第1話 雨の裏路地と、銀のボトル
冷たい雨が、容赦なく僕の肩を叩いていた。
「カノン・エインズワース。君を本日をもって、王立魔導師団から除名する」
数時間前、無機質な会議室で告げられた言葉が、雨音に混じってリフレインする。
理由は「慢性的な魔力不足」。
代々エリート魔導師を輩出してきた家系に生まれながら、僕に備わっていたのは、生活魔法に毛が生えた程度の、ちっぽけな魔力だけだった。
「はぁ……。これから、どうすればいいんだろうな」
行き止まりの裏路地。泥水に濡れるのも構わず、僕は壁に背を預けてズルズルと座り込んだ。
家族には合わせる顔がない。友人なんて、魔導師団をクビになった瞬間にいなくなった。
まさに、人生のどん底だ。
ふと、ゴミ溜めの隅に、場違いに光るものが目に入った。
泥にまみれながらも、鈍い銀色の輝きを放つ、古びたスキットル――魔法のボトルのようなものだ。
「……なんだろう、これ」
僕はそれを拾い上げた。
精巧な銀細工が施されたそのボトルは、冷え切った僕の手の中で、なぜか微かに熱を帯びているように感じた。
けれど、今の僕にはそれを鑑定する気力さえない。
僕は両手で頭を抱え、今日何度目か分からない、一番深いため息をついた。
「はぁぁぁぁぁぁ………………っ!」
――その時だった。
パコンッ!
小気味よい、拍子抜けするような音が響いた。
僕が握りしめていたボトルの栓が、シャンパンのように勢いよく跳ね飛んだのだ。
「うわっ、何っ!?」
驚く僕の目の前で、ボトルから夜の色を溶かしたような紫色の煙がモクモクと溢れ出す。
煙はみるみるうちに形をなし、雨を切り裂いて一人の少女が姿を現した。
黒いレースとフリルをふんだんにあしらった、豪奢なゴスロリドレス。
夜闇のような黒髪をヘッドドレスで飾り、ルビーのように赤い瞳が僕を射抜く。
「ちょっとぉ! せっかくのお昼寝を邪魔したのは、アンタ?」
少女は空中で器用にくるりと一回転すると、地面に音もなく着地した。
驚くべきことに、彼女の周りだけ、降りしきる雨が透明な壁に弾かれるように避けていく。
「あ、あの……僕はただ、ため息をついただけなんだけど……」
「アンタのため息、すっごく重かったわよ! おかげでボトルが内側から弾けちゃったじゃない」
彼女は不機嫌そうに頬を膨らませると、僕の顔をじろじろと覗き込んできた。
「ふーん。アンタが新しいご主人様? なんだか弱そうね。名前は?」
「カ、カノン。カノン・エインズワースだけど……」
「カノン? ……カノン……カイン……うん、今日からアンタは『カンちゃん』よ! 決まり!」
「えっ、勝手に略された……!?」
僕が呆然として頭を抱えると、さらに紫の煙が膨れ上がった。
今度は、僕の背後を丸ごと覆い尽くすような巨大な影が立ち上がる。
「娘よ、あまり主殿を困らせるものではないぞ」
現れたのは、シルクハットを被り、見事な髭を蓄えた、山のように巨大な男だった。
仕立てのいい燕尾服を着こなしたその姿は、まるで『大魔王の風格を持った執事』だ。
「む、主殿。お初にお目にかかる。……おぉ、これは冷える。まずはこれを」
巨大な男はどこからか取り出した大きな傘を、僕と少女に静かに差し掛けた。
「な、なんなんだ……君たちは一体……」
「アタシ? アタシはアビィ。最強の魔神……の娘よ!」
ゴスロリ姿の少女――アビィは、腰に下げた銀のカスタネットをカチッと鳴らして不敵に笑った。
「安心しなさい、カンちゃん。アタシを呼び出したからには、もう退屈なんてさせないわ。アンタのその湿っぽい運命、アタシがめちゃくちゃに書き換えてあげる!」
雨音の消えた裏路地で、僕の新しい日常が、とんでもない音を立てて動き始めた。




