そのとき刻め
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふ~、雨が降ったと思ったら急にやんだり、なんとも天気の安定しない日が続くねえ。
朝は傘が手放せなかったのに、帰りにはほぼお荷物状態。うっかりどこかへ置いて行ってしまうこともあるかもしれない。
必要とされる、というのは怖いものだ。必要ならば拝み倒してでも引っ張り出すのに、いざことが済めば軽く見られて、捨てられることもある。人間同士の関係でだって、ままあることだ。
そうなるくらいなら出番があるときに、徹底的に活躍したい。あるいは消えない傷を残したいと思うのは、おかしいとも言い切れないだろう。
いずれすべてはいなくなる。だからこそ、消えゆくそれらの動向は、自分の目につく範囲でだけでも注意を払ったほうがいいかもね。
僕の以前の話なのだけど、聞いてみないかい?
降水量1ミリというのが、1平方メートルの平面に1リットルの雨が降ったことであることは、君も知っていよう。こいつは10分間だとおよそコップ1杯分の雨を、我々は受けることになる。
この暑い時期、冷たい飲み物ならぐびぐびと、一気に飲み干せてしまうくらいの量。しかし、外から浴びれば体を濡らすに十分でもある。
この中で雨具に頼るべきか否か……距離や個々の感覚によって、答えは変わってくるだろう。もとより、実際は1ミリかどうかなど細かいところは分からず、自分の感覚だよりになるわけだが。
私はちょっとした降りかつ、徒歩三十分以内、かつ誰かに会いに行く用でもなければ、突っきってしまう。学校を出たそのときは、そうするに値する、たいした降りではないと判断したんだ。
小雨の中、今朝から持ち歩いているビニール傘を差さないままで先を急ぐ。道行く人も傘を差したり、カッパを羽織ったりしている人がちらほらだが、僕と同じように何にも頼らずに駆ける人もいた。
僕が急ぐのは、早く家に帰りたいばかりではない。今日、家を出る前にお使いを頼まれていたこともある。この日は僕が登校したあと、家の人が順次外へ出かけてしまい、再度家へ戻ってくるのは僕が一番手になる可能性が高かったからだ。
いったん家へ帰ってから、もう一度外へ出る……などと、悪天候の中じゃあ冗談でもいやだ。このままお店へ直行し、買い物を済ませて帰る。
買い食い、道草はよろしくないといわれていても、こいつは正式な用事だ。仮に先生たちが通学路に出張っていてとがめられたとしても、堂々と申し開きをするつもりだったよ。
そうやって、先を急ぐ僕だけれど、ほどなく。
ぷしゅ……ぷしゅ……ぷしゅ……。
それは、缶ジュースを開けるときの音に酷似していた。特に炭酸入りのヤツを開けるときのものだ。
つい、足を止めてまわりを見やるも、缶ジュースを開けたような気配は見られない。皆が手に持つのは傘か、おのれの本業に必要なものが入っていると思しき荷物ばかり。
そもそも、雨の中で缶ジュースを飲もうなど、よほどのことがなければ僕だってやらない。最近、酸性雨のことを授業で習ったばかりということもある。炭酸入りはともかく、酸性雨入りになったジュースなど飲みたい人がいるだろうか? 心からハゲになってしまいそうだ。
と、そのようなことを考えながらも、余計なことに気を散らしてる場合じゃないとも思い直す。もう目指すお店は眼と鼻の先。
すでに店の前には、臨時の傘立てが出されている。「ここにおける盗難について、当店は一切の責任を負いません」とのプレートつきだ。
構わない。どうせコンビニで買ったビニール傘なんだ……と、畳んだまま突っ込んでふと気づいた。
いままで開かずにいた、閉じた傘の骨たちの中。ひっくり返った三角錐の頂点に位置する傘の底に、どっぷりと水が溜まっていたんだ。
ちょっと首を傾げたよ。傘はずっと横にして持っていたから、雨水がまったく入り込まないとはいわなくても、ここまで水たまりができるものかとね。
あらかじめ渡されているメモを手に、どんどんと買い物かごへ頼まれた品を入れていく僕。そうしている間にも、このこじんまりとしたスーパーには新しく客も入ってくるし、出ていく客も何名か。
傘立てはすでに満ぱんになっており、傘をビニールに入れて店内へ持ち込む人もちらほら見かけ始める中。会計待ちの僕は透明な自動ドア越しに見てしまったんだ。
自分の傘を平然と持っていく、お客さんの姿を。
名前のたぐいは書いていないが、このようなこともあろうかと、柄のビニールはしまうまのストライプ並みに、手の込んだむき方をしている。それを確認できる位置にあるならすぐ判断がつく。
そして、傘を開いたお客さんが、底に溜まっていた水をどばっと浴びたのを。短い悲鳴をあげて、次の瞬間には服や買い物袋以外が瞬時に溶けるようにして、消えてしまったのを。
ほどなく騒ぎになるも、僕はもう知らんぷりを決め込んだ。
もちろん、傘だってそのまま放り出して触れることだって、二度としなかったよ。
あれがいったい、何がどうなって生まれたかなどはまったく分からない。ただ、出番を得られない傘たちに、様々なものが重なって、あのような事態を招いたんじゃないかと思っている。