年少編 姉との別離
「まずい!! ソーちゃん! 自分の部屋から武器を持ってきて!」
何かの鳴き声が聞こえた瞬間プレアの顔色が変わる。
「武器ってあれ?」
「そう! 危ない奴!」
そういいながらプレアは必死の形相で棚に飾ってあった全てのナイフを回収し、腰に括り付ける。
その間にソルトも自分の部屋へ行き、自身の棚に飾ってあった刀を手に取ってプレアの部屋に戻ってくる。
プレアのナイフも、ソルトの刀も誕生日に両親からもらった武器だ。共にジャンが知り合いに頼んで作ってもらったのだ。
そして二人の準備が終わったころ、一階から階段を上ってくる気配が複数。ガタガタと音を立てながら近づいてくる。
部屋を出た直後、二階に上ってきた気配の正体をプレアは確認。
その正体は魔狼と呼ばれる魔物である。狼のような体躯であるがその爪はまがまがしく変貌し、その口からは凶悪な牙がのぞいている。
プレアの頭に嫌な予感がよぎる。
「まさか……すでに囲まれてる?!」
愕然とするプレアにソルトが後ろから指摘する。
「ねえ、お姉ちゃん。あれ……」
ソルトが指さしたのは魔狼の口だった。そこには赤黒い血がべったりと付いている。
近くの村で食べたにしてはまだ固まっていない口元の血をみて「一瞬何故?」と考えたプレアだったがすぐに答えにたどり着く。
「ま、まさか、母様を!!」
一階に置いてある死体は二人の母、セナの死体だけだ。そのことに気づき、魔狼がセナを食べたと考えたプレアは怒りに任せて突撃する。
「ま、待ってよ! どうしたの?」
状況は理解していなかったが、姉が一人、魔狼の群れに飛び込んでいくことを放っておけず、ソルトもまた姉の後を追い魔狼の群れの中に飛び込んだのであった。
〇〇〇
「はあ、はあ」
「ぜえ、ぜえ、ソーちゃん。大丈夫? ごめんね、取り乱して」
家の中に侵入してきた魔狼を全て殺しきった二人は荒い息を落ち着かせる。戦闘を終えて幾分かプレアも冷静になったのか、ソルトから見えないように涙を拭う。
「だい、大丈夫だよ。それよりもお母様はどこに行ったの?」
純粋に疑問を浮かべるソルト。だがプレアは答えず、別の話題にもっていく。
「ソルト、まずいよ。多分ここら辺一帯が、すでに魔物に囲まれてる」
「ん? どういうこと?」
だが、詳しい説明はせずにプレアは地図とにらみ合いをするプレア。ぶつぶつと独り言をつぶやく。
「一番近くだと……ハレルか……頑張って最短距離でも二日かかるな……きついか……だけどここにいたらもっと危険な魔物もやってくる……」
「お姉ちゃん? どうしたの?」
先ほどから普段に比べずいぶんと大人びて見えるプレアに戸惑いを隠せないソルト。
「ソーちゃん、走るよ。それしかない」
何か思いつめた顔でプレアは端的にそう言った。
〇〇〇
「走って! 魔物が追ってくるよ!」
「分かってる! でも足が動かないよ」
「それでも走るの!」
現在、家を出てから一刻、薄暗く血なまぐさい匂いのする森の中を二人はひたすら走っていた。その理由は後ろに感じるたくさんの魔物の気配。
魔物はソルトたちに比べれば鈍足であり、彼らが走ってさえいれば追いつかれることはない。だが、ソルトは精神の面で限界を迎えつつあった。山道で、それも常に何かに追われながらの逃避というのは大人であってもかなりきつい。
「ぐおおおおおおおおおお」
魔物が近づいてくる。その 魔物が近づいてくる。その雄たけびにビクリと体を震わせる姉弟。
「ソーちゃん、とりあえず、あの岩影に隠れるよ」
「わ、わかった!」
二人は近づいてきたゴブリンの群れをやり過ごすべく岩の影に隠れる。じめじめとしたその場所で二人は息を潜めてゴブリンの群れが離れるのを待つ。
しかし、ソルトの体力気力は共に限界を迎えていた。岩の影に入った瞬間ソルトはしゃがみ込む。
「もう、ダメだよ」
弱気な発言をするソルト。その瞳はすでに絶望に染まっており、荷物もその場に投げ出す、プレアもその顔を見て声をかけるのを一瞬ためらう。
だが次の瞬間、プレアは目に決意の念を宿らせると、唐突に持っていた荷物を広げ始める。
「やっぱり無理……か。仕方ない。ソーちゃん、これを持って。あと手紙も。私はもう読んだから」
背負っていた荷物をソルトに投げ渡す。突然の意味不明な行動だったが、戸惑いながらもそれを受け取るソルト。
「お姉ちゃん? 何する気?」
「あとこれも持っておいて」
質問に答えず続けてプレアが服のポケットから取り出したのは丸くて透明な石だった。しかし、ソルトが触った瞬間眩しく光り出した。
「お、お姉ちゃん? これは?」
しかし、プレアはその質問にも答えず真剣な顔でソルトを見つめて話を続ける。
「いい? 私が合図したら振り返らずに走るのよ」
「えっ? 何を言ってるの?」
「絶対に、振り返ったりしたらだめだからね。町まで走り続けるんだよ」
余りの必死さに戸惑うソルト。しかし、ある考えに思い至る。
「……お姉ちゃんもいなくなっちゃうの?」
本能的にプレアが何をしようとしているのか分かってしまうソルト。その言葉にたじろぐプレアだったが、慌てて笑顔をつくり、言葉を続けた。
「……大丈夫だよ。何があっても絶対に後で追いつくからね。ほら、行って」
背中を押され、しかしそれでもなかなか前に進まないソルトを見てプレアも声を荒げる。
「早く行って! 私のいうことを聞いてよ!!」
「でも……」
「でもじゃない! 私はもう、十分生きたの。私はこの世界でソルトに会えてよかった。もう終わりだと思った世界があなたのおかげで救われたし、生きようとも思えた。孤独だった私に弟ができて、嬉しかった。絶望しか知らなかった私に、家族の温かさを教えてくれたのはソルトだった」
「お姉ちゃん? 何を、言ってるの?」
突然のプレアの言葉に驚くソルト。
セナやジャンと一緒にいるときに、プレアが孤独や絶望を感じていたはずがないとソルトは確信できる。だからこそ、なぜプレアがこんなにも負の感情を持っていたのかわからなかった。
そのソルトの心情を悟ったようにプレアが語る。
「意味が分からないよね。でも、聞いて。私、一回死んでるの」
「どういうこと?」
「わからなくてもいいから聞いて、私ね、前の世界で寂しかったの。友達もいなかったし、なにより、ベッドからも出られなかった。病気だったの」
「びょう、き?」
「そう。だからこの世界でソルトに会えてよかった。友達100人ぐらい作りたかったけど、それももういいの」
「な、なんで?」
「ソルトがいたから」
その言葉に息を呑むソルト。
「ソルトがいたから私はもう十分二度目の人生を楽しめた。このチャンスをくれた神様にはとっても感謝してる」
「お姉ちゃん? ほんとに何を言ってるの?」
「だから! ソルトは生きて! 私や母さんや父さんの分まで生きて! 私の今の、お願いはそれだけ」
「いやだよ。お姉ちゃんも一緒に……」
「対象、ソルト、命令【暫く息を潜め、私が合図を出したら走り続けろ】」
突如プレアの声色がかわる。
そしてその言葉を聞いた瞬間ソルトの体は勝手に動き出す。体が勝手に岩の影の奥のほうに向かおうとする。
「こ、これは、なに?」
「私の固有魔法【要求】。ソルトには見せたことなかったよね。まあ、ほんとうはちょっと違うけど……」
固有魔法。個人が開発した、雷魔法などとは違う無属性の魔法のことだ。そしてプレアがソルトに使ったのは固有魔法【要求】。
言うなれば『絶対に相手に命令を聞かせる魔法』である。
だが、細かい説明をしないまま彼女はソルトに背を向ける。一歩一歩と姉弟の距離は開く。
「私の言いたいことはもう言ったから。頑張って生きてね」
「いやだよ! いやだよぉ!!」
別れの挨拶は顔をそむけたまま、プレアは岩の影から外に出ようとする。ソルトもそれを追いかけようとするが彼女の魔法によって動くことができない。
「お姉ちゃんって呼んでくれて、ありがとう。ソルト、大好きだよ」
その時だけは、ソルトの方を見据え、精いっぱいの笑顔を見せるプレア。だが、その瞳からは涙が伝い、声も上ずっている。
そしてついに、プレアは岩陰から足を踏み出す。近くで姉弟を探していたであろう、一番大きく、凶暴そうなハイオーガと呼ばれる魔物に手持ちのナイフを投擲する。
「こっちだ! この化け物め!」
「グアアアアアァァァアアア」
プレアが投擲したナイフは見事オーガの後頭部に命中する。しかし、魔物相手では致命傷になり得ない。怒り狂ったハイオーガがプレア目掛けて走り出す。
「そうだ、こっちに来い!」
プレアもオーガから逃げるようにして木々の合間を走り出す。走る速さはオーガの大きな巨体のせいもあって小回りの利くプレアの方が速い。
しかし、オーガ周りにいた魔物達は別だ。自身のリーダーが傷つけられたことに怒り、オーガ同様にプレアを追いかけ出す。ゴブリンライダーやハイオークなどはその機動性から俊敏に動き、歩きにくい森の道であろうと少女一人を追いつめる。
「じゃあね。 絶対に生きるんだよ」
ソルトが最後に見たプレアの顔は今までに見たことがないほどの笑顔であった。
〇〇〇
プレアが見えなくなってからしばらく経ってから勝手に動き出す。プレアの魔法の後半部分【私が合図を出したら走り続けろ】が発動したのだ。
(お姉ちゃん……死なないで……)
ソルトが今願ったのはこれだけだった。それだけしか考えられなかった。
しかし、体は動き出す。彼の意思に反する形で。
そして、ソルトは走らされる。走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って…………………………………
そして、気を失った。
『生きてる?』
薄れゆく意識の中でそんな声が聞こえた気がした。