年少編 始まりの平穏
時は遡る。
〇〇〇
よく晴れた昼下がり、剣を振る銀髪の少年と、それを見守る黒髪の大人がいた。
木々に囲まれたのどかな場所で少年は一生懸命に剣を振っている。
「えいっ、やあっ」
「いいぞソルト、その調子だ」
少年の名前はソルト・ダンス。六歳にもかかわらず、剣を愛する父に我流の剣を教え込まれている。
大人の方はソルトの育ての父、ジャン・ダンス。以前は勇者パーティーに戦士として活動するとともに、そのパーティーの指南もしてきた男だ。
現在魔王がいなくなって六年、ジャンは村の外れに家を構え、ソルトの剣の指導をして日々を過ごしている。
ソルトが素振りとして剣を振るたびに、流れる汗が彼の美しい銀髪をつたい地面に落ちる。ジャンはその光景を見るたび、自分に似なかったことに安堵し、同時に彼の将来を楽しみにするのであった。
「はぁ、はぁ」
「ソルト、そろそろ休みなさい」
だが勿論、ソルトもまだまだ子どもである。
彼から疲労の色を見て取ったジャンは、そんな声をかける。しかし、ソルトは訓練をやめようとしない。
「父さま、僕はまだ、はぁ、僕はまだ動ける、よ」
そう言って再び剣を握りしめ、素振りをしようとするソルトだったが、ジャンの喝が入る。
「ばかもん! 今の時期に無理なんてしたら将来に響くんだぞ! お前はまだ子供なんだから、焦る必要はない」
しかし、六歳児に理屈での説得など無意味だ。案の定、ソルトは唇を尖らせ、納得のいかない表情であった。ジャンが強いことはソルトも知っており、尊敬する父と同じくらい強くなりたいのだ。
「でも父さま、僕ははやく、父さまのように、強くなりたい」
呼吸を整えながら、訓練を止めようとする父に反論するソルト。その健気な姿を見て、ジャンは自分の育てたソルトを誇らしく思うのであった。
「お前が強くなりたいという気持ちはよく分かる。俺も昔そうだったからな。だがソルト、今のお前が無理をすれば将来困るのはお前なんだぞ」
先程とは違い優しく諭そうとするジャン。やはり六歳の少年に伝えるには難しい問題ではあるが、ジャンの気持ちは伝わったらしい。ソルトから不満の色が消えていく。しかし、納得したわけではない。
「でも……」
「分かった。じゃあ代わりに俺が剣を振るってやるから、それを見て学べ。見取り稽古って奴だ。できるだろ?」
納得しないソルトを見て交換条件を出すジャン。
それならば、とソルトはようやくすっきりした顔になる。
「わかった。僕は見て勉強するね」
「おう、そうしてくれ」
そうしてソルトから模擬剣を受け取り、素振りを始めるジャン。
「よし、見てろよ。奥義【刻風】」
そんなかけ声とともにジャンが剣を振るうと、たちまち幾筋もの風が剣によって巻き起こり、数十メール先にあった木をばらばらにする。
習得するには当然かなりの剣の技量が必要だが、魔術ではなく純粋な技術のため使い勝手はかなり良い。
「すごーい! さすが父さま」
「ふっ どうだ。俺だって捨てたもんじゃないだろ」
そう言って元勇者パーティーの実力を見せびらかすジャン。
「僕もその技使えるようになりたい!」
「あ~、人には適正(適性)ってもんがあるからな……どうだろう」
「じゃあ、僕は使えないの?」
残念そうにするソルト。ジャンが慌てて取り繕う。
「そ、そんなことはないぞ! お前が俺と同じ【戦士】になったらできるようになるさ!」
「ほんと!?」
それを聞いてうれしそうにするソルト。
しかし、ジャンは次のソルトの言葉で凍りつく。
「そういえば父さま? あの木は、母様が大事に育てていた木じゃなかった?」
「あっ」
ソルトに言われ思い出すジャンだったが、すでに遅かった。
「誰かしら? 私の大事な木をあーんなにきれいに伐採してくれたのは」
その声に恐る恐る振り返るジャン。そこに立っていたのは元勇者パーティーの女魔法使いセナ・ダンス。ジャンと同じ黒髪をたなびかせながらソルトたちの方へと近づいてくる。
普段はよき妻であるが、このように大事にしていたものが壊されたときは別だ。
「あなた? 聞いてますか? 誰がこんなことをしたのか聞いているのですが」
その声色には明らかに怒りが含まれている。
ジャンが慌てて弁解を試みる。
「待ってくれ、これは違うんだ。ちゃんと訳があって……」
しかし、その言い訳にさらにいらだちを増したのかセナの詠唱が始まる。
「我が命ずる、世の理よ、廻れ、世の悪を滅せよ……」
「天罰魔法!? さすがにそれは無茶だ!」
ジャンがセナの呪文を理解し逃げようとする。しかし、魔術師相手に近距離からの逃走は悪手であった。
ソルトは直感に従い、セナの傍にトコトコと寄って避難する。
案の定、ジャンが逃れる前にセナの詠唱が終わり、幾重もの魔法陣が展開される。
「……その身を持って罪を償え、天罰魔法【審判】!」
次の瞬間ジャンの体に降りかかるは三筋の雷。この魔法は本気で使えば簡単な魔物なら一瞬で消し炭にできるほどの威力を誇る。手加減されているからといって直撃すればかなりの激痛が走ることは間違いない。
結果として、短くない悲鳴が空に響き渡るのであった。怯えるソルトにセナが言う。
「安心なさいソルト、きちんと威力は押さえたから。あなたもよく覚えておくことね。女の人のものを大切にしないと……こうよ」
「は、はい。母様」
頷くしかないソルトだった。
〇〇〇
「天罰魔法はないだろ。さすがに効くぞ」
家でご飯の準備をしていたソルト達に、玄関から声が響く。全身の服を焦がしながら帰ってきたジャンのものだ。
「父様? どうしたの? 怪我をしてるの?」
ジャンに声をかけるのは、小柄な黒髪の少女プレア・ダンス。7歳でソルトより一つだけお姉さんだ。
「プレアか、心配してくれるのはお前だけだよ~。大丈夫、父さんは強いからな。ちょっとくらい雷に打たれても大丈夫さ!」
こう言いながら愛娘にほおずりをするが、
「父さま、離れて、おひげ痛い。それに焦げ臭い」
「プレア、お前まで……」
プレアの容赦ない言葉にジャンはがっくりと肩を落とす。無邪気な娘の一言で彼の精神は一気に壊滅へと追いやられたのであった。
「ジャン、馬鹿なことしてないで肉でも狩ってきなさい」
まだ少し怒っているセナ。さらにソルトも追撃する。
「そうだよ、父さま。働かざる者、食うべからず、でしょ。このままだと、父さま、昼ごはんなしだよ?」
「お前ら……。いいよ、狩ってくりゃいいんだろ。待ってろよ」
そういって肉となる獣を狩りに、再び外に出ていくジャン。結局、彼が家に居られたのは僅か数秒だった。
プレアが無邪気に聞く。
「母様? なんで父さまは焦げてたの?」
「それはね、やってはいけないことをやったからよ」
「やっては……いけないこと? ソーちゃんは何か知ってる?」
「ぼ、僕はなにも見てないよ……」
セナが怖かったなどと、言えないソルトであった。
「いったい、何があったの……」
「大丈夫よ、プレアは女の子だから気にしなくていいわ」
ソルトの怯える姿を見て、つられて怯えるプレアを見て、セナは安心させるように話しかける。
だが、プレアの不安は続く。
「ほんとに大丈夫なの? あの強い父さまがやられてたんだよ。怖い魔物が来たのかもしれないよ」
「大丈夫、やったのは母様だから」
ボソッと呟くソルト。それを聞いてプレアは目を丸くする。
「えっ? ソーちゃん? それ、どういうこと?」
プレアは思わず聞き返す。
こうして、過激なことがありながらも平和に過ごしていたのだった。
その日が訪れるまでは。