22.
俺は静かにあの日の事を思い出す。
「俺達の一行が山に差し掛かった時、雨が強く降り始めたんだ。崖とぬかるんだ地面、そして容赦ない横風が馬車を大きく揺らした」
最悪な状況が鮮明に蘇ってくる。
ガタガタと大きな音を鳴らして揺れる馬車の中、俺は母に抱かれて、ただただ恐怖を感じていた。父が何か御者に向かって叫ぶ声が耳に残っている。
「馬車が悲鳴を上げ、軋む音とともに跳ねた瞬間――俺達の体は馬車の外に投げ出されていたんだ。先に振り落とされていた御者の話によれば、馬車が弾けた様に見えたらしいから……俺の魔法が発動したのだろう」
この辺は俺の記憶もあやふやで、その場に居合わせた人間の証言になるのだが……と、俺はそう前置きをして目を閉じた。
目の前の馬車の残骸は今にも崖から滑り落ちそうになっており、父は他の馬車や使用人たちの様子を確認していた。そして母は俺の心配をしながら安堵の顔を見せていた……と思う。
俺は自分の事よりも母の事が心配だった、怪我はないかと。そうして母に手を伸ばそうとした瞬間――父の「離れろっ!」という声と同時に俺は母に強く突き飛ばされた。
次の瞬間、地鳴りがしてバラバラと降りかかってくる無数の小石。
何が起きたか分からぬまま体を起こし、次に俺の目に飛び込んできたものは――目前にまで迫った土砂と、むせるような砂ぼこり。
そして……悲鳴交じりに両親の名を叫んでいる使用人達の姿だった。
そこまで話した俺が声を詰まらせると、マリエッタが俺の手を取り優しく包んでくれた。彼女はとても辛そうな顔をして涙を流している。
事の結果を察したのであろう彼女の頬に手を当て、親指でそっとその涙を拭いながら俺は言った。
「ありがとう、俺の代わりに泣いてくれているのだな……」
いつもであれば、この事故の光景が浮かぶ時は息苦しく眩暈までも引き起こしていた。そしてその眩暈に耐えたとしても、次に流れてくる映像や臭いに精神をやられてしまっていたのだ。
現に幼い頃の俺は記憶障害を引き起こしてしまい、いまなお失ってしまった記憶を思い出せないでいる。
ルーク達はその事を心配してくれるが、俺はそれ以前の記憶が有ろうと無かろうと別に困らないと思っているから別にいいのだが……記憶とは厄介なもので、なにかのきっかけで突如鮮明に蘇る。
そう、例えば――土砂の下から広がり出る赤が……自分の足元に迫る恐怖。幼いながらもそれが母親のものと想像した時の絶望が今でも俺を苦しめてきた。しかし――
「テオバルト様……ご無事でっ、ご無事に生き延びてくださりありがとうございます。ご両親の事は、とても悲しく不運な事故だったのだと思います……。しかし貴方のお母様は、きっとご自分の行動を誇っていらっしゃると思います!」
マリエッタは号泣し、しゃくりあげながら力強くそう伝えてくれる。
俺は初めて抱く感情そのままに彼女に答えを求めた。
「父は……母を守れなかった俺を憎んではいないだろうか? 俺の魔法が土砂崩れを引き起こしたと責めていないだろうか? 母は……母は……」
俯き、言葉が出なくなった俺をマリエッタが強く抱きしめる。そうして背中を優しくさすられた俺は自分の背に忘れてしまっていた人の暖かさを感じた。そして込み上げてくるものを必死に我慢していると……。
「ご自分を責めてはいけません、それは間違っています! 絶対に間違っています!」
マリエッタは俺を抱き締める両腕の力を、そして口調も強くして俺に言い聞かせる。
彼女のこんな声を初めて聞いた俺は少し驚いて、彼女の肩に預けていた顔を上げた。
「貴方のご両親は、貴方の事を責めるようなご両親でしたか? 貴方のお父様は頑張った貴方を褒めたはずです! 貴方のお母様は貴方を心から愛していたはずです! テオバルト様、ちゃんと思い出してください」
グイッっと俺の顔を両手で包み、自分の方を向かせるマリエッタは真っすぐに俺の瞳を見つめてきた。
そして俺もマリエッタの美しいエメラルドグリーンの瞳に惹き込まれていると……そこに何かを感じた。
――既視感――
(遠い昔の記憶が微かに蘇ってくる……聞こえてくるのは少女の声? 場所はどこだろう……)
『どうしたの? 何故泣いているの? 怪我をしているの? どこか痛いの? 近付くな? 何故? 』
『ふぅん……そうなの? 別に構わないわ、だって家ではもっと痛い思いをしているもの』
『はい、これを使って。あなたにあげるわ! 私が刺したの、上手でしょう? 』
『いいの、気にしないで。それよりお話してくれてありがとう! えっ? 私の名前? 』
『私の名前は――――』
『テオ? お母様の目を見て……、いい? あなたが魔法が使えようと使えまいと、わたくしもお父様も何も変わらないの、あなたを危険な目に遭わせたくないから領地へ行くのよ? リチャードみたいになりたいのでしょう?』
『そうだぞ?私達も出来るだけお前の側で見守っているから、お前は何も気にせずに広い土地で魔法をコントロールして身に着ける鍛錬をすればいい。楽しみにしているぞ!』
『いらっしゃい……いい子ね。それにあなた、魔法を使えるようになったら会いに行きたい子がいるのでしょう? なら頑張らなくてはね? お父様と一緒に応援しているわ』
『――テオ、わたくしの愛しい子…………』
微かに耳に残る両親の声と、そしてもう一人の少女の声。
俺はこの既視感を必死に手繰り寄せようとするが、感情が邪魔をしているのか、はたまた自己防衛なのか、辿り着きそうなのに全てを思い出せずに強いもどかしさを感じてしまう。
そしてそんな俺に、マリエッタはそっとハンカチを渡してきた。
「――?」
「花を……部屋に飾る花を選んできます。ナタリーに声を掛けますので心配なさらないでくださいね」
そう言って俺から離れていくマリエッタ。俺は彼女に何かしてしまったのかと慌てて引き留めようとしたが、ふと気付く。
動きに耐え切れず流れ落ちた涙――最初のソレを許してしまうと、あとは熱い涙が次から次へとめどなく溢れ、マリエッタの後ろ姿さえも隠してしまった。
堰を切ったよう我先にと流れる涙に、俺は抵抗をしなかった。ただ、胸が苦しかった……。
マリエッタに手渡されたハンカチを見るとそこには彼女の得意な刺繍が小さく施されていた。
「――愛おしい――」……俺は心からそう感じた。
その感情を胸に抱き、ハンカチに刺繍された親子であろう大小二匹の黒猫を見た時、
――俺の中で何かが強く、強く弾ける感覚がしたのであった……。
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