5.
かなしみで濡れた黒い瞳に冷たくなったおばあさんが映っています。おばあさんの、きれいなまま残されている顔と、もうほとんど骨だけになった身体が草地に横たえられ、狼それを見ては泣いていました。口元にはおばあさんの血がつき、固まり始めています。
血が失せ、色がなくなってしまったおばあさんの顔はそれでも笑っていました。しかし、狼は笑うことができません。もう、自分を受け入れてくれるかもしれなかった人はいないのです。
「おばあさん……」
狼の口から悲痛な声が零れ落ちました。いつもの少しにごった鳴き声とは違う、それほど高くも低くもない、澄んだ少年の声でした。
「もっと一緒にいてほしかったよ」
普段と変わらない森で、狼の周りだけが重い空気に包まれていました。明るい小鳥ののさえずりも聞こえません。全てがうなだれて見えます。
「まだ話したいことだってあったんだ。……それに、僕自身のこと、何も言えなかった」
他にも狼は何かつぶやいていましたが、声が震えるためにはっきりした言葉になりませんでした。
しばらくの間、狼はただ座りこんでいました。それからのっそりと立ち上がって、少し離れた場所に穴を掘り始めました。一心不乱に掘り続けます。それほど大きくありませんが、大きさのわりに深さのある穴です。狼は掘り終えると、おばあさんの骨をくわえ、1本1本ていねいに穴の底へ置いていきました。そして最後に顔を置き、馴れないながら、前足で土を被せていきました。
こんもりと土が盛られ、2本の小枝を十字架に見立てて埋めこむとおばあさんのお墓ができました。狼は辺りに咲いている花を口で器用に摘み、できたばかりのお墓に供えると少し大きめの声で言いました。
「おばあさん。どうか、安らかに眠ってください」
この言葉がふさわしいような気がしました。おばあさんはもうこの世にはいないのだけれど、きっとどこかで聞いていてくれるはずです。
夕方になり、狼はおばあさんの家に戻りました。迎えてくれる人は誰もいませんが、いえ、だからこそおばあさんの家に戻ってきました。また孤独の中で生きていく前に「シアワセ」の中にいた時間を思い出しておきたかったのです。
こじんまりとした部屋で、主人をなくした家具がひっそりと立っています。狼はその中で1番大きなベッドに近づきました。ベッドの上にはおばあさんが直した時のまま、シワがひとつない布団がしかれています。近くの窓から注ぐ太陽の温かさはあっても、命の温かさは感じられないベッド。その冷たい布団の真ん中くらいに狼は花を置きました。おばあさんのお墓に供えたのと同じ花です。
それから狼はベッドのすぐ下に身体を丸めました。眠る時の体勢ですが、眠るつもりはありません。寂しくて、淋しくて、自分のものでもいいから温もりを求めてしまっただけのことなのです。
「おばあさん。僕さ、もう少ししたら言おうと思ってたことがあるんだ。……こんなことになるなら、先に言えばよかった」
狼の口から、か細い独白が流れ始めました。
「僕はルーガルーなんだ。狼でも人間でもない仲間外れの存在なんだよ。……昔は人間と住んでいたんだけど、気味悪がられて捨てられちゃった。言葉を話したり半端な人間姿を見せたりしたからなんだけど」
水のように淡々と言葉が流れます。しかし後半は「感情」という不純物が混じって波が立ち、ついにはボロボロになってしまいました。
「だから言えなかった。……でも、おばあさんになら……言えるような気がしてたんだよ……」
狼が沈黙するのと同時に夜は加速度を増し、辺りは闇に包まれました。その中で狼は、いつの間にか眠っていました。