~ Too an empty ~
うっ(絶命)
少年の眼は、渇きに渇いていた。
その枯渇した心は何も求めるモノなど無かった。
…学校もそれなりの県立高校に通い、上の中の成績。一人っ子の故に両親から貰える小遣いも多かったので金には困らない。部活動でも部員少ない空手部に所属し、たいした戦果は挙げられなかったが実力はそれなりに有る。一般人よりは数倍に強い。
そんな悠々自適な生活を送れるのに、彼は渇きに渇いた。不自由無い今までの生活に飽きて渇いてしまった。
彼には友人がいない。
自我が目覚めた時から何でも一人でこなすよう両親から教育されていた。
幼児の時から皆と遊ばず、一人室内で英語を学んでいたという。今では高校生だが英検一級持っている程だ。
小・中学校を通して一切人間と関わらなかった。強制的に集まらなければならない時には仕方無く従ったが、この時、彼の心にはとある願望が芽生えた。
「求められたい」
…中学校を卒業しても求められることは一切無かった。
自適な生活に飽きた時には様々な世界に手を出した。
鉄道に戦艦、生物学に神話…アニメに漫画、小説や歌を創作したりもしてみた。だが彼の全ては満たされなかった。
「いったい何が満たしてくれるのだろう」
部活を引退した後に大学の推薦入学も決まったので更に自由時間が増えた。そこで、新しい世界に踏み入れることにした。新しい世界を見る・味わう事によって満たしてくれるものを探そうとしたのだ。
探し出そうと努力する中、少年はとあるモノと出逢った。
~ 少年の、残り人生を大きく満たしてくれる、
少年自身を大きく解離してしまうまで満たしてくれる、大いなるモノ ~
少年が潤うまでの物語である。
~ ~
少年こと、望月睡蓮の眼は、渇きに渇いていた。
聴き飽きた人間の声を毎日毎日と聴いている毎日に嫌気が差してきた。
勉強など部活など、日常生活が退屈過ぎて何もする気が起きない。最近動いたとすれば、心理学の本を買いに行って独学していたぐらいだがそれももう飽きてしまった。
「ねぇ、レン君」
彼にとってはこの声も聴き飽きた声だ。自分にとっては関わっても特に何にも得する事は無い、毎度おなじみの昔から聴き続けている声。
「…太田かよ……なんだよ…」
「なんだよじゃないわよ。進路希望の紙、早く出してほしいんだけど」
「…んぁ……なにそれ…」
「わからない?」
どいつもこいつも希望だの未来だの綺麗事を言いやがる。人間が生きる理由なんて子孫残すのと幸せを追求するだけの生き物じゃないか。
その為に汗水流して金を稼ぎ、満足を感じるために趣味や娯楽を見つけ、種を残すために愛とか言う苦し紛れの交尾したい欲求の言い訳まで作って…結局は、そこらにいる動物と同じなのに。
「…はぁ………お前さあ」
「なに?」
「お前さあ、生きてて楽しい?」
「は?」
「いやだから…んん~ッ、楽しいかって」
すっとんきょうな質問を帰りのホームルームでされてしまい、太田甘菜はきょとんとした。
「それとかそうだな、人知を越えたいとか」
「…あのさ、宗教にでも入ったの?」
「…まあ、学年一位で生徒会長のお嬢様には到底理解出来ない事を考えていたんだよ。つーか推薦入学決まってる俺に進路希望なんてフツー書かせっか?」
「知らないわよあんたの事情だなんて」
「まぁそうなるよな。とにかく俺の進路希望なら後で職員室に持っていくから、俺を飛ばして次の奴の進路希望集めなメスゴリラ」
ぷいっと視線をずらし、再び机に伏せる。彼の眼中には人間は映っていなかった。話すのに飽きたのだ。
「~~ッ…。だから異常者扱いされるのよ、レン君は」
何故だ。
何故、自分の考えを理解してくれないのだ。
スクールカウンセラーに話しても理解出来ないみたいで、話し相手がいない。
両親にも話してみたが、知らんの一点張りだった。彼はもう、何もかもに飽き飽きしていた。
颯爽と進路希望を集め終わった甘菜は、紙を担任に渡しに行ったようだ。
ガヤガヤと周りがうるさいが、担任と何か話しているようで少し気になった。どうせ俺が異常者だのまた報告しているのだろう。興味が出てきた訳ではないが、耳を集中させて聞いてみた。
「取手先生、集め終わりました」
「あらご苦労様。えーっと望月君のは…」
「あんな奴のなんて無いですよ。ホンット、何考えているのかしら…」
「そんな事をいっちゃダメよぉ…、彼は大人になる成長過程で迷っているだけ。貴女からでも良いから、彼に接してあげて?」
「そんなの嫌です!!」
バァン!! と、大きく机を叩いた。
ガヤガヤしていた周囲はしぃんと静まり返り、束の間の静寂が教室に現れた。
それに気が付いたこの状況を作った本人が辺りを見回した後に、ひとつ咳払い。すると教室は、またガヤガヤとうるさいまで声の量が増えた。
「ねぇ太田さん、彼の現状を察せれる?」
そんな状況だったが笑顔で話す先生、取手麗亜は常に生徒に手を差し伸べる出来た先生だった。
故に生徒からの信頼も厚い。未婚の新米先生とは言え中途半端にやっている先生よりアクティブな先生だった。
「察せれる訳ないじゃないですか、頭ン中何考えているか理解不能な奴なのに」
「彼の全てを察しろとは言ってないわ。今、彼の周りに誰かいる?」
「…いませんが」
「あら解ってるじゃない。なら尚更よ。出来るだけ積極的に関わってあげて、ね?」
手を取って、真っ直ぐ眼の奥を見る麗亜。
「わ、わかりましたよ…」
人間、押しに弱い。甘菜は眼を逸らし、あさっての方向を向いてそう言った。
そこから、彼の意識は無くなった。
~ ~
…いつの間にか寝ていた彼が眼を覚ましたのはその会話が終わってから三時間後だった。
人の気配も無し、チャイムも故障、起こす人などそんな存在すらいない。窓の外はもう暗く、時計も六時半を回っている。彼の家は特に門限も定めていないので幾ら遅くなっても構わなかったが特にすることも無かったのでリュックを背負い、椅子から立ち上がった時だった。
ガラガラ…
「ん…」
「あらおはよう、よく寝てたわね」
「……見てたんですか」
「そりゃそうよー。このクラスの担任だもの!」
イキイキとした感じがまた初々しい。彼女の笑顔は彼にとって毒素のようなモノだった。彼は目を逸らし深くため息をついた。
「ハァ…先生の笑顔は、作り物じゃない本物の笑顔だから眩しいです」
眼球に刺さるぐらい。
「それでも…満たしてくれない」
「え?」
不思議な言動に疑問を抱いた彼女は、椅子に再び座った彼に近寄りその前の座席に座った。
「質問があります…道徳的な質問ですが、良くて?」
「ええ、どーんとどうぞ?」
彼はまた、同じ事を問いてみた。
「先生は生きてて楽しいですか?」
「うおぉ…道徳的でもあり哲学も関わってますね。楽しいですよ」
「何故ですか? 男も経験したことの無いような人なのに…」
「う、うるさいな! そこに触れないで……よ…?」
彼女は目の前の教え子の異変に気が付いた。
この歳ぐらいの男子や女子は、だいたい好きな有名人や趣味・流行りを気にして生きている。それは彼女にも適応する共通点である。
「…最近、生きているのに飽きてしまいましてね。様々な事に手を出しても俺を満たすようなモノは存在しません」
枯渇している。
その一つの単語のみに限った。
「…えーと、先生?」
「え!? あ、あぁ、どうぞ」
「今は二人きりしかいないので、教えます。新しい趣味を見つけるのも飽きてきたので誰もやらないような事、したいです」
「…例えば?」
「未知の『世界』に辿り着きたいんです。この場合、固定概念の域を越えた人智の範囲にまで行き着きたいのですよ。自分の力で、どんな手を使っても」
「うーんそうねぇ…じゃあ空手部で全国行くってのはどう?」
生徒の前では明るくノリが良いということでも彼女は男子女子共に人気だ。しかし、そんなの彼にとってはどうでもいいことだ。今必要なモノは、『満たしてくれる世界』である。
「そういうのじゃないです。あと、人から評価・表彰はされたくないんですよ」
「じゃあ漫画を描いて何処かの出版社に出すとか!」
「すぐにでも変えたいんですよ、すぐに…満たしてくれるモノを」
「………」
「……」
空白の間。
考えていることがお互いに見透かされているかの様な時間に彼は耐えられなくなって椅子から立ち上がりリュックを背負い、出口から出ようとした。
「待って、望月君」
ようやく話が進んで、動きをピタリと止めた。
「先生は…先生はね、人と話したり、ペットの世話をしたり…旅行に行くことが好き!」
「…そうなんですか」
「他にもオセロの世界大会に出たり、トライアスロンに挑戦してみたり…格闘技にも少しだけ手を出してみた! 全部中途半端だけど、一つだけ極めたというか、自信があるモノがあるの。それは興味があった訳でもなく、ただその分野に触れたら吸い込まれるように私を満たしてくれた…」
『満たす』と彼女が言う単語にぴくりと反応し、後ろを振り向いた。
「それは一体」
「………大食い」
「…は?」
か細く繊細で綺麗なその声からは想像もつかない言葉が出てきた。
「大食い! 大食い選手権で…日本一なのッ!」
彼女の青色のガーディガンのポケットからはスマホが取り出され、すいすいと手慣れた指使いで画像を表示させる。
渡されたスマホの画面には王冠を被った笑顔輝く彼女がトロフィーを抱き、後ろにはテレビで見たことの有る大食いでかなり有名な人間が心が折れたかの様にガックリしていた。
「えー…、この場合『満たす』って…腹を満たすって意味では…」
「ううん、それもそうだけど元々、食べることが大好きだったから…先生も望月君の様に当たり障りに『世界』を旅してきた。で、行き着いた世界が『食事』と『教える』事なの」
「そうか…って食事が好きすぎて家庭科の先生に!?」
自慢するような誇らしげな顔で頷かれた。
「だからまだまだ、迷ってて大丈夫。本当に自分を『満た』してくれる世界を見つけてから、進路希望の紙を出して。そこからまた、先生と一対一で話そっか」
何故かその時の取手先生の笑顔は、毒素も何もなく綺麗に感じ取れた。
冬に入りかける時期の外は既に漆黒に包まれ、一寸先も見えないほどだった。
山奥にある県立高校なモノだから星明かりが綺麗だ。感動するほどの感性は持ち得てはいないが、星座を見ているのは好きだった。
偉大な過去の人物が神々の名を夜空に浮かぶ数多もの星々に名付け、そして物語…いわゆるストーリーを作り、今の今まで伝承をさせていった。その話で当時の人々を満たし潤わせていたと考えると、彼は過去、いやもっと、古代に生まれたかったと溜め息をついた。
人の気配は感じない。取手先生なら既に帰ったようで、虫の鳴き声が静寂をかき消し夜を彩っていた。
「暇だし、根刮ぎ剥いでこようかな…」
しかし見ても満たされないのは理解済みなので枯渇しているのは変わりなかった。
「えっと何をですゥ?」
「何って、決まってんだろ…心の行くままになんで…も…」
ハッと気がついた時は既に遅し。気配を消すのが得意な奴が何故か学校にまだいたのだった。
「み、みつば!?」
名前を呼ばれ、驚かした事を喜ぶように悪戯心を抱いているような笑い方をするコイツは、間違いない。後輩がまだ、学校にいるとは思ってもいなかったから不意に背後からの問いに驚き、咄嗟に後ろを振り向いた。
「お前なんでまだいるんだ! 活動時間はとっくに終わってるだろ!?」
「あれ? 先輩こそ何でまだいるのって…僕の方からも訊きたいんだけど?」
「ハァ…相変わらず面倒な奴だ、先に先輩の質問から答えやがれよ」
空手部の女子はだいたい怖い…しかしコイツは別だ。唯一可愛い挙動や仕草を見れるのが特徴の彼女、西園寺みつばは何故かまだ学校から出ていなかった。同時にまた、彼女の方からも彼がまだ学校にいることに疑問を抱いているようだ。
「僕は先生と今度出る試合の話をしていたんだよ。ほら、望月先輩が二回戦で手も足も出なかった強豪のマー学と僕は一回戦目でさー…まったく嫌になっちゃいますよ、はぁ」
「そ、そうか。俺はな、さっきまで寝てたぞ」
「…あはははー…、先輩らしいですねェ」
引退試合に彼が勝てなかった私立高校、そこが聖マート学院。通称「マー学」だ。
全国大会を出場する部活が数多く、有名な作家やスポーツ選手がそこから数多く世の中に羽ばたいている。そこを卒業できれば、まさに人生勝ったと言われるほど成功者が多い私立高校だった。
「そんな高校と一回戦目で当たるなんて――――…」いや、言うのは止めよう。この言葉は喉の手前で止まった。
「でもー次の試合っていつなんだ? 余裕が有ったらお前の試合、観に行ってやるよ」
少なからず行かないとは言えない。彼にとって信頼できる後輩と実感できる後輩は、みつば一人だけであった。
「えェ!? 相手マー学ッスよ!?」
「ま、お前が負ける姿を見て堪能するのであれば満たされるかもしれないなハッハハハ!」
「ム、ムッキィー!! 今に見ててくださいよ!? ちょうど先輩打ち負かした高校と戦いますので絶対に勝って何も言えない状況作ってあげますからね!! あ、相手は女ですけど」
女という分類の中でなら彼は彼女をちょっぴり好んでいた。愛とかそう言う分類で好きとかでは無いが、彼の知っている人間の中でも一番自分自身を求めてくれる人間だからだ。
彼女が自分をどう思っているか何てどうでも良い。これは、自分自身の中での感情であり、他人には干渉が出来ないようなモノであるから。
「…こんなことを言ってもなのだが、みつば」
「むッ、またバカにするんですか?」
渇いた目はそのままだが、彼は真っ直ぐと彼女の目の奥を見詰め真剣な顔付きで話始めた。
「お前といると、少しだけ枯渇した気分から解放される気がする。一緒に会話していても部活でスパーリングしてても、何故か家族と一緒にいるより安心できるんだ。お前は…不思議な奴だ」
「…ほ、ほえ?」
「つまりな、俺が知っている人間の中で一番好きだよ。お前のこと」
「……ふぁあ!?」
遠回しに言うとか、恥ずかしがりながら話すとか、彼にはそう言う概念は一切ない。と言うか、彼には人間の常識は備えていないのでこの一言が彼を慕う年頃の少女にどんな意味を想像させるかなど考えもしなかった。
「みつば、予定変更だ。お前の試合を全力で応援するぜ」
「――――……ッ」
ぽかんと、口を開けたままだ。
「……なきゃ」
「え?」
ボソリと何か呟いたようだが、彼の耳では聞き取れない位の声の小ささだ。
「応えなきゃ…先輩の期待に…」
「…みつば?」
目付きが変わり、勝利を必ず掴み取る様な気迫のある眼に豹変する。
さっきまでにまにまと笑っていたあの笑顔はもう遠く離れ、「用事を思い出した」と言わんばかりに足の向きを校門に向けて全速力で走り出した。
「み、みつば!? あ、まさか…アレか…?」
直後彼は、ちょっと余計な事をしてしまったのではないかと後悔した。何故忘れていたのだろう、彼女の持つ、性質に。
可愛く、そして性格も良い彼女はあまり相応しく無い癖を持ち合わせていた。これに火を着けてしまったのではないかと逸早く想定出来た。
彼女には「報復する癖」が備わっている。これは彼自身も一年と半年の間、部活動で一緒に活動していた訳だから存じ得ている。が、その癖…彼曰く「スイッチ」が作動するとまるで人格が先程のように一変する。その対象に向かい、報復行動を取るようになるのだ。
彼自身、スイッチが入ったのは度々目撃している。スイッチが入った状態のみつば…通称「シロツメ」(三つ葉のクローバーの正式名がシロツメグサなので、彼がそこから勝手に名前をとって呼んでいる)はとにかく喋らない。が、一定の報復行動の能力と何故か戦闘能力を無理やり引き上げる簡易人間兵器トリガーなのだ。
自分のために使うことは無い様だが、だいたいは他人に不利益が被ると作動する仕組みになっている可能性が高い。
例えば、体験入部期間に来た中学生時に関東大会優勝した奴がやって来たときがあった。そいつは口が悪く、口を開けば罵詈雑言の嵐が飛び出る人間だった。人間としてクズみたいな奴であった。
戦ってみると自分自身よりは強くはないが、やはり関東出ているだけあり確かに強い。彼もイチ・ニと攻撃を当てられるがやはり相手の攻撃は早い上にずる賢い。狡猾な動きに彼は対応出来たが、みつば以下後輩はほぼ全て翻弄されていた。
ふと、スパーリングの合間に「なんだ、小学生より弱いじゃないか」と言うそいつの一言が聞こえた。彼も含め部活の全員がそいつに嫌悪を抱いた時だった…。この時、自分が好きな皆々に嫌悪を抱かせたそいつに復讐の意を抱いた少女がその場にいた。
それが彼が初めて知る「スイッチ」の瞬間である。
みつばは迷いも無く、そいつに挑みに行く。「なんだ、またテメーかよ」と嘲笑われながら戦うそいつが見たのは、戦い方も面構えも何もかも変わった彼女だった。
狡賢い手がことごとく破られ彼でもあまり当てられなかった攻撃を軽々当てていく。一見ずっしりとした王道の空手道と認識出来る構えから放たれる突きや蹴り、ましてやどこで覚えたと言わんばかりの体捌きや攻撃も放ち、そいつを棒立ちにさせていた。
攻撃を放っているうちにそいつは自分の持っている全てを出していた様で、動きのキレと瞬発力が増していた。これならみつば、いやシロツメと…いや、そう思ったのが間違いだった。
彼女が、みつばがこんな残虐に相手を床に沈めるのかとその時に彼自身目を疑った。
相手の突きを肉眼で捉えられない程の素早さで回避。その突きを回避中に膝と肘で全力で挟み込む。勿論相手は挟み込まれた腕の痛みとその不思議な動きに驚き、一瞬動きを止める。
その虚空の間に腕を握って引っ張り、引寄せた時には挟んでいた膝を相手の鳩尾へと的確に叩き込む。相手は何が起きたか理解していないまま鳩尾のダメージにより息が一瞬止まる。人間息が止まると肉体が驚くモノだ。肉体が驚けば、身体能力も著しく下がる。それを(理解している上なのか)利用し更に懐に入り込むと、何やら再び不思議な動きをしだす。その動きは、まさに中国拳法にそっくりだった。両手首を両脇下にセットし手の爪先はそのまま平行に…言わば「小さく前にならえ」の状態である。
それを構えた直後にハァッ…と力強く息を吐くと、その男は吹き飛び、そして数秒プルプルと震え地に伏せていると、やがては動かなくなった、よく見ると失禁までしていた。この連携技と最後の一撃で気絶してしまったのだ。
意識を失い更に地に伏せている時に血を吐いていたそうで、練習は一時中断し救急車がやって来た。その時の彼女は元に戻っていて、何やら複雑な顔付きになっていた。練習が終わって最後に聞いた彼女の呟きが「またやってしまった」だった。
この事件以降、そいつは体験入部期間とは言え空手部に来なくなり、学校でもみつばはキレると化物に変化するという噂で持ちきりになった。
豹変時の記憶が曖昧でよく覚えていないと言う彼女は、問い詰めれば問い詰めるほど眼が虚ろになっていく。そんな状態になるのであれば可愛い上にスタイルも良い彼女に誰も聞けなかった。だが…ただ一人、気になる人物は存在した。
そう、彼だ。
実力はまぁまぁの彼女が武術の達人並の攻撃を放つなんて考えられない。後でパソコンで検索してみると、あの技は鎧透し発勁と言い防具の外から人体にダメージを与えるという…やはり、達人の域に達しないと成功出来ない上にその達人でも成功させるのが難しいと来たものだから更に怪しいと感じた。
今走り去っていった彼女が解釈したのは「俺の敵討ちを果たしてくれ」と解釈の読み違いしてしまったのではないだろうか。
そうなると、「シロツメ」の状態が試合の期間中まで継続されるという事なのだろうか。だがこの漆黒に包まれた此処等一帯を捜しても、もう既に彼女の姿は見失ってしまっている。
「…やってしまった……のかも知れんな」
星空は何も変わらず明るさを保っている。
この少しの焦燥感と後悔からなのか、さっきまで感傷に浸っていた星々の煌めきや虫の鳴き声さえもうざったく感じた。
生徒会と全委員会の会議がやっと終わり、書類を仕上げ一枚一枚確認し提出したらあら不思議、魔法のように時間が経ってしまっていた。
外が黒一色に染まり、文字通り漆黒に包まれ一寸先すら見えない時間帯になっていた。
こんな時間では学校の友人も華道部の部員も既に学校には居ないであろう、時々一緒に帰っている同じ方面の取手先生も既に帰ってしまった。取手先生に関してはさっきまで誰かと教室で話していたようだが…あの先生の帰るスピードを考えれば帰っているであろう。彼女は先生の尋常じゃない足の速さを知っていた。歩くスピードや特に食べるスピード…とにかく全ての行動において何もかもが素早い。調理実習をあの速さで行ってなぜ失敗しないのかが疑問に思えるまで。
「…………」
昇降口出てすぐ、彼女はそこから見える大きな窓から煌めく星空をずっと眺めた。
それは何故だろうか?
そんな愚問は彼女自身考えようともしなかった、答えは知ってはいたのだが。答えたくは無かったのだが。
愚問と言えば帰りの学活の望月睡蓮を思い出してしまう。顔を思い出すだけでも腹が立ってくる。自分はあんな異常者と違って友人もいるし中途半端な人間でもない。より優れている人間が生き延び、自分より能力も無い人間は社会の中で淘汰される運命であると言うのに…何故に取手先生はあいつと仲良くせねばならんと伝えるのか。と完全無欠と弱肉強食この二つの四字熟語が好きな太田甘菜は考えていた。
暗いから思考が乱れてしまっているのか…雑念が混じってまともな考えが出てこない。電気が切れかかっている薄暗い生徒玄関で赤い上履きから光沢のある綺麗な革靴に履き替え、ようやく外の空気に当たった。
「………はぁ」
いくら学力やら身体能力やら、統率力が流石だの凄いだのと誉められてもみても自分にだって弱点はある。誉められるのは良い気分だが、弱い箇所を隠して何も変わらないのは自分自身よく理解している。
「…………うぅ何よもう、超真っ暗じゃない!」
暗いの、怖い。
小さい時のとある事件をきっかけに極度のトラウマを彼女は抱えていた。それ以降から黒いモノと暗い所、夜が苦手になってしまっていた。
プライドが高い彼女は家族や使用人以外の人間にも話していない。克服する気は有るのだがやはり立ち向かおうと考えると怖じ気付いて逃げてしまう。そして今、再び克服できるかどうかの立場に陥っていた。
周囲に人の気配は…無い。足音すらも聴こえない。
この背後から何かしら気味の悪い声だとか、真っ白な手がニュッと伸びて肩を握るだとかしたら恐らく彼女はすぐに卒倒してしまうだろう。胸が高鳴り、恐る恐る外界へと足を踏み入れた。
「…ッ」
突然の冷たい風がびゅうと吹き抜き長い黒髪やリボンが風と共に乱れ舞う。
一日外に出なかった彼女は知らなかったようだが、今日は比較的風が強く校庭でも砂嵐が暴れていた。体育も移動教室も無く校庭の見えない別校舎かつ防音の教室にずっと居た彼女はこの風だけでもかなり顔が青ざめていた。
心臓の高鳴りが耳まで聴こえてくる。
訳のわからぬ強い風が黒で塗り潰された世界で吹いてくる状況など彼女にとって地獄の様なシチュエーションである。手の震えがなかなか止まらない。
「落ち着け甘菜…とりあえず深呼吸だ…」
そうだまずは落ち着いて呼吸の乱れを落ち着けよう。深く息を吸っては吐いてを繰り返し、心音を数えつつ自分に言い聞かせながら落ち着かせる。暗いのなど怖くもなんともない。暗闇の中にこそ光があ……る…………
「…あら?」
ふと思考を止めて、目前の薄暗い電灯に照らされた人影がちらりと見えた。その人影は見覚えがあり、我がクラスの担任もどーのこーの言っていた奴である。
「みつば…うーんブツブツブツブツ…」
「………………」
甘菜の脚は、自然に対象へと走り出していた。
人間は弱点が晒け出されているとそれを補う為にどんな手を使ってでも無理やり行使しようとする。今の彼女は何を言ったって汚い事を平気で行うだろう。目の前の弱者に、手を差し伸べなければ。先程の「弱者は淘汰され潰される」という考えなど思考から除外されていた。
~ ~
「みつば…うーんどうするものか…」
暗い電灯が彼を照らす。
人の気配はちらほら感じるのだがやはり日中よりかは活発に動く気配は無い。それよりも引き出してしまったみつばの残虐な本性であるシロツメを如何にすれば彼女に引き戻ってくれるのか、彼は持ち前の頭脳で考え尽くしていた。
当然、彼女自身がコントロール出来ていない人格がそいつなので直接言葉で伝えても無理なのは百も承知だ。かと言って「あれはああいう意味で言ったんだ」なんて伝えるのも馬鹿らしい。それ以前にもう例のスイッチが入ってしまっているならば言葉の意味がどうであれ切り替わる事は無いだろう。他に手は無いのだろうか、思考を巡らす内に次第に頭が重くなっていった。
「どうにかならねェかな………む?」
考え事に集中していた彼は、人間一人が此方に向かって走ってくる足音に気が付いた。ごく近く、ぱたぱたと足音が大きくなってくる。
しかしこの気配はみつばではない。一瞬期待してしまったが彼女が履く靴はスニーカー一択だ、革靴ではない。それでも一定の武道の経験を積んだ者の足音はもう少し重心の移動が出来上がった足音であり、細かな所から考えても彼女ではない。
この足音は…推測から女子であろう。足音が重くなく綺麗なリズムで走り寄ってくる。
「ねぇ、そこのさァ!!」
「………ファッ!?」
聞き覚えのある…というか聞きたくない肉声が足音と同方向に、思わず振り向いた。
暗闇の中から現れたのは……、信じ難い事に、帰りのホームルームでも然り何時でも彼の事を嫌ってボロクソ馬鹿にする彼にとっての大天敵が、此方まで走り迫って来ていた。
「や、やっぱりレン君だったか! 奇遇だね!」
暗い世の中で見せられた、作り笑顔の様な笑顔。いやこれは作り笑顔だ。
「…………チッ」
よし帰ろう、こんなの見せられたら苛々が止まらなくなる。ならば意思は固まった。
出会ったことに不快感を伝えるべく聞こえるように舌打ちをすると正門の方向に体を再び向けて帰り始めた。
「じゃ」
「あっちょっ、待っ…」
スッ…と素早く近寄り、肩を片腕で掴む。
勿論の反応だが嫌いな人間が自分の体に触れられればもっと不快感を感じる。当然の如く彼は振り払うべく顔を見ずに意思を伝え始めた。
「…あのさァ、誰がアンタを待つかってんだ。変人扱いされてまともな人間じゃないと言われている俺にだって帰る場所もあれば、そこまでの帰路もある。手っ取り早く帰るンだったらお前の持ってるスマホで財閥に迎えを要請すれば? その間に俺は帰るから、じゃ」
振り払う、その瞬間だった。
「………ん?」
隠しているのか、バレないようにもう片方の手で肩を握る手をギュッと握り押さえている。そしてその肩の手は、僅ながら小刻みに震えている。
「何だ、体調悪いんかお前」
「そっそそそそんな訳ないじゃん!」
手首の脈拍数が、人間の緊張している時並みの速さになっている。この現状から推測出来るのが…
イチ、何かに緊張しているもしくは怖がってオア怯えている。
ニ、何かに興奮オア発情している。
サン、やはり体調が優れない。
「……帰るんだが?」
「…………」(ギュッ)
再び問いかけると彼女は何も言わず、返答として反応したと思われるのが握った制服の布地を強く握るだけであった。
「皮膚が巻き込まれて痛い、離してくれ」
無論、彼女の握力では到底皮膚まで巻き込まれる事は無い。すぐにでも離して貰いたいから彼は嘘をついてた。
だがそう言ってもやはり離してはくれない。徐々に力は強くなっていく一方だ。
無言で何も喋らないのは彼女にとっておかしい。彼とは正反対の性格で友人にも恵まれ常に人に囲まれ周囲を明るくする人格(彼とは会えば必ず悪口)なのに今に限って急に黙り込む。
「………ついに俺を馬鹿にするのもこのレベルまで到達したか? いいか、俺にだって人間で生まれてしまった以上、我慢の限度と言うものが…ッ!」
握る手を力強く振り飛ばしその勢いに乗って後ろを振り返る。
「………ッ?」
そこに居たのは、何かしら不安に追い詰められ諦めかかっているような顔の甘菜が、顔を此方に向けたまま目を逸らしていた。ただ本人は、持ち前の高いプライドからひた隠しにしているのだろう。おそらくは一番目の「恐怖している」、その対象が「暗闇」なのだろう。
「………」
「はぁ、体調悪いんだな?」
「!」
彼には人の常識など兼ね備えていない。
故にこの歳で持っているとは考えられないスキルを持っている。変人だの不審な人物だのと人様から言われ続けているが、心の内を察するのは得意だった。(先程のみつばとの対話では相手の本質を忘れていたのだが)
満たしてくれるものを探す中に独学で中途半端とは言え最近手に入れた心理学などが入っていたからである。かじった程度だが少々心得ていた。
「声もでないほど気分が悪いなら電話出来ないよな?」
その言葉を聞いた瞬間、目も此方に向けられた。
「………!」
その目の輝きは、まるで絶望の縁に立たされた人間に救いの手を差し伸べられたかの様な輝きで、顔の色合いも元の気色に戻っていく。
「まったく悪いなら悪いと言えば良いのに…、普段馬鹿にする相手に助けを乞うのがそんなに嫌だったのか?」
暗いのが嫌いなんだろ?
そんな相手を傷つけるような事は言わない。痛みはそこら辺にいる人間より知っているからだ。
「い、嫌じゃあ無いわ! むしろ回復してきたけれどもまだ不安かもしれないし」
「あっそ、じゃあ平気やな」
「ごめんなさいやっぱ不安と言うか気分優れないです…」
「………」
「屈辱だけど駅まで…頼めるかな?」
「あァん屈辱ゥ~? やはり置いて帰ろうかな…」
「だ、だめェ死んじゃうかもぉッ!」
「…早く帰るぞバカ女」
しかしながら帰ると言うのにこの状況に彼女が出てくるとは、彼としてはイマイチ喜べない邂逅だった。
~ ~
「それでね、会議が長引いちゃって…」
よく喋る女だ、益々頭が重くなる。
心内にそう思いを巡らせ話を聞きながらみつば関連の考え事をしているというのに…、まさか帰りを送る事になるとは思いもしなかった。
「あのさァ…体調、悪いんじゃねーのか?」
「んでその会議が…」(フェードアウト)
話の途中でいきなり静まり返ってぐったりされても困る。
「はぁ、もういいよ。話し続けても良いよ…言いふらすタチでもねーだろ? 俺はさ」
やはりその人個人は、その人らしくあってほしいからな、偽られてもな。
「……あんた、まさかバレてた?」
「言ったら傷付くんじゃねーかなーっと思ったから。でもよォ、真面目堅物かと思ったら結構可愛いトコあるじゃん暗いの怖いとか」
「なッ!? お前に言われるとやっぱり屈辱だわ…!」
あぁ、反応するのに飽きた。
駄目だ、その尊重すべき個人と向き合うのにすら飽きてしまうなんて…人間として失格だ。
「…俺もお前もお互い変わらなきゃな」
「えっ?」
いや、じゃあ人間の域を越えれば良いということなのか?
…いやそうじゃない。どう思われても構わないからこればかりは意思を伝えなければ。
「あんたも暗いの嫌いなの?」
嫌いなのはお前だよと、そう叫びたい。いや違う違う違う何を考えているんだ俺は!
「そうだ、暗く何も光が当たらない『世界』が嫌いなんだよ」
「またいつもの厨二病…? 変人さんね、いつでもどこでも…」
「じゃ、お前の『世界』の言葉で言い直そう」
少し間が空く。
単語を隅々まで頭の中で並べ当てはまる言葉を想像していく。遅かれ早かれ十秒ぐらい経っただろうか、単語はようやく頭に浮かんだ。
「…?」
「俺はこのまま性格を変える気なんてさらさら無い。変人と言われ続けてもいい。変えたいのは、『現状』だよお嬢様」
初めて、この言葉は人に告げる。
相談相手のみつばにも伝えていない、心の最深部に秘めた想いを何故か口に出してしまった。
「『求められる』現状…いや、人間になりたいんだ。考え直してみれば、お前に『一緒に帰ってほしい』と求められたから行動してしまったのかもしれん」
「へ、へぇ、カッコいいじゃない」
「嘘偽りは無い。実はこの話はな、話したのはお前が初めてなんだ…。あぁ、そう言えば疑問に思っている事が一つあるんだ、聞いてくれないか?」
何やら難しい顔をして、『理解し難いわ』と思わせるような顔つきで「えぇ、どうぞ?」と変わらない口調と声の強さで話した。
「お前とはもう十二年と長々付き合いがある。皮肉だが小学校初めから高校の終わりまで…全部同じクラスだと」
淡々と話続ける自分。
丁度二人きり、更に優位な状況で思いや疑問を打ち明かせる絶好のチャンスだと無意識に判断していた。
「しかし存在するもしくは見ている世界が違えば交わる事は無い。お前は俺の見ている世界を年柄年中馬鹿にしていたな。理解したくないとも言った。俺の存在する世界と言う名の視点に交わるのを防ぐためにきっとそうしていたのだろう」
と言うと、表情が瞬く間に変わる。何時もの様に俺の気に入らない言動にカチンと来たのだろう。甘菜の方眉がピクリと動き話の途中で口を割り込んできた。
「へぇ、だから何よ? これを機にあんたの宗教みたいな思想を信仰し…!」
「最後まで、話を聞いてもらいたいな」
「何ィ…!? アンタ、誰に向かッて口を…!」
クラスで十二年間もちやほやされればそりゃ誰であろうが高飛車な性格になる。俺はそんな女の扱いは手慣れているから苦では無いが、こいつ相手だとやはり面倒だ。気に入らないからって即反発するのはやめてほしい。
「お前が男なら力でねじ伏せさせて嫌でも話を聞かせるが、生憎テメーは女だ。暴力を振るうわけにもいかない、この際だから俺の思っている胸の内を明かそう。だから話させろ」
「………じゃあ早く言ってよ」
「そのつもりだ。俺はお前のように頭も良くなければ統率力も無いだろう。コミュニケーション能力も一般人より低い。第一に人間の常識を兼ね備えていないのは百も承知だ、だがな」
「だが?」
「だがなそんな俺でも人間である以上、人間の精神は持っている。快く思うモノも有れば、不快に感じるモノも有る。お前にも有るだろ? 口喧嘩するつもりはさらさら無いが誉められるのが好きで、暗いのが嫌いだと」
「…説教かしら」
「違う違う、そんな気はない。つまり俺が言いたいのは―――――――」
丁度十字路に行き着いた、その時だった。
ドンッ!!
「きゃッ!?」
「うワらバッ!!」
甘菜が人と衝突してしまった。
誰かしら人が走って来ている足音は聞こえていたのだがな。それは甘菜も然りだろう。彼女は直ぐ様立ち上がり、吹っ飛ばされた女の子に駆け寄った。
「だ、大丈夫!?」
返事がない。『消えろ、ぶっ飛ばされん内にな』と言い放ってボコボコにされた後の様な倒れ方をしている。あ、それだと結構重傷かもしれない。
「うゥ…大丈夫デす、問題ありまセん…」
ぶつかった少女(?)は難なくスッと立ち上がりそして着ている異様な洋ふ…いや白を基調としたゴスロリの服に付いた汚れを振り払い辺りを見見回した。
辺りを見回すって事は…何かに追われているのか? いやでも、他人の情事には触れないでおこう。何事も触らぬ神に祟りなしだからな。
「そチらの方モ大丈夫デすか?」
だが触ってもいないのだが少女は、甘菜に声を掛けると思いきや俺の方に顔を向けて話しかけた。
「え? 俺?」
突然すぎる。俺に何故だ? 俺は特に何も…。
「こっちは精神がおかしい奴だから構わなくて大丈夫だよ。えーと…外国の方?」
暗くてよく見えなかったが甘菜がスマホのライトを照らすと姿がくっきり見えてくる。
肌は透き通ったように真っ白の白人の娘(?)、身長は一三〇~一四〇程であろう。綺麗な桃色の手提げを両手に持ち、兎(?)のリュックサックを担ぎ…左目の上側から頭にかけて縫い目が見える。リュックには素早く取り出せる様に何かがリュックのポケットで覆い隠している。転んだ衝撃でポケットの留めが外れた様だが、暗闇から何も見えない。
「ハい、リベリアから来マシた。御親切にドウもデす…」
「リベリア…? アフリカの端に白人が居るなんて珍しいわね」
「あはハ、よく言われます。デもごめンなさい…今は話をしている余裕が無いンデす。このバッグを待ッテる皆に届けなくちゃならないンデす…けド…」
モジモジしている姿からやはり子供なのか、俺はどうしてもこいつが子供とは思えない。陽が既に落ちて星が煌々と輝いている時間帯に、子供を御使いに出すだろうか? そして何かに追われているのだと仮定するならば子供とは考えられない。
「その…えット、道に迷ってしまイマして…エへヘ…」
それも信じられん。
この少女が来た道というのは複雑でも何でもない。畑直通の一本道だ。
それに山奥の県立高校が近くにあるわけであって、大概の道は畑やコンクリートで舗装されていない道も多い。それに、この少女の来た道は………確か麻畑だ。何を目的に?
「あら、丁度良かったわね。この監禁陵辱の大好きなお兄ちゃんが案内してくれるそうよ」
「勝手に決め付けンなッ! そして俺にそんな趣味はねーよッ!!」
はぁ、だからこいつは嫌いだ。
他人の根も葉も存在しない嘘を他人にべらべら喋れるのだからな、確かめようも無い上に不信感を抱かれてしまう。まぁ、人と関わらなくなるだけだが、もっと嫌なのは望まれなくなる事だが。
「…いエ、その方は素晴らしい人材デスよ。御兄ちゃん、お気になサらズに」
良かった…と言って良いのだろうか、冗談だと認識してくれたようだ。口元に手を置きクスクスと笑ってくれている。
その笑顔が真か虚だったのか、この現状からは察せれなかった訳だが。
「むシロ私が『望ム』グらい…ね」
「は?」
「あ! いえイえ此方の話デす! 御姉ちゃん逹申し訳ありません、出来れば道案内して…頂けまセンか!?」
一瞬、目の輝きが妖しく光った気がするが気のせいだと信じたい。
少女は俺達に一歩踏み寄って頭を下げた。
「……?」
下げた時に背中に担いでいる兎(?)からは暗闇で何も見えなかった『何か』が、チラと月明かりで見えてしまった。
「………ッ!!?」
それが、その物体の存在こそが、俺の意志を決定付けた。
「そんなそんな! 頭を上げてお嬢さん、近場なら私達が案内出来るわ♪」
「おい何を勝手に…ッ!」
こいつ、見えてなかったのか!?
「何よ、私よりも小さな女の子が困ってるのよ? アンタ見捨てるつもりなの?」
「ち、違ッ! こいつ、このガキ…ッ!」
「お、御兄ちゃん…?」
い…いや気のせいだったのか?
少女は不安そうな顔で此方を見ているが、これがどうしても作り物に見える。どう考えても俺が先に見た『アレ』はどう考えても…。
「なニをそンなに驚か…ん、ああ…そういうこと」
「…ッ!」
ガキが、俺が何故こんなにも動揺しているのか察したようだった。ポケットの留めをパチリとボタンで隠し、人差し指を立て唇の前に持ってきた。
『しー』と静かにの意を俺に見せると、目と目が合ってしまった。得体の知れないこのガキはにこりと笑うと、全く見ていない甘菜の袖を引いて俺から注意を逸らした。
「御姉ちゃん、御兄ちゃんガ」
「駄目だって? 大丈夫よ、お姉ちゃんが何とか説得するから!」
「されても…俺は…絶対に…ッ!」
と断りたかったのだが。
説得し始める甘菜の後ろには、再び『それ』を見せようとするガキの姿があった。
「………じゃあ」
パチッ
「……これでもデすか?」
留めを外し、ゆっくりと『それ』を取り出そうとする。そして再びにこりと笑うが、その笑顔は凶悪と言わずして何と言うのだろう。先程の甘菜の作り笑顔よりその歪な笑顔は、まさに死神を連想させる笑みだった。
「…わかった、しかしな此方とて条件がある」
「あら何よ、アンタの割には偉そうに…」
「………ふむ?」
心無しか急がしてくれと脅しているようなのだが、何処と無く裏腹には焦りを抱いている様な口調が入れ混じっている。
畑の方でトラブルでもあったのだろうか? いや、それを気にしている場合ではないな。まずは現状打破を試みなければ。
「絶対に妙な気は起こすなよ、『それ』出して俺らや他の人に危害加える様であれば、俺らはテメーを…」
「はァ!?? 何の話ィ!?」
丁度甘菜の背後に危ねぇモン抱えたガキがいるからそいつに向かって話している訳なんだが、こいつは色々と条件付けてると勘違いしているようだ。
またまたカチンと来たようで、怒った形相に変わる。正面にいきなり立って何時もの様にまた愚痴のマシンガントークを始めるのだろうが、それでも俺は視線の先の死神を睨み続けていた。
「だいたいアンタねェ!! 私も含め周囲の人間にイカれてるやら常識が通用しないやらと言われてるけど、まさかここまでだとは思わなかっ――――!」
甘菜が本性を現して罵詈雑言の嵐を連発する。何時もの罵詈雑言よりもレベルが高いが今の俺にとって一言一句無駄なモノだ。全て聞き流し、後ろのガキが口を開くのをじっと待った。
「…承りました。確かに腕力ジゃあなた方に敵うまい」
「って聞いてるのかな異常者クン~?」
「ん…ああ、聞いてないからちょっと黙ってろメスゴリラ」
「だッ、黙れですッてえ!? アンタ、誰に向かってェーッ!!」
更に煽り、嵐を強める。
こちらの話に割り込んで来たらとてもとても厄介だからだ。どうやら今はもう熱の温度が臨界点なのだろう、目の前で手を振っても動じようともしない。
「と言っても貴方を消しても私にとって損デしかありませんからね。駅まデは利用させて貰いますよ」
「一体あんたは何者だ? 何を目的と…」
そうだ、俺に言論の権利は無い。
ぱちりと留めが外れる音が十字路に響き渡る。その音を聞いた途端にピタリと声を止められた。
「深入りは…身を滅ボしますよ」
現状を切り抜けられる方法は…もしかしたら有るのかも知れない。この謎の少女の右腕をへし折って戦闘不能に陥らせてから甘菜の手を無理矢理引いて逃げても良いだろう。しかし(部活でもそうだったが)女には絶対に攻撃をしたくない。これは俺のポリシーに反する。
「…何を言っても、無駄なんだな?」
「その通りデす…理解が早くて助かります。今の高校生デそんな理解ガ早い人は初めて見ましたよ」
~ ~
どうしてこうなった。
「御姉ちャンの手、すっゴく柔らカいデす~!」
「そういう貴女こそスベッスベじゃない。あ、このお兄ちゃんとは手ェ繋がない方がいいかも、舐めてくるかもよ?」
何とか『それ』のトリガーとなる両手を封じた訳だが、この状況を勘違いされると物凄く困る。いや勘違いせざるを得ない現状だが。
「うーン御兄ちゃンナら別に良いデすガ…とニカく御兄ちャンとモ、コうやッて握ってたいデす!」
「あらそう? なら止めはしないけど…」
少女は今、こう思っているだろう。左右の手が両方とも握られて取れる物も取れない、と。
少女の両側に着いて手を握るという考えは俺のアイデアではないが、兎にも角にもこれで取り出せまい。
両手を思い切り良くぶんぶんと振り、子供らしさを出しているつもりだろう。しかし、さっき白人とは思えない程の上手な日本語使いと、『あれ』を出すとき瞳に宿ったあの殺意は正しく本物だと言って良いだろう。
「ねぇねぇ、いい加減あなたって呼ぶのも難だからさ。お嬢ちゃんのお名前、教えてほしいな?」
「エー!? 御姉ちゃん、礼儀に反してマスよ!」
「れ、礼儀?」
「コの国デも先に名前を名乗るモノダッて薫ちゃんガ言ってたデす!」
「確かに…それは筋が通ってる。フッ…くくく太田、テメーの礼儀正しさの物差しが測り知れてしまうな!」
「な、何よ異常者のクセして! はぁ、ごめんねお嬢さん。じゃあ名乗るわよ」
コホン、と彼女は一つ咳払いをする。咳払いは甘菜が話し始める時の癖だ。間も無く、彼女は自己紹介をべらべらと話し始めた。
「私の名前は太田甘菜、十八歳よ。県立石譜高校で学年一位。しかも成績オール5で才色兼備の生徒会長。よろしくね♪」
本当にべらべらと…いらん情報までぶっ込んで来た。余計な情報は自分を滅ぼすというのに。
「オー…タ…ッ?」
何やらその名前に反応したのか、目をぱちくりさせる少女。何かあるのか。
「ほらレン君、アンタもしなさい。さもないと社会的に殺すわよ…?」
主にその主犯がお前であって、抹消抹殺されてるんだが。その再興を望んでいるとさっき話したンだがなぁ。
「え~…俺もなのォ…?」
そして正直言って、この少女に対して自己紹介をするのはかなり危険な行為ではないかと俺の中の何かが囁く。高い確率で何かしら怪しい組織とかに関わっている…ハズだ。
「御兄ちャン、教えてくれないンデすか…?」(パチッ)
「ちょッ待ッ…それ見たことかァ!」
手ェ離した瞬間にこれだから…油断できん。
「お前それ遊ンでるだろ!?」
素早く手を取り握り直す。そして挙動不審な動きをしてしまったモンだから甘菜が汚物を見るような顔で俺をじっと見てきた。でもまぁ、これは気にしないでおこう。
遊び半分で『それ』を出して行動なんてされたら大惨事になってしまうから、未然に防げれてホッとしたのも束の間、少女は「早く名前教えろ」と言わんばかりの誘導尋問が彼女の口から発せられた。
「遊んデる? いや~ドうダか~、御兄ちゃんはこれまデに見たコと無い『純粋な魂』を秘めてイルかラ、『こんなモノ』デ消したクハないのデすガね~」
ニヤニヤしているこの顔を見る限りまだ選択権は俺には与えられて無い。
心理が見透かされるようなニヤニヤが心底腹が立つ。なのだが、コイツの武器は『それ』ではなく『言葉』ッてのと…不思議で幻惑的な魅力が、どこか感じられた。
「…ちッ………望月だ」
少女はにこりと笑顔になると、俺の腕に頭をぽんと掛け、すりすり頬を擦り付けてきた。
名を教えてからのこの笑顔はまるで稀に見る掘り出し物を見つけたかのような、安心感と幸福感に満ち溢れた笑顔だ…というかウザったい。
「ちょ、ちょおッとォ!? おねーちゃんにもすりすりしても良いのよ!?」
…変な気分だが、悪い気ではないかもしれない。
何せ俺は今、たった今、必要とされているからだ。この娘の心境に紛れもなく『俺が欲しい』という想いが、この行為から読み取れてしまうのだ。
「これガ…ザ☆『一目惚れ』ッてヤツデしょウか…ああ、胸ガドキドキしマス……」
「は、ハァ!? 気持ち悪ィなァ…つーか離れろ!!」
危ない危ない、引き込まれるように求められた。始めての感覚が、俺の思考を無理やりねじ曲げられたみたいだ。
「だーかーらー! おねーちゃんにもッて!」
「…御姉ちゃンカらは『純粋な魂』は感じらレマせんガ…まぁ、良いデすよ」
次は甘菜の腕にぴっとりくっ付くが、この顔は何だ、不安気で絶望に満ち溢れた笑顔…ッて、何だこの笑顔!!? 見たこと無ェ!!
「それデー…、御兄ちゃん、何か話シたイ事が有るのデは?」
「え、あぁそうだ。んでー…よォ、ガキンチョ」
「嗚呼、御兄ちャンの声デ私を示唆すル呼ビ名を呼んデくレルならツッコむのも良しトシまシょう…何デすか?」
俺が一声掛けるとそんな笑顔から一変し、幸福感溢れる顔に変化する。甘菜は気が付いていないだろうが、本人が見ていたらかなり傷付くだろーなー…。
「気持ち悪ィなテメー…。まぁさておき、俺らは名を名乗ったンだ。そちらも親に与えられた名前を持っているだろうから教えるのが礼儀ッてモンだろ?」
一目惚れが何だ、求められた事が何だ、幻惑的な魅力が何だ。コイツに対しての警戒が、まだ解けた訳ではない。
色々と怪しい点はちらほら出ているのだからせめてもの情報だけでも得なければ。
「…まァ気に入りマシた。御姉ちゃンの処遇は決めマシたけド、御兄ちャンは何ガなんデも欲しいデすからネ。わかりマシた、教えマス」
俺と甘菜が繋いでいる手を最小限の力で振り払い、俺ら二人から一メートル先の目の前へ離れてしまう。
そして兎(?)のリュックに手を掛け『それ』を取り出すのかと警戒したが、リュックを地面に降ろし、白基調のゴスロリ服のスカートを両手で持って頭を下げ一礼。古い映画でよく見る西洋式の挨拶だった。
「二十七歳、売人デす」
「あっ…ふーん……って察しつかねーよッ!」
「ウソウソ、ゴめんなさいネ。ちャンと話シマすヨ。私の名はアースト・ローメリア、二十七歳のー…えート薬剤師デす」
ゴスロリの服のポケットに手を突っ込み、何やら名刺ほどの大きさの紙を二枚取り出す。一枚一枚渡していくと、丁寧な自己紹介を始めた。
「私こトこのアースト・ローメリア、株式会社『百合水仙』の代表取締役を勤めテマす。新薬開発を始め義手義足のバイオニクス、医療用マシンの開発や栄養食品等々の薬学発展の道標となルヨう我々は日々進歩しテイまス」
と、説明されてもすぐには飲み込める筈も無い。二人でぽかんと渡された名刺を見続けたが、最終的に俺がまたこの少女が冗談半分で言っているのだと認識して話を持ち出した。
「あの大手企業『百合水仙』の社長だァ!? しかも二十七歳!? 幾ら顔が母親とかに似ているとは言え、冗談言うなよー!」
続けて甘菜が言う。
「勝手に親の名刺持ってくるなんて駄目じゃない! それに、その台詞知ってるわよ。『百合水仙』のCMに……あッ!?」
「な、なんだよ太田…」
そこまで慌てる必要が有るのかと言わんばかりの驚き方だ。
驚きをひた隠しにせずそのままの表情でスマホを取り出し、すいすい慣れた指使いで何か動画のような動くモノを表示させる。その音声を聞いた瞬間、俺も画面に引寄せられた。
彼女が見ていたのは世界的にも有名な某動画投稿サイト、その中にある動画項目の中でも一際目立つサムネイルで、『百合水仙』の活動プロモーションビデオ動画だった。
『我々、株式会社『百合水仙』は新薬開発を始め義手義足のバイオニクス、医療用マシンの開発や栄養食品等々の薬学発展の道標となるよう我々は日々進歩しています――――』
なんだ、一語一句同じなだけじゃないか。そう口に出さずに胸の中で思ったが、予想はその斜め上を行き過ぎた。
「うオッ!?」
凛として人形みたいに美しく、白基調のゴスロリ服の少女が最後に一言。
『「貴方の未来も、お作りします!」』
~「百合水仙」~
最後の台詞まで一言一句同じなのと、同じ声のトーン、強弱、発声のタイミングまで同一だった。しかも最後の「百合水仙」まで。
「…ネ? 納得しテクれまシたか?」
甘菜がコクコク頷いて「納得した!」と言うと少女に握手を求めていた。
無表情で握り返すが…握る方が逆だ。甘菜は右手を差し出したのに少女は左手で手の甲を握る。文字通り『握手』だが、握手の意味を果たすモノなのだろうか。それで満足そうな甘菜もどうかと思うのだが。
「確かに、動画の中の人物はお前さんのようだが…」
「ネ? 御兄ちャンも信ジてくレマしたか?」
信じる?
そうじゃないだろう、今必要なのは。
「そんなのよォ、信じるも信じないも俺の勝手だ。それで特別扱いなんてしないし、あくまでも礼儀に反するからだ。お前さんも等しく人間な訳なんだから、このメスゴリラと対等に接するし、第一に…」
「ちょ、ちょっと誰がゴリラよ! その言葉取消しなさい!!」
「良いか、俺とゴリラは名前を訊いただけだ。目的は駅まで送るだけ、お前も急いでいるんだったらこんな無駄話は避けた方が良いんじゃないか?」
「だから何で私がゴリラなのよッ!」
ずかずか歩み寄り、小さな右手を握る。
「握手…デはないデスよネ、今の言葉から察すルニ」
それでも手を握られて嬉しいのか、俺が手に触れた瞬間に笑顔になって、その表情が向けられた。
気味が悪くて手を離してしまいそうになるが、何か脇より少し下に固い何かが当たっている。確認せずとも生存本能的に『それ』なのだと認識できた。
甘菜との握手をいつの間にか離していたみたいで、左手は『それ』を手にして脇腹より少し上の肋骨に、それも一撃で絶命出来るよう心臓の角度へと的確に向けられている。
「それに駅がもう此処から見えるんだ。一つしかない命を遊ばれる様な状況とはもう離れたいンだよ…ッ」
「フフ、度胸も有る。益々欲しくなってしまいました…ッ!!」
サプレッサーが取り付けられた銃をリュックのポケットにしまうと、少女は甘菜に左手を差し伸べた。
~ ~
電柱の街灯のみならず様々な電飾が世界を彩り、街の全てを照らし尽くしている。
先程まで漆黒の世界に居た彼らにとってその世界は目が眩むほどの明るさだ。おまけに夜だと言うのに活気が昼に負けないぐらいある。そんな活気と人混みの中が睡蓮は大の苦手だった。
「おオ…ここガその、えート…?」
「『亀ヶ岸』駅ね。私、電車乗ってここで降りて学校に行ってるのよ」
亀ヶ岸駅、石譜高校や彼の家がある『薄暮区』の行政機関が集中している主要生活拠点となっている。
真隣にビルの再開発計画が数年前に実行され、今では駅とその28階建ての再開発ビルが直結状態となり、その1階から3階まで区内唯一の巨大ショッピングモールが存在する、区内の心臓部と化している。
「あ、これガ、バスターミナル?」
「ん、ああ。俺はあれで帰るんだがな…定期もあるし」
人目に晒される所で、見た目が小学生と間違われても仕方無いローメリアの両側に高校生の男女各一名が手を繋いで歩いている訳だから睡蓮は周囲の視線が拳銃よりも恐ろしく感じていた。
コンビニやゲーセンから出てくる学生、レストランから出てくる家族連れ、松葉杖の女性、花屋の店先の店員、本屋で立ち読みしている女性…。
「ん…ッ!?」
その女性の姿を見た瞬間に、睡蓮の足は動かすのを止めた。
「うわっ、なに? 何事?」
彼女が本を読む姿はあまり見た事が無いのだが、読んでいるとすれば彼女が大好きな猫の写真集であろう。スマホの画像も猫ばかりだ。
彼女と話すと猫の話題が多いのだが、読んでいる本に猫の絵が描かれている筈なのに、あれはどう考えてもそれではない。うっすらと十字架さえ見えるから、あれは聖書なのだろうか。
いやでも、あれは違いない。物覚えが良い彼は声や体格で人物を覚えられる。それに関しては確固たる自信を持っているので、彼は声を掛けた。
「みつば? みつばなのか!?」
ぴくり、と反応したのが見えた。次にこちらへと向くと、何やら難しげな顔をしながら本を閉じて彼らに近付いて来た。
「あら、あの子は」
「ああ、部活の後輩だ。話したい事があるから呼び止めたんだが…あんたは別にいいよな?」
「ええ、構いマセんヨ♪」
彼女らしくもないパーカーのフードを被り、目の色が何処かしら変だが、彼女は正に西園寺みつば本人であった。次にローメリアと甘菜を見ると軽く挨拶をした。
「………」
「………ン?」
挨拶が終わってから彼女はローメリアをまじまじ見ている。困った感じの笑顔で会釈しているのだが、伝わっていないのか、顔を徐々に近付けていく。
「あ、あノ…何でしょうか?」
「………」
フードを外し顔を真正面まで持ってくる。その姿はまるで無垢な子供が好奇心で未知のモノを観察するかのような、そんな目だ。
「………似ている」
「世の中にハ似テいる人間ガ三人グらい居るって薫ちャンガ言っテマしタ!」
この嬢ちゃんは煽っているのか、アドバイスしているのか判断つかない、と口が裂けても言えないのであった。言えば体の何処かに風穴が開いてしまう。
「ねぇローメリアさん、薫ちゃんッてどちら様?」
「部下デす!」
「あー、んんッ。呼んだのは俺だみつば、話したいことが有るンだが…あのー、みつば?」
と、言うのだがみつばの反応が見えない。普段であれば先輩である睡蓮が名前を呼べばどんな状況下であっても返事の一つぐらいは見せてくれる筈なのだが。
「うーむ…本当にみつバさん、デすか貴女?」
「?」「!?」
見つめ返しているものだからみつばを馬鹿にしているのでは? と考えていた睡蓮だが、それは違っていた。
彼女が見つめ返していたのは、みつばの本性を見抜いていたからなのであろう。彼女がもしかしたら多重人格者なのかと疑問付けたような的を射ている発言に、睡蓮の度胆は抜かれた。
「貴女、目の奥に全てを包み込ムヨうな優しイ白色ガあるノニ、今の貴女はまルデ復讐の為デあれバ何モカもを壊すドす黒イ念ガ渦巻いテイる気ガしマス。おォ、怖い怖イ」
「復讐の念? さァ、何の事でしょうか」
みつばの喋り方ではない。
でも何処か、みつばの面影がある声色なのだが、それも何かと混ざり合っている喋り方。甘菜はただ呆然と立ち聞きしている様だが彼に限っては何か起これば後輩を庇う言葉を用意していた。
「私、貴女にそックりな人を知ッテいマすヨ。もットも、そノ人は滝に落ちテッたようなのデ死んダデしョウガ、今の貴女と目ガソックりデしたヨ」
「あら、貴女さっき仰いましたよね。『世の中には似ている人間が三人ぐらい居る』と」
「うふフ、本当にそックり。私、貴女ノ事嫌イ!」
「笑顔でそういう事言わないでくださいよ、僕も貴女の事嫌いになりましたが」
パチリ、と人混みの中から聞き覚えのある音がしてしまった。
彼はうっかりしていた。丁度手を離してみつばに近寄っていたモノだから拳銃の事は一時的に頭の中から除外されていた。
直ぐ様に『それ』である拳銃を無理矢理にでもリュックのポケットに納めさせようとするが、この距離からではどうにも間に合わない。
彼にでもわかる、ローメリアの瞳に宿った簡易的な殺意。そして取り出す動作に迷いが無く、何回も実行したかのような素早さ。
「や、やめ…ッ!」
彼がそう言い放った後には既に『それ』は取り出され、みつばの方にへと向けられていった。
「その頭に詰まッた汚ェモンブちまけて死ッ」
ゴッ!
「ねッ!?」
前蹴り。
空手道の初歩の初歩に教わる基本的な蹴り、しかし使い馴れた達人であれば対象に破壊的ダメージをどんな部位にでも当てられる。
取り出して向けた刹那、ほぼノーモーションと言って良いほどの姿勢でグリップを蹴り上げる。元空手部主将である彼さえもその動きに気が付かなかった、彼女が放ったただただ一般的な、前蹴り。
「貴様ァ!」
もう一つのポケットからも取り出そうとするが、既にみつばが一撃必殺の間合いに入り込んであの技を繰り出そうとしていた。
(げッ!? あの手の形は!)
そう、あの小さく前にならえの形。
体験入部してきた少年を一撃で戦闘不能にした挙げ句に内蔵まで攻撃が届く『鎧通し発勁』。それを今度は額に当ててやるつもりだ。
間違いなく脳にダメージ…下手をすれば即死は免れないかもしれない。
それを考慮した上か、無意識下で「やめろみつば! 人殺しをするつもりか!」と言う前には体は勝手に動き始めていた。
ドンッ!
「わっ!? も、望月さ…」
体当たりしてきた睡蓮に驚き、トリガーから指が解れる。瞬間に彼の体には感じたことの無い痛覚が襲い掛かってきた。
「ふう…ッ!?」
「へぶろォッ!!!」
体当たりで横に少し吹き飛んだローメリアが見た光景は、彼が攻撃を庇って本屋と真逆の、道のど真ん中へと吹き飛ぶ姿だった。
~ ~
「あんたさァ、えーッと…ずっと背負ってて重くない?」
「心配ご無用。鍛えていますからね…チッ」
「何デすか。ソんな睨み付けなイデくダさいッテ。その可愛い顔ガ…」
「純白を纏って残虐性をひた隠しにしている貴女に一言忠告します」
「あラ、貴女こそ精神そのモのをカモフラージュしていル様なノに面白い事を言いまスワね。うふふふ…」
「口を閉じろ骸骨顔」
「何ダと毒蛇野郎」
「僕は、貴女が何を企んでいるのか見当も浮かんで来ない。けれども貴女が何を奪おうとしているのか僕には…わかる」
「ダから嫌いなのデすよ」
「口を閉じろと言っただろう白い悪魔め」
「何ダと赤い水性…ペン」
「貴女がどんな手を使おうが睡蓮殿は渡さない。何故奪おうとするのかは知らないが、それでも奪うのであれば、僕は…ッ!」
「ふーン…ジゃ、今度は私の質問たーんデすね」
「…?」
「えットねえットね♪ 私、人間一匹一匹ガ持つ『瞳の色』を事細かく覚えてるなのデす~!」
「…それが如何に?」
「ダーかーらー。察しガ悪いお姉ちゃんなのデす、私は幻覚デも見」
「ねぇねぇローメリアさん!」
「オゥッ!? 急になんジャらほ!?」
「ずっと気になってたんだけど…良い?」
「ダから何デすッて」
「私のー…『瞳の色』ッて、一体どんな色なの!?」
「「………」」
「ふ、二人して黙り込まないでよォ!」
「ふん、まぁ良い。次は無いぞ魔女め、今回は睡蓮殿が何故か庇ったから命が有っただけだ。我々に魔の手を差し伸べるのであれば」
「あれば?」
「お前も含めお前の仲間も…関わっている人間全員皆殺しだ」
「おォ怖い! デストロい、なのデすか」
「えと…名前何だったっけ、いったいアンタ何を言って…?」
「何方か存じませぬが貴女も、こいつには十分お気をつけ下さいませ。さすがにそちらにまで手は回りませぬ」
「あ、あんた頭大丈夫?」
「んな゛ッ!?」
「ブふッ! 他人への親切が仇になって返ってきてしかもアタマダイジョーブて…コリャ草生えますネ!」
「…もういい、帰ります」
「…ああそーダ、良い忘れてたデす。貴女、私のブラックリストに入りマシたかラ、登下校トカ日常生活にハお気をつけて生きてクダさイネ」
「…………」
「ローメリアさんも物騒なこと言うわねー」
「『気に入った』ッテ意味合いなのデすの。さ、私たちも帰りましョウか」
「うん、そうだね…あっ」
「どうか致しまシタ?」
「私の瞳の色、教えて!」
「………ハァ?」
前までピクシブの方で上げてたんですが…スケールデカすぎになってしまってモチベ無くなりました☆
ちびちびと上げていく予定です。はぁーあ自由が欲しい、幸せになりた……ドサッ(突然の死)