3.
ヘンゼルとグレーテルは木々がうっそうとしげる森の中、互いを見失わないようにくっついて歩いていた。
「お兄ちゃん、お腹すいた」
服のすそを掴んでいるグレーテルが立ち止まったことで、ヘンゼルの足も止まる。木漏れ日の角度から、太陽が真昼の高さに昇ったことがわかった。
「そうだな。そろそろ昼ごはんにするか」
ヘンゼルもずっと空腹を覚えていたけれど、グレーテルよりも先にこぼすのが嫌だった。今も背伸びをして、表面的にはしょうがないなぁと言ってみせる。
「あそこなんかいいんじゃないか?」
地面に直接座るのはためらわれたから、ヘンゼルは前を指さした。古木がいい感じに倒れている。
「ほら、あの木に座って食べよう」
「うん!」
それまでだれていたのとはうって変わり、グレーテルが古木目がけてかけだした。今度こそヘンゼルは本気で笑った。
しょうがないな。
「お兄ちゃん、早く!」
グレーテルはすぐにバスケットを広げ、朝に食べたあの、柔らかくて甘いパンたちをほおばり出す。
「待っては……くれないか」
そりゃ、もう。目だけでうったえるグレーテルが少しだけ憎らしかったから、ヘンゼルは手にとったパンにおもいっきりかみついた。ごく弱い抵抗だけで、口の中にパンのかけらがころがる。
「4コ入ってるから、2コずつだぞ」
行儀悪いとは思ったのだけれど、3コ食べようと考えていそうなペースでパンを飲み込むグレーテルに言っておく。この幼い妹ならやりかねない。
思った通り、グレーテルから返ってきた視線はうらめしげだった。
「いいじゃん。ケチ」
「ケチってなぁ……。兄ちゃんだってお腹すいてんだよ」
そう言ってもグレーテルは不満げだった。貧しいながらも幸せな家のお姫様は、自分の意見が通らないことを極端に嫌う傾向がある。
ヘンゼルは抵抗して、けれどやっぱり負けてしまった。口の中のものを急いで飲みこんで手を伸ばしたのに、食べてはいけないような気になってしまった。
バスケットから取ったパンを半分にわけると、微妙に大きい方をグレーテルのものほしげな手にのせてやる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
まったく。
「こんきだけだからな」
ぶっきらぼうに放った言葉なのに本質が違うのは丸わかりで、グレーテルは満面の笑顔でパンを食べた。ヘンゼルは誇らしいけれど照れくさくてそっぽを向いた。
その目の端に何かが映る。
「ん?」
バスケットの底に、小さく折りたたまれた白いものがあった。パンの油を吸って半透明になったところから文字が透けて見える。
「なんだろ?」
ヘンゼルはパンを口にくわえて紙をつまみあげ、中をのぞきこんで――停止した。ボトリとパンが落ちる。
「どうしたの?」
すでにパンを飲み込んで、木苺をもてあそんでいたグレーテルが心配そうに顔を寄せてきて、ヘンゼルと同じように固まる。
紙には見慣れたゲルトルートの字で残酷な言葉がつづられていた。
ヘンゼルとグレーテルへ。
ごめんなさい。
お父さんもお母さんも、2人のことは大好きです。でも、貧しいので育ててあげることができません。
本当にごめんなさい。
世界が止まったような気がした。
どうしてっ!?
一瞬の後、2人はショックで表情をなくした。文字の羅列が示す、捨てられたという事実を全身が拒んでいた。
「なんで、こんな……」
あんなに優しい両親が自分たちを捨てるだなんて。
受け入れたくない。
そこではっと、賢しいヘンゼルは気づいてしまった。あの豪華な朝食は――豆のスープも、焼きたてのパンも、ペーターとゲルトルートの笑顔でさえ――2人を森においやるためのエサだったのだと。
それなら納得がいく。嫌でも肯定できてしまう。
でも、なぜ?
「お兄ちゃん……」
グレーテルのか細い声が耳を打ち、ヘンゼルの意識は現実に引き戻された。
「あたしたち、もうお家に帰っちゃいけないの?」
兄の背にすがる妹は震えていた。それがヘンゼルの目には捨てられまいとする小動物にも見えて、ひどく心を揺さぶった。
親に捨てられても、自分を必要としている妹がいる――年の割に大人びて、けれどもまだ幼いと言えるヘンゼルにはこれだけで十分だった。
僕がグレーテルを守らないと!
「わからない。けど、とりあえず家に帰ろう。お母さんはきっと疲れてるんだ。だからこんな手紙を書いたんだよ」
ヘンゼル自身はちっとも信じていないのだけれど、グレーテルを安心させるために言葉を連ねる。
「それに、木苺を採ってきてって頼まれたろ? ちゃんと採ったんだから家に入れてくれるって」
「ホントに?」
「うん」
力強いヘンゼルの声で、ぐずっていたグレーテルの顔に明るさが戻ってきた。目をぬぐっていても、その顔は明るいものになっている。
「大丈夫だよね?」
「大丈夫だって。ほら、行くぞ」
自分は弱気になっちゃ駄目だ、グレーテルを守らないと。そう言い聞かせるようにヘンゼルはカゴを肩からかけて勢いよく立ち上がった。
けれども、前に出すはずの足は動かなかった。代わりに呆けたような、間の抜けた声が上がる。
「えっ……」
「道がなくなってる」
そうだった。2人が通ってきた粗末なけもの道がなくなっていた。背の低い草と積もり積もった落ち葉があるだけで、見えていたはずの土が跡形もない。
驚きのあまり、のどからはひゅうひゅうとかすれた音しか出てこなかった。それでもわずかに感じる、グレーテルにつかまれた服がヘンゼルの理性を繋ぎとめた。
「こっちの道に行くからな」
ヘンゼルが指さしたのは戻るはずの方向とは真逆の、始めに進んでいた方へのびる道。深い森をかきわけて入っていくよりも安全だと思ったし、道ならどこかに続いているはずだからだったからだ。出口の確証はなくとも、ただ立っているだけよりは建設的な考えである。
「それから、道に迷わないようにこれをまいていこう。そうすればここには戻ってこれるから」
そう言ってヘンゼルはついさっき自分が落としたパンのかけらを拾い上げた。
「ただ座ってたって意味はないし、とにかく行こう」
「うん」
グレーテルは兄の動きの邪魔にならないように服のすそをつかみ直して、遅れないように少し足早に歩いた。
ざわり、と2人を招き入れた森が声をたてた。




