10.望郷
私は、こういう空気が苦手だった。
日本にいた頃から、こういう席は外していた。
まだ村の人たちは盛り上がっている。
月明かりを頼りに、足を踏み外さないよう外れに行く。
「……寒い」
羽織るものとか、借りればよかったかな。盛り上がってる人が多いと私はいつも怖気付いてしまう。
……宴会みたいなノリはあまり好きじゃないけど、それでも魔物のいる森より遥かにマシだったな。ゴブリンに出会ったり、盗賊に襲われたり……日本ではありえないような非日常が続いていて、落ち着く暇もなかった。村のみんなが盛り上がっていて、自分はそこに混じれるタイプじゃないけど、それでも人が居て少し安心する。抜け出しておいて言うのも何だけど。
冷たい風を肌で感じながら小さく座る。
この世界に来て、初めて心に余裕が出来た。
月を見ながら物想いに耽る。
……私は医者になりたかった。父のような立派な医者になりたかった。だから、必死に勉強して、名のある大学に合格できた。私はこれから医者になるために、たくさん勉強するんだと思っていた。
あの変な男についていって、トラックに轢かれて、異世界に来て……盗賊に襲われて。目紛しい展開に卒倒そうになる。
「仁美。大丈夫か?」
変な男……平世大地が私に近づき声をかけてくる。
「体調が悪いなら、体を冷やさないように早く寝たほうがいい。」
「……いや、そうじゃない。」
「じゃあ、何だってんだ。」
気遣いができるんだか、デリカシーがないんだか。
彼は私の横に座ると、そう聞いてくる。
きっと何も考えずに、思った事を話しているんだろうな。私には出来ない。
「……色々考え込んじゃったのよ。知らない国に知らない文化、訳のわからない話を聞かされて、この村はやっぱり地球にはない国なんだなあって。空は何処までも広がっているように見えるのに、きっとその先に日本はない。もう戻れないの。日本には」
ここは、やっぱり異世界なんだ。私達の故郷じゃない。
「私達は何故か異世界の言葉を喋れて……知っている概念、モノ、名前ですら伝わるのに、日本語じゃないの」
この世界に来て変わったのは、私の目に映るモノだけじゃない。私自身も作り替えられている。そう思うと、より一層、故郷との距離を感じてしまう。
「今まで息を尽く間もなかったけど、どれだけ心躍るファンタジーを見せられても、やっぱり日本に帰りたい。帰って、友人とか、家族とまた話をしたいよ……」
そもそも私には、まだまだやり残したことがある。父のような医者になりたいと言った時、両親は応援してくれた。
私はあの世界で、トラックに轢かれて死んじゃったから、今頃お葬式とかやっているのかな。
父と母は、悲しんでるのかな。生意気だった弟も、最期くらい悼んでくれたらいいな。
私は、誇れる子供であり続けることができたかな……。
「会いたいよ、パパ、ママ……」
自然と涙が溢れてくる。
科学が途上で、医学が発展していないこの世界では、父のような医者にはなれない。魔法があって、夢溢れる世界なのに、私の本当の夢は、ここでは叶えられない――
「仁美、一つ訂正がある」
空気を読まずにこの男は口を開く。
「……なによ」
「地球は球ではなく、地平だ」
「……はいはい、そうですか」
そういえば、こいつは平面論者だった。
「……それに、日本に帰れないだなんて、なぜそう思う?」
「女神様が、私達は元の世界では死んだって……」
「それが、帰れない根拠になるのか?」
既に死んだ私達が元の世界に戻ったとしたら、それは幽霊とかゾンビとか、そう言う類の話じゃない。
……そう主張しようとしたけど、口には出せなかった。
「この空が地球に繋がっていない……その根拠もないだろう。もし神が否定したとしても、俺は目で見たものしか信じない。それでも仁美が地球に戻れないと言い続けるのなら、仁美は洗脳を受けている。この世界の支配層による、真実を隠蔽する――陰謀である!」
……心の底では否定して欲しかったんだ。私達はまだ地球に帰れるって、言って欲しかったんだ。
「……だから、そう悲観するな。仁美が信じればまた会える」
もう一度、家族に会えるって、言って欲しかったんだ。
「……嘘でも嬉しい。ありがとう、ダイチ」
「ダイチ? なんかイントネーションがおかしくないか?」
「ううん。ここは異世界だから。私のことも、ヒトミって呼んで」
「あ、ああ、ヒトミ、わかった」
胸の中にある黒い不安が、すうっと無くなっていく。
嘘ってわかっていても、それでも心は動く。
「……ふふっ。きっと私みたいな人が陰謀論にハマっちゃうのね」
「別に悪いことじゃないだろ」
「はいはい、そうね」
私が苦笑すると、彼は優しそうに笑った。
……そして何かに気付いたように立ち上がった。
「ああ、そうだヒトミ! 聞いてくれないか! この村人に酒を渡された時、気がついたのだ、水面はぴんと張って、平らに保たれていた!」
「……それがどうかしたの?」
彼は確信持った面して答える。
「昨日ファスタはこの世界は球体だって言ってただろ? けど、容器に盛られた酒は平らになった! 世界が球体だったら曲がるはずなのに!」
いや、球が十分大きくて平らに見えただけで……。
「そうだ、俺はこの世界が平面であることを証明する! そのために、まずは海に出る! この世界が曲がっていなければ、どれだけ離れていても街の光が見えるはずだ!」
馬鹿だ、馬鹿で阿呆がいる。
「これは元の世界でも証明された正しい実験だ! 水平線に隠れるはずの距離を離れても、街の光が見えるんだ! この世界でもきっと……」
「多分それ、蜃気楼が映ってるだけじゃ……。そもそも、今は巨大な怪物のせいで海に出れないって言ってたじゃない」
「俺の邪魔をするのなら、退いて貰うだけだ! 神様から授かった超パワーで殴り飛ばせばいい!」
そうだ、この男は根っからの陰謀論者で科学否定論者で地球平面論者だ。
そして、自分のやりたいことに真っ直ぐな人だ。
「私がちゃんと監視しておかないと……」
「何か言ったか?」
「ううん、何でもない。そろそろ戻らないと、みんな心配しちゃうかもって」
「ああ、そうだな」
……この世界から日本に帰る方法なんて、実際はそう簡単に見つからないだろう。それでも、その可能性がほんの少しでもあると信じ続けることができたなら、それだけで支えになれる。
街に図書館とかあるのかな? あったら、調べてみてもいいのかも。




