【11話】フェイムスの心配事
ベムープから王宮に来て一か月が経った。
リーシャは王宮内の作業部屋にて、緑ポーションの精製を行う日々を送っていた。
「さすがお姉様……何度見ても素晴らしい魔法です」
魔力水に治癒魔法をかけているリーシャの隣で、緑色の髪をした小柄な少女がうっとりとしていた。
彼女はミラ。
王宮で働く十五歳の宮女だ。
道具の準備やポーションの運搬など、リーシャの仕事のサポートをしてくれている。
人懐っこくて明るい性格をしているミラはリーシャのことを『お姉様』と慕って、今みたく何かと褒めてくれる。
褒められるために仕事をしているわけではないが、そう言われるのは嬉しい。彼女のおかげで、リーシャは毎日楽しい環境で仕事ができていた。
(ローデス王国の時とは全然違うわ)
ローデス王国には、神子であるリーシャの他にも聖女が二人いた。
仕事をするときは自然と彼女たちと一緒になることが多かったのだが、
「神子だからってお高くとまってさ。あームカつく」「私たちを見下してんのがバレバレなのよ。最悪だわ……なんでこんな傲慢な女と一緒に仕事しなきゃいけないのかしら」――他の二人からは、そんな影口をずっと叩かれていた。
一緒に仕事をする同僚も最悪。
さらに、仕事の管理者も最悪。
ローデス王国での仕事環境は、最悪と最悪が組み合わさった地獄。
仕事をするのが苦痛で仕方なかった。
それに比べたら今の環境は天国だ。
毎日仕事をするのが楽しい。苦痛を感じるなんてもってのほかだった。
「お疲れー。捗ってる?」
リューンが作業部屋に入ってきた。
管理者である彼は時々こうして、リーシャの様子を見にきてくれている。
「順調です。今週のノルマも余裕で達成できそうです!」
結局のところ、一週間あたりのノルマは三千個となった。
リーシャとしてはまだまだ全然いけるのだが、フェイムスにそれを伝えたところ、「気持ちは嬉しいが、それだけあれば十分だ」と言われてしまった。
「おお、それは頼もしいな! さすがリーシャちゃんだぜ」
「いえ、私だけの力ではありませんよ。優秀な助手がいることもお忘れなく」
ミラに顔を向けたリーシャは小さく微笑む。
ミラは黄色の瞳をキラキラと輝かせると、
「お姉様に褒められちゃいました!」
満面の笑みで弾んだ声を上げた。
わーい! 、と子どものようにはしゃぐ。
「ミラは本当に、リーシャちゃんのことが大好きだよね」
「はい! カッコよくて美しい――お姉様は私の憧れですから!」
リーシャの顔がほんのりと赤くなる。
(もう、ミラったら……!)
憧れているなんて正面から言われたものだから、恥ずかしくなってしまう。
しかしリーシャの口元には、大きな笑みが浮かんでいた。
恥ずかしいけど、それでもやっぱり嬉しくもあった。
「今日はもうこれくらいにしようか」
リューンの視線が窓へ。
外を覗いてみれば、オレンジ色の夕焼けが街並みを照らしていた。
就業時間は特に決まっていないのだが、朝食を食べ終わった頃から仕事を始めてこれくらいの時間にいつも終わっている。
「あの……もう少しだけやっても構わないでしょうか?」
キリのいいところまであと少し。
どうせなら、そこまではやってしまいたかった。
「あぁ。構わないよ」
「それなら私もお手伝いいたします!」
「ありがとうねミラ。でも、一人で大丈夫よ。その気持ちだけで十分だわ。明日もよろしくね」
「分かりました。でも、もし手が必要な時は遠慮なく声をかけてください!」
「リーシャちゃん。頑張るのは良いけど無理しすぎるのはダメだからね」
二人はリーシャをたっぷりと気遣ってから、部屋を出ていった。
リーシャは温かいものを心に感じながら、仕事を続けていく。
しばらくして、キリのいいところまで仕事が進んだ。
今日はこれで終わりだ。
リーシャは片づけをしてから、夕食を食べるため食堂へと向かう。
「結構時間がかかってしまったわね」
通路を歩きながら、小さくため息を吐く。
一人で片付けをするのが今回が初めて。
いつもはミラに任せていたものだから、思ったよりも時間がかかってしまった。
彼女のありがたさを、リーシャは改めて実感した。
食堂に入る。
もう遅い時間ということもあって食事をしている人は誰もいない――と思ったのだが、一人だけいた。
中央にある横長の食卓テーブル。
そこでは、フェイムスが一人で食事をしていた。
近づいていったリーシャは声をかける。
「こんばんは」
「君も今から夕食か。ずいぶんと遅いんだな」
「片付けに時間がかかってしまって。……あの、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
リーシャはフェイムスの対面へと座った。
(こうして会うのはずいぶん久しぶりな気がするわね)
フェイムスは忙しい。
初日に挨拶して以降、彼とは顔を合わせる機会がほとんどなかった。
こうして会話をするのも、いつぶりだろうか。
(なんだか嬉しいかも)
フェイムスは国民のことを思いやっている、素敵な男性だ。
そんな人とこうして一緒に食事ができることに、リーシャは少しだけ舞い上がっていた。
「君が来てからもう一か月か。どうだ、ここでの生活には慣れたか?」
「はい。心地よい日々を過ごせています」
「良かった。それを聞けて安心したよ」
「私にはもったいないくらいの素敵な環境を用意してくださって、本当にありがとうございます!」
「礼を言うのは俺の方だ。緑ポーションのおかげで、多くの者の命が助かるようになった」
しかしフェイムスの顔は、あまり明るくない。
内容的には嬉しいことを言っているはずなのに、どんよりと曇ってしまっている。
「なにか心配事でもあるのですか?」
「……どうしてそのようなことを聞く?」
「なんだかお辛そうな顔をしていたものですから」
「……俺はそんな顔をしていたのか。すまない。せっかくの食事の時間だというのにな」
「私で良ければお話を聞きますよ?」
フェイムスは少し悩んでから、実は、と口にした。
「南方にあるラントルという小さな村……そこでは疫病が蔓延しているんだ。発症者には緑ポーションを支給して、治療を行っている。だがつまるところそれは、対症療法でしかない。新たな発症者の増加を止めることはできず、その数は日々増えていくばかりだ」
「疫病の元を断つ必要がある、ということですね」
「その通りだ。原因を特定し排除することができれば、疫病の被害はなくなるだろう。……だがいまだに、特定にはいたっていない。それどころか手がかりすら掴めていないというのが現状だ」
奥歯を噛んだフェイムスは瞳を細めた。
そこにはどうしようもない悔しさが滲んでいた。
「……フェイムス様。ラントルへ向かう許可を私にくださいませんか?」
「…………どういうことだ?」
「私であれば、なんとかできるかもしれません」
神子であるリーシャならではの――リーシャにしかできないことがある。
困惑しているフェイムスの顔を、まっすぐに見つめた。