第2話:魔神の宿探しは、甘い香りと共に(物理)
雨は上がった。けれど、僕の人生の土砂降りは続いている。
一文無し、着替えなし、おまけに帰る場所もなし。
「はぁ……。ひとまず、どこか雨風をしのげる場所を探さないと。このままだと風邪を引く……」
僕が頭を抱えて深くため息をつくと、隣を歩くゴスロリ少女――アビィが、フリルのスカートを揺らして僕の顔を覗き込んできた。
「ちょっとカンちゃん、さっきから景気悪いわね! アタシという最強の魔神がいながら、宿ごときで悩むなんて100年早いわよ!」
「そうですよ主殿。我ら親子にお任せいただければ、王宮とて一瞬で用意してみせましょう」
背後で、シルクハットを被った巨大な執事――パパが、大真面目な顔で頷く。
「いや、王宮なんて出したら騎士団に包囲されるだろ! もっと目立たない、ボロい空き家とかでいいんだよ……」
僕は裏路地の隅にある、今にも崩れそうな廃屋を指差した。
ここなら誰にも文句は言われないだろう。
「……ふーん、あんなボロ小屋がいいのね。アンタって本当に物好き。でも、アタシのご主人様があんな所に寝るなんて、アタシのプライドが許さないわ!」
アビィが不敵に笑い、腰の銀色に輝くカスタネットを手に取った。
「見てなさい! アタシが世界一『居心地がいい』場所に作り変えてあげるから!」
カチッ!
小気味よい音が響き、アビィの手から紫色の魔力がほとばしる。
すると、パパが「おっと、少しばかりトッピングを……」と言って、巨大な手をかざして真っ赤な魔力を付け足した。
「ちょっ、二人とも待っ――」
僕の制止は間に合わなかった。
廃屋が光に包まれ、ボコボコと膨らんでいく。
やがて光が収まったとき、そこに立っていたのは――。
「……は?」
絶句した。
そこには、ピンク色の壁、キャンディの窓枠、そして屋根からはたっぷりの生クリームが滴り落ちる、巨大な『お菓子の家』がそびえ立っていた。
しかも、辺りには暴力的なまでに甘い香りが漂っている。
「じゃーん! 最高に居心地がよくて、お腹が空いたら壁も食べられる『アビィちゃん特製・スイーツパレス』よ!」
「主殿、娘の力作ですぞ。さらに私の魔力で、どこを食べても最高級のショートケーキの味に仕上げておきました」
「……バカなの!? これ、どう見ても目立つだろ! っていうか、ほら見ろよ!」
案の定だった。
甘い香りに誘われて、どこからともなく街中の子供たちが集まってくる。それだけじゃない。
ガサガサと地面を揺らし、路地の向こうから巨大なハサミを持った魔物――アントラー(大アリ)の群れが、目を血走らせて押し寄せてきた。
「ギチギチギチッ!」
「うわあああ! アリが来た! 超巨大なアリが来たぞ!」
僕は頭を抱えて絶叫した。
宿を探していたはずなのに、なぜか巨大アリ軍団との防衛戦が始まろうとしている。
「あら、失礼な連中ね。アタシたちの夕飯を狙うなんて! パパ、やっちゃって!」
「御意」
パパが巨大な手をひょいと伸ばし、突撃してきた巨大アリを一匹、まるでイチゴのヘタを取るような手つきでつまみ上げた。
そのまま、ポイッと空の彼方へ放り投げる。
「キィィィィィィ……(キラリッ)」
「一丁上がり、ですな」
「一丁上がりじゃないよ! こんなのすぐ騎士団が飛んでくるよ! もう、はぁぁぁぁぁぁ……っ!」
僕は本日、何度目かも分からない深いため息をついた。
すると、その吐息を吸い込んだアビィが、なんだかさっきよりツヤツヤした顔で笑う。
「ふふん、いいわね、そのため息! おかわり、いっちゃう?」
「いらないよ! ……もういい、とりあえず中に入らせてくれ……」
僕は諦めて、クッキーでできたドアを押し開けた。
中に入ると、そこは魔法の力で驚くほど暖かく、優しいバニラの香りに包まれていた。
冷え切っていた体が、じんわりと解けていく。
「……あ。……ちょっとだけ、暖かいな」
ボソッと呟いた僕の言葉を、アビィは見逃さなかった。
「でしょ!? アタシに感謝しなさいよね、カンちゃん!」
彼女は得意げに胸を張るが、その頬が少しだけ赤いのを僕は見逃さなかった。
最強の魔神と大魔王の親子。
とんでもない連中を拾ってしまった。……でも、これからの旅は、案外悪くないのかもしれない。
――その後、お菓子の家の甘い匂いが王都中に広まり、翌朝「巨大なケーキが裏路地に現れた」という怪事件として新聞に載ることを、今の僕はまだ知らない。




