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巫女レスラー  作者: 陸 理明
第11試合「中華戦人」
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巫女摔跤手



 搬入された資材を使って、地下ギリギリのリングを設営する。

 リングサイドにはほとんど一人歩けるぐらいのスペースしかないので、音子さんの得意のスペースフライング・タイガードロップは使えない。

 もっとも、天井はわりと高めなので音子さんの通常技ならばなんとかいけるだろう。

 時間がないということで、元華さんたちにも手伝わせたが、その顔は始終戸惑ったままだった。

 間違いなく、「自分はなにをやっているアルヨ」的な顔であったが、僕は無視した。

 気持ちはわかる。

 僕も随分前に味わった感覚だから。

 だが、もうすぐ夜になると時間が押している段階でとやかく言っている暇はない。

 懸命に身体を動かして、最後のロープのテンション確認までもっていったときには、おそらく陽が沈む寸前だったのだろう。

 そろそろ、上の階の空きスペースでウォーミングアップをしている音子さんを呼んでこようかと考えた。

 狭い場所だったこともあり、彼女にはいったん地下から出ていってもらったのだ。

 集中を高めるためにも、僕らが作業している傍でアップをするのは非効率的だったし。


「じゃあ、ぱんさん。音子さんを呼んで来てもらえますか?」

「お、おけ」


 一緒にマットの上のゴミを掃いていた胖三ぱん・さんさんに声をかけた。

 彼は箒とちりとりを壁に立てかけて、そのまま扉へと向かう。

 その時―――


 ガアアアアン!!


 さっきまで静かだった〈殭尸〉たちを閉じ込めていた扉が音を立てた。

 それだけでなくギシギシと金切り声をあげる。

 しばらく大人しくしていたはずの、〈殭尸〉がついにまた暴れはじめたのだ。

 生きた死体の凶暴さを剥き出しにして。


「胖三! 急いで、道士様を!」

「はいぃぃぃぃ!」


 声を裏がえしながら、胖三さんが外に出ようとした。

 しかし、それよりも早く扉が中から開いた。

 あの金属の扉を突破して躍り出てくるなんて、そんな馬鹿な。

 だが、開かれた扉の暗がりから顔を出してきたのは、山吹色の道士服を着た丸い輪郭の中年男性だった。

 顔色は悪く、眼は白く濁っていた。

 どうみても死人そのもの。

 ただし、その両腕を整列の前へ倣えのように突き出して、直立不動の姿はとても奇怪だった。

 確かに、あれは映画でもおなじみの中国の妖怪―――キョンシーだ。

 幽閉された場所から解放された〈殭尸〉はほとんどノーモーションで跳ね上がり、僕のいるマットの上に降り立つ。

 速い上に異常な動きだ。

 まるで天井にワイヤーでもついていて、それに引き上げられたかのようだった。

 これが、〈殭尸〉なのか。

 御子内さんが呼ばれなかったわけもわかる。

 このアクロバティックな動きをする跳躍する妖怪相手だと、僕の御子内さんでは不利すぎる。

 前の〈天狗〉同様、立ち技中心の彼女では負けないまでもかなりの苦戦を強いられるだろう。

 ここは音子さんではなくては……。

 だが、今ここには音子さんはいない。

 僕たちはこの妖怪の毒牙にかかるかもしれない危険な状態に置かれているのだ。


「〈一指〉の少年、鼻をつまんで息を止めろ! 〈殭尸〉は眼が見えず臭いで人間を判別する!」

「は、はい!」

胖三ぱん・さんもだ!」

「わかりましたです、老師!」


 言われた通りに鼻をつまんで、息を止めた。

 こんなことで〈殭尸〉から逃れられるとは思えない

 だが、疑っていても仕方ない。

 

「……っむ」


 ピョン、ピョンと〈殭尸〉がコーナーポストの脇にいた僕の目の前にやってきた。

 首が動いている。

 どうやら何かを探している―――いや、この場合の探し物は間違いなく僕だろう。

 さっきまでここにいたはずの僕を探しているのだ。

 ただ、口を閉じたことで臭いがなくなった。

 それで見失った。


(うわ、ホントに効くなんて。まあ、全身に泥を塗りつけるだけでプレデターの追跡を逃れるよりはマシな回避法かな)


 目の前を妖怪が飛び回るなんてのは、正直胆が冷えて仕方ないけどね。

 触れられるのも嫌なので、キョロキョロする〈殭尸〉の脇をそっとすり抜ける。

 反対側まで辿り着くのは難しそうだから、這いつくばって、リングサイドへとおりようとした。

 いざとなったら、リングの下の入り組んだ鉄骨の中に逃げることもできる。

 道士服の〈殭尸〉の鼻を誤魔化しつつ、下へと降りようとしたとき、


 ぷー


 と気の抜けた音がした。

 誰もが身に覚えのある音。

 腸に溜まったガスがでる現象―――要するにおならだった。


「はっ! 口から出なくてケツから出ちまった!」


 口に当てていた手を自分のお尻にあてがったのは、ここから出ていく寸前だった胖さんであった。

 上を閉じたら下の穴からか!

 笑いの神でもついてんの!?


『ウォォォ!』


〈殭尸〉が吠えた。

 おならの中に混じる臭いに気がついたのと、軽はずみに口を開いた胖さんを獲物として認識したのだ。

 慌てて口を塞いでももう遅い。

 今度こそ、〈殭尸〉はリングサイドの胖さん目掛けて飛びかかった。

 あまりにも早い電光石火の動きだった。


「ヒィ、お助けぇぇぇ!!」


 そんなところでコミカルに動かなくていいから。

 ツッコミをいれたくなるような残念で情けない動きで胖さんは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 

「胖三! 待て、〈殭尸〉!」


 元華さんまでが部下のピンチに叫んでいる。

 もしかしていい人なのか。

 だが、その声が妖怪に届くことはなかった。

 爪の伸びた〈殭尸〉の凶暴な腕と牙がつかみかかろうとした瞬間、


アルト(Alto)!」


 道士姿の〈殭尸〉の顔面に突き刺さるリングブーツのつま先。

 その持ち主は言わずと知れた巫女レスラーの―――


「音子さん!」


 僕の呼びかけに応えるように、〈殭尸〉をふっ飛ばしてリングの上に降り立ったのは、やはり神宮女音子だった。

 白地に縦の赤線のひかれた覆面を被り、独特の猫足立ちをした構えをとるルチャドーラ。

 吹き飛ばされてマットに転がったというのに、起き上がりこぼしでも不可能な挙動をして、立ち上がった〈殭尸〉と対峙しても怯むことはない。

 むしろ、彼女に立ち向かおうとする妖怪の方が戸惑っているようだった。


「道士様! これを使え!」


 元華さんが例の桃の木でできた剣を投げる。

 だが、音子さんはそれを受け取ってもすぐに僕に渡してきた。

 不必要といわんばかりの態度である。


「おい、いくらなんでも武器もなしで何ができるってんだ! こら、〈一指〉の助手、あんたの道士にもう一度渡せ!」


 だけど、僕は首を振った。


「必要ないんですよ」

「何を言っている! あの〈殭尸〉になった道士は拳法の達人なんだぞ。それに〈殭尸〉の怪力が加わって普通のやつでは手も足もでない!」


 たぶん、普通ならば元華さんの見解は正しい。

 でも、あなたは何も知らないみたいだ。

 拳法の達人であろうが、怪力の妖怪であろうが、何を相手にしたとしてもこのリングの上では決して武器を持つことを認めない存在がいることを。

 

「元華さん。僕たちがこの〈護摩台〉―――リングをどうして設営したかがわからないんですか」

「なんだって? どういうことだ?」

「……このリングで戦う以上、武器なんかなくったって彼女たちの闘志は百倍になるからですよ。むしろ、武器を持つことを禁じられているから、絶対に使ったりしない」

「―――そんな馬鹿なことが」

「その馬鹿なんです」


 音子さんも御子内さんと同じ存在だ。

 巫女レスラーとはそういう生き物なのだろう。

 だから、彼女たちがリングに立って、妖怪と睨みあっている以上、僕たちはもう応援するしかないのだ。


 カアアアアン!


 結界を張るゴングが鳴り響く。

 さあ、始まるぞ。

 空中殺法の使い手にして、投げ技の達人―――空飛ぶプリンセサ神宮女音子の華麗なる戦いが。

 




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