二対二の戦い
風呂に入って汗を流し、早めに用意してもらった夕食を終えると、僕らは少しだけ仮眠をとった。
深夜になる前に起きだしたが、やはり肩と腿のあたりに筋肉痛がある。
慣れているとはいえ、わりと重い資材を扱う上、砂浜での作業だったことからいつもよりは疲労があったらしい。
一方で、砂浜ダッシュやらを繰り広げていた御子内さんたちが元気いっぱいなのはなんとも解せないが……。
「〈手長〉と〈足長〉はここに来るの?」
「さっき八咫烏が誘導してきてくれると言ってきた」
「八咫烏が? あいつにそんな真似ができるの?」
「〈手長・足長〉系の妖怪に対して八咫烏はかかわりが深いんだよ。かつて、彼らが神の眷属であり国造りの巨人の一種と言われていた頃から、悪業を見かねた神さまが霊鳥である三本足の八咫烏を遣わせて、〈手長〉〈足長〉が現れるときには『有や』現れないときには『無や』と鳴かせて人々に知らせるようにしたという伝説がある。秋田の鳥海山のふもとにある三崎峠が『有耶無耶の関』と呼ばれるのはこれが由来さ。まあ、有耶無耶の語源でもあるね」
「へえ」
―――〈手長〉と〈足長〉は、「手足が異常に長い巨人」の姿を持つ妖怪であるが、一人の手足の異様に長い巨人か足が長い夫と手が長い妻の夫婦、または兄弟であることもあり、それぞれ異なるらしい。
もともとは違ったらしいが、年を経るにつれ神仙か巨人から矮小化していき、現在では日本の各地で暴れる妖怪になったということだ。
退魔巫女たちも十年に一度ぐらいの頻度で遭遇するわりとポピュラーな妖怪種だという話だった。
「ボクが戦ってきた妖怪たちの中でもきっと最大のサイズだと思う。〈手長〉と〈足長〉以上の大きさだと、がしゃどくろやダイダラボッチぐらいになってしまうからね」
「巨人ってそんなに大きいんだ?」
「涼花を襲った〈高女〉だってちっさく感じるぐらいさ。もうその辺になるとボクら退魔巫女が出るよりも大規模な祈祷をしたほうが効果的になる」
妖怪は全体的にサイズの大きなものが多く、おかげで小柄な御子内さんはいつも苦戦していた。
今回の〈手長〉と〈足長〉も相当手こずるだろうことは疑いのないところだ。
「まあ、今回はレイもいるから。レイほど頼りになる相棒はいないよ」
砂浜への道のりを歩きながら、御子内さんは親友への信頼を口にした。
音子さんと初めて会った時の〈天狗〉戦でもそうだったが、彼女たちの同期への信頼は厚い。
一緒に修行したからだということだから、その時にかなり色々とあったのだろう。
全員が基本的な考えとして「おれ最強」が染みついているのは確かだが、それと同じぐらいに認めてもいるのだろう。
「或子と組むのは久しぶりだな。やっぱりおまえと組むのは落ち着くぜ」
「だね。修行場以来かな」
「―――へえ、そんなものなの?」
「あんまタッグはやらねえからさ。妖怪ってけっこう単独で動くもんなんだよ」
うーん、こないだの〈口裂け女〉みたいな例外を除けば、確かに複数の妖怪が暴れているところはあまり見たことがないな。
だから、退魔巫女たちもあまり一緒にはならないのか。
砂浜に降りると、月明かりが眩しく照らしていた。
電灯がなくてもはっきりと遠くまで見渡せそうなぐらいだ。
空には雲さえ浮かんでいない。
「いい晩だな」
レイさんが手にしていたペットボトルのスポーツドリンクを飲み干す。
いつもの袖なしの巫女装束に、ワークマンで売っていそうなボンタン姿だった。
両手に布が巻いてあるのは御子内さんのキャッチグローブと同じような効果があるからだろう。
ポニーテールが格好いい。
水着は黒のセパレートだったのは、胸が大きいのを控えめにするためだったのだろう。
ジロジロ見ていたら、
「見るなって」
とそっぽを向かれた。
どうも照れているらしい。
好きでもない男に好奇心剥き出しで観察されたら誰だって困るよね。
僕は反省して、海の方を見た。
そのとき、頭上から、聞き覚えのある八咫烏の声がした。
『有ヤ!』
こんな夜の暗闇の中を飛ぶカラスは異常だが、そいつが口を利くのもまたおかしい。
だが、その言葉の意味を僕はもう知っていた。
ザザザザザザザ
海面を規則的な音をたてて何かが近づいてくる。
すり足で何かを探るような音だった。
月明かりが届かない距離から、どういう訳かその音だけは聞こえてくるのだ。
ザザザザザザザ
そして、ついに僕にも視認できた。
―――そいつは信じられない程に背が高かった。
身長はおそらく三メートルを超えている。
小柄な御子内なら三人分ぐらいはあるほどだ。
だが、異様なのはその身長のほとんどを「脚」が占めているということである。
胴体そのものは僕らとたいして変わりはないのに、「脚」だけが長すぎるぐらいに長いのだ。
そして、そいつは、もう一人を肩車していた。
肩車している側の足と同じように長い長い「腕」を持つ男を。
腕だけが海面に達するほどに伸びていて、バランスはとれているが、異常であるという状況には違いがない。
むしろ、あまりにも奇怪すぎる。
アンバランスな人間に対するおそれというものがここまで強いのかと実感できるほどに。
全く見たことのないものと出会う時、人間は人間ではいられない、というのはまさしく事実かもしれない。
ただし、それは僕だけだ。
御子内さんたちは腕組みをしながら、または拳を鳴らしながら、海上を《《歩いてくる》》妖怪を待ち受けていた。
「……でかいね」
「でかいな」
「シィ」
「キミは関係ないだろ。ボクの大活躍を期待して待っていればいいよ」
「ミョイちゃん。……アルっちが意地悪を言う」
「……おまえら、集中しろ。戦いが始まるんだぞ。なあ、京一くん」
何だか知らないが、レイさんさ、僕の腕を組まないでくれないかな。
あなた、おっぱいが大きいのでとても困るんだけど。
でかいのは〈手長〉と〈足長〉だけで十分だよ。
「―――何をしている、この胸でか巫女め。ボクの京一の腕に当たっているぞ、その卑猥なる脂肪の塊が!」
「当ててんだが。ああ、おまえはあまりないから難しいな」
「ほう。やはりキミと組むのは止めたほうがいいかもな。昔から思っていたんだが、やっぱり信頼できん」
「同感だな。おまえとは落ち着いてやれねえ」
ついさっきと言っていることが違う。
なんだろう、この人たち。
「戦う前からコンビ解消してどうするのさ……。さあ、さあ」
〈手長〉と〈足長〉は確実に僕らを目標にしていた。
双眸にははっきりとわかる憎悪が湧いていた。
僕らには覚えがないが、あの二匹の妖怪にとって人間はすべて同じなのだ。
あいつらが暴れている理由はわからない。
震災なのか、例のタンカー事故なのか、それとも別のことなのか。
だが、妖怪が死者をだすぐらいに暴れているのならば、それを止めるために動くものたちもいる。
巫女レスラーたちがここにいる。
彼女たちがすっとリングの上に上がった。
自分たちの二倍以上の身長を持つ二匹の巨人妖怪と戦うために。
もう二人の目には敵しか映っていなかった。
「来るの」
僕とともにセコンドに立った音子さんが言う。
彼女の首にかかったタオルは白かった。
人間同士の闘いと違って、これが戦いを止めることはない。
「うん」
長い脚でロープをまたいで、〈手長〉と〈足長〉がリングに降り立つ。
リングの半分ぐらいが支配されたように見えるサイズだ。
しかも、御子内さんたちも二人なのでリングは錯覚も伴ってもういっぱいいっぱいに見える。
カアアアアン
いつものように鐘が鳴り響く。
コンビのうちで、真っ先に先鋒の名乗りを上げたのは僕の御子内さんであった。
「さあ、巨人め。まずはボクが相手をするよ!」
滅多にないという巫女レスラーと妖怪のタッグマッチがついに幕を開けた。