第8章 12月のひとコマ
第8章 12月のひとコマ
物理の授業中、葛西幸尚は大抵呻いていた。
それとは対照的に、梶ケ谷三春は教師から指名されてスラスラと回答する。
彼女は部隊員に配属になってから金髪を濃い茶色に染め直し、外見は落ち着いた美少女といった感じに変わっていた。
男子生徒からの人気も急上昇中だそうで、葛西からは「南浜杏子、梶ケ谷三春、東山紅緒、式神恵美那で四海高校美少女四天王だ」と聞かされていた。
「柩君、今日の放課後は余裕ある?」
いつもの如く、四人で梶ケ谷三春の手作り弁当を味わっていたところ、彼女から切り出された。
「…あと、葛西には聞いてないからね!」
機先を制されて、葛西が大きい体をしゅんと縮めている。
「出撃が無ければ、19時以降は自主訓練にあてようと思っていた」
「じゃあ自主訓練は中止にして、買い出しに付き合って欲しいの」
「買い出し?部隊の備品なら、誰か集めようか?」
「違うから。お弁当用の食材をまとめ買いしたくて」
おれは葛西の恨めしそうな視線は無視して、「出撃がなければね」と念押しして承諾した。
仙太郎が「たまにはいいんじゃない?柩君、藍沢渚ちゃんとだけはよく夜ご飯に行ってるみたいだし」と余計な燃料を投下した。
しばらくは梶ケ谷三春の目線も避けざるを得なくなった。
***
放課後の戦闘訓練で、城竜二が真価を発揮した。
仙太郎や浅海栞、藤堂と軽々捩じ伏せた勢いで剛腕の葛西幸尚すら完封し、なんと式神恵美那をも投げ飛ばしたのだ。
恵美那は悔しさを露にした。
「さて、あとは部隊長だけですな」
おれは不適な笑みを浮かべる城に相対した。
城の攻撃パターンはシンプルで、打撃を主体として、相手の体勢が崩れた時点で流動的に投げや間接技へと雪崩れ込む。
そのため打撃自体を攻略する必要があるのだが、そこはやたら喧嘩慣れしているせいか巧いのである。
セオリーではなかったが、足の甲を踏み抜いて肩から体当たりをしかけ、城が怯んだ隙に強引に打ち倒した。
「…加減は出来なかった」
城の手をとって起こしてやりながら声を掛けた。
城はニヤリと笑った。
***
藍沢渚と<蜉蝣>に手を入れていると、やたらと騒がしい一角が目につき、様子を見に行くことにした。
新型の<蜉蝣>の整備方針を巡って、恵美那と整備士たちがやり合っていたのだ。
いつものことかと踵を返そうとした矢先、恵美那がおれを呼びつけた。
「…なんだい?」
「…重すぎる。装甲を外したいが、整備の連中が言うことを聞かない」
「あのなあ…。装甲を外すなんて、無茶もいいところだ。俺たちは戦闘員を殺すための整備なんて出来ないんだよ」
錦雁之助整備士長が代表して言った。
恵美那の整備担当たちは困り顔で固まっている。
それだけで双方の言い分は理解出来たし、折衷的な解決策はないように思われた。
「う~む…。恵美那が筋力を鍛えるのが、一番早いかもね」
「なんだと!」
恵美那が激昂した。
「それ、使いこなせないようなら城に配置替えしようか?」
「何を言っている?使いこなせないわけではない。よりパフォーマンスを上げたいだけだ」
「遠近両刀で、今のところそれが最適なバランスらしいからね。装甲を取っ払うくらいなら、重さを苦にしないユーザーを選び直すまでだよ」
「…くっ。いいだろう。筋力を向上させてやろうじゃないか!ムキムキに鍛えてやる」
恵美那が宣言する。
錦が「いいそうだから、さっさと取り掛かるぞ!」 と恵美那の対応をおれに押し付けて、整備士たちに号令をかけた。
「あの…ムキムキは勿体無いから、程々にするといいよ」
おれは偽りのない感想を口にした。
「お前が言ったんじゃないか!」
恵美那の目がつり上がる。
「いや、それはそうなんだけれど。折角可愛いんだから…」
「…そんなものはお前に関係ない!余計なお世話だ!」
気分を害したようで、恵美那が肩を怒らせて席を外した。
「…その口説き方、誰にでも通用すると思ったら大間違いだと思いますよ」
いつの間にそこにいたのか、東山紅緒が背後から忠告してきた。
「管区司令部から入電です。至急部隊長室にいらしてください」
『久しぶりだな。息災のようで何よりだ』
管区司令部副司令の水天宮亨大尉が電話口で言った。
『早速用件に入るが、新しい戦闘用サイボーグ女性乙型の試験配備が、595に正式に決まった』
「ありがとうございます」
これで来島冴子や結城ユウの生存確率が幾ばくかは上がることだろう。
『…ひとつ、伝えておいた方が良いかと思ってな』
「何でしょう?」
『その新型の組成元の人間だが、君に縁がある。…柩中尉にではなく、八王子大尉に、だが』
「…それは、誰ですか?」
水天宮大尉の声音が微妙に憂いを帯びて、おれに残酷な回答を予感させた。
『<RPGの女王>、安食円中尉だ』
***
心の底に暗い澱のようなものが沈殿していたが、少しの遅刻で梶ケ谷三春と合流できた。
どこで聞き付けたのか、出掛けに東山紅緒から「これからお楽しみですね。私は溜まった書類を整理してから帰りますので」と皮肉たっぷりに言われた。
梶ケ谷三春は深夜まで営業している業務用スーパーへとおれを引っ張っていった。
毎日皆の分まで弁当をこしらえて大変だろうと会計を申し出たところ、「好きでやってるんだから、それは絶対に駄目」と言って頑として譲らなかった。
居酒屋やバーといった嗜好品を提供する店は街から消えて久しく、おれたちは遅くとも開けているファミリーレストランに腰を落ち着けた。
「柩君、式神さんと付き合ってるの?」
「100%付き合っていない」
「なら藍沢渚ちゃん?それとも東山紅緒とか…」
「どちらも100%ないな。…むしろ東山君には疎まれてるよ」
「それはないよ」
梶ケ谷三春が自信たっぷりに否定してきた。
「あの子…多分色々と隠してる気がするんだけど、柩君のことを信頼してるのだけは見え見え」
…女としての勘だろうか。
東山紅緒は少なくとも軍本部からの出向という身分は偽っている。
「フリーなら、いい加減私と付き合ってみるのはどう?」
「…フリーということもないんだ。それに…」
それに、とは言ったものの、続く言葉は声にはならなかった。
***
早朝から部隊長室に詰めていたところ、意外な訪問者を迎え入れることになった。
仙太郎だ。
「どうした?」
「…柩君には話しておいた方がいいと思って」
そう言って、仙太郎はおれを射撃練習棟へと誘った。
気配から、何かとてつもない話だとは知れた。
仙太郎はスイッチを操作して、50メートル先に的を直立させた。
「見てて」
おもむろに掌を的の方向へとかざすと、キュイイインという甲高い機動音と共に眩い閃光が迸った。
仙太郎の手から発射されたレーザー光は的を吹き飛ばし、背後の壁をも貫通して抜けていった。
…これは、何だ。
煙を上げる掌を見せながら、仙太郎が眉を下げて哀しげに笑う。
「…サイボーグではないんだ。僕は<次世代被験体>で、研究所を脱走している身だ」
そんな研究は聞いたこともなかった。
「変なことを白状しちゃってごめんね。…僕は色々と人為的なESPを使えるから、もし戦場で孤立しても気を使わないで大丈夫だって伝えたくて」
「…素性を知られると、マズいんだな?」
仙太郎がこくりと頷く。
「わかった。ならこの話は終わりだ。…折角だ。早朝訓練でもしていけ」
「…了解です。部隊長」
***
時刻はまだ7時過ぎ。
今度は恵美那の訪問を受け、隊員たちの勤勉さに感嘆させられる。
「…何かな?」
「戦闘訓練に付き合って欲しい」
道場ではなく校庭に引っ張り出され、Tシャツに短パンという軽装の恵美那が構えをとった。
「その格好じゃ怪我をする。それとも露出サービスかい?」
「…黙れ。これでスピードは負けない」
言って、恵美那が拳打を連続して繰り出してくる。
確かに動きにキレがあり、何発もおれの頬や脇腹をかすめた。
だが一撃が軽く、おれはわざと受けてそこを起点に、恵美那を回転させて地に落とした。
「まだまだ!」
延々と挑んでくる恵美那を投げ落とし続ける。
30分程続けたところで無理矢理に叫ぶ彼女を抱きかかえ、シャワールームへと放り込んで早朝出勤を終えた。
校舎玄関前では羽田連理が女子生徒たちに囲まれて、そこら一帯だけが桃色に華やいで見えた。
甘いマスクに長身の彼は制服姿も様になっている。
「おはようございます」
通りがかった久留米誉が挨拶をしてきたので「おはよう」と返す。
「羽田君は相変わらず人気があるね」
おれが投げ掛けると、久留米誉はあからさまに嫌な顔をして、「…格差社会ですよ、全く」と吐き捨てた。
羽田、久留米と同じ2年の城竜二や東山紅緒も登校の列に顔が見え、おれたちと同様に女子生徒が群がる羽田の様子を窺っていた。
「はよーっす」
「…おはようございます」
2人が共に合流してきた。
おれたち4人の存在に気付いたらしい羽田が手を振って「柩中尉~!」と声を張り上げる。
どうしたものかと東山紅緒を見ると、「放っておいて、さっさと登校しましょう」と断じた。
***
休み時間に藍沢渚と浅海栞の1年生コンビが英語のレポートを持って現れた。
「柩先輩、すみません…。ちょっとここを教えて欲しくて…」
後輩の女子生徒たちの訪問に3D教室が沸く。
「式神に聞けばいいだろう?」
おれはレポートを手に取り、彼女らと同じ1年で学年トップの成績を誇る式神恵美那の名を出してみた。
「…柩君。それは可哀想だよ」
仙太郎が突っ込んだ。
整備士嫌いの葛西幸尚ですら「それはないな」とウンウン頷いている。
「よし、お姉さんが教えてあげよう」
梶ケ谷三春がおれの手からレポートを引ったくって、その場で先生よろしく解説を始める。
元金髪ながらに優等生なだけあって、彼女の教え方は分かりやすかった。
藍沢渚と浅海栞は必死にメモを取っている。
更に城竜二までもが「これ…どうしたもんかと」と物理の問題集を抱えてやってきたため、教室の部隊員比率が一気に高まった。
「東山紅緒に…」とおれが言いかけたところ、またも仙太郎と葛西が「それは無理でしょ」と即座に却下した。
最後に恵美那までもが、よりにもよってなぜかラテン語の文書を持参して質問に来たので、おれは部隊長室に逃げ込むことにした。
***
さしてプレッシャーのかからない出撃をこなし、部隊で18の<厄魔>を狩って帰参した。
先に管区司令部への報告をまとめることとし、東山紅緒と部隊長室で事務作業に没頭した。
彼女は実に手際よく資料を作成していく。
半年前にここで初めて会ったときはショートボブであったが、今では背まで届くロングヘアーに変わっている。
随分大人びた生徒だと思ったものだが、その実は軍本部からの隠れ出向組なわけで、歳はおれと2つ3つしか変わらないのだろう。
端麗な容姿を鼻にかけることもなく、実直に仕事をこなす様には好感がもてた。
「…じろじろ見ないでください。手が空いたなら、先に戦況評価シートに添削をお願いします」
おれは慌ててPC上で言われた通りのシートに目を通す。
実際のところ、最前線で特殊部隊の小隊長を務めていた頃と比べ、いまの方が断然デスクワークが多かった。
生徒部隊とは言え、整備士や事務員を抱えた一部隊を率いるというのは考えていた以上に骨が折れる。
恵美那に手伝ってもらう際にはよく「何をこれしきの作業に手間取っている」と叱咤されているものだが、彼女は特別であり、部隊長の職務というのは有能な副官無くしては成り立たないものだと実感していた。
「…この後は整備ですよね」
「ああ。それから錦少尉、式神少尉、羽田君と戦力再評価の打合せだね」
「僭越ながら、柩中尉は最近オーバーワーク気味のように思われます。明日は休めそうですか?」
明日は日曜だ。
東山紅緒が珍しくもおれの体調を気遣ってくれたのだが、生憎と出陣翌日では休めそうにもない。
それを聞いて、東山紅緒が頬を膨らませた。
「…柩中尉は真面目過ぎです。水天宮大尉は、もっと上手く手を抜いてましたよ」
それは意外な発言だった。
おれのイメージでは水天宮は何もかもをきっちりと杓子定規にこなしそうに思えたからだ。
「…裏で有栖川少尉なんかともうまくやってましたしね」
「ふむ…。いくら誘っても夕飯にすら付き合ってもらえないおれとは、えらく差があるな」
東山紅緒は睨んできたが、すぐに視線を切った。
「…根気が足りません」
***
休日出勤の仕事の捗りは尋常ではない。
それは決裁の依頼や相談事がないためで、おかげで301の運営方針やシバリスのメンテナンス情報をじっくりと検討できた。
15時過ぎに整備棟をのぞくと、錦雁之助が一人式神恵美那の新型<蜉蝣>に火を入れていた。
「親父さん、精が出るね」
「部隊長?また休日出勤ですかい。たまには何もしないで休んだらどうです?」
「東山君にも同じことを言われたよ」
カカカと笑い声を上げて、錦は<蜉蝣>の駆動を停止する。
錦によれば、新型の調整はほぼ終わり、ミサイルの発射試験を終えれば実戦投入は可能だという。
計算上、恵美那が新型を駆ることで部隊の戦闘力は2割増しとなる。
現状でも管区司令部随一の戦闘力を誇る301への期待は益々高まることだろう。
「もうお帰りになるなら、藍沢をどこか遊びに連れ出してやってはくれませんかね?…あいつも不器用なもんで、休みだってえのに控え室で道具の手入れなんぞしてやがります」
***
強引に藍沢渚の手を引いて校門を出ると、登校してきた式神恵美那とバッタリ遭遇した。
「なんだ、もう帰るのか?一手付き合ってもらおうと思っていたのだが」
おれは藍沢渚と繋いだ手を見せて「オフだからね。デート」と返した。
藍沢渚が「ええっ?」とすっとんきょうな声を上げて青い髪を揺らす。
「…ほう。参考までに、どこに行くのか聞かせてもらおうか」
「それは淑女が決めることだよ。それじゃ」
藍沢渚の背を軽く押して、先に行くことを促した。
実際のところ行き先など決めてはいなかった。
藍沢渚の希望で、駅前の中規模書店をブラブラした。
部隊員は出撃の可能性を考慮して、休日でも隣街に移動するだけで許可が必要だ。
とは言え許可を出すのはおれなわけで、藍沢渚が行きたいと言えばどこへでも連れていくつもりだった。
「私、本が好きなんです。施設にいた頃も、楽しみは図書館に行くことでしたから」
藍沢渚が上機嫌だったので、それはそれで良しとした。
「…次はカラオケに行きたいです」
…おれは渋々了承した。
***
冬が本格化するにつれ、物資全般の調達が計画を大幅に下回り始めた。
軍本部にパイプのある羽田連理事務長代理をしてこうな以上、他の部隊では状況はより深刻であった。
第595生徒部隊の来島冴子部隊長は『武器弾薬もだけれど、何より食糧がキツいわ…』とSOSを送ってきた。
管区司令部に連絡を入れると、有栖川鏡子少尉が応答した。
「お久しぶりです。柩中尉」
その声色は優しく、以前のようなピリピリした雰囲気は感じられない。
水天宮大尉への陳情の旨を告げると、軍の人間と会議中で席を外しているとのことだった。
「…物資の件は、管区のあちこちの部隊から同じような問い合わせがきております。副司令も色々と動かれてはいらっしゃるのですが…」
有栖川が言うには、全国的に戦況が悪化しているらしく、国は輸送ルートや生産計画の再構築に手を焼いているとのことだ。
「これは内密に願いますが、年明けには軍本部との共同作戦が実行に移される予定のようです。かつてない大きな作戦になるとか…」
それは六郎丸が仄めかしていた話のことだろう。
水天宮への言伝てを頼んで有栖川鏡子とのコンタクトを終える。
東山紅緒を通じて、校内放送で羽田連理と式神恵美那、シバリス、葛西幸尚、仙太郎を呼び出した。
「諸君。ここに非常事態を宣言し、食糧徴用の極秘プロジェクトを発足させたい」
おれは部隊や管区の物資流通や備蓄の状況を一同に説明した。
「…プロジェクトの件は初耳ですが、それは私も含まれるのですか?」
何かを察知してか、東山紅緒が質問し、おれはイエスと回答する。
「部隊長、それで俺らは何をするんで?」
葛西が能天気に尋ねてきた。
「言っただろう?徴用だ」
疑問符を浮かべている葛西に、羽田が「追い剥ぎってこと」とズバリと言った。
「…なるほど。それでこの面子ということか」
恵美那が得心したように言った。
情報収集は東山紅緒、恵美那、羽田のライン。
足も羽田で、実働はシバリス、葛西、仙太郎が請け負い、恵美那は万が一のための保険。
これで軍需物資を「盗み」に入るのである。
東山紅緒はミーティングの最後まで反対を貫き通したが、解散の後に部隊長室で2人きりになった時点でようやく折れた。
「こんなことをさせて…部隊長を恨みますよ」
「背に腹はかえられないからね」
「捕まったら銃殺ものですよ!そうなったら背も腹もありません…」
「大丈夫。あるところにはあるものだよ。それに管区司令部には通告してある」
「…!正気ですか?そんなの、自分から犯罪告白をするようなものじゃないですか!」
「一蓮托生にするんだよ。だから徴用出来た物資は、管区内の他部隊にも回す」
「そんなことって…」
「調べてあるのだろう?おれは前線に出る前は、諜報部や憲兵隊を経験している。この位、部隊長や管区司令部の裁量の範囲さ」
東山紅緒が大きく溜め息をついた。
しかしその目は笑っているようにも見えた。
「…嫌ですけど。本当に嫌ですけど、柩部隊長の命令ですから従います。まずはハッキングから取り掛かるとしますか…」
***
<武極奮迅>賞を貰ったときに軍本部に冗談半分で本物の酒を所望したものだが、今頃になって何故かそれが届いた。
嗜好品の中でも酒は特に入手が困難で、政治家か軍の首脳以外には無縁のものだった。
合成酒すら滅多にお目にかかれないのに、よりにもよって本物の酒だ。
生徒部隊ゆえ301の部隊員は全員未成年のはずだが、例外が2名いたので自宅アパートに招いて酒を振る舞った。
羽田連理と東山紅緒だ。
2人ともに四海高校の2年に在籍してはいたが、実際は軍所属で立派な成人なのである。
おれのように幼年期から軍に所属している方がレアなケースだ。
「…柩中尉!羽田が寝てます。叩き起こしてください」
東山紅緒の目は据わっていた。
羽田は鼾をかいて大の字になって炬燵で寝ている。
あまりに旨いのでつい飲み過ぎ、おれの意識も怪しい雲行きだった。
「…あら?柩中尉まで寝たら、知りませんよ?私、何をするか。恨みつらみで刺しちゃうかも」
「…それだけは、勘弁して欲しい」
言ったが最後、おれの意思も炬燵の温もりと酒の力を前に脆くも破れ去った。
***
ぺしぺしと頬を叩かれて覚醒する。
見慣れた天井に、いつもの空気。
…だが枕元に、何故かおれのTシャツ1枚という蠱惑的な姿をした東山紅緒が座していた。
いつの間に布団で寝たのかもわからず、状況が全く飲み込めなかった。
「…ええと。そう言えば羽田君は?」
「日付が変わった頃に帰りました。…日曜は朝から色々とデートの予定があるとか、聞いてもないことをベラベラと喋ってましたが」
時計を盗み見ると朝の10時を回っていた。
「…その、おれは炬燵で寝てなかったっけ?」
「何も覚えていない、と?」
「面目ない…」
「それは酷いです」
「…すまない」
久しぶりの酒にそれほど意識を拐かされたのか、東山紅緒とどんな情事が交わされたのか、欠片も記憶に残っていない。
残り香でもないか、と鼻をきかせてみても、そばにいい匂いをさせている当人がいるので意味はなかった。
しばらく真顔でおれを見つめていた東山紅緒がいきなり破顔して吹き出した。
「…冗談が過ぎましたね。布団は私が敷いて寝かせてあげたんです。シャツは寝間着がなかったので、勝手に借りちゃいました」
「…そう」
「ですので、来島少尉に対して疚しいことは何もありませんよ」
「…それはそれで、ちょっと残念な気もする」
おれが口を滑らせると、東山紅緒は意味深な目線をくれて、大きく吐息を漏らした。
「…まったく。折角フォローしてあげたのに。まあ、美味しいお酒をいただきましたから、昨日今日あったことは夢幻と忘れてあげます」
***
「酒盛りをしたって?」
式神恵美那がどう聞き付けたのか、夕方部隊長室に押し掛けて詰問してきた。
「…何か匂うな」
「さすがに酒はもう抜けてる。昨晩の話だ」
恵美那が柳眉を逆立てる。
「違う!柩、お前女臭いぞ。…一体何をやっている?」
犬のように嗅覚を働かせて、恵美那が牙を剥いた。
「おれはな…いや、何も言うまい。戦闘訓練なら相手になるよ」
「武蔵野の女臭いお前と組手なんぞ出来るか!」
言って、出ていってしまった。
***
損害ゼロで戦場から帰還し、管区司令部に報告を入れてから藍沢渚と整備に励む。
今夜はクリスマス・イブではあったが、間の悪いことに<厄魔>が出没し出撃と相成った。
城竜二がおれの後ろを通り過ぎる際に、「例の話、卒業後に受けることに決めたんで」と一声掛けてきた。
おれが「頑張れ」と返すと、そそくさと行ってしまった。
「竜二君、いま何て?」
「いや、こっちの話だ」
「…男同士の、内緒話ですか?」
「藍沢は今夜誰と過ごすんだろう、ってさ」
藍沢渚は驚いて目を見開き、次いで顔を真っ赤にして視線を落とした。
小声で「…別に予定はないんですが…もし部隊長がお一人なら…」などと呟き始めたので、弄り方を誤ったかと後悔する。
「部隊長、さすがに16のコにちょっかい出しちゃ駄目なんじゃないですか?」
羽田連理が決裁待ちの書類を持って寄ってきた。
そして、「今夜は東山の部屋にでも顔出したらどうです?595も出撃でしたからね」と耳打ちしてくる。
出撃直後の部隊長が自分の管轄エリアを離れるなど論外で、その点から羽田はおれと来島冴子の会瀬が不可能だと指摘したのだ。
全くもってお節介なことだ。
「16歳は、駄目ですかね?」
「あら?ドジ子ちゃん、部隊長に本気とか?何なら俺と遊ぶかい?」
「16が駄目だという理由を私も知りたいものだな」
羽田と藍沢渚の掛け合いに、ややこしいことに式神恵美那までが加わってきた。
その背後には、実に愉しそうな顔をした錦雁之助が控えていた。
「君たちが部隊長好きなのはわかったけど、16はやっぱロリっていうか…」
「羽田。そういうお前は女子生徒を取っ替え引っ替え遊んでいるようだが?」
「だからイブは避けてるでしょう?聖夜は遊びじゃすまないのですよ」
「…説得力がまるでないぞ」
「遊ぶにしても何をするかが問題で…あ、本命が来た」
東山紅緒が書類の束を抱えてこちらへと向かってくる。
式神恵美那はジロリとおれを一瞥した。
唐突に皆の視線をその顔に集めても、東山紅緒は何ら動じる様子はなかった。
「部隊長。軍本部の六郎丸少佐から暗号通信が入りました。あと、これは返信前に目を通しておくように、とのことです」
言って、東山紅緒が数キロの重さはありそうな書類を示した。
なぜここに持ってきたのか問い質そうとした矢先に、東山紅緒が優しい口調で告げる。
「六郎丸少佐には、今夜はクリスマス・イブなので柩部隊長は帰られたとお伝えしました。返信は明日で構わないとのことでしたので、今夜は部隊長室に戻らずに、これを持ち帰ってください」
ギャラリーから「おおっ」というどよめきがあがった。
おれも驚いていた。
「いい副官じゃねえか。柩部隊長、ここは彼女の心を汲んでやってくださいよ」
錦雁之助が拍手して言ったので、おれは首肯して「今日は残業無しでの解散」を宣言した。
整備棟で歓声が響いた。
「柩。六郎丸からのその書類が気になる。今夜お前の家に見に行きたいのだが」
式神恵美那が真剣な顔で言ったので、即座に羽田連理が「いやいやいや…」と突っ込んだ。
ギャラリーの最後方から城竜二が「式神とか山の手ってのは、どいつもこいつも随分とはしたないもんだな」と非難する。
それを契機に乱闘騒ぎが起こったのだが、おれは誰かに手を引かれてその場を後にした。
***
ベッドから起き上がった来島冴子は、インスタントの珈琲を入れて、2つのカップを手にして戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
おれは片方を受け取って、渇いた喉を潤す。
「何か上着羽織る?」
首を振って不要だと伝え、来島冴子の女性らしい体のラインを眺めやった。
東山紅緒は来島冴子にも連絡をしていたらしく、おれを整備棟から連れ出してすぐに帰宅をするよう強く促した。
「…東山さんと何かあった?」
「いや。…何でだい?」
「彼女のお陰でこうやって一緒にいられることには感謝してるの。でも彼女の声音がすごく柔らかくて艶っぽかったから」
…女たちは魔法でも使えるのだろうか。
そう言えば、安食円も他の女の気配に敏感だった。
…彼女の場合、持ち前の気性の激しさから笑い事では済まなかったのだが。




