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序章

序章


商店街のアーケードは無人で、すでに住人の避難は済んでいた。


おれは猫の一匹いない路上に力無く座り込み、災厄の訪れる時を待った。


厄魔(やくま)>という名の災厄が、やがておれの疲れ果てた五体をバラバラに引き裂くだろう。


20年かそこら生きただけの身だが、この国の平均寿命はすでに30歳を割り込んでいたはずだ。


寂しいことはない。


もう疲れたのだ。


無数の<厄魔>の足音が、徐々に大きくなってくる。


おれの匂いを感じ取ったのだろう。


蜉蝣(かげろう)>を纏っていない生身のおれは一瞬で絶命するはずで、苦痛を感じる暇があるかは疑問だった。


そして、腐った熊のような巨躯の<厄魔>が、通りを真っ直ぐに躍りかかってきた。


これで楽になれる。


目の前で閃光が拡がった。


それは<蜉蝣>の発する見慣れた光で、<厄魔>との激突時に発光するものだ。


熊型の<厄魔>は頭部を砕かれて地に沈み、代わって<蜉蝣>姿の戦闘員がそこに仁王立ちしていた。


アーケードの向こうから、更なる<厄魔>どもの来襲を告げる音が響いた。


「そこの民間人!避難命令が聞こえなかったのか?今からジタバタしても遅い。私が蛆虫どもを片付けるまで、そこで這いつくばってじっとしていろ」


頭をハンマーで叩かれたかのような衝撃を覚えた。


美声で、それも女の声で<蜉蝣>が言ったのだ。


なんという容赦のない、それでいて凛とした説教だろう。


顔は見えないが、その強靭さは声の張りからうかがい知れた。


直感があった。


おれはこの女に助けられてしまうだろう。


この街で虚しく息絶える予定だったおれを、この女が生かすのだ。


次々と現れた<厄魔>を、<蜉蝣>姿の女が殴り、打ち、撃った。


あっという間に全てを退けて、<蜉蝣>のメットを外して少女が近寄ってきた。


「命拾いしたな。せいぜい有意に生きることだ。こんな世界でも、生きていればそこそこ楽しみはあるものだ」


「…お名前を」


式神恵美那(しきがみ・えみな)。四海高校第301生徒部隊所属だ」


彼女は美しかった。


***


四海高校の校舎は国内に数多ある他の高校と大差無く、衆目を集めるのは時計塔の高さだけだ。


部隊の駐屯がある以上、周辺地域への常時監視は必須で、百メートル級の高さを誇る異質な塔がその役目を担っているのだろう。


校門から玄関、玄関から職員室へと下調べの通りに歩いて、定刻の8時00分には教師とのミーティングに臨めた。


8時35分に教師に連れられて3年D組の教室へと案内された。


「おはようございます。みなさん、今日は転校生を紹介します。君」


室内に足を踏み入れ、深々と頭を下げて自己紹介に及ぶ。


柩無無(ひつぎ・むなし)です。みなさん、よろしくお願いします!」


ここでにっこりと笑顔を作る。


「3年次の6月という半端な時期ではありますが、柩君は生徒部隊の所属のため異動で来ています。仲良くしてあげてくださいね。では、柩君は空いている席に座って。ホームルームを始めます」


窓際に空席を見つけて腰掛けた。


すかさず隣席の男子生徒が声を掛けてきた。


肩幅が広く、制服の上からでも鍛え上げられているとわかる肉厚な体つきをしていた。


座っていても裕に180センチメートル以上の上背と見てとれる。


「俺は葛西幸尚(かさい・ゆきなお)。第301生徒部隊で事務員をやってる。心無い人はゴリラと俺を呼ぶが、大抵は後悔することになる」


葛西が厳つい顔面をくしゃっと崩して笑ってみせた。


「柩です。おれは戦闘員。よろしく」


おれは努めて社交的な調子で返した。


教師の話では、生徒の中で部隊に所属しているのは3%超で、1クラス40人のうちで1~2人に当たるという。


各学年約400人、合計1200人の四海高校にあって、第301生徒部隊の所属は38人。


38名からなる小隊が周辺広域の治安を維持しているのだ。


ホームルームが終わり、適当に授業を受けているうちに昼休みを迎えた。


葛西が食堂を案内しようと言い出した矢先、招かれざる訪問者がやってきた。


その男子生徒はリーゼント頭に、制服はブレザーではなく学ランと、まるで絶滅した不良者を気取って見えた。


おれと変わらぬ背丈はちょうど180センチくらいか。


表情は鋭く、雰囲気がある。


「てめえが新入りか?俺様に挨拶がねえぞコラ」


「ジョー。お前、ここが3年の教室とわかってずかずかと入ってきやがったのか」


葛西がおれの前に出て、リーゼントに立ちはだかった。


その背は山のように広い。


「どけよ、ゴリラ。おれは戦闘員の先輩として、こいつに礼儀を教えてやらなきゃならねえんだ。先輩には、真っ先に挨拶をして回ってしかるべきじゃねえのか?」


「…放課後に部隊長室に呼ばれているけど」


取り敢えず抗弁してみた。


「黙れ!まずは名乗れ」


「柩、無視しておけ。この狂犬は2年の城竜二(じょう・りゅうじ)。この辺りで暴走族の総長をやっていた札付きだ。…これで戦闘員をやってる」


葛西が紹介してくれた。


「ゴリラといいてめえの前任といい、代々うちの部隊の戦闘員はひ弱でいけねえ。見た感じてめえはちったあやるようだがな。足を引っ張りやがったら、殺すぞ」


ジョーこと城が歯を剥き出しにして威嚇してくる。


いつの間にか、教室からはおれたち3人以外の人影がなくなっていた。


「よろしく。柩無無だ。戦闘員を務める。足を引っ張らないよう頑張るよ」


「…初めからそう言え。ボケが」


城はそう言って、「じゃあな、ゴリラ。申請しといた銃弾、早く補充しとけよ」とだけ言い残して背を向けて出ていった。


葛西は済まなそうな顔で「失礼な奴で、気を悪くしたろう。部隊を代表して謝る。すまん」と手を合わせてきた。


おれは気にしていないと応じて、改めて食堂へ連れていってもらった。


大食堂は、合宿棟の1階部分全域を占めていて、200人近くを同時収容できるキャパシティがあるらしい。


入ってみて異様だったのは、一番奥の長テーブルが2台続けて空席になっていた点だ。


それ以外の席やスペースは、ランチタイムとあって生徒の群でごった返している。


「あそこ、部隊の占有なんだ。まだ誰も来ていないな」


自動販売機で食券を購入し、カウンターでおばちゃんからカレーライスを受け取った。


頼んでいないのに特盛にされていて面食らう。


「そのボタン、部隊の新顔ね。たくさん盛っといたから、精をつけな」


おばちゃんがにかっと笑みを浮かべる。


隣を見ると、葛西のカツ丼が有り得ないレベルの山盛りとなっていた。


奥のがらんとしたテーブルに着く。


「ここのおばちゃんは部隊員には優しいんだ」


1キロ以上はありそうなカツ丼をガツガツと頬張りながら葛西が言った。


戦時下にありがちなレトルト合成のカレーではあったが、味は悪くない。


「あっ、新人さん?」


パラパラと部隊員たちが姿を見せ、都度挨拶にスプーンを置いた。


整備士に事務員がほとんどで、戦闘員は誰も来ていなかった。


「柩先輩。あの…私、1年の藍沢渚(あいざわ・なぎさ)と言います。整備士で、先輩の<蜉蝣>を担当する予定です。よろしくお願いします」


藍沢と名乗った少女は髪が真っ青で、遺伝的なものか瞳にも青が差していた。


頭を下げた拍子に水の入ったグラスを倒してしまい、葛西にしっしっと追い払われた。


「泥亀が側にいちゃ飯が不味くなる。ましてやあんなドジ子」


吐き捨てるように葛西が言った。

泥亀というのは整備士に対する中傷的な隠語で、軍では割とオーソドックスな話だ。


曰く、整備士と事務員は仲が悪い。


そして、戦闘員は両者と仲良くしないと決して生き延びられない。


当たり前だが、整備に不備があれば戦死の確率は飛躍的に上がり、補給が滞れば継戦能力は失われるのだ。


「青大将が。うちの嬢ちゃんを虐めたら赦さんぞ」


白髪でツナギ姿の、彫りの深い顔立ちの男子生徒がおれたちの後ろを通った。


ツナギの袖に「少尉」を表す記章を付けていた。


「…げっ。親父さん」


葛西が縮こまって言った。


青大将とは事務員を嘲る隠語だ。


「新人さん。俺は3年の錦雁之助(にしき・かりのすけ)。部隊の整備士長をやってる。みなに親父さんとか呼ばれてるが、歴とした18だ。よろしくな」


***


放課後になり、部隊長室に入室するなり手痛い歓迎を受けた。


「柩無無。大層な偽名だな」


奥の窓際の執務机で両肘をつき、手の甲に顎をのせた姿勢で部隊長の男子生徒が言った。


長髪に整った目鼻立ち。


表情は何もなく、一見して冷たい印象を受ける。


ブレザーの右胸には「中尉」を表す記章が光っていた。


L字に配されたもうひとつの机には副官と思われる女生徒が座し、何も聞いてない風を装って黙々とパソコンのキーボードを叩いていた。


「…仰る意味がわかりかねます。中尉」


おれは返答した。


「大方、軍のコンピュータにハッキングでもしたんだろうがな。東山君」


「はっ」


女生徒がキーボードを打つ手を止め、顔を上げた。


茶色く染めた髪をショートボブにした、愛くるしい少女だ。


「彼の経歴に不明な点はなかったかね?」


「はい。項目毎に更新日時に多少のブレは認められますが、平均の範囲内です。アップロード経路とアクセス権限に異常はありません。異動申請の代理承認回数は規定ギリギリで、敢えて疑問の余地があるとすればこの点ですが、適法です」


部隊長は報告を聞き、黙って頷く。


「…というわけだ。代理承認を下ろしているのが何故か武蔵野閥ばかりな点は注目だな。まあ、東山君が及第点をあげたいようなので不問としよう」


「部隊長、私は別に…」


東山と呼ばれた女生徒の言を、部隊長が掌を見せて封じた。


「柩無無。第301生徒部隊は君を歓迎する。私が部隊長の水天宮亨(すいてんぐう・とおる)だ。四海高校の3年A組所属で、生徒会長も兼ねている。彼女は副官の東山紅緒(ひがしやま・べにお)。2年A組所属で、戦闘時にはオペレーターを務める」


「はっ!有り難うございます。柩無無、無事着任しました。以後よろしくお願いします」


ハッキングの件など素知らぬふりをして、おれは受け答えた。


完璧に隠蔽を施したつもりであったが、水天宮や東山には何かを掴まれたと見て間違いない。


「部隊員への顔見せや訓練課程の説明に関しては、このあと17:00から予定している全体ミーティングにて執り行う。着替えて準備をするように」


***


部隊員総勢38名が第3会議室に集合していた。


部隊長以下、整備士長、事務長、オペレーター、戦闘員、整備士、事務員が口の字に列席した。


姓名・所属だけの簡潔な自己紹介を終え、おれは着席した。


議題は訓練及び仕事の進捗報告と、次月の計画であった。


隣席の少女がこちらを睨んでいるのがわかった。


あの式神恵美那である。


その向こう隣には城竜二がいて、彼は特段おれを気にかけている様子はなかった。


整備士長の錦雁之助が渋い声で発言した。


「事務方の備品発注にやたらと抜けがある!これでは計画通りに整備なぞ出来っこないわな」


整備士たちの列から拍手が起こった。


続いて挙手をしたのは、錦と同じく軍服に「少尉」の記章を付けた、眼鏡をかけたスマートな女生徒だ。


水天宮部隊長を挟んで錦と左右の位置関係から、有栖川鏡子(ありすがわ・きょうこ)事務長とわかる。


「お言葉ですが、錦少尉の発言には首肯致しかねます。大雑把で基準ロットに外れた発注など、無視されてもおかしくありませんわよね?」


今度は逆側、事務員たちが喝采を浴びせる。


中でも葛西幸尚の声が一番大きかった。


「そこにいらっしゃる藍沢さんの2日前の注文書がここにあります。品目は<蜉蝣>のバーニアですが、ロットを無視した1個口での発注です。1個口ですよ?ちなみに基準は15ですから。これは何かしら?」


書類をバンバン叩きながら、有栖川が藍沢渚を責め立てた。


藍沢が起立して、青い髪がそれにあわせてなびいた。


「あの…柩先輩が着任されるというので、納期優先で単品指定にしてしまいました…すみません」


「貴方の一存で軍の発注基準を変えるなど、おこがましいこと」


「…藍沢の一存ではない。俺が承認した。戦闘員のパフォーマンスを上げることが急務だと判断したからだ」


錦が藍沢を擁護し、再び論戦が展開された。


おれの隣に居並ぶ戦闘員たちは皆、無関心を決め込んでいる風だった。


途中でオペレーター兼部隊長付副官の東山紅緒が「くだらない」と洩らし、両サイドから集中放火を浴びせられていた。


全体ミーティングが終わり、次は担当毎の方針確認へと移った。


水天宮部隊長が戦闘員を集め、一人ずつおれに紹介していく。


「戦闘隊長は私が兼務だ。次席が城竜二。順にこちらから式神恵美那、徳丸毅(とくまる・たけし)、シバリス。シバリスは女性乙型の戦闘用サイボーグだ。後は先程紹介したオペレーターの東山紅緒。以上となる」


初見となるのは短髪で気の短そうな少年・徳丸と、どこから見ても人間と変わらない銀髪の女性・シバリスの二人だ。


部隊長とおれを入れて、実戦要員は6名になる。


今日は全体ミーティングのため訓練は休止で、明日以降の動きはシバリスからレクチャーを受けるよう指示があった。


サイボーグだけあってシバリスは情報の伝達が上手く、訓練課程に各種申請、タイムスケジュール、戦闘時の指揮系統、フォーメーションなど不明な点は全て確認した。


徳丸が去り際に、「ジョーのアニキに楯突くんじゃねえぞ、新入り」と吐いていったことから、人間関係も浮かび上がってくる。


加えて、おれは夜半まで整備士と<蜉蝣>に関して調整する必要があった。


四海高校の敷地内にある部隊員専用寮の食堂で夕食をとり、直ぐ様整備士の詰所に顔を出した。


おれは寮住まいではないので特に長居する用事もなく、とっとと戦闘準備を済ませておきたかったのだ。


<厄魔>はいつ何時現れるかわからない。


「え?こんなパラメータでいいんですか?でも…」


藍沢渚が青の入った瞳で見上げてくる。


ツナギを着て、幾つもの工具を腰からぶら下げていた。


彼女がおれの専属整備士となり、軍用パワードスーツ<蜉蝣>のメンテナンスを担当する。


「ええ。藍沢さん、やってください」


「でも…」


通り掛かった整備士長の錦が「どうした?」と様子をうかがってきた。


藍沢が事情を説明すると、錦はおれをじっと見てから、いたって普通な調子で言った。


「こいつがいいって言ってるんだから、設定してやんな」


「…でも!こんな出力、とても耐えられるGじゃありません。式神さんの40%増しです…」


「こいつは前の任地でやってたんだろうさ。なあ?」


頷いてみせる。


***


家路への途中で、街灯に照らされて人影が視界に入った。


追手の類いかと身構えたが、影の主は式神恵美那であった。


ブレザー姿だと、普通に高校に通っている美少女にしか見えない。


長い黒髪が一陣の風になびいて広がった。


「もう午前様だよ。こんなところで何を?…式神恵美那さん」


「お前、やはりあの時の男か。E1135BBエリアで<厄魔>に襲われていたな?」


「ええ。偶然だけれど。あの時は有り難う」


「そんなお前が戦闘員だと?どれだけ迂闊なんだ。よくここまで生き延びられたものだな」


「よく言われる」


作り笑いで応じた。


彼女が死ぬはずだったおれを生かしたのだ。


今ではおれの生存意義は彼女を生かし返すことにしかない。


「前の任地でのことなど私は知らない。だがここでは一時たりとも気を抜くな。近隣エリアを含めて、<厄魔>が優勢な激戦区なのだから」


「わかった。気を付けるよ、式神恵美那さん」


「…それと、フルネームで呼ぶのはやめろ」


むすっとした式神が注文をつけてきた。


「では何て?」


「知るか。式神でも恵美那でも、好きに呼べばいい」


「わかったよ、恵美那」


「…なにか馴れ馴れしいな…まあいい」


それだけ言って、恵美那は身を翻した。


闇夜に消えていく彼女の背を目で追い続けた。


式神という家のことは、軍閥のひとつとして聞いたことがあった。


調べてわかったこともあり、山の手閥の頭領として軍部に君臨しながら、政・官・財の全てに影響力を行使していた。


恵美那はその式神本家の令嬢だ。


その身分であれば、わざわざ<厄魔>との戦いの前線に出てくる必要はない。


まして彼女は整備士や事務員ではなく戦闘員なのだ。


式神恵美那、16歳。


<厄魔>通算撃破数は45。


その覚悟はどこからくるものなのか。


恵美那があの時に見せた清凛たる様は、おれの生き方を変えさせた。


その代償は払ってもらわねばなるまい。


矛盾するようだが、そのためにも彼女は必ず守り抜くと決めていた。


誓いだ。



「ガンパレード・マーチ」に触発されて書いてみました。ケータイ小説として作成したため、描写は短く簡潔にしたつもりです。宜しくお願いします。

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