12.
執務室に入るとリチャードがコーヒーを用意してくれていたがその目は何か言いたげだ。大体の予想がつくので目を逸らしたがリチャードはそれを許さなかった。
「テオ? 君が奥様を放っておいた事に対して自己嫌悪に陥るのも勝手だし、二人の初めての朝食に浮かれるのも勝手だが、奥様に心配をかけるのは止めるんだ。あの方は自分の事よりも目の前の他人を心配する。まぁお前はもう他人ではないから、余計に心配されるだろうな、というかマリエッタ様の食事については報告していただろう?」
「ああ、聞いていた!聞いていたが、あれ程とは思わなかったんだ!」
「確かに最初は俺も驚いた、何日も食べない経験なんてした事がないし、食べる事で体調を崩すだなんてせいぜい食べ過ぎた時ぐらいだ。テオ? 何度も言うが、マリエッタ様は俺達の想像もつかない境遇で十年以上酷い扱いを受けていたんだ、心も身体も癒えるまで時間が掛かる。伯爵家を潰す事だけが目的じゃないんだからな?それを忘れるな、焦るな、恐るな!お前はこれからもマリエッタ様の心に寄り添ってやればいい。汚れ仕事は俺達に任せるんだ、いいな?」
「ああ、リチャードすまない。いつもありがとう」
「フンッ俺は優秀な侍従で側近でお前の兄でもあるからな! 気にするなっ、みんなでやり遂げよう」
俺達は王都の街中にやって来た。屋敷を出るまで散々心配され、家令のサムエルと侍女長のマーサは年齢のせいもあるのか特に心配性だ。
段差でなくても手を貸す事、歩かせ過ぎない事、食べさせ過ぎない事、日差しに注意する事、その他諸々注意事項が沢山ある。執事のスチュアートには流行りの店や街歩きのルートがピックアップされた地図を渡された。
(これは…...間違いなく俺も心配されているな)
確かに女性との街歩きの経験なんてないが、子供ではないんだぞ?とそう思ったが相手がマリエッタだから備えはいくらあってもいいと、素直に思い直して屋敷を後にしたのだが......街中に着いた俺は彼らの忠告に心から感謝するのだった。
人が多い! 流される程ではないが、雑踏に慣れないマリエッタは固まって動けなくなっている。
スリや荒くれ者は護衛がいるし人の流れもリチャードやナタリーが道を作ってくれているのだが、俺がマリエッタの手を取り反対の手で背中に手を添えると、それに気付いた彼女はソロソロと歩き出した。
馬車の乗り降りでも思ったが、相変わらず指も手も腕も全てが細い!折れそうだ、細心の注意を払いひとまずベンチに座らせる。
「小さい頃にお使いでたまに市場に来た事があったのですが、本当に数える程だったので忘れていました。王都の街とはこんなにも人が多くて、煌びやかなのですね!ドキドキしています」
着いたばかりの広場ですでに、わぁ! と嬉しそうに周りを見渡しているマリエッタに、沢山綺麗な物や美味しい物を体験させたくなった。
手芸専門店で店内の美しさに涙を流すマリエッタに、ナタリーがすかさずハンカチを渡している。出遅れてしまった…...。
美しい装飾が施された箱が沢山あり、店主に聞くと手芸道具を入れる箱だと言うので、中を見るとなかなかに機能的になっている。マリエッタも一緒に見て母親が持っていたものよりも豪華だと驚いていた。
遠慮をするマリエッタを説得して沢山買った。俺としては沢山でもないし、なんなら店ごと丸々と思ったがリチャードに止められたのでやめた。
「キャンディーのお土産も嬉しかったですが、自分への贈り物をいただいたのは初めてです。自分の刺繍道具が持てるなんて夢みたいで本当に嬉しいです。ずっと大切にします! テオバルト様ありがとうございます!」
マリエッタの涙をハンカチで拭いてやると彼女が驚いていて顔を上げた。その驚いた顔と流れる涙の美しさに思わす見とれてしまう。同時にナタリーに先を越されなくてよかったと心から思ったのであった。
彼女を喜ばせるのも、笑顔の彼女の瞳に映るのも、嬉し涙を拭うのですら全て俺でありたい……。
俺は心からそう思うようになっていた……。




