東雲色の空に乞う
――あぁ、もう夜明けか。
私は部屋に差し込む柔らかな陽射しを受けて目を覚まし、外に目を向ける。東雲色の空が恨めしい。もっと二人きりの時間が欲しいのに。そう思うと、自然と涙があふれてこぼれた。
遊女の身では彼を引き留めるわけにはいかない。愛しい人とこうして逢瀬を重ねるのは幸せではあるが、仕事である以上他の客の相手もせねばならぬ。そのことが、針で突き刺したかのようにちくりと痛む。
「もう朝か」
「すみません。起こしてしまいましたか」
部屋は随分と明るくなっていた。建て付けの悪い雨戸が災いしたようだ。
「明るい場所でも、お前は綺麗だな」
「そんな世辞を言っても、もう何も出ませんよ」
くすくすと上品に笑って流す。
「本当のことなんだがなぁ」
どうしたら伝わるのかと、彼は頭を掻きながら小さく唸る。
よくしてくれるなら、身請けをして――などとは言えない。通ってもらえるだけありがたい。愛しい人はこの人だけだが、その想いは秘めたままだ。
「……泣いていたのか?」
「泣いてなど」
涙の跡に気付かれてしまったらしい。私は外に顔を向ける。
彼は私の隣に立った。同じように外を見る。
「――この外は女郎花が見頃を迎えている。見に行かないか?」
「御冗談を」
この屋敷から出るためには様々で面倒な手続きが必要である。簡単には出歩けない。一緒に逃げようというのなら、私は――そんな気持ちが生まれる。
だが、彼にそんな勇気はないだろう。
「今すぐとは言わないさ」
期待した言葉ではないが、胸がざわついた。
私は彼を見る。彼は私を見て微笑んでいた。
「逃げようとも言わん。だが、次の女郎花が咲く頃には、どうにかしよう」
約束をした。私とは遊んでも、真面目な彼のことだ。叶わなくとも、そのための努力はするだろう。
「待ちます。あなたを」
深い口付けは誓いの証。いつまでもいつまでも、彼との生活を夢見て耐えよう。
――あぁ、女郎花が咲く時季になっていたのね。
一年が巡っていたことに、黄色い花が咲いているのを見て気付いた。朝陽に照らされた黄色の花に手を伸ばすが、触ることができない。
――そうか。
私がいた女郎部屋はもうない。昨夜、火事で焼けてなくなった。私の足も地面から浮いている。
――こんな形で自由になってもね。
彼が迎えにくるはずだった。もう少しだったのに。
「……イロハ」
聞こえるはずのない声に、私は振り向く。
「あなた……」
彼がいた。幾度となく東雲色の空を見てきた彼が。
「最後に見られて良かった」
彼は笑う。涙が朝陽に反射する。
「どうして……」
「願ったから。お前と女郎花を見られるように」
「ごめんね。もう一緒にいられなくて」
「いや。謝るのはこっちだ。ずっと一緒にいてやれなくてすまない」
「私、あなただけが好きだった」
――あぁ、身体が消えていく。
「俺もだ。お前だけをずっと好きでい続けるから」
嬉しかった。例え幻聴だったとしても。
「さようなら」
永遠の別れ。でも、私は悲しくなどない。
《了》