23.
その晩、俺は長い夢を見た。
薄闇に包まれた王都の外れだろうか?
古びた石畳の小道が月明かりにほのかに輝き、植え込みの木々は風にそよいで、耳元でカサカサと葉擦れの音が聞こえる。
その木陰に、まだ幼い俺が膝を抱えてうずくまっていた。
冷たい土の感触、湿った草の匂い――どこか懐かしく、胸を締めつける。
夢だとわかっているのに、断片的な記憶が鮮やかに蘇る。
(ああ、そうだ……あれは魔力が初めて発現した後だ)
体内で蓄積されたエネルギーが出口を求めて暴れまわり、自分の意思とは関係なく爆発や炎となって噴出するそれらを制御する事など到底無理だった。暴走する力も周囲の目も怖くなった。
押しつぶされそうな心を抱えて、堪らず屋敷を飛び出したあの夜。
これまで忘れていた記憶の欠片が少しずつ集まり、カチリカチリと少しずつ修復されていくような感覚で、夢の中の俺は答え合わせをしていく。
――そして、目の前に少女が現れた。不思議な少女だった。
突然、木々の隙間から現れた彼女は、ボロボロの服をまとい、細い腕には擦り傷がいくつもあった。それなのに、彼女のエメラルドグリーンの瞳は、まるで深い森の湖のように澄んで輝いていた。
彼女は俺を覗き込み、矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。「ねえ、なんでこんなとこにいるの?」「泣いているの?」「お腹空いているの?」 その無邪気な声に、俺は戸惑いながらもなぜか警戒心は抱かなかった。
俺よりも小さく弱々しい女の子から危害を加えられることを心配するよりも、自分の魔法で彼女を傷付けてしまう事が心配だったんだ。
彼女は返事をしない俺を心配したのか、質問の答えを待たず傷だらけの小さな手で、俺の汚れた頬をそっと拭い同情するように笑う。
俺は自分の魔法がまた暴発する事を恐れ、思わず「近付くな!怪我をしたくなければほっといてくれ」と、彼女の親切を突き放した。しかし、彼女は一瞬驚きはしたものの、何事も無いように俺の世話を続けた。
「怪我も痛いのも平気!慣れているから」と笑う彼女の顔は、月明かりの下で一層愛らしく見えた。その笑顔は、まるで森の中に差す光のように俺の中の緊張と恐怖を優しく照らしてくれた。
彼女の瞳を見つめ、たどたどしく話す彼女の声を聞いているうちに、俺の胸を締めつけていた得体の知れない恐怖や苛立ちが、静かに霧散していくのがわかった。
(そうだ、俺はあの時、彼女にもう一度会いたいと強く願ったんだ)
その夢の中で、ふと別の記憶が重なる。両親の姿だ。
俺は魔力が発現し、その力の暴走を迷惑がられていると思い込んでいた。しかし、それは違った。両親はいつも温かな眼差しで俺を見つめ、心から支えてくれていた。屋敷の暖炉の前で、母が柔らかく髪を撫でてくれた感触。父は誇らしげに微笑みながら、魔法の制御を一緒に練習してくれた。あの愛情は、闇などではなく、優しさで俺を包み込んでくれていたのだ。
あの事故からずっと俺は自分を責めていた、自分が無理を言った事で起きた事故だと。俺の魔法が崖崩れを引き起こし両親を死なせてしまったと、自分を責め足りずに無力さに絶望して記憶を封印したのだ。
しかし今日、俺はマリエッタにすべてを打ち明けた。両親の事故、失われた記憶、そして心の奥に閉じ込めていた痛み。
彼女は静かに耳を傾け、時折そっと頷きながら、俺の言葉を受け止めてくれた。
話し終えた瞬間、抑えきれなかった感情が溢れ、俺はあの事故以来初めて涙を流した。頬を伝う熱い雫が、凍りついた心を溶かし、どこか遠くへ運んでいくようだった。
(この夢は、そのせいか?)
夢の中で、少女の姿が再び浮かぶ。彼女だ。彼女だったのだ。記憶に残る少女とマリエッタの姿が、まるで二枚の絵がゆっくりと重なるように一致していく。
エメラルドグリーンの瞳、柔らかな笑顔、そっと差し出される細い手。その瞬間、胸の奥で凍りついていた何かが砕け温かな光へと変化していく。鮮明になる記憶の中で、彼女の仕草が、まるで過去と現在をつなぐ糸のように絡み合う。
そうだ、あの時も、彼女は小さなハンカチを差し出してくれた。粗末な布に、黒猫が二匹、ぎこちなく刺繍されていた。あのハンカチを握りしめた時の感触が、まるで昨日のことのように蘇る。
そして今日、マリエッタが無意識にポケットから取り出したハンカチにも、同じ黒猫がいた――。
俺はマリエッタに感謝した。彼女は俺の閉ざされた心を解き放ち、失われた記憶を呼び戻してくれた。
次は俺の番だ。マリエッタの瞳に宿る憂いを晴らし、彼女の心に温かな光を灯したい。彼女を幸せにしたい――俺の手で。
その想いは、夜の静寂の中で、固く、強く、俺の心に刻まれたのだった。




