4.
翌朝になりました。おばあさんは空が白くなり始めた頃から起きて、朝ごはんの支度を始めました。
ごはんを食べるのは今が最後。そう思うと名残惜しい気がしましたが、おばあさんが毎日とる食事を狼はずっととっていないのです。それに比べればなんてことないと思いました。
狼は普段この時間に起きることなどないのでしょう、まだ眠そうにベッドの上で丸くなっています。
たっぷり30分以上をかけて食事の支度を終えたおばあさんは台所のかめから水をくみ、狼用の皿と自分のコップにそそぎました。
その頃になってやっと、空は日中のような澄んだ青色になりました。今日はとてもいい天気です。
「狼や、起きなさい」
狼の右肩から背中にかけてをゆっくりと撫で、おばあさんは狼に声をかけます。時折ゆらして起こそうとするのですが、そのゆれが心地いいのか、狼はうとうとしています。
そうしてどれくらいの時間が経ったのでしょうか。その時間は今日、自分を食べてもらおうと考えているおばあさんにしては、あまりにも緩やかで、穏やかな時間でした。しかし、ずっとこの時間の中にいるとせっかくの決心が鈍ってしまいそうだと思われたので、おばあさんは狼を強くゆさぶりました。
その直後、おばあさんの手が震え始めました。いつもよりひどい震えです。
「クゥン?」
いつの間にか起きて座っていた狼が心配そうに鳴きました。大丈夫だよ、と狼の頭を撫でようとしますが、手は震えのためになかなか思うように動いてくれません。おばあさんは悲しくなりました。
その時、突然、生温かいものがおばあさんの手に触れました。狼がおばあさんの手をなめていたのです。
次第に震えが治まっていき、おばあさんはやっと安堵の表情を浮かべました。
「さあ、朝ごはんにしましょう」
おばあさんはテーブルの上に置いていた狼用の皿を床におろし、用意しておいた干し肉を別の皿にのせてやりました。狼はそれを前脚を器用に使って、またたく間にたいらげてしまいました。優しい狼はできるだけ殺生をしたくないので、おばあさんからもらえる食事をこれ以上ないほどよろこんで食べるのです。
少し休んでから、おばあさんは出かけることにしました。
簡素な木のドアを開けると、それまで床に寝そべっていた狼がのっそりと起き上がり、家から出ました。おばあさんは狼の後に続きます。
おばあさんと狼は並んで森を歩いていきます。腐葉土のやわらかい道をこえ、澄んだ小川に沿って歩き、やがて木漏れ日がやわらかい広場に着きました。そこは色とりどりの小さな花が咲く、この森で1番かわいらしい花園です。
その花園の端におばあさんは座りました。狼はおばあさんの隣に寝そべります。やせて、ごわごわとした毛で覆われた狼の背をなでながら、おばあさんはずっと考えていた言葉を口にしました。
「狼や、わたしを食べておくれ」
そう言って狼の開いた口へと手を伸ばします。牙に指をかけると、狼はおばあさんの普通ではない様子に気づいたのでしょう、恐れるように躯を震わせて後ろに引きました。その拍子に狼の牙がおばあさんの指を傷つけました。赤い血がじんわりと狼の口の中に広がります。
それでもおばあさんは手を放しません。
「狼。お前は病気じゃない。食事をしさえすれば生きられるんだよ。わたしはもう長くないんだ。せめてお前だけでも……」
おばあさんに気圧されて狼は動けないでいます。ただ、おばあさんに導かれるままに、その牙がおばあさんの喉にかかるところを見ていました。
「生きておくれ」
狼はおばあさんが何を言っているのか、何を望んでいるのか、理解していました。自分のことよりも他人のことを考える狼に断れるはずもありません。
泣きたい、と狼は思いました。大好きおばあさんが自分のことを大切に思ってくれるうれしさと、そのおばあさんが自分に殺されようとしていることへのかなしさが全身を満たしていきます。
「お願いだよ」
狼は意を決しました。
せめて、おばあさんが苦しむことのないように。できるだけ痛みを感じることのないように。
優しい牙が薄い皮膚を突き破りました。