悪役令嬢のやり方 あるいは王子様の自業自得
「私はここに、アクレイとの婚約を破棄すると宣言する!」
パッナーロ学園では毎年学業の一環として、終業式後に学生によるダンスパーティが開かれている。最上級生が企画した綺羅びやかなパーティは、バークァ王子の突然の宣言により楽団の手も止まり、痛いほどの静寂が広がっていた。バークァの腕には、派手な身なりをした女テンハー男爵令嬢が満悦な顔でしなだれ掛かっている。
コツ、コツ、と足音のする方へ全員の目が向いた。進み出たアクレイ公爵令嬢が、ふわり、と挨拶をすると、誰もが、ほぅ、と見惚れた。薄桃色の唇から、鈴の音のような声が紡がれる。
「王国の嫡子バークァ様、御前に参上いたしましたヤクジョー公爵家長子アクレイが申し上げます。婚約破棄、でございますか」
「そ、そうだ!公爵家の権力をかざしての暴虐不埒な行いの数々、この私が知らないとでも思ったか!」
アクレイの挨拶に呑まれかけたバークァは振り払うように声を張った。
「私が寵愛しているテンハー=セイレム男爵令嬢の教科書の汚損、授業ノートの損壊、風説の流布、挙句には階段での突き落としによる未必の故意。いずれも証言が複数ある!拠って私は婚約破棄を申し付け、謹慎を命じる!!」
パーティ会場にざわめきが広がった。
「承知いたしました。御前失礼いたします」
礼の姿勢のままだったアクレイはさらに深く礼をすると、すっくと直り踵を返した。そこに金切り声が響いた。
「ちょっとあんた!あたしに謝罪の1つも無いわけ?!」
テンハーの不躾な行いだが、バークァはテンハーをくっつけたまま頷いていた。アクレイは目を伏せると身を返し応えた。
「1ヶ月の間に、本物の不興への対応をご覧に入れましょう」
思わぬ言葉にテンハーが唖然とする間に、アクレイは再び身を返す。
「参ります」
「「「「イエス、ヨアマジェスティ」」」」
アクレイの凛と響かせた声に、パーティ参加者のうち王党派の8割が応じ、アクレイの下に集った。アクレイは潤みかけた目にグッと力を入れると顔を上げ、そこに横から声がかかった。
「アクレイ、貴女この後は如何なさるの?」
公爵令嬢にかけるには些か気安い口調だった。
「ふぅ。キャスティ、ちょっと気安すぎなくて?私達は対立派閥の公爵令嬢同士でしてよ?」
取り巻きを引き連れたキャスティ=ジェスマ公爵令嬢にため息混じりに応えたアクレイの声も幾分砕けたものだった。
「とりあえず、婚約破棄の件はお父様へご報告いたしますわ。その後はお父様のお考え次第かと」
「轡を並べることも?」
「可能性のお話でしたら、無きにしも非ずかと」
「良いわね」
指をパチンと鳴らすキャスティに公爵令嬢の面影は無かった。
「……キャスティ」
アクレイの固い声にキャスティは慌てて
「じゃ、じゃあまた新学期にね!」
「キャスティ」
「はい。軽率でした。気をつけます」
幼馴染の力関係が窺えるやり取りの後、キャスティは取り巻きと貴族派の集まりへと退散していった。その姿に出かけたため息を飲み込んでアクレイは振り向き、王党派へ1つ頷くと、整然とパーティを後にした。
貴族派へと戻ったキャスティはため息をついて呟いた。
「公開婚約破棄って失態なのに8割の支持を集めるとか、恐ろしいわね」
公開婚約破棄と王党派の退出にざわめく貴族派に2回手をうって注目させると、キャスティは指示を出した。
「今までどおり情報収集に努めなさい。王子には気取られないようにね。アクレイに応じなかった王党派連中の取り込みも行って。裏切り者は信用できないけど、捨て駒か弾除けにはなるでしょ。そのつもりで接触して」
「「「はっ!」」」
「あとはこのパーティ、好きに飲み、好きに食べ、好きに語らい、好きに踊り、楽しみなさい。以上よ」
「「「イエス、マイディア」」」
―1ヶ月後―
「アクレイ!私のテンハーに何をした!一家離散とはどういうことだ!!」
始業式後、各々の土産話でほのぼのとしていた特進教室の空気を引き裂いてバークァがアクレイに詰め寄っていた。アクレイは静かに席を立つと膝を折った。
「王国の嫡子バークァ様、ヤクジョー公爵家長子アクレイが申し上げます。どういうこと、とは何のことでございましょうか」
「とぼけるな!」
「私は何もしておりません」
「嘘をつくな!」
「私は何もしておりません。ただ、願っただけですわ」
「願った……だけ……?」
「ええ、願っただけですわ。そもそもテンハー様が都会の味を覚えて、人に会う度に服の新調を毎回行うなど身の丈以上の散財をやめれず、そうしてできた娘の借金は男爵家の支払い能力すらも超えており、ついに屋敷まで抵当に入ったことで国に財政破綻と見做され領地没収の憂き目にあったと聞いております。男爵は労役、夫人は離縁で実家に戻られ、原因である娘は修道院へと送られたとか」
バークァはがっくりと膝を付いた。
「テンハー、どうして……」
涙するバークァにアクレイが歩み寄り、バークァの頭を踏みつけた。
「ガァッ!アクレイ、何を?!」
「お黙りください女の敵。私、少し怒ってますの」
アクレイの足を外そうともがきながらバークァは叫んだ。
「何のことだ!」
「地方から来たお登りさんに甘く囁き、贅沢させて価値観を破壊し、情婦に仕立て上げ、依存堕落させて、お遊び気分で彼女の人生と家族を破滅させた、この、ド外道のことですわ」
バークァはアクレイの足を払い除け顔を上げた。その正面に
「ねぇ、殿下」
笑顔のアクレイが
「臣民は」
甘やかに
「玩具では」
しかし氷の冷たさで
「ございませんよ」
囁いた。
瞬間、バークァは漏らさなかった自身を褒め称えた。根が合わない歯を鳴らしながら、首をぎこちなく動かすバークァを、特進教室の誰もがアクレイと同じく温度の無い目で見下ろしていた。その目はもはや王国の嫡子、王太子候補を見る目では無かった。
「ァ……ァァ……アァァアァァァア!!」
バークァは狂ったように叫びながら教室を飛び出して行った。この後バークァは複数人と会うとパニックを起こすようになり自室から出られず、王宮からはバークァは不治の病を得たと公表された。
―数日後―
学内のサロンでアクレイは読書、キャスティは眺望と、互いに気ままに過ごしていた。キャスティの鼻歌に時節アクレイがページをめくる音が混ざる気の置けない2人だけの空間。
「ねえ、レイ」
「なぁに、キャス」
「何であの女を娼婦に落とさなかったの?」
「純潔は守っておられましたので」
「そう」
「ええ」
「優しいね」
「王宮の情報漏洩していないか確認の為とはいえ、美丈夫を送り込んで散財させていた側の私たちは優しくないのではなくて?」
「一応、散財させないよう注意はしてたんでしょ?なら、優しいよ」
「そうかしら」
「そうだよ」
少しの沈黙の後、サロンは再び鼻歌とページをめくる音に満たされた。キャスティの眺める窓の外で、白い雲がゆったりと流れていった。