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巫女レスラー  作者: 陸 理明
第11試合「中華戦人」
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妖怪〈殭尸〉



殭尸キョンシー〉というのは、今までの話でもでていたように、中国のゾンビの一種である。

 死体であるのに、長い年月を経ても腐乱することもなく、足首の力だけで撥ねるように動き回る特徴があるそうだ。

 中国では死体の埋葬には土葬が多く、埋める前に室内に安置しておくと、夜になって突然動きだし、人を驚かすことがあり、それを〈殭尸〉と呼ぶらしい。

「殭」という漢字は「死体(=尸=しかばね)が硬くなる」と言う意味があることから、名付けられた。

〈殭尸〉は死体であるにもかかわらず、一切腐敗をせずに生前同様に肉感的であり、時には髪の毛も生えてくるだけでなく、血に飢えた人食いの背質を持つ凶暴な妖怪である。

 ただし、そのほとんどは道教の道士によって作り出される、いわば人工的な妖怪であり、道教が広まっていない日本では目撃例すらないという。

 僕たちが知っているのは、八十年代に香港映画で有名になったからであり、そうでなければあの清朝の役人の服を着てピョンピョン飛び跳ねるリビングデッドが日本に知られることはなかっただろう。



           ◇◆◇



 巫女装束に着替えるため、別室にこもった音子さんを待っていると、隣にいた元華さんが話しかけてきた。

 

「……あの日本の道士様は、かなり強いんだろうね」


 疑問文ではなく、ある程度確信しているような口ぶりだった。

 音子さんの強さについては、「かなり」なんてものじゃないことを知っている僕としては頷くしかないところだ。


「若すぎるとか、言わないんですか?」


 元華さんは真顔で、


「まさか。ワシの元の故郷では若く見える道士様は大勢いたもんだからな。あの年頃で、実は百歳とか言われても納得してしまうよ」

「百歳?」

「ああ。道教タオの道士様なら、若く見せる丹の類を服用していてもおかしくないし、同時に何百年生きていても驚かない」


 ……中国って仙人がまだいるのかも。


「それにあの少女が鍛えているのは、練気でわかる。信じられんほどに呼吸が一定に保たれている。あれならば、徒手空拳であったとしても、四肢の端々に強い気が漲っていることだろう。妖魅バケモノ退治の専門家としてならば申し分ない」

「退魔巫女はみんな凄いですからね」


 すると、彼は妙な目つきで僕を見た。

 舐めるような、観察するような、そんな探る目だ。


「いや、あんたもたいしたもんだ」

「……僕が?」

「あんた、〈一指ひとさし〉の持ち主だろ。〈一指〉独特の天眼を持っているからすぐにわかった」

「〈一指〉ってなんですか?」


 聞いたことのない単語だ。


「そういえば、日本では珍しいのか。……中国では前漢の頃から伝えられている話でね、とある少し風変わりな運勢の持ち主のことを〈一指〉というのだ」

「少し……風変わりって」


 まあ、僕は御子内さんたちと出会って退魔巫女の助手なんかしているぐらいだから、変わった運勢の持ち主であることは否定できない。

 ただ、元華さんのいう〈一指〉というのはまたそういうのとは違うらしい。


「指先一本分の運の持ち主ということだ」

「―――すっごく少量っぽいんですけど。隠し味の調味料程度じゃないですか」

「ところが違うんだ。中国では実は武人に多い運勢なのさ」

「武人ですか?」

「ああ。指先一本というのは、要するに最後の最期まで足掻きに足掻き、もがきにもがいたものが、最後に達するほんのわずかの強運のいうことだ。この運勢の持ち主が自分の極限まで功夫クンフーを積み重ねた場合、すべての戦いに紙一重の運の差で勝利できるといわれている」


 というと、〈一指〉の持ち主が極限まで死ぬほど鍛えたら、まず負けることはないということなのかな。

 確かに格闘家とかになったら無敵になれるかもしれない。

 御子内さんも言っていたけど、「高いレベルになればなるほど運の強い方が勝つようになる」らしいから。

 どんなに強大な相手が敵でも、どれほど凶悪な罠にかけられても、生き延びられる人間がいたら、おそらく誰も勝ち目がないはずだ。


「僕がそれの持ち主ってことですか?」

「……少なくともワシの知っている知識では。まあ、当たっているかもしれないし、当たっていないかもしれない。ともに八卦だ」


 お世辞程度にとっておくのがいいか。

 運なんかを過信するとろくなことになりそうもないし。


「あと、道士様が連れている相手ということもあるか。いくら道士様でも妖怪退治は命懸けの仕事だからな。ギリギリで働けるお供は欲しいものだろう」


 ……なるほど、と思った。

 御子内さんが僕を助手にしているのはそういうこともあるのか。

 ただ、その〈一指〉目当てだけという訳ではないのはわかるけど、僕の運の良さのようなものに期待しているのは間違いないのかもしれない。

 利用されているようでちょっとだけ寂しいけれど、僕の運で彼女たちを支えられるというのならばここは我慢してついていくしかあるまい。

 ―――よし、振り切った。


「|ディスクルペ ポル アセルロ エスペラル《Disculpe por hacerlo esperar》」


 音子さんがいつもの格好で部屋から出てきた。

 ぎょっとする元華さん。

 なんといっても巫女装束以外に、いつもの覆面マスクをつけているのだから当然だろう。

 この中国人のオジサンは、どうもヤクザみたいな職業のようだが、意外と常識人らしいのでこの格好に驚いても仕方ない。


「えっ、えっ」


 お化けにあった女子大生みたいな反応をしている。


「さあ、行こう。京いっちゃん、あたしたちの舞台へ」

「うん、そうだね」


 僕たちは連れ立ってビルの地下へと降りていった。

 なんのために使われているかよくわからない広い空間がある。

 ただ、臭いからすると各階で集められたゴミを集積しておく場所だったようだ。

 かなり広いし、奥の方にシャッターがあり、トラックの荷台が直接連結できるように一段高く設計されていることからもうかがえる。

 隅に方に壊れたカーゴが放置されているし。


「あの奥です」


 指さされた先には、頑丈そうな金属の扉がついている。

 その外でおっかなびっくり聞き耳をたてているのはさっきの太った人だった。

 確か、名前は胖三ぱん・さんさんだったかな。

 こちらを見て、涙を流さんばかりに喜んで駆け寄ってきた。

 

「老師! ヤバイこってす! もう道教タオの道士様も言葉が通じないくらいにおかしくなって暴れちょります!」

「……仕方ないだろ。相手は〈殭尸〉だ」

「そんな~! さっきから扉をとんでもない勢いで叩いていて、とてもじゃないが長くは持ちませんがな!」

「だから、日本の道士様をお呼びしたんだ。慌てるな、このスイカ頭め!」


 罵倒されたうえ、ポカリと殴られる胖三さん。

 可哀想だけど、取り乱すオジサンは邪魔なので殴った方の気持ちもわかる。


「……この扉の中に、〈殭尸〉が二人閉じ込められているんですか?」

「一人は自分で入ったんだがな」

「あと、どれぐらい持ちます?」

「かなり頑丈なものだから、破られることはないと思うが、今日は満月だ。満月の〈殭尸〉は力が強い。夜には危ないかもしれない」

「わかりました。そのシャッターを開けて、リング―――じゃない〈護摩台〉の設置のための資材を搬入させてください。トラックがこの近くで待機しているので連絡します」


 おそらくは生ごみを集積しておくための倉庫の中から、地獄の鬼のような呻き声が聞こえてくる。

 あの中に〈殭尸〉がいる。

 暴れている。

 その鬼と戦うことになる音子さんのためにも、急いでリングをつくらないとならない。

〈結界〉があるとないとでは退魔巫女の戦闘には大きな違いが生じるからだ。

 そして、音子さんはルチャドーラ。

 彼女の強みである空中殺法を活かすための、ロープとコーナーポストは絶対に必要なのだ。

 時計を見る。

 三時五十分。

 陽が暮れる時間は遅くなったとはいえ、夜まではもう時間がない。

 急がないと。






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