにも気づけずに。
病気でも、非常識でも構わず、ここにいればいいなどという無責任なことを言う。
そうやって、その人の居場所を奪う。
気付かずに、気づかぬふりをして、僕たちはただ傍観していた。
弥倉あおいは、病魔に蝕まれていたというのに。
一番近くにいたはずの僕が気づけなかったのは、それでも彼女が気付かないでほしいと願ったからなのだろう。
―――――――――――
「じゃあ、ここで寝かせておくわ。徳倉君も、そろそろ下校時間なんだから、ちゃんと帰り支度しときなさいね」
保健の先生にあおいさんを託し、僕は部室へと向かった。階段を上ると、自然と涙が出てきた。実感はあまりにも薄く、本当なのか嘘なのかさえ分からなかったのにもかかわらず、こんなにも早く、しかも大量に出るということは、それほどまでに彼女の未来を案じているからなのだろう。
部室に入ると、香音先輩が帰り支度をしていた。
「あ、雄一君。あーちゃん、大丈夫だった?」
「…ええ、まあ」
「何泣いているんですか、男の子なんだから、シャキッとしてくださいよ」
「ああ、すみません」
「…そうだ、今日そこのレストランに行きませんか?確か、先週オープンしたばっかりの」
「ああ、あそこですか。良いですよ!」
「よし、じゃあ行きましょう」
帰り道、台風と行かないまでも降りそそぐ雨が、俺たちの気持ちとシンクロしてしまい、会話は弾まなかった。
「…そういえば、来週模試っすよね。先輩どうなんですか?」
「ああ、私はいつもA判定だから、あんまり気にしていないですね」
「…すげえ」
「そんなことないですよ、受かるところしか受けてないだけで」
「あれ、どこでしたっけ?第一志望」
「ふふっ西櫻薬科大学です」
「西櫻って、偏差値80越えで最先端の研究で人気を博しているあの西櫻薬科大ですか⁈」
「わざわざ、そんなセールストークみたいな」
ちなみに説明しておくと、理系には東西南北4大大学という大学群が存在している。
理系の人は、ここを目標に勉強しているといっても過言ではない。
建築の鬼、北筵大学。
農業の頂、南垂農科大学。
情報の姫、東鍼女子大学。
医薬の神、西櫻薬科大学である。
そのうちの一つに入るという先輩は、さすがとしか言えないし、しかもそれを「受かるところしか受けてない」と言ってのけてしまうのだから、他の受験生が聞いたらめちゃめちゃ怒られそうだ。
「それくらいしなきゃ、あーちゃんの病気、治せないだろうから」
「…そうですか」
「さあ、着きましたよ。何を食べましょうかね」
「そ、そうですね…」
「へえ、ハンバーグ美味しそうですね」
「確かに。じゃあ、予約のところに名前書いてきますね」
「あ、宜しく。ありがとう」
「いえいえこれくらいは」
名前をササっと書いて、空いている席に座る。
「次にお待ちのとくらさま」
「はい」
ゆっくり店員の後ろについていくと、香音先輩が裾をつかんできた
「なんか、二人でとくらって呼ばれると夫婦みたいですね」
「いやいや、無いですよ!…ないですよね?…どうして頬を赤らめているんですか!」
「こちらの席になります」
「ありがとうございます」
「ごめんごめん、ほんの冗談」
「もう、やめてくださいよ」
「それより、頼みましょう!」
「じゃあ、僕はおすすめのハンバーグで」
「うーん、悩みどころだけど、私もそうしようかな」
「では、特製ハンバーグ2つでよろしいでしょうか」
「お願いします」
店員さんの無駄のない動きに感動していると、香音先輩は打ち明けた。
「…ごめんなさい、黙っていて」
「…いえ、先輩が謝ることではないですよ」
「もう少し、早めに言うべきだったと思いますし」
「それより、これからのことを考えましょう!先輩だって受験がありますし、あおいさんだって多分そこを狙うんでしょ?」
「そうなんだけれど…あまりにも難しいのは、体に負担だからやめた方が良いって、お医者さんに言われているみたいなの」
「…そんなことって、あるんですか」
「だからこそ、私がそこに行く」
その目は、固く決意していた。
「…正直なところ、あおいさんの病気っていつまでと言われてるんですか?」
「いつ死んでも、おかしくないんだそうです」
「…マジっすか」
「マジみたいです」
「…そうですか。僕たちにできることってありますか?」
「…最後まで、彼女のやりたいようにやらせるということですかね。自分の人生に悔いがない、これ以上の幸せはないと思ってもらえるような、そんな最期を送らせるということだけですね」
「それなら、出来そうですね」
「…少し、不安なんですけれどね。また、最愛の人がいなくなると思うと、居ても立っても居られなくなる。たぶんそんな日が、いや絶対来ると思います。その時は」
「その時は、僕が対処します!」
「…ふふっ、ありがとう。やっぱりあーちゃんには、そしてこの関係には雄一君が必要ですね」
「…そんな、やめてください」
「割と本気で、お願いします」
「…もちろん、そのつもりですよ。最初から」
「…良かった。ありがとう」
「大丈夫です。七転び八起き、最後には必ず起き上がりますよ、あおいさんなら」
「そうだね」
その日食べたハンバーグのおいしさを伝えるために、零れそうな涙をぬぐい、二人は味わいながら、食べた。
―――――――――
12月に入ってすぐ、弥倉あおいは入院することになった。入院先は、最新技術でできている西櫻薬科大学の大学病院だ。
薬科大学としては珍しくはあるが、一昨年から作られた医学部に伴って作られたという。
「のんちゃんが目指している学校だからね、めっちゃ楽しみだよ」
「頑張ってくださいよ、あおいさん」
「そりゃもちろんよ!センター試験には間に合わせる!」
「その調子ですよ!」
「じゃあ、私達は帰るね」
「うん、のんちゃん雄ちゃんありがとね」
「また見舞いに来ますからね」
「うん!」
その後、彼女には何度か峠が来た。
生きるか死ぬかの峠を、彼女は見事に切り抜けた。
九死に一生を得るという言葉があるが、彼女は本当にしぶとく生き残った。
そして、その峠が終わるとすぐに笑い話に変えていく。
本当に彼女は楽しいことが好きで、楽しませることが好きで、こんな人が病魔と闘っていると知ったら、世界でどれだけの人が悲しむのだろうかという疑問をうかばせてしまう。
本当にセンターには復活しそうで、凄いと素直に感心してしまう。
そんな大晦日だった。
「大丈ブイ!」
「懐かしいです、そのノリ」
「え、そうなの?」
「あーちゃん、また勝手に外に出たんですって?」
「…ははっ、ごめんごめん。つい外が気持ちよさそうで」
「もう、ちゃんということ聞いてもらわないと」
「すみません」
「滅ですからね」
「待って、なんかかわいい風に言ってくれたけれどのんちゃん、つをしっかりと発音されてしまうと背筋が凍るよ?」
「ああ、すみません。って、もうこんな時間。また怒られちゃう、雄一君じゃあ先帰るね」
「え、ああ、はい」
「じゃあね、あーちゃん」
「うん、じゃあね」
この会話が、田倉香音にとって、弥倉あおいとの最後の会話となってしまった。
―――――――
「ねえ、雄ちゃん」
「どうしました?トイレですか?」
「じゃなくて、もうすぐ新年だねってこと。1月1日まで、あと2時間無いよってこと。もう慣れちゃったのね。」
「そりゃさすがに」
「最初はあんなに恥ずかしがってくれたのに」
「そりゃ最初は」
「ねえ、覚えてる?」
「何がですか?」
「最初に勧誘したときのこと」
「ああ、あの時は失礼な態度を」
「いやいや、こちらこそ。当時は、この子四字熟語しか知らないのかなって思っていたし、おあいこだよ」
「いや、どうしたらそんな勘違いができるんですか?」
「めちゃめちゃ勧誘に行った時、雄ちゃん『十人十色の人生なので、押し付けられても困ります』って言ったじゃない?」
「ああ、そこで。って納得はしかねますよ⁈」
「まあ、その時から面白い子だなとは思ったんだ。絶対に逃したくないと思ったね」
「そうだったんですか」
「そうだとも。それが今やこんなに成長しちゃって」
「なんで、近所のおばちゃんみたいなことを」
「…ありがとうね。うちの家族を、宜しくね」
「…なんで、そんないきなり」
「今日、久々にくるんだよ」
「そうなんですか。じゃあ、僕帰った方が」
「いや、そこにいて。紹介したいから」
「そ、そうですか」
この時間は、長く感じるのと同時に、終わってほしくないと思った。
「ああ、こんにちは。坊ちゃんは、徳倉雄一君だね?」
「え、ああ、はい!」
「私は父親の弥倉勉だ。宜しく」
「母の弥倉美沙です」
「と、徳倉雄一です」
「聞いていた通り、いい男じゃないか」
「そうね、お父さん」
「あ、ありがとうございます」
「どうかな、この後一緒に正月のの御祝をしないか?」
「ええと、喜んで!」
「そうか、なら良かった」
「お父さん、病室ではお酒はだめですからね?」
「分かってるよ!」
「仲良いんですね、弥倉家は」
「そうだよ、皆優しいからね」
それは、きっとあおいさんがあおいさんらしいからだと思うというのは、出過ぎたマネに思えた。
「だから、皆がいるところで終われてよかった」
「…え?」
「…おい?」
「…ねえ?」
三人そろって意表を突かれた。
「…私ね、死ぬということに、さほど恐怖はなかったんだ」
「待って」
お母さんが叫ぶ。
「…みんなと勉強して、ことわざについて…議論して、遊んで…、楽しかったから」
「やめてください」
僕が嘆く。
「お父さん、お母さん、雄ちゃん。私、怖くなってきちゃった」
「・・・もう、何も言うな」
お父さんが諭す。
「まだ、やっていないこと、いっぱい、いっぱいあるもん」
「分かったから、もう何も言わなくていいから」
「勉強したい、運動したい、遊びたい、話していたい、笑い合いたい、盛り上がりたい、美味しいもの食べたい、綺麗な景色が見たい、結婚したい、子供を産みたい、まだ、生きていたい」
「…僕たちとやろう。やっていないことぜんぶ、やろう!だから、まだ」
「…でも、限界だよ。疲れちゃった。眠くなっちゃった」
「…うぐ、ひぐ」
「…もう、ここは、パトラッシュか!っていうところ…でしょ?」
「それを、言うなら、ネロ…ですよ」
「…あれ、そうだっけ。そうだった…か」
彼女の天使のような甘く透き通った麗らかな声は、それ以来響くことはなくなった。
その代わりに、警告音が病院中を響き渡った。1月1日、午前0時2分。永眠。
最後の最後まで医者や看護師を気付かせない辺り、迷惑をなるべくかけたくない彼女らしい終わり方だと、少なくとも僕は、そう感じた。
―――――――――
あおいさんのお母さんお手製のおせちは、大変に美味であり、お持ち帰りをしたくなったが、その気持ちが沸き上がったタイミングで、食べ終わってしまった。
結局年越しまで起きると意気込んでいたお父さんは、お酒によってつぶれてしまい、お母さんは、その世話をするということで、あおいさんの墓へと向かったのは僕と、昨日里帰りを果たした香音先輩の二人だけだった。
「それにしても、雄一君が製薬会社に勤めているとはね」
「先輩こそ、いやさすがというべきですか。内科医でしたっけ?」
「まあね。おかげで、休日返上ですよ」
「そうなんですか」
「つくづく教えられますよ。人は他人を助けられないってことを」
「でも、香音先輩は、お医者さんですよね?」
「あーちゃんみたいに、助かろうとしていなかったら、助けられないってことですよ」
とても厳しく、されど優しく。香音先輩は、大きくため息を吐いた。
「そういえば、何していたのですか?あーちゃんの家で」
「ああ、少し述懐を」
「なるほど。十回忌ですもんね。今年」
「十回の述懐をお父さんたちとしていました」
「それまた、楽しそうなことを」
香音先輩のクスッと笑う横顔に、零れかけた涙が引っ込み、その分だけ、笑みがこぼれた。




