4. 英雄、妻を迎える
弓使いは怪物の目を狙い、見事片目を潰すことに成功した。
しかし、怪物が激しく暴れ出した時、弓使いは逃げ遅れていた子供を発見してしまった。
暴れる怪物から子供を庇い、弓使いは死んでしまった。
致命傷を与えられて弱っていた怪物を、残りのメンバーで倒した。
* *
彼が目を覚ますと、太陽はもう随分高い位置まで昇っていた。このところずっとそうだ。毎晩のように宴会があって、寝る時間が遅くなっているためだった。
ただ、彼を訪ねてくる客の数は減ってきていたから、そろそろ普通の生活に戻るべきなのだろう。
――夢を見ていたような気がする。
彼は目覚めたときの姿勢のままぼんやりと思った。
それは満ち足りた幸せな夢だったような気もしたし、ひどく悲しい夢だったような気もした。
……と、部屋のドアがノックされ、宿の娘が入ってきた。彼の顔を見て起きているのを確認し、微笑む。
「おはようございます。何か召し上がりますか?」
彼は目を細めた。
この娘は、姿は特別美しいというわけではないが、誠実そうな瞳をしている……。
「ああ……、じゃあ、何か軽いものを」
彼がベッドに入ったまま言うと、
「はい」
娘は軽く頷いて部屋を出ていった。
ここ数日繰り返されたのと、ほとんど同じやりとり。
彼が着替えて待っていると、既に用意はできていたとしか思えないタイミングで娘は戻ってきた。盆に載せた器には、小さな貝が殻ごと入ったスープが満たされていた。
彼は昨日まで、娘が持ってくるのは宿で出した朝食の残りなのだと思っていた。しかし昨日、宿の主人と話していて、それが違うことが分かった。
宿の料理はほとんど主人が作っているが、娘が運んでくるのは彼女自身が作ったものなのだそうだ。
娘は彼のためだけに、この、朝の食事を作っているらしい。
それ以外にも、娘は色々と彼の身の回りの世話を焼いた。
日中彼に来客のあるときは頼まなくてもお茶を出してくれたし、彼の服を洗濯している途中で綻びを見つければ、丁寧に繕ってくれた。
部屋の掃除にも、こまめに――たぶん必要以上に――やってきた。
明らかに、娘は彼に惚れていた。
王から褒賞金を貰った彼は、どこでも好きな所へ行けた。城へ戻ってもよかったし、もっと良い宿へ移ってもよかった。
それでもずるずるとこの安宿に居続けたのは、宿の主人に引き留められたせい。
三日目からは宿代を払っていたが、そうしているうちに彼はさらにそこを離れ難くなっていた。
彼は、娘の想いに応えたいと思うようになっていたのだ。
宿の主人も、二人の関係を快く見てくれているようだった。
王の使者がやってきて、もうすぐ彼の家が完成すると告げた時、彼は娘に言った。
「俺と一緒に来る気はあるか……?」
もしかしたら彼は、自分の隣で寝てくれる誰かが欲しかったのかもしれない。
* *
三人の仲間の死体を残りの六人で埋め、簡単な墓を作った。
槍と弓は上手く扱える人間が他にいなかったこともあり、死体と一緒に埋葬した。ただ剣だけは、質の高い名剣だったこともあり、今後の戦いに役立つかもしれないので、持っていくことになった。
しかし名剣の男の連れが、自分は剣は使えない、と言った。
彼らは話し合い、最終的に彼の親友がその名剣を持つことになった。
親友は普段は剣を一本しか持っていないが、実は両手に一本ずつ剣を持って戦えるという特技を持っていたからだ。
こうして話はまとまった。
残りの二頭の怪物が一緒に暴れているという場所へ、彼らは移動した。
* *
完成した「自分の家」を見て、彼は驚愕した。
予想していたのとは全くスケールの違う、見上げるばかりの大きな建物が建っていた。家の中で迷子になれそうな広さだ。
そこは彼と親友の生まれ故郷だった。知ってか知らずか、王は彼に故郷の村を領地として与えたのだ。
国の中心部からはそう離れていないが、崩れた建物のせいで村は荒廃の色が強かった。
彼が幼い頃から親しんでいた風景は今やすっかり変わってしまっている。昔のまま残っている部分のあることが、現在の光景の悲惨さを逆に強調していた。
そのように、周囲の建物の修繕も儘ならない中で、彼の新しい家は風景に全く馴染んでいなかった。
村の家々の修復がほとんどできていないのは、この屋敷を建てるために村人達が駆り出されていたからなのだが、この時の彼らはそんなことは知らない。
「これが俺の家……?」
呆然と呟く彼の横で、妻となった宿屋の娘もあんぐりと口を開けていた。
「凄い……」
しかし、家に入った彼らを、さらに驚くべき光景が待っていた。
「お帰りなさいませ」
天井の高い玄関ホールに、男女十数人がずらりと並んで、彼らを迎えたのだ。
女性は皆、黒っぽい色の服の上に白いエプロンを着けており、男性は主にシャツとズボン、あるいはスーツという姿だった。それが、一斉にお辞儀する。
タイミングも角度もぴたりと揃っていて、彼は自分が夢でも見ているのかと疑ってしまった。
あるいは、何か大掛かりな仕掛けの要る罠にかかったような気分だった。
この連中は一体何者なのだろう?
「君達は一体……?」
問いかける彼に、列の中の一人が答えた。
「国王陛下の命令で参りました。本日から貴方のお世話をさせていただきます。何か御用がありましたら、どうぞご遠慮なくお申しつけくださいませ」
「用というと、たとえば……?」
「炊事洗濯掃除からお体のマッサージまで、何でも承ります。もちろん、炊事等は日常業務ですから、毎回お命じいただかなくてもきちんとこなしますが」
「しかし……、私にはあなたがたを雇うような気は……」
彼は妻となった娘と顔を見合わせた。
彼女は不安そうな顔をしていた。
この広大な屋敷を彼女一人で掃除するのは、それだけでも不可能なことに思われた。第一、一日中掃除だけしていればよいというものでもない。
困惑する二人の前に、一人の年配の男が進み出た。
「私は陛下よりこの家の管理運営の一切を任された者でございます。使用人の給金のことなどでしたら、ご心配には及びません。領民の納める税のことも合わせ、全て私が采配致します」
「はあ……」
彼は逡巡した。目の前の男を観察する。
上品そうなスーツ。穏やかな物腰。何より、妻に似たところのある誠実そうな瞳。
信用できそうな人物に見えるが……。
「もちろん、何かご不明な点がございましたらその都度ご説明致しますが――」
彼の視線を受け、男は微笑みながら言った。
「ああ……、いや……」
その時彼が思ったのは、いかにも面倒臭そうだ、ということだった。
元々平民の彼には、そういった方面の知識は皆無に等しい。どうせ誰かに頼らなくてはならないのであれば、信用できる人物に任せるのが賢明であるように思われた。
「……じゃあ、任せますよ。よろしく」
最終的に、彼はそう言った。
* *
残された六人の中に、足の速い男と器用で身軽な男がいた。
足の速い男は次から次へと出てくるナイフで二頭の怪物を翻弄し、身軽な男は毒塗りの短剣でそれぞれの怪物に斬りつけた。
だが、一頭目の怪物を傷つけた毒塗りの短剣は、二頭目の怪物の体を覆う硬い鱗に弾かれ、男の体に跳ね返った。
頰にできた切り傷から毒が体に回り、身軽な男は死んでしまった。
* *
彼の妻は、今までと同じように洗濯をしようとして使用人に止められた。水仕事は手が荒れるから自分達に任せてくれ、と使用人は口を揃えて言った。
では、と言って掃除をしようとしたが、それも水を使うから駄目だと言われた。
せめて掃き掃除だけでも、と頼んで、彼女は家の中を掃き始めた。
そんな妻を見て、彼は呆れた。
そのようなこと、全てやってくれるという者達がいるのだから、全て任せてしまえば良いのに。
「おまえ、そんなに掃除が好きだったのか?」
呆れ声で彼に言われ、彼女は手を止めた。
好きか、と改めて問われると……。
「分からないわ」
彼女は答えて首を振った。
今までは、必要があったからやっていただけだ。ただ、やめたいと思ったことはなかったから……、そう、たぶん嫌いではないのだろう。
彼女はすぐに使用人の女の子達と仲良くなった。
彼女の人柄は、使用人にとっても好ましいものであったのだ。
ただ自分達の仕事を奪われることに関しては、困惑を隠せない様子ではあった。
たまにならともかく、毎日のようにそういうことをされると、自分達の存在意義がなくなってしまう。
そんな使用人達の思いに彼女は気付き、それからはなるべく手出しを控えるようにした。その代わり、時々でいいから厨房へ入れてくれるようにと頼んだ。
夫に手料理を食べさせたいという彼女の思いをよく理解し、料理人は快く了承してくれた。
ところが、彼女の料理を一口食べた彼の感想は、
「うまくない」
だった。彼女自身もそう思ったので、反論はできなかった。
元々彼女の父親が宿で作っていた料理は、味はそこそこだが安くて量が多いのを売りにしていた。多少の違いはあるものの、彼女もその味を受け継いでいる。
この屋敷で出されるような、一流の料理人が高級な材料を使い、料理の粋を尽くして作った料理に、味で敵うはずがない。
悔しくて、彼女は料理人に料理を習おうとした。
だが、料理人と同じ物を、料理人と同じ材料や方法で作るなら、それはもう「彼女の」料理とは言えない。――少なくとも、彼女はそう考えた。
それに、同じように作っているはずでも、他人に作ってもらったもののほうが美味しく感じられた。
結局、彼女は料理も使用人に全て任せることになってしまった。
「刺繍でもしてみてはいかがですか?」
ある日、彼女の身の回りの世話をしている――といっても、彼女は自分のことはほとんど一人でやってしまうので、主に上流階級のしきたりについて教えたり、その他色々な相談の相手になったりなどしてくれる――小間使いが、彼女にそう勧めた。
勧めに従って、彼女は刺繍を始めてみた。
繕い物ならよくやっていたので、彼女はすぐに上達した。
けれどそれは、他人が描いてくれた図案どおりに針を刺す場合の話で、自分で図案を描いてみることはできなかった。
彼女にはそういった芸術的才能が決定的に欠けていたのである。
彼女はがっかりして刺繍もやめてしまった。
部屋でぼうっとしていることが多くなり、溜息の回数も増えていった。
そんな彼女を見かねて、彼は使用人を何人か解雇しようと言った。そうすれば彼女にも仕事ができる。
だが、それは彼女が望むことではなかった。
「何も悪いことをしていないのに、辞めさせたりしたら可哀相じゃない」
彼としては彼女のためを思って言ったのに、非難めいた口調でそう言われると腹が立った。
「だったら勝手にしろ! もう俺は知らないからな!」
彼はかっとなってそう宣言し、そして実際そのとおりに行動した。
* *